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言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

東日本大震災後の日本のための祈りの課題リスト 

2011-03-20 | 神の葉
東日本大震災の影響で被害を受けた方々、不自由を強いられている方々、心を痛めている方々に、心よりお見舞い申し上げます。

私が毎週出席しているカリフォルニアの日本人教会で、日本のために特別祈祷会が行われました。そのために、祈りのリストをつくったので、教会や集会所などでご自由にアレンジしてお使いください。…とはいうものの、実は半分くらい他のサイトの祈りのリストからパクリ、カテゴライズしただけです。(Prayer Chain for JAPANさんとClaycomo Baptist Church Missions Blogさん、ここにてお礼申し上げます。)他にも祈りの課題の事項を送って頂ければ、付け加えるかもしれません。(状況は一刻一刻変わっているので、しょちゅうアップーデートが必要な事項は載せられませんが、ご了承ください。)

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神様のために:
-神様の名に栄光が帰され、恨まれることのないように。

天災と人災のために:
-海と地と風と気候が治められ、自然が落ち着きを取り戻すように。
-原発発電所の原子炉が冷却され、炉心融解が防げるように。放射能漏れの範囲が広がらず、量が増えないように。

日本政府と国民のために:
-政治的リーダー、自衛隊、救援隊、企業、そして各個人が最も効果的な判断をくだすための知恵と持久力を与えられるように。
-原子炉の状態についての正しい情報が提示され、それに対して日本国内と国外の人々が常識を持った反応が出来るように。
-国民が情報の妥当性を吟味し、適切な判断をすることができるように。
-愛する人、生計、財産、そして機会を失い絶望している人々が慰められ、哀しみを乗り越えて希望を持つことができるように。
-住居、食料、生活必需品に欠く人々に、必要な物資と安全な環境が提供されるように。
-被災地のリーダーと人々が共に再建に向かって助け合うことができるように。
-被災地以外の地域の人々が思いやりを持ち、買いだめをやめ、被災地の人々のために募金、物資援助、支援活動などのサポートを提供できるように。
-計画停電による事故や、略奪、詐欺などの二次的災害を防ぐことができるように。
-国も国民も、現実的に長期的復興の計画をたて、それをやり通す事ができるように。

日本のクリスチャンのために:
-周りの情報に流されず、神様の声を聞いて、平安と希望を得ることができるように。
-援助活動、寄付、心遣い、そして福音を通して人々を助けることができるように。
-聖霊の促しに敏感になり、その場に応じた適切な助けができるように。
-教会にリバイバルがもたらされ、自分も周りの人々をも再臨に備えることができるように。
-日本の各地で霊的な覚醒がもたらされ、クリスチャンの働きとメッセージが受け入れられるように。

日本以外の国や人々のために:
-惜しみなく救済活動、募金、物資援助、励ましの行動や言葉などを与え、彼らが与えることによって祝福されるように。
-国家間の政治的な壁や、人々の間の偏見や差別が取り去られるように。
-この災害をきっかけに、世界の人々が霊的に目を覚ますことができるように。
-他の震災の被災者たちがフラッシュバックなどを経験せずに、日本の被災者の心に寄り添うことが出来るように。また、彼らのための長期的なサポートや寄付が、忘れられることがないように。


おおきな木へ

2010-12-24 | 神の葉
シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」という絵本に出会ったのは、中学生の頃だったと思います。聴衆を泣かせる説教で定評のあったS牧師が(当時は女子寮の舎監)、大きな木を神様に見立てて、話して下さいました。(ここからネタバレに注意!)大きな木は、少年と仲よし。一緒に遊んで楽しい時間を過ごす。しかし、大きくなるにつれ少年は木を離れ、必要な時だけ木の所にやってくるようになる。青年になった彼は、町に出て売るための林檎を、木に求める。家庭を持つようになった彼は、家を建てるための枝を、木に求める。問題を抱えた中年の彼は、船を造るための幹を、木に求める。木は与え続けて幸せだったが・・・本当は淋しい。そこに人生に疲れた老年の彼が、戻ってきた。もう何も上げられない切り株となった木は、「ここに座って、休みなさい。」と彼に呼びかける・・・木は彼が戻ってきて、幸せだった。おしまい。

この話を始めて聴いた時は、なんともやるせない気持ちになったものです。「木よ、それでいいのか!?」と。それから、あんまり与え過ぎるのも考えものだなんて思ったり、お人よしは損だよね、と言ってみたり。・・・でも、人間はそんな風に無条件に自分に与えてくれる存在を、心のどこかで欲している気がする。でも、人は不完全だから、そんな風に与え続けることは、実際には難しいんですよね。どこかで見返りを期待してしまうし。でも、神様はこの木のように、ただ与えて与えて与えるために存在している。その切り株の上に憩う時、人は真の平安を得るのじゃないかな。

そんな与える神様のことを考えていたら、「おおきな木」に宛てて、手紙を書きたくなってきた。そこで出来たのが、こんな詩です。

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おおきな木へ

私があなたを愛したのは
林檎がもらえたから
枝が手に入ったから
幹が欲しかったから
ごめんなさい
でも、
それが私の愛だった

あなたが私を愛したのは
私に与えたいから
私を愛したいから
私が私だから
ありがとう
でも、
私はあなたを傷つけた

それでも
そこにいてくれる
切り株ひとつで
待っている

身をすり減らした
小さなあなたが
今となっては大きく見える
こんな不実な私には

昔に食べた林檎の種が
私のどこかで芽を出して
与える木として大きく育ち
実を沢山つければいい

そしたら、その実を
あなたにあげたい
枝も、幹も
切り株さえも

人生は釘打ち!~夕礼拝での話~

2008-03-08 | 神の葉


うちの高校では、毎週金曜日の夜に安息日を迎えるためのサンセット礼拝があるのですが、先週した話を、高校生達の反応と共にみなさんにもお届けいたします!(彼らの反応が結構面白かったので。)

       *  *  *  *  *  *  *  *

ハッピ~・サバス、エヴリワン!!今週も守られて楽しく過ごしたかな?今晩は、さっそくボランティア3人に前に出てきてもらって、やってもらいたい事があるんだけど…(3人出てくる。)サンキュ!じゃ、ここにある十字架に、言うとおりに釘を打ってくださーい。はい、君はちょっとだけ、先1センチくらいだけ打ち込んでみて。そうそう。次の人は釘半分くらいまで。ありがとう。で、最後の釘は全部打ち込んじゃって。ガンガンいっちゃって。はい、ご苦労様でした。じゃ、この十字架を立てて、押さえといて下さい。さて、この釘に重たいバックパックを掛けまーす。一本目はどうだろう。「落ちるっしょ!」…ハイ、落ちたね。二本目は?「落ちない!」うん、一応その予定なんだけどね、落ちたら困るなぁ…よしよし、大丈夫。じゃ、3本目は?「それじゃ、掛けられないし!」うーん、やっぱ無理だね。引っ掛からない。じゃ、ボランティアの3人ありがとう!席に戻ってよし。はい、3人に拍手!

ここでひとつ話をします。ある所に、男の子がいました。彼は新しいオモチャを掛けるために、壁に釘を打って欲しいとお母さんに頼みました。「でもね、壁に穴があくと大家さんに怒られちゃうのよ。」とお母さん。「大丈夫だよ、ママ。」坊やは言いました。「穴なんか開けなくてもいいよ。壁から出てる釘の頭の部分だけあればいいんだから。」いや~、壁の中の釘は見えないとはいっても、その部分がなきゃ、オモチャ支えられないでしょ。私達の人生もね、さっきやった釘打ちみたいなもんなんです。ちゃんと打ち込まないと、荷物を支えられない。見えないとこが肝心。ある人はこう言いました。「本当の人格とは、誰にも見られていない自分のこと。」あなたの見えない部分に人生掛けられますか?神様から見て自分は、「おっ、こいつにはミッション任せられるな!」「終わりの時代も耐え抜くだろうな!」って釘になってると思う?

では、この打たれ釘の断面図を見てください。壁を境に「見える部分」半分と「見えない部分」半分に分かれてるよね。まずは先生としての私の生活を例にして…ここにいる中には毎日40分間顔を合わせる人達がいるよね。(英語のクラスの生徒が手をふってます。)もっと長い人もいるね~。(ESLの生徒が笑っています。)で、私が見られてる部分は授業中でしょ、(「授業中」と「見える部分」に書き入れる)見られてない時には何しているかといえば、授業の準備とか、採点とか、参考文献を読むとか…(「見えない部分」に書き込む)で、ちゃんと準備してきたのか、ちょい準備不足なのか、ギリギリに起きたのかって、知らなくても結構わかると思うんだよね。(にやけている生徒がいる。。。)逆に授業外でもちゃんと勉強してるのか、怠けてるのか、先生にもわかるもんです。見えない部分の自分が、見られている自分にもちゃ~んと現れてくる、と。見えないとこも、手ェ抜けないよね。

じゃ、次のページいってみよう。「ジーザス」はどうだったか?一般大衆に見られていた部分といえば?「癒やし~!」そうだね~、病人がぞくぞく来てたし。(「見えない部分」に「癒やし」と書き込む。)「お説教~!」それも求心力あったわ。(「説教」と書き込む。)「奇跡~!」「もう、癒しがでてるじゃん。」いや、癒やしは奇跡に含まれるけど、癒やしでない奇跡もあったよ、五千人に配ったパンとか。それじゃ、一般大衆には見られていなかった部分、知られざるジーザスは?「祈り」(書き込む)そう、夜通しとか、人が知らない時にずっと祈っていたよね。「神の子としてのジーザス!」(書き込む)おおお、なんかやったっていうdoingじゃなくて、どういう存在だったかっていうbeingもありね。いいね。じゃあ、一般大衆はイエス様をどういう人だと思っていたんだろ。「預言者!」(「見える部分」に書き込む)でもやっぱり、見えない所で神様とがっちりつながっていたから、ジーザスは人前にいる時にも揺るがないパワーがあったわけ。

では、ここでちょっと6つのグループに分かれてもらって、同じようにポスターに書き込んでださい。「見える部分」と「見えない部分」に分けて書いてね。最初のグループは「クリスチャン」、次のグループは「家族」、こちらのグループは「友達」、それから「働き人」、こっちは「生徒」、そして最後は「恋人」。え~、最後のグループばっかりに集まらないように!(それでも最後のグループ増幅中!)じゃあ、10分くらいグループで話し合いながら、どんどんボードに書き込んじゃってください!で、後で発表する人も選んでね。(10分経過)じゃ、シェアできるグループいますかぁ?はい、「友達グループ」からね。発表者は前に出てきてください、ボード持って。なかなかカラフルだねー。はい、マイクどうぞ。

*友達グループ
「えーっと、友達として見えるところは、笑顔、泣き顔、一緒にだらだらしたり遊ぶ時の姿、おしゃべり、プレゼントなどです。見えないところは、陰口や噂話、ドロボーするとかかな?」
本当の友達はいいけど、友達だと思ってたのに見えないところで嫌な事されるとサイテーだよね。。。なんか目に付かないところでできるいいことはない?
「影で友達を褒める、誕生日のサプライズ・パーティの準備とか、秘密のバディとして手紙やプレゼントを贈るとか。」
いいね、いいね。知らないところでも、支えてくれる友達ってのは。では、次行ってみよう。

*生徒グループ
「えーっと、見られている部分は授業中の態度、ちゃんと聞いているか、よく質問するか、それとも寝ているか、授業サボっているか… あとは、他の生徒を助けている姿。やった宿題や課題です。見られてないのは、宿題写してるか、カンニングしてるか、回し手紙しているとか、おならしたり鼻くそほじってるとか(おいおい)、いい事も悪い事も含め先生の事を影でどう言っているか、悪い言葉を他の言語で覚えるとか(ありがち)、一生懸命勉強している事、遅くまで起きている事、愛校心かな?」
はい、ありがとう!そうだね、人の知らないところで、頑張っている人もいれば、ズルをしている人もいるよね。それは、すぐには成績に表われてこなくても、人格の一部になるからね。

*家族グループ
「えーっと家族のやることで、見える部分は掃除・洗濯・炊事、などの家事です。あと宿題を手伝ってくれたり、買い物をしたり。愛や神様からの影響もそうです。見えないのは、仕事してる様子、オシメ代えてくれていた時代、忍耐、忠実さ、そういうものです。」
いいこと言うね~!オシメは私も思いつかなかったわ。コレ、大変だよね。夜中の授乳とかさ。しかも、やってもらった子供は覚えてないし。親は子供の見えないところで、色んな苦労してるし、子供のこと想ってくれてるのさぁ。そういう見えない部分に気づくのって、人間関係では大切だよね。

*働き人グループ
「えーっと、見える部分はボスの前で仕事している時の笑顔、熱心さ、努力、怒り、などです。見えてないのは、ケイタイで文字メール送る、寝る、寄り道する、食堂でつまみ食いする、女の子にちょっかい出す…そういった行為です。」
おいおい、なんかリアルだね… でも、バレなきゃいいってわけじゃないから!私のとこで働いてる生徒はホント信頼できるよ。見てなくても、ちゃんと頼んだ仕事を終わらせるだけじゃなく、頼んでないことまでやってくれるんだから。みんなもいい働き人になってね!

*クリスチャングループ
「えーっと、見える部分は祈る姿、心から歌っているところ、伝道活動、礼拝の態度、周りの人にしめす愛です。見えない部分は、一人でやるデボーション、例えば、聖書を読んで瞑想する、静かな祈り、賛美など。見えない悪いところは、自己チュー、欲望、憎しみ、悪い思いを持つ、嘘、PMS、などです。」
そう、見える所も大事だけど見せ物としてやるんじゃないから、地道に神様と交わりを持たないと見える部分もニセモノになっちゃう。見えない悪い部分も神様に取り扱っていただかないとね。

*恋人グループ
「恋人の見える部分はやっぱり見た目。例えば、顔、ボディ、割れた腹筋、洋服、お金、匂い、セクシーさ、、整形した顔(?)、それと甘い言葉や親切な行為。あと花束とかプレゼントとかくれるもの。見えない部分は、過去、たとえば子供がいるとか、化粧落とした顔(!)、本当の性格、浮気、怠け癖、何考えてるか、あと、どのくらい自分を想ってるかって気持ち。」
いや~、なかなか鋭いねぇ。過去も話してくれないとわからないし。相手の気持ちも温度計みたいにきっちり見られたらいいけど、そうもいかないし、難しいね… あと、ぱっと見でつき合うと、傷つくこともあるからね。

みんな、ありがとう!私も一応、答えを考えてきてたんだけど、沢山の頭で考えた方が、もっといっぱい色んな答えが出てくるね。参考になったわ。ところで、もう2月だから学校が始まってから約半年、結構友達とかカップルが出来たと思うけど、友達とか恋人を選ぶのにも、ちゃんと簡単には見えない部分を見極めないと…ユルくて浅い釘に自分の心を引っ掛けたらどうなる?「落ちる」(釘が落ちる音)これは痛いですよー。そう、見えるところにまず目が行くのは当たり前だけど、見えないところが肝心。

かといって、見えるところがどうでもいいわけじゃない。日本だとね、クリスチャンが1%以下と少ないから、クリスチャンには色々きつい事もある。私も「えー、クリスチャンなの?」って笑われたりとかしたし。社会的にも、クリスチャンだってこと隠してた方が得なこともある。私も状況によっては、ちょっと釘を引っ込め気味の時がある。。。良くないけどね。クリスチャンだって公表しない、教会にも行かない、でもお祈りや聖書通読は毎日欠かさない、そういう人もいる。そうして神様と深い交わりを持っている人も。でも、それじゃ頭の出ていない釘みたいなもんで、引っ掛けるとこがない。殺されそうな時だって、ダニエルは窓開けて祈っていたしね。でも逆に、超クリスチャンに囲まれてたり、霊的なのがクール、みたいな場所ではいつもより釘の頭を出してみたりとかない?私はある。「霊的さ」を装っちゃうわけ。でも、たくさん宗教活動したって、偉そうな事言ったって、ホントに霊的なのとは違う。右手のしたことを左の手に知らせるな、ともあるよね。そうやって、周りに合わせて 勝手に釘を出してみたり、引っ込めたりするのってありがちだけど、ホントは正しくない。じゃあ、どうしたらいいか?どんなバランスがちょうどいいのか?

どんだけ釘を打つのか?も大切だけど、どこに釘打つのか?はもっと大切。初めて一人暮らしをした時、アパートの壁に釘打ってたら、友達に「ちゃんと中に柱がある部分に釘を打たないとダメだよ。」って言われたんだよね。でも、外から見た壁はのっぺらぼうでどこに柱があるのかわからない。釘打ちスポットを見つける秘訣とは…とんとんって壁を叩いていくうち、コンコンって硬い音に変わる部分がある。そこに釘を打つとしっかりするわけ。この世の中でも、みんなどこに自分の釘打ったらいいのか?ってとんとんやってる。だけど、コンコンって音がするところは十字架しかないわけ。釘を十字架に打つのは自分の信仰で、そこでしっかり支えてくれるのは神様の力。しょうもないとこに打ったら釘は役立たずだけど、しっかりした土台に打ったら用いられる。十字架に釘打ったら、向こう側で神様が釘をしっかり掴んでくれる。それで、釘の出てる部分と見えない部分のバランスを、神様がちゃんと保ってくれる。まぁ、引っ込めたい時に出されちゃうかもしれないし、逆に目立ちたい時に引っ込められるかもしれないけど。でも、一番いいようにしてくれるからね。

ここにいる一人一人はみんな違う釘。長いのもあれば、短いのも、太いのも、細いのもある。でも、それぞれに合ったバランスと役割を神様は知ってる。だからみんなが、クリスチャンとしても、生徒としても、家族の一員としても、働き人としても、友達としても、それから相手がいる人は恋人としても、見える部分も見えない部分もひっくるめて、神様に用いられるようにお祈りしています。じゃ、お祈りしましょうか…

信仰のタッチ!

2007-03-03 | 神の葉
毎週金曜日のバイブル・スタディは、なかなかいいカンジですよ。我らのリーダー、熱き男S君と数名の日本人学生でルカの福音書の勉強をしているんですけれど、リーダーはちゃんと予習リサーチしてくるし、みんなも色々よく考えた意見を言ってくれて、とても学ばされます。今回学んだ事がなんだか心に残ったので、ここでシェアしたいと思います。(今までもシェアしたい回が結構あったけど。。。)

昨夜のバイスタは、ルカ8章の後半。この中で、癒しのダブル・ブッキング(?)が起こります。ヤイロの娘 vs. 長血を患った女。普通のお医者さんだったら、急患の死にそうな娘を先に見るんでしょうね。ところがイエス様は、途中で割り込んで来た女を先に癒されました。彼女は彼女で、12年もこの病に苦しめられ、持ち物はみな医療費に費やしてしまって、切羽詰っていたのですが。彼女は「せめてみ衣にでも触れば、治して頂けるだろう。」と考えて、そっとイエスの服の端を後ろから触り、人知られず立ち去ろうとします。ところが、イエス様は、「私の着物に触ったのは誰か?」とのたもうた。しかもここは、群集が満員電車のように押し合いへし合いをしている、という状況。(ここで、みんなで満員電車の思い出についてしばし語り合う。リーダーのS君は子供の頃、なんと満員電車の中で足が床から離れ、宙に浮いていたらしいw)とにかく、常識的には「誰が触ったかって?なんでそんなこと訊くかいな。」ってカンジだし(実際ペテロがそう言ってるし)、逆にイエス様が全知全能なら、「誰が触ったか知ってるくせに、見回してみたりなんかしちゃって(←マルコ5:32)、他にも癒されたい人が待ってるのに、何で今こんなこと訊くの?」と思ってしまう。(だよね、Aちん。)

ここで、「ここは信仰が鍵なんじゃない?」とH君。長血を患った女は「さわれば、癒される!」って強い信仰があり、そのとおりになった。で、静かにだま~って立ち去ろうとしたら、「私から力が出て行ったぞ。誰だ触ったのは?」ってイエス様はその場の人達に彼女が信仰の証をする機会を与えられた。でも、ヤイロはそんなこんなしている間に娘が死んじゃったもんで、「もう来て下さらなくても、結構です。」と言う位の信仰しかなかった。それでも「信じなさい!」とイエス様は言って彼女を甦らせられたが、誰にも知らせるなと命じられた。対照的だけれども、どちらも癒しという出来事を通しての信仰のレッスンとなっています。どちらも「癒してほしい!」という切実な願望があり、「この方なら癒やして下さる。」という信仰がある。でも、その信仰の違いは二人の取った行動に現われていました。イエス様は、もちろん癒しもされるけれど、この二人に自分の信仰についてもっと考える事をそれ以上に望まれたんですよね。

ここで、私は満員電車の図を思い出しながら、ある思いにとらわれました。イエス様に「触れていた」人は山といたのに、癒やされたのはこの長血を患った女ひとりだった。「力が出て行った」のはこの人に向けてだけだった。それは彼女に「触りさえすれば・・・」という信仰があったから。それと同じく今の社会でもクリスチャンだと自称し、教会に行って、イエス様の周りに陣取って、一応彼に「触れている」人は山といます。でも、だからといってイエス様のパワーを皆が受けているとは限らないのかも、と。私だって、イエス様にくっついているつもりでいる。けど、信仰あるタッチがなければ、その力を最大限には引き出せないんだなぁ、そんなことを考えておりました。自分の思うように事が運ばずに、「あ、ならもういいです。」とか言うヤイロ的信仰なことも、しばしば。それでも、「信じなさい。」と招かれるところに救いがあるな~。人間はともすると、「癒やされたい!」とか「こうして欲しい!」って自分のニーズだけに縛られてしまうけれど、それらのニーズが私達を神様に向かわせ、自分の信仰について、そして神様のニーズの答え方について知らしめてくれるのだなぁ、と思いましたとさ。

          *  *  *  *  *  *  *  *

(コメントるんるん☆の欄)

めぐんちゃん、
満員電車の中を想像していたら、physicalにべったりくっついているのに、個々の人間としては遠い、そんな状態が見えてきて、自分とイエス様の関係に重なってきたんだよね。「必ず治る!」という確信、「神様は最善を行っている!」という信頼、これをもっと持たないと。。。ただ寄りかかっているのはinsecureだからかな、と思ったりしました。でも、「不信仰な私をお助けください!」と言って癒やされた人もいるから、信仰も与えられるギフトなんだな、と思う。。。一緒にバイスタできたらいいね~!

Twice はちこさん、
同じ箇所を勉強していたとは、なんて素敵なシンクロ☆ 「それぞれの足りない部分を埋め、欠けた部分を励ますようなやり方」って本当ですね。それぞれの人にぴったりBESTな対応を神様はされている。なのに時々、自分と神様との関係と外から見た他人と神様の関係を比べて???とか思ったりするけど、神様とある個人の関係、その中でしか分からない真実もあるんですよね、きっと。(「主よ、この人はどうなのですか?」「それにあなたにはなんの係わりがあるか。あなたは私に従ってきなさい。」みたいな。)

アクティブな教会という「満員電車」に乗って、奉仕という「密接度」を感じていながら陥る、霊的飢餓ってありがちかも。。。私の抽象的イメージに具体的な例を与えて下さってありがとうございます!「真のつながり」を求めていきたいですよね、神様とも人とも・・・

P.S. ひだネタについても語りたいのに、勉強&仕事が溜まり、他に書きたいネタも溜まっていく。。。今日この頃です。

秋空晴れて、結婚式 & CC同窓会

2006-10-15 | 神の葉


昨日はCCでお似合いだったY司君とE子ちゃんの結婚式がありました。雪も消えて、きれいな秋空にシャボン玉がよく映えていました。沢山の人に祝福され、神様に栄光が帰され、心温まるセレモニーでした。「恋愛は個人的関係、結婚は社会的関係」と言いますが、このように二つの人生が重なって、家族や仕事や教会などのコミュニティーを結びつけ、さらに広がり深みを持つのって素敵だなー、と思わされました。Y司君とE子ちゃん、いつまでもお幸せにね!

またCCの友人達もたくさん集まり、さながら同窓会のようでした。風船やエクステまで飛び交って盛り上がりましたねぇ!みんな元気そうでなにより。ゆっくり話はできなかったけれど、笑顔が沢山見れて嬉しかったです。また会える日を楽しみにしています。。。

アーバナまでの道中は、信仰の先輩にクリスチャンになるまでの長~い道のりを語って頂きました。現代版マルチン・ルターを思わせる自分に厳しい方でした。劇的な180度回転的改心とか、そよ風のような聖霊の働きに気付かないうちに少しずつ変えられていくとか、クリスチャンはそれぞれのMy ストーリーを持っていると思いますが、それぞれの人にぴったりな導きをされる神様はすごいなぁ、と改めて思いましたね。結構、ドラマティックな改心劇が羨ましかった頃もあったけど。でも、それぞれのストーリーがスペシャルで素晴らしいのだと思います。なかなか頑固で理屈っぽく素直になれない私ですが、こんな人生の中で神様はなかなか上手~く導いて下さったものです。ぼちぼち、ここでもシェアできるといいですね。

それから、こちらの大学でもこれから毎金曜日に日本語バイスタ(Bible Study)が始まっちゃいます!自称「このごろ聖書に燃えちゃってる」友人がリードしてくれるようで楽しみです。かなり濃くなりそう。。。

P.S.
結婚式にちなんで「愛がありますか?」チェックはいかがでしょう?友人コエリコさんのブログで見つけたのですが、私はまだまだ愛が足りません。。。

           *  *  *  *  *  *  *  *

(コメントにコメント☆欄)

めぐんちゃん、
ホント、みんな書いてる書いてる。めぐんちゃんの日記もよかったよ。2人のバックグラウンドが説明されていて。私はあの日まで二人の海外滞在暦を知らなかったので、ますますお似合いだなー、と思いましたね。いろんなカルチャーがリプリゼントされていて、いい結婚式&披露宴だったよ。

Tamiちゃん、
「ツケゲ」で、あんなに盛り上がるとは思わなかったよー。ホントに、神様に変えていただかなきゃ、愛がある人になれんねぇ。。。

はちこさん、
それって、どの「ツケゲ」写真ですか?。私は、「ぼぼるさん with ツケゲ」写真を持ってまーす!

コエリコはん、
そうそう、いい結婚式はいいマッチメイカー in Heaven の証にもなるよねぇ。だから、自分が幸せ☆なだけじゃなくて、幸せのおすそ分けもできちゃう☆ような日を私も願っていまーす。お祈りありがと!

旅はよき哉、ハッピー☆サバス!

2006-08-19 | 神の葉
「言葉にこもる優しさ それが自信を生む。
思考にこもる優しさ それが奥深さを生む。
ほどこしにこもる優しさ それが愛を生む。」
- 老子

「しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、
あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。」
-ヤコブの手紙 3:17

「優しい」週をお過ごし下さい! -kuriks

木もれ陽まぶしいハッピー☆サバス!

2006-08-12 | 神の葉


「一番むずかしい祈り、そのために一番努力を要する祈りは、
執拗な祈り、すなわち気落ちしないで、
答えが来るまでひたすらに続ける祈りであります。
第一はある人のために、
あるいは、ある目的のために祈りに努めるということは、
その人あるいはその目的と一つになって
生き、感じ、苦しむということであります。」
-O.ハレスビー(「祈り」より)

「モーセは主のもとに帰って、そしてこう言った、
『ああ、この民は大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。
今もしあなたが、彼らの罪を許されますならば―。
しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、
わたしの名を消し去ってください。』」
-出エジプト記32:31-32

「とりなし」の週をお過ごしください。- kuriks

終わりましたね、CC’06。(でも ever growing!)

2006-08-01 | 神の葉
とうとう先週末に反省会&感謝会が持たれ、CC’06準備委員会として集まるのは最後となりました。1月の餅つきに始まり5月のCCまで毎月一回集まって、何時間も話し合い、共に頑張ってきたので、終わっちゃうのはなんだかさびしいなぁ。実際のカンファレンスは5月に終わってたんだけど、最後のミーティングをしたら、急に「終わった!」感が押し寄せてきました。連帯感というか仲間意識というか、ひとりひとりがかけがえのないピースだったという感覚がまだ残っているけどね。このチームの一員として奉仕できたことは神様に感謝だし、みんなにも感謝だし、私にとってとてもblessingでした。ありがとう!CCに来てくれたみんなにも本当に会えてよかった!これで終わっちゃうんじゃなくて、テーマのとおり神様との関係も、人との関係も、自分と関係も ever growing だからね。これからもよろしくお願いしまーす。

歌って踊ってハッピー☆サバス!

2006-07-08 | 神の葉
「罪から救われて、キリストの愛にあって歓喜することこそ
福音の本来意図するところなのです。真の祈りは感謝と不可分です。
真の祈りには必ず感謝が含まれています。
常に祈る人は常に賛美しています。
安楽の中にいようと苦痛の中にいようと、
ものごとがうまく行こうと最大の逆境にあろうとつねに賛美しています。
彼は起こってくるすべてのことを神に感謝し、それを神から来たものとみなし、
それをただ神のために喜び受けるのです。
そしてどんなことでも、それが神の完全なみこころに一致するか
否かのみを考えて、選び取るか拒否するか、
好むか嫌うかをきめるのです。」
-ジョン・ウェスレー (新約聖書注解書)

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべてのことについて感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって、
神があなたがたに求めておられることである。」
-Iテサロニケ 5:16-18

「感謝」の週をお過ごしください! - Kuriks

今週は何回もエントリーしたかったけど、もうハッピー☆サバス!

2006-06-17 | 神の葉
「自分達の宗教が真理によって殺されるくらいなら、
殆んどの人は、真理の方を殺すでしょう。」
- レミュエル・K・ワシュターン 

「天が地よりも高いように、
わが道は、あなたがたの道よりも高く、
わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」
- イザヤ 55:9

「真理に満ちた」週をお過ごし下さい! - kuriks

6日の間よく働いたので、ハッピー☆サバス!

2006-06-10 | 神の葉
「太陽は昇っていないけれども、私は太陽を信じる。
愛は不在だけれども、私は愛を信じる。
神は沈黙しておられるけれども、私は神を信じる。」
-詠み人知らず
(ゲシュタポに追われるユダヤ人達が隠れていた洞穴の壁に刻まれていた言葉)

「信仰とは、望んでいる事柄を実体化し、見ていない事柄を確認することです。」
- ヘブル人への手紙11:1

「信じる」週をお過ごし下さい!- kuriks

3週間もお休みしてごめんなさいのハッピー☆サバス!

2006-06-03 | 神の葉
「もし、私がこの世で一番愛するものよりも神を愛するようになったら、
この世で一番愛するものを今よりもっとよく愛せるようになるでしょう。
この世で一番愛するものを愛するために神をおろそかにするようになるならば、
かえってこの世で一番愛するものを全然愛していないという状態に
進んでいってしまうのです。第一のものを第一にする時、
第二のものは抑えつけられるのではなく、むしろ、さらに拡がっていくのです。」
-C.S・ルイス

「まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」    
-マタイ6:33

「神イチ」な週をお過ごしください! -kuriks

P.S.
パスター・マック、今週は引用させて下さり、ありがとうございます!

神様、CC06’をありがとう!

2006-06-01 | 神の葉


行ってきました、やってきました、CC06’!
前にもこのセントラル・カンファレンスの事を「言の葉ひらひら」にて宣伝しましたが、今回はご報告です。やっぱり神様はすごいですね。毎年、CCではたっくさん恵みを下さるんですけど、今年は準備委員をやらせて頂き、さらに祝福度アーップ!でしたよ。この5ヶ月間、一緒に励まし合ってきた同志に感謝。来てくれた皆さん、祈ってくれた皆さんに感謝。もちろん神様に一番感謝!!!

最近忙しくてなかなか話せなかった母と今晩やっと電話で話をしました。引越しの話やCC06’の話を興奮気味に伝える私に母が一言、「あなたは本当に神様に愛されているわねぇ。」やっぱ、そうだよねぇ。わかっているとは言え、身近な人にミエミエってのも悪くないわ、なーんて。「アンドリュース大学から、バトルクリークの職場に導かれて、そこでM夫妻やN子ちゃんに会って、どんどん素晴らしい出会いが広がっていって、本当に神様に愛されているのがわかるわ。」本当に、神様の導きには無駄がないですね。全てに意味があるんだわ。たまに、「もしもあの時、違う道に行っていたら…」と思う事もあるけど、それは切られた枝や生えなかった枝の先を思うようなことだから意味がないし。自分の人生これでよかった、といつも信仰によって思いたい。たとえ感情や理性では分らないことがあっても。

話はそれちゃいましたが、そんなわけでセントラル・カンファレンスでは、たっぷり恵まれました。なんか今までもcrucialな時にCCがあったりして乗り越えられましたし。今回も、CCの直前にサタンの攻撃を感じていた人が結構おられたようですが、神様は今回も私の敵を「踏みつけて」下さいました。(敵は自分の中にいたんですけどね。←ありがち)ここに来るまで忍耐してくれた人達ありがとう。さてさて、そんなこんなでシカゴに向かい、神様が会わせて下さった久しぶりの友達とも、初めて出会った人達とも、楽しく有意義な時を過ごせました。まぁ、ちょっとマルタしてたので忙しかったけどね。Last minuteになってから凝り症、という悪い癖を直さなくては!とか、マリヤ・タイムが少なかったな~、と個人的反省が残るCC06’ではありましたが、限られたメッセージやワークショップや交友の時間の中からも、神様に個人的に語られた3日間でした。(後からビデオでしっかり聴き直そうっと!)

印象に残ったのは、カンファレンスが始まる前に準備委員長が語った “We don’t serve the program, but we serve people.” 「僕達はプログラムに仕えるのではなく、人に仕えるんだ。」という言葉で、慌しいなか何か見失いそうになる度に思い出しました。賛美チームで歌っている時、参加者の方々が心から賛美している表情を見て励まされ、「やっぱり人が大事だな」と思わされました。プログラムがスムーズに進行する事は大事だけど、それはそこに参加する人あってこそですよね。あのパワフル教授も “We don’t teach subjects, but we teach people.” 「私達は科目を教えるのではなく、人を教えるのです。」と言っていたし。(科目が要らないという訳じゃないけど。)イエス様も、単なるキリスト教を広めに来られたのではなく、人を愛し、人を救う為に来られたんだな・・・なんてことを考えさせられたCC06’でした。

P.S. このCCでアメリカ在住の日本人と接して気がついた言語ネタもありますので、お楽しみに!(それは引越しの後で)もちろん、アングラ Part2も忘れてませんから…

住家を探せ!(その3)

2006-05-24 | 神の葉
(これまでのお話:ルームメイトと私は新しい住居を求め、20件以上の物件探しを続けた後、理想の住まいにたどり着いた。そこの家主のB夫婦は日本で宣教師をしていたことがあり、友人の知り合いでもあるということで、驚きと感激の連続であった。)

やっと理想以上の素晴らしいマイホーム、いや借住居が見つかったので、私は調子に乗り、「今まで見てきたところは、ぜーんぜんダメだったわ。」などとぬかしていたので、我がルームメイトは私をしっかりたしなめ、それまでの知られざる苦労を語ってくれたのであります。というのも、今まで20軒くらい見てきた物件のうちの殆どの場所で、私はすぐにその気になり、「ね、住もうよ」オーラをルームメイトに出しまくったり、その場で「気に入りました、検討します!」発言したり、友達の家に近いという理由でまだ見に行ってもいない家に住んでいる未来予想図を語ったりしたもんだから、気の乗らない彼女を相当ひやひやさせていたらしい。最低限条件(その1を参照)の幾つかを満たしているだけで、「まぁ、このくらいでも何とかなるんじゃない?」ってなっちゃうので、困ったものです。「アフリカに住んでたから、どこにでも住めるのよ。」と言われたりもしましたが。確かに、ゴキブリが20匹以上うろうろしていようとも、壁が天井まで届いてない部屋であろうとも、シャワーの水が途中で出なくなっても、暮らしていましたねぇ。(今は無理かも。)とにかく、こだわりがないのか、はたまた乗せられやすいのか、あっちで住む気、こっちで住む気になってましたっけ。賢明なルームメイトに感謝!最後の場所にたどり着くまで、しっかりたずなを握っていてくれました。

しかし単に「ラッキー♪」って思う以上に、この経験であることを学びましたね。神様はベストなものを与えてくださるんだな、って。私達の必要を理解し、私達の考えている条件をはるかに超えて、沢山の恵みを追加して、リクエストに答えて下さる。自分は「もうこれでいいわ。」と思ってても、「私のあなたに対する恵みはこんなもんじゃないぞ!」とばかりに答えて下さるのです。短期間住む住居についても、こんなに配慮して下さるんですから、人生の全てにおいても、ベストが用意されないはずがないのだ!と確信させられました。だから大胆に願い求めてしまおうっと。皆さんにも、すんごいベストが待っているはずですよ! いえ、すでに与えられているものもあるのでしょう。そしてベストへの伏線も・・・