実はA Gardener and a treeの原詩は日本語で数ヶ月前に書いたものなのですが、クラスの課題がballad形式の詩だったので、イメージはそのままで書き直しをしたのです。(それをまた今度日本語にする方が大変だった…)だけど、今回この詩が生まれ変わったことで、思いがけなく数ヶ月前の自分からエールをもらったような気持ちになりました!詩だけではなく、ブログや手紙やフツパノートの中で文章として自分の内面を記す事は、いつかの自分との対峙や対話につながる…こともあるんだな。自分の考えていた事や感じていた事は、案外と時の流れの中で輪郭が薄れてしまうけど、言葉に託された記録を通して自分の進んできた足跡がよりハッキリ見えたりする。そこにある導きも含めてね。それが確認できるって、なかなか恵みかも。
約5ヶ月続けてきたこのブログを振り返って見ると、夏休みに始めた頃は、教師生活に一度コンマ(ピリオドではない!)を打ったばかりだったのでティーチャーな余韻が漂ってるわ、大学院生活を始めたら授業ネタ・語学ネタが増えるわで、けっこうわかりやすいですよね、私。書いてることが生活そのままというか。(ところてんつきのようだわ。)もっと色々な事柄にバランスよく目を向けていきたいけど、没頭するタチだから、まっいいか!?
皆さんは過去の自分と和解し、未来の自分にエール送ってますか?
約5ヶ月続けてきたこのブログを振り返って見ると、夏休みに始めた頃は、教師生活に一度コンマ(ピリオドではない!)を打ったばかりだったのでティーチャーな余韻が漂ってるわ、大学院生活を始めたら授業ネタ・語学ネタが増えるわで、けっこうわかりやすいですよね、私。書いてることが生活そのままというか。(ところてんつきのようだわ。)もっと色々な事柄にバランスよく目を向けていきたいけど、没頭するタチだから、まっいいか!?
皆さんは過去の自分と和解し、未来の自分にエール送ってますか?
”過去の自分と和解し、未来の自分にエールを送る”のメッセージに 胸を打たれました。
ひょんなことから 出会った メッセージにこんなに励まされるなんて。ありがとうございました。
「昔の自分にサンキュ。」を書いた後に思ったんですけど、“過去の自分と和解し、未来の自分にエールを送る”ってけっこうエネルギーいるんですよね。今の自分から過去の自分に向かって手を差し伸べたり、未来の自分の応援したり。
でも時には力を抜いて、“過去の自分の励ましを受け取る、未来の自分に期待してみる”でもよいと思うんです。人との関係でも、励ましたり励まされたりあるから、自分との付き合いも色々あっていいかな、と。