言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

目から言の葉

2006-01-31 | 今の葉
最近、尊敬するある友人のブログを読んでいたら、とても印象に残るエピソードが書いてありました。その人がある組織の長をしていた時、一年間の会議の中でメンバーの目だけを見ていたそうです。自分は会議の記録をつけず、副の人に記録をつけてもらって。そこで「目が語る発言」を聴く経験を積んだそうです。大勢の意見に賛成発言はしているが、目は疑問に満ちているとか・・・ しかしその後、皆さんからの花束と「誰よりもあなたが成長した、一年だったよ」という声と、たくさんのきらきらした目に囲まれて、その友人は一年の任務を終えたのでした。

それからというもの、私も「目が語る言葉」が気になるようになってきました。まだまだ目の言葉を聴く耳は遠いのですが、最近なんだかキラキラした目によく出会うような気がします。(それって、今まで私が見逃してたってことかも・・・?)親友が神様に献身した時や初恋のエピソードを、教会で若い姉妹に話していた時。ルームメイトが、子供の頃の家族の話を楽しそうにしていた時。先週バプテテスマを受けた女の子が「神様に出会ってからはすべてのものが美しく見えるようになった!」と語っていた時。目が語る言葉は口が語る言葉より、パワフル、かつ正直だ。

「目はからだのあかりである。
だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。
しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。」 マタイ6:22-23

今、目の前にいる人の目は何を語っているのか?
今、私の目は何を語っているのか?
そんなことを思う、今日この頃です。。。

本乃葉虫子の生活

2006-01-30 | 本の葉
ある本に書いてあった、あるユダヤ人の考えさせられる言葉です。

「本をその表紙で判断してはいけない」ということわざがある。しかし、私はさらに、社会的なことに関しては「本をその中身で判断してはいけない」と言いたい。本はそれが引きおこす結果-人々にどういう影響を与えるか-で判断しなければならないのだ。

私は子供の頃から母に「本野虫子ちゃん」と呼ばれるほど本好きでしたねぇ。(今じゃほとんど「積読屋」ですが・・・)それらの本達に影響されたことは言うまでもありません。小学生の頃、私の作文を読んだ担任の先生が一言、「今、あなた宮沢賢治読んでるでしょう。」いい意味でも悪い意味でも、影響されやすいんですね。(やっぱところてんつきだわ)

大人になってからは、フィクション以上にセルフヘルプ系の本をよく読むようになりました。「どうやったら時間を有効に使えるか」とか「整理整頓するための本」とか「生き方についての本」とか「コミュニケーションスキル本」とか「恋愛のための本」とか。より良いクリスチャン・ライフのための本も結構読みましたよ。「とりなしの祈り」とか「宣教」とか「みこころを知る」とか「聖い生活」とかその辺りの。でも読後に自分がそんなに変わったかというと・・・うーん、微妙。どんな本なのか人に説明はできても、自分自身が「そうだよな~!」と感銘を受けていても、実際の生活はそんなに簡単には変わらないのです。本がその内容ではなく、それが引きおこす結果、読者への影響力で判断されなければならないとしたら、星二つくらい減らさなきゃいかんわ。でもそれは本が悪いのではなく、私の意志が弱いだけかも・・・ しかし聖書はやっぱ別格ですよ。ディボーションであんまり意味がわからなかったとしても、なんだか聖書読んだ日は読んでない日と違うぞな。

ところで嬉しいことに最近、本虫仲間が増えまして、"Let's swap!"って本を交換してます。アメリカ人のクラスメイトで熱烈な村上春樹ファンがいて、英語パージョンを取りかえっこしたり、(私はファンではないけど、一部の表現方法が好きなだけ。でも彼のエッセイは面白い)別の友達とも本の嗜好が近いことがわかり、クリスチャンライフ系の本を貸し合ったりしてます。せっかくブログやってることだし、ここでも本野虫子改め本乃葉虫子の感想をシェアしていこうかな。皆さんの「こんな本はいかが?」的なコメントも大歓迎です! 一緒に「本の葉」をかじって大きな虫、いえいえ美しい蝶になりましょう!

昔の自分にサンキュ。

2006-01-24 | 詩の葉
実はA Gardener and a treeの原詩は日本語で数ヶ月前に書いたものなのですが、クラスの課題がballad形式の詩だったので、イメージはそのままで書き直しをしたのです。(それをまた今度日本語にする方が大変だった…)だけど、今回この詩が生まれ変わったことで、思いがけなく数ヶ月前の自分からエールをもらったような気持ちになりました!詩だけではなく、ブログや手紙やフツパノートの中で文章として自分の内面を記す事は、いつかの自分との対峙や対話につながる…こともあるんだな。自分の考えていた事や感じていた事は、案外と時の流れの中で輪郭が薄れてしまうけど、言葉に託された記録を通して自分の進んできた足跡がよりハッキリ見えたりする。そこにある導きも含めてね。それが確認できるって、なかなか恵みかも。

約5ヶ月続けてきたこのブログを振り返って見ると、夏休みに始めた頃は、教師生活に一度コンマ(ピリオドではない!)を打ったばかりだったのでティーチャーな余韻が漂ってるわ、大学院生活を始めたら授業ネタ・語学ネタが増えるわで、けっこうわかりやすいですよね、私。書いてることが生活そのままというか。(ところてんつきのようだわ。)もっと色々な事柄にバランスよく目を向けていきたいけど、没頭するタチだから、まっいいか!?

皆さんは過去の自分と和解し、未来の自分にエール送ってますか?

庭師と木 

2006-01-17 | 詩の葉
本日の詩の授業の宿題のために書いた英語詩を
皆さんにもお届けしたく、日本語に訳しますた。。。
でも、オリジナルの方が自然な感じかも。
英語でもOK!な方は、どうぞ英語版もご覧くださいませ。

主は与え、また取られる。主はほむべきかな、ですね。

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庭師と木

庭師が庭見て言いました、
「私はここに木を植えよう
そして自ら土起こし
思いのままに育てよう」

苗伸び、枝生え、育ちます
庭師の手入れに支えられ
枝葉も増えたが、庭師には
先から根まで お見通し

庭師は木を見て言いました、
「そろそろ枝切りしなくちゃな
どの枝切ろうか、これにしよ
木が望むかはわからぬが」

庭師は木を見て言いました、
「そろそろ間引きもしなくちゃな
どの実を取ろうか、これにしよ
木が拒むかもわからぬが」

すると木がこう言いました、
「庭師よ、話を聞いてくれ
俺にはさっぱりわからない
あなたの考え、そのやり方

どうしてあの枝、切ったんだ?
きっと立派に育ったろに
どうしてあの実、取ったんだ?
きっと甘くなったろに」

庭師は笑って答えます
「私の木よ、よく聞いてくれ
あるもの、大事にして欲しい
おまえは 祝福されてるよ

生えてない枝 実はならない
空に向かって伸びもしない
なってない実に 種できない
何の糧にもなりゃしない

切られた枝は 無駄じゃない
今ある枝を 育ててる
取られた木の実は 無駄じゃない
今ある木の実を 潤してる」

庭師が木を見て言いました、
「これは私が育てた木
私が自ら世話を焼き、
願ったとおりに育った木」


(校正とアドバイスをしてくれた国語のH先生に感謝!)

The Gardener and a Tree

2006-01-17 | leaves on POETRY


I wrote this poem for my poetry class's assignment - a ballad poem.
Hope you'll enjoy it!

"He gives and takes away. Blessed be His name" indeed...

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The Gardener and a Tree


The Gardener looked around and said,
Here, I'll plant My tree.
He broke the ground with His own hands,
For the tree He wanted to see.

A sapling grew up, twigs came out
By His care it grew.
Branches spread, leaves increased,
But top to root He knew.

The Gardener saw the tree and said,
It's time to prune My tree.
Which branch shall I clip, He said,
And will the tree agree?

The Gardener saw the tree and said,
It's time to thin the fruit.
Which fruit shall I pluck, He said,
And will the tree dispute?

Then, the tree looked up and said,
Gardner, let me speak
I can hardly understand
Your mind or Your technique.

Why did You prune that branch then?
How strong it might have been!
Why did You pluck that fruit then?
How sweet it might have been!

Then the Gardner smiled and said,
Listen, My dear tree.
Why not treasure what you have?
You are blessed and free.

Branches ungrown can't bear a fruit
Nor can they reach the sky.
Fruits unborn can't give you seed
Nor can they supply.

Branches pruned were never lost
But growing on within.
Fruits plucked were never lost
But nourishing within.

The Gardener saw the tree and said,
Here, I've grown My tree.
Cares I took with My own hands,
It's the tree as I wanted it to be.

詩の葉ひらひら

2006-01-16 | 詩の葉
ただいまCreative Writing という詩を書くクラスを受講しています。このクラスのおかげで、今学期をワクワクしながら迎えられたかな。子供のころから今まで詩を書くのは趣味でしたが、単なる自己流・自己満足だったので、本格的に学べるのが楽しいです。クラスメイトも英文科が多くツワモノぞろいで、「四歩格、三歩格、四歩格、三歩格で弱強格の詩を書きなさい。今から2分で。ハジメっ。」と言われてさらさら書いちゃう。(それもいいやつを。)私はまだまだだけど、楽しみながら頑張るぞ。

そういえば大学生だった頃、あるアメリカ人の友達に「日常や授業で使う単語以外にも、もっと英語のボギャブラリーを増やしたい。」とボヤいていたら、「英語の詩を読んだらいいんじゃない?」と言われました。彼曰く、詩は使われる単語数が少ない分、一つ一つの言葉が厳選されて書かれているから単語量が小説などより少なくても確実な英単語を増やせる、とのこと。確かに、詩は一単語に対しての意味が凝縮されていますよね。密度濃いわ。(その理屈でいけば、英語の俳句を読むのが一番効率的?)でも、実際によく使われていて役に立つ言い回しなんかを学ぶためには、ニュースやドラマや現代小説の方がいいと思いますが。

それから英語で詩を書いたり、詩を英語に訳したりするのも、新しい単語や単語の意味を知るきっかけになるんだなぁ。韻を踏もうとか、リズムをよくしようとか、ちょっとニュアンスを変えようとか、見た目を揃えようとか、類語をくまなく探すので語彙が増えるんですよ。(それらの単語が実用的かどうか、またそうでも普段使うかはまた別問題だけど。)ぴったりした意味、語感を求めて、辞書や類語辞典や韻語辞典をひきまくらないといかんので、レポートを書く時より、辞書にお世話になってるみたい。 そうそう、poetry.comのNeed Help Rhyming?" は便利ですよ。英英辞書、類語辞典、韻語辞典以外にも似た音の単語探しやスペルチェッカーや色々な機能がついています。(でもここはscamとしても有名なので注意!)

いままで詩ネタが少なかったですけど、これからは詩の葉もひらひらさせようかな。

ノアの息子たち vs. パウロ

2006-01-11 | 神の葉
さっそく大事なことをディボーション中、聖書から考えさせられました。まずは酔っ払ったノアが裸でいた時、息子達が違う反応をした話から。息子の一人は父親を見て、「おーい、父ちゃんが酔っ払って裸でおるぞう!」と外に言いに行きました。それを聞いた他の二人の息子は後ろ向きに歩み寄って、衣をお父さんにかけてあげたのです。ノアは後の二人を祝福しました。さて、私だったらどうするかな?!面白がって見てたりして。いえいえ、裸じゃありませんよ、弱さとか人に見られたくない部分のこと。他の人に見えないようにそこに衣(これってキリストの義かな?)をかけてあげるのも偉いけど、自分達も目にしないように後ろ向きに歩み寄った、ってところがもっと偉いです。そんな部分があることを知りながら、それを宣伝したり、じろじろ見たり、また無視もせず、後ろ向きで覆ってあげた息子たち。

それから新約聖書の中から一章読みました。そこは、ペテロが異邦人差別をすることに矛盾を感じたパウロが公衆の面前で彼を責めた場面でした。ここでは、先の話とは逆に、人の間違いを公の場でズバズバ指摘しているんですよ。最初、こうも違っていいの?と正直思いました。だけど、ケース by ケースなんですね、きっと。本当の愛は優しさだけではなく、厳しさも持っているからね。個人個人の間の関わりの中できれいじゃない所に気づいた時、部外者には知らせない、そして自分も見ない方がいいこともある。ただ神様の衣でそれを包む。でもキリストの体を表している教会として、またクリスチャンとして、見逃してはいけないこともある。特に、それがすでに周りに見られている場合、放っておけば黙認している事になりかねませんよね。エゼキエル3:16-21とマタイ7:1-5のどっちも真理。どちらの方法を持って対処すべきか知る知恵、そしてすべきことをするために必要な勇気を神様にもらわなきゃ。

聖書とフツパノート

2006-01-10 | 神の葉
恥ずかしながら、私のDevotional Life(神様と過ごす時間)は、けっこう勝手気まま。頼りたい時だけわーわー祈ったり、なんか指南があるかな?と聖書を読んだりするけど、平気になったらぶらっと立ち寄る程度になってしまう。(神様はコーヒーショップじゃないぞ!)2006年、最初の安息日の教会での説教は「聖書を読む事」についてでした。新年の抱負としてではなく、これからの一生、聖書を読んで神様と交わるライフスタイルを存続しましょう!と牧師さんが語って下さいました。新しい聖書が丁度与えられていた事もあり、礼拝の日の朝、聖書通読を再開していたこともあり、神様に背中を押された気分かな。

その説教の後、幾つかのグループに分かれてディボーションについて話し合ったり、祈ったりしたのですが、そこでリーダーの人が、「神様と一対一の時間を持とうとすると、始めはdiscipline(訓練・規律・自制)が必要だけど、そのうちdelight(喜び)が感じられるようになってくる。またしばらくすると、disciplineしなきゃいけないけどね。でもduty(義務)じゃなくて、その時間を持たないと、本当にI miss Someone、って感じになるんだよ。」。(誰かがいなくて淋しいな、って感じ?)久しぶりにガップリ向き合ってみたら、私もそうだけど、神様の方がもっと私をmissしていたようでした...(<-のろけ?)ある音楽の先生がDevotional Lifeを音楽の練習に例えていましたが、本当に気分次第じゃなく、持久力のあるクリスチャンライフを続けていきたいな。

聖書を読むのも大事だけど、お祈りも大事ですよね。私は頭の中で祈っていると、脱線しちゃったり、寝ちゃったりするので、「フツパノート」なる祈りのノートを持っています。フツパとはへブル語で「根性」とか「あつかましい程の熱心さ、不屈な粘り強さ」を意味する、メシアニック運動者の方から教えて頂いた言葉です。彼は言いました「優等生ぶった美しい祈りをするんじゃなく、神様にどんどん本音でぶつかって祈るんだよ!」

久しぶりに開いたフツパノートに最近書いた言葉です。
"I just open my Bible and フツパ book and I trust that You'll take me from there. I just get up and begin living a new day and I trust that You'll take me from there."
(私は聖書とフツパノートをまず開けるだけ。あとはあなたが私を連れて行ってくれるから。私は起きて新しい一日を始めるだけ。あとはあなたが私をつれていってくれるから。)

あけましておめでとうございます。

2006-01-06 | 今の葉
言の葉ひらひらを拾いに来て下さる皆さん、遅れましたが、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。この一年が皆さんにとって祝福されますように祈っています。

Thanksgiving以来、書いていなかったですね...すいません。今年はもっと頻繁に新規投稿するぞー!今年は色々チャレンジしたいことがあるので、それを叶えるためにも新年の抱負はpracticalで実現可能なものにしなければ。New Year's Resolutionってやつですね。一年が終わる頃には、それが何だったかも思い出せない、なんだかそんな年ばかり重ねてきてしまいましたが、今年はここにて宣言し、忘れないようにしますので、暖かく見守って下さいませ。

元日を迎えてから色々と考えていたのですが、悪習慣を断ち切りたい!という願望からくる抱負の候補が多いようで...やるべき事を先延ばしにして、後で慌てる、もそんな悪習慣のうちの一つ。またの名をprocrastination. (<-これに打ち勝てる!という厚ーい本を前に買ったのですが、読むのをprocrastinateしてます。Procrastinaterのためには薄い本にしなくちゃね。)

前置きはいいとして、(また先延ばししてる?!)2006年の私の抱負、いよいよ発表!
「もう明日にしよ、と思うことを一つちょっとでも、今日始めとく。」

これなら万年New Year's Resolution breakerな私も出来るかも!?いや出来そうでこれが案外大変だとは思うけど、出来たか出来てないかわかりやすいし。さっそく頑張ります!「物事始めれば8割終わったも同じ」とも言いますが、まぁ物理的には8割でなくても精神的には8割余裕ができるかも。期限までに終わる可能性も8割アップ?

そういえば、今年すでに新年の抱負について語る人を、周りやインターネット上でもお見かけしましたが、「新年の抱負」とか「New Year's Resolution」でググったら、色々参考になるのが見つかるかも・・・