今日はある先生と語り合い、大変感銘を受けました!始めはお互いに自分の専門分野について話をしていたのですが、だんだん教える事そのものの面白さの話になったのです。その人の「THE・教師をしていて良かった!と思う瞬間」は、日々の生活を見守りながら生徒の訴えたい気持ちをキャッチして、ベストタイミングで悩みを聞き、その後のぐんとした成長を見れること、だそうです。生徒達を見ていると、「なんか悩みを抱えてそうだな~」から「この子はそろそろ話しに来るな」そして「今日だ、もう今日しかないッ!」とピンと来るんだって。スゴイですね。それで生徒は話すことによって、自分の問題をやっと把握できたり、客観的に見れたり、それを乗り越える事が出来るようになるんだって。ただ反対に、悩みを聞いた先生はその分、重みがこたえて自分が影響されるので大変らしい。「浄化装置が必要」って言ってました。そりゃ、人間汚水処理場状態はキツいでしょう。ところが、ここで話は新しい展開に…
その先生曰く、「人は神様を信じて受け入れた時、生まれつきのものとは別の、神様だけの為に用いる新しい賜物がもらえるんだって。」某クリスチャン学校でそういう教師セミナーがあったらしい。自分がどんな霊の賜物を持っているか知るためのテスト(祈る・施す・教える・もてなす・説教する、等いろいろあったな)なら受けた事あるけど、クリスチャンになった時に授かるNEW賜物なんて、初めて聞きましたよ。(コリント人への第一の手紙12章参照)で、その人も「そのタレントって何だろー?」と数年考え続け、やっと最近分かったそうです。それが前述の「生徒の声にならない声をキャッチし、そしてその声が語られる・それを引き出すタイミングを知る感覚」。そこで私は考えた。「それは賜物の片割れなんじゃない?」だって頼まなくても、神様は私たちに色んなギフトや賜物を与えて下さるけど、ぜんぶ棚ボタって訳じゃあない。私達が必要を感じて神様に祈ったり願ったりする事もできるように、すぐに落ちてこない餅もあるんですよね。それを引き寄せるための荒縄(チャレンジ)だけが垂れてたり。だから、絶対必要なもう片方の賜物である「浄化装置」は求めないと与えられないのかも。(汚水管だけもらってもねぇ)そんなお話をしたのでした。
さぁーて、私のNEW賜物は何だろう?私なんて、残りの片割れを求めるどころか、最初の賜物の片割れの認識もできてないんですけど?!これから祈って見つけていくとしますか。
その先生曰く、「人は神様を信じて受け入れた時、生まれつきのものとは別の、神様だけの為に用いる新しい賜物がもらえるんだって。」某クリスチャン学校でそういう教師セミナーがあったらしい。自分がどんな霊の賜物を持っているか知るためのテスト(祈る・施す・教える・もてなす・説教する、等いろいろあったな)なら受けた事あるけど、クリスチャンになった時に授かるNEW賜物なんて、初めて聞きましたよ。(コリント人への第一の手紙12章参照)で、その人も「そのタレントって何だろー?」と数年考え続け、やっと最近分かったそうです。それが前述の「生徒の声にならない声をキャッチし、そしてその声が語られる・それを引き出すタイミングを知る感覚」。そこで私は考えた。「それは賜物の片割れなんじゃない?」だって頼まなくても、神様は私たちに色んなギフトや賜物を与えて下さるけど、ぜんぶ棚ボタって訳じゃあない。私達が必要を感じて神様に祈ったり願ったりする事もできるように、すぐに落ちてこない餅もあるんですよね。それを引き寄せるための荒縄(チャレンジ)だけが垂れてたり。だから、絶対必要なもう片方の賜物である「浄化装置」は求めないと与えられないのかも。(汚水管だけもらってもねぇ)そんなお話をしたのでした。
さぁーて、私のNEW賜物は何だろう?私なんて、残りの片割れを求めるどころか、最初の賜物の片割れの認識もできてないんですけど?!これから祈って見つけていくとしますか。