言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

「聖書と村上春樹と魂の世界」を読んで感じた「私と聖書とその他の世界」

2013-07-07 | 本の葉
今回の日本での一時帰国では、結構イイ本をたくさん手に入れたんですが、その中でも今の自分にドンピシャだったのが、これです。「聖書と村上春樹と魂の世界」あまりに気に入ったので、人にあげて、もう1冊自分に買いました。最近ぼんやり思っていたことが、はっきりと説明されていて、「そうそう、そう思ってたのよ!」っていうのと、自覚してなかった最近の自分の傾向が「なるほど、そういうことだったのか!」とわかる、目からウロコの1冊でした。

このブログでもかなり引用しているのでバレバレかもしれませんが、私はけっこうハルキストなのかもしれないですね。こっぱずかしくて認めたくないんですけど。なんか文章はキザだし、読後感が微妙なこともあって、「ノルウェイの森」から入った頃は、そんなに好きではなかったのですが。「やがて哀しい外国語」などのエッセー、「神の子たちはみな踊る」などの短編集、そして「アンダーグラウンド」を読んだ辺りから、ハマってきた気がします。「海辺のカフカ」はツボでしたし。しかし、とっても保守的なクリスチャン高校に行っていたせいか、本当に起こったことを書いていないフィクションを読むのは悪、みたいな意識がどこかにあるんですよ、私には。キリスト教と村上春樹の小説は相容れないもの、みたいな(実際、この対談を載せた「リバイバル・ジャパン」誌には、批判的なコメントも寄せられ、購読をやめた人もいるという)。でも、聖書は読めなくても、彼の小説は読める、って日もあるんですよね(それもどうかと思うけど)。そんな罪悪感というか違和感を、この本は払拭してくれたのでした。

この本はクリスチャンであり、そしてハルキストである3人の対談、そして連筆のかたちをとっています。特に語られているのが、「福音は命題化された信条だけでなく、物語(ナラティブ)を通して、より深く語られる」ということ。ちょうど最近、礼拝の説教というのは「命題化されたテーマを中心にしたもの」か「聖書の物語を掘り下げたもの」の二つに大きく分けられるな、って思ってたんですよ~。前者は、聖書のあっちこっちを引かなきゃいけないタイプで、後者は同じところをずーっと開けていればいいタイプかな、ざっくり言うと(前者タイプの説教は、眠い時にはキツい←悪い信者だな)。かくいう私は、前者タイプの説教をすることが多いんですが、聴くほうとしてはこのタイプばっかり聞くと、何か腑に落ちないところが出てくるというか、疲れるんですよね、なんとなく。物語を紐解く説教の方が、聴きやすい。それは、自分が霊的になまぬる~いからかな、なんて思ってたんですけど、この本を読んでたら、そうでもないんだ、と(まぁ、なまぬるいには、なまぬるいんですが)。つまり、近年のプロテスタントは、福音を概念化し、記号化し、表層の世界に固定化してしまったが、物語としての福音はその下の無意識の世界にも届いて人の魂を癒す、のだそうだ。確かに栄養分だってサプリばかり飲むより、ちゃんと食べ物でとるほうが、いいもんな。

確かに、著書「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」でも、村上氏は「物語が人を癒す」ことについて、語っていました(これもかなり面白い本で、読んでいた時は、すごくブログで書きたいことが頭の中を渦巻いていたんですが、もう熱は冷めてしまった・・・)。「ノルウェイの森」を読む前に、この話の概要を読んだことがあるのですが、「なにそれ!?」って感じでしたし。要約しちゃうと、失われるものってありますからね。物語には、物語という形式でなければ、伝わらないものがある」と「物語の役割」の小川洋子氏も言ってます(最近、読んでいるこの本とも、いろいろな部分がカブってる)。私達の人生もつまりは一つの長い物語なんで、物語という形式には私達の心に深くシンクロする力があるんじゃないかな。

それから、村上春樹の小説のエンディングには未完成性がある、というのにも激しく同意です。私も初めて読んだ「ノルウェイの森」の終わり方には、大いに不服でしたし。でも、うろ覚えなんですが、村上氏が「私にとって小説を書く作業とは、一つの疑問を新たな疑問に移し替える作業に過ぎない」と何かに書いていていて、そういうことならああいう結末もありかな、と思ったんですよね。例えば、私は教会で証をする時に、自分の人生の一部を切り取って、起承転結的に解釈して、霊的にオチつけてシェアするんですけど、実際には人生は続いていく訳なんで、後で「あの区切り方は間違ってたな~。あの時『結』だと思ったとこは、まだ『承』だったわ!」みたいなこともあるんですよね。この本の中でも、「村上春樹の小説が未完成性を残しながら次の小説で発展していくように、私達も自分の物語も書き換えていい。全体像としての結論がわからなくても、必要なことはその都度、神様に教えられる。むしろ、一度出来上がった物語にしがみつくほうが危ない」みたいなことが書かれています。聖書も66の本が集まって、何百もの物語が連なって書かれていますしね。ある説教者が教えてくださったのですが、聖書の物語を読む時は、そのエピソード一つ一つの意味やメッセージを汲み取るだけじゃなくて、それぞれの物語の前後関係や並び方を考えると、新たな意味が浮かび上がってくる、ということでした。やっぱ深いわ、聖書って。「聖書は一つの流れを持っているが、数えきれないほどの扉がついている。どの扉を開けるかで、どのような物語に出会うのか、人によって異なってくる。聖書には、人として体験するすべての物語が含まれている。その物語によって自分自身が取り扱われる世界へ行ってみましょう」ということで、命題で区切らずに、川の流れのような聖書物語のあっちこっちに浸ってみるような読み方もなんか良さそう。

まぁ、私は高校から大学生の頃は、物語よりも、パウロの手紙とか箴言とか、「○○とは、○○である」みたいな定義が多い箇所の方が、わかりやすくて好きだったんですけどね。信条にしても、ライフスタイルにしても、白黒ついてるほうがフォローしやすいし、説明しやすいじゃないですか。それに、裁きやすいってのもあるか(こわっ)。この本にはこんな風に書いてありました.「教会では、聖書から教理的な枠を作り上げて、それに従っていれば良いクリスチャンになれると教えています・・・けれども、枠にはめられない部分やモヤモヤ感を無視していると、切り捨ててきた深層の自分と、表側の自分に限界が来る時に、心の全体性を取り戻そうとする魂の欲求が起こります。」っていうか、私にも起きてるな。ホントに「信仰による義」だけで生きていたら、無理に自分を枠にハメるような変わり方ではなくて、内側から全人的に聖霊に変えられるから、そんな分裂は起こらないんだろうけど、「行いによる義」的思考で変わろうとしたり、教会の人の目を気にしたり、自己満足のためとかで、枠にはまった生き方をしてしまうんですよね(はぁ~)。これまでの窮屈な生き方を続けるのも本質的な問題解決にならないし、かといって押さえてきた自分を暴走させるのも危険なので、時間をかけて焦らずに第三の道を模索するしかないらしい。いや、その両方の自分と正直にがっつり向き合ってると、いずれ第三の道が降ってくるらしい。で、村上春樹の小説では、そのような深層に隠された自分は、投映された異性像として登場し、主人公に揺さぶりをかけつつ、様々な出来事を通しながら主人公の魂の中で内面化し、統合されるらしい。ふむふむ。とにかく、両方の自分の面を認めて、神様と一緒に時間をかけて、統合するのが第三の道だそうな。統合といっても、分裂する前の自分に戻るということではなく、新たな福音の肉体化を図るということでしょうね。最近、読んだ別の本のキーワードでもあったな、「福音の肉体化」(何の本か忘れたけど)。あ~、頭ではわかるけど、かなり面倒くさそうですね。でもこれまで腑に落ちない部分を先送りにしていたツケがまわってきたわけだから、がっつり取り組んでいくとしましょう・・・

思うに、自分は「聖書的生き方」と「その他的生き方」、あるいは「聖書的読み物」と「その他的読み物」みたいにいろんな事を単純に二分化していて、聖書的な方は神様の前や教会で安心して出していけるけど、そうじゃない方はなかなか神様にも人にも晒せない、という矛盾があるようです。あまりクリスチャン的でない自分だと祈れなくなったり。でも、本当に「そうじゃない」のかなんて、神様に全て晒さないとわからないんですよね。それに、村上春樹だってこんな風に聖書的に読めるなら、もっと意外なところにも聖書的な教訓が隠されているかもしれない。逆に自分が「聖書的」と思っていたほうが、実はクライスト・ライクな精神に基づいていないかもしれない。自分で勝手に振り分けるより、もっと神様にお任せしたほうが、無理がないのかもしれない・・・そんなことを考えている自分も、ここでちょっと晒してみました・・・本当にこれまでの考え方でいいのか、腑に落ちないところもしっかり認めながら、信仰の再構築をしたいなぁ~、と思う今日この頃なのです。

「私小説 from Left to Right」から読み解く私生活 from East to West

2011-11-11 | 本の葉
最近、バイリンガルやクロスカルチャーに関する児童書や文学にハマっておりまして、そこで日本初の横書き日英バイリンガル小説「私小説 from Left to Right」(水村美苗著)に出会いました。冒頭の頁から、いきなり英語ONLYの横文字世界。でも、あとはこちらにはらり、あちらにはらり、と軽いぼた雪くらいにしか英語は現れませんので大丈夫、中学生程度の英語でも読めるそうですよ。(結構、日本の中学英語って、読解の役には立つんです。)大学院時代、コードスイッチング(二言語以上の言葉を混ぜ合わせて使うこと、いわゆる「ちゃんぽん語」)のリサーチをしていたこともあり、(このブログでも取り上げてましたね)「こんなちゃんぽん小説があるなんて!」と軽くノボせてしまいました。(お風呂で読んでいたせいもある?)対訳付きのバイリンガル本なら結構ありますが、一つの思考の流れが日本語になったり英語になったりしている本ってのは珍しいです。(日本の歌謡曲にはありがちだけど)私の思考言語もちゃんぽん気味なので、こういう文章は自然に脳に染みる感あり。と言うわけで、ページをめくるごとに、いやおうなしに期待が高まっちゃいました!

さて、「言語と文化は切り離せない」とよく言われるように、この小説世界でも、ちゃんぽんなのは言葉だけではなく、文化もまた然り、でした。アメリカで十代から三十代までを過ごした日本人女性の半生記、私が共感できる部分が非常に多かったです。どんな内容かといいますと・・・「私小説」をleft to rightに綴る主人公・水村美苗(著者と同姓同名)は、十二歳の時に家族と渡米し、二十年間アメリカに住みながらもアメリカ人になりきれず、さりとて「モロジャパ」にもなれない大学院生。旧き良き日本に憧れ続け、日米どちらの現実社会にも踏み出せずに、モラトリアムに甘んじている。具体的に言えば、口答試験を先延ばしにし続け、大学町に住みながらキャンパスをも避け、アパートで引きこもり生活を送っている。加えて同棲していたモロジャパな「殿」にも去られたばかりで、篭る一人暮らしのアパートの空気の重いこと、重いこと。でも、この感じ、少しわかります。空気って、体や心を動かしていないと固まって、どんどん身動きが取れなくなるんですよね・・・。孤独ってある意味、自己責任なのかも。

そんな美苗よりも、もっと危なっかしいのは、二歳年上の姉・奈苗。見た目と振る舞いは、基本アメリカナイズされた上、インターナショナルな男性暦を経て、国籍不明の体を晒しています。彫刻家なれど彫刻だけでは食えず、バイトで食い繋ぐ生活。マンハッタンのSoHoのロフトに猫二匹と住んでいる、と言えばオシャレな感じもしますが、呑んだくれ無職DV男と同棲し、妹・美苗に電話でグチる毎日。面の皮厚いようで、泣き虫。自由奔放なようで、繊細。気さくそうで、ソノビッシュ。ミーハーなようで、保守的。日本人らしくないのに、日本に拘る。とまぁ、面白い人です。この姉妹、かなり両極端なんですが、どちらも私と似ているところがあるなぁ・・・

この小説の殆どは、姉妹にとって「渡米二十周年記念日」となった或る一日の間に交わされた、二人の“only you know what I mean”的日英ちゃんぽん長電話会話で占められています。数回の通話の合間に美苗の一人称の語りが挟まれて、二人の現状や過去が浮かび上がっていく、という構成。渡米記念日ということも手伝ってか、二人は感慨深げに日本での幼少時代の思い出や、互いのアメリカ順応(もしくは非順応)の歴史を語り合います。終盤に重い空気が入れ替わるようなカタルシスがあるといえばありますが、筋らしい筋はあらず、話を区切る章もない、不思議な本です。でも、私は筋で引っ張るプロット先行型の小説より、キャラやテーマ、または描写や表現で読ませる小説の方が好みなので、問題なし。キャラ的にも背景的にも共感度は高かったし、テーマはド真ん中に好みだったし、随所に「上手いな~」と思わせる文章があったし、字ズラに拘っているところも、詩的で素敵。ってなわけでワタシ的には、かなりハマりました。湯船のお湯が冷めても、読みふけっちゃったほど。

************************************

長~い前置きになってしまいましたが、いよいよ「私小説 from left to right」、略して「しレラ」(←略し過ぎ)に、様々な角度から切り込んでみたいと思います!(ネタバレを避けたい方は、ここまでにした方がいいかもしれません)(というより、ここまで読んでくださった奇特なあなた、ありがとうございます。覚悟あらば、ここからもご一緒しませう。)


I.渡米の動機と順応力の関連性

共感したと言いながら、相違点の「違」から語るのもなんですが、同じように十代で渡米して約二十年近くアメリカ暮らしをしてきた美苗と私には、多くの違いがありました。まずは、美苗の「受動的な渡米」 と私の「能動的な渡米」、そして、美苗の「日本への回帰傾向」 と私の「アメリカへの順応傾向」ですね。そして渡米の動機と順応力の間には関連性があるようで。「上昇志向がそのまま西洋指向につながったような」両親に連れられ渡米した中学生の美苗は、最初のハネムーン期こそは「アメリカの豊かさを自分の豊かさのように」誇っていましたが、すぐに夢に見るまでにも日本を恋い偲ぶようになり、アメリカに連れてこられた自分の運命を疎うようになります。それなのに、二十歳になるまで再び祖国の地を踏むこともできず、「日本人であることの証を日本語に求めて」、日本近代文学を読みふけるようになるのです。しかも「いつか日本に帰るのだから」と英語を学ぶ必要性は、全く感じていない。その結果、彼女の性格には釣り合わないような変人(?)にしか相手にされないソーシャルライフを送り、彼女の知能に釣り合わないようなアカデミック評価を受けるという不毛な小・中学生生活を送ります。(歯痒いわぁ)

私の場合はと言えば、自ら好んで単身留学をし、いずれ日本に帰ろうとも思わず、バカにされてなるものかとサバイバル英語を身に着け(サバイバル英語で満足してしまった感はあるが)、早く現地人の親友やBFを持とうと躍起になっていたのでありました。かといって、日本文化を疎んじていたというわけでもなく、日本人留学生仲間と、トレンディドラマ(既に死語)の一気観をしていましたし(今もしてるか)、一年に一度は日本に里帰りしていましたから、それほど望郷の念に胸焦がれることもなく、アメリカ生活を送れたのかもしれません。アメリカと日本両方の若者文化を吸収しようとした所は、奈苗に似ているかも。それに、自分の決断で来たせいか、美苗のような「連れて来られた」的被害者意識や、「アメリカに来てなけりゃ、今頃私だって・・・」的たられば思考も、なかったですね~。これは過去に受け持った、駐在員の子どもと単身留学生の間にも見られた違いです。でも駐在員の子どもでも、「どーせアメリカに住むなら、楽しんで、頑張って、得られるもん得たる!」と開き直った生徒は、強くなっていきましたね。被害者意識のあった子どもは伸び悩んでいたし。やっぱり、「変えられないものを受け入れる力」は、大事です!

II.言葉を通じての祖国とのつながり

最近、私の教える補習校の卒業生達が、ノートいっぱいに漢字を書いたりして、アメリカにいても自分は「日本人だ」という意識を保っていると聞いて、「へえ、そんなことするんだ」と感心していたのですが、いましたよ・・・ここにも似たようなことしてる人が。現地校の授業中に、写経のごとく日本の住所をノートに書いたり(しかもコダワリの縦書き)、ひらがなの美しさにウットリしてみたり、果てには高校の授業をサボって、日本の小説を読みふけったり。(良い子はマネしないよーに!)そんな美苗の言い訳(?)は、「私は日本人であることの証しは血にはないことを知るようになった。以来私は寝ても覚めてもそれを日本語に求めたのである。」こうして健気な古文オタクが出来上がっていったのでした。チャンチャン♪

渡米後、日本語に日本とのつながりを求めた所は美苗も私も同じなんですが、彼女はそれを日本近代文学に求め、私はそれを現代の音楽・ドラマ・小説・ネット等に求めたという違いもひしひしと感じました。片や美苗は「企業」は読めなくても「美人局」(「つつもたせ」と読むそうで)を何と読むかは早々と学び、対する私は「ぶっちゃけ」や「~っすか」といった表現を覚えていったというわけです。初の日英バイリンガル小説と謳われる本書ですが、実際は英語より古文の占める割合の方が高いかも。「No, no.もっと古風に。――われ叫びいでん、懷かしきわが國よ、わがふるさとよ、われ今おんもとに歸りきぬ…」ってな具合に。ある意味トライリンガル小説かもしれないわ、これ。日本の高校で国語を学ばなかった私には、古文のほうがまるで外国語のようでしたよ、正直言って。私にとって一番身近な古文らしきものは、椎名林檎の擬似古文調歌詞かもしれん・・・こんな「なんちゃって日本人」で大丈夫なのか?私。

III.アメリカ社会との共通語

ところで、この小説にはアメリカ文化を語るには欠かせないはずの宗教の要素が不思議なほど皆無なのですが、私がクリスチャンであることも、宗教を持たない(と思われる)美苗との大きな違いでしょう。言語は変われども、同じ讃美歌や聖書物語という「共通語」があり、同じ信仰という共通の宗教的かつ文化的価値観があったことは、ラッキーだったと思います。これまで、カナダ、アメリカ、そしてアフリカに移り住んできましたが、同じ宗教ベースのコミュニティーだったためか、国境は越えても遠い親戚と付き合っているような、どこか地続きみたいな感覚がありました。(もちろん他にも信仰を持つ利点はありますが、それはいずれまたゆっくりと。。。)

ですから、アメリカ人と宗教という共通語を分ち合わなかった奈苗と美苗が、「万国共通語」とも呼ばれる音楽や芸術、また第三外国語の分野で、アメリカ人と同じ土俵に立とうとしたのかもしれない、というのは私の深読みのしすぎでしょうか?英語の勉強よりも、絵を描くことやフランス語の勉強に熱心な美苗。ピアノや彫刻や自らの性を通して、自己表示を試みる奈苗。言葉以外にも、使える武器はたくさんありますものね。ある人にとって、それはスポーツだったり、歌だったり、料理だったりする。世界との共通語とは、すでに自分の中に培っているものなのかもしれない。・・・もし、言葉を剥ぎ取られたら、あなたは何で勝負に出ますか?

IV.在米アジア人の溶け込み度、ところ変われば

同じアメリカに暮らすと云えど、アメリカは広し、です。水村一家は渡米直後にニューヨークに家を構えており、NYで育った娘達は東海岸の大学を卒業してからNYに戻ってそれぞれ一人暮らしをしている。そんな美苗が奈苗に、こう言う場面があります。「Californiaに育ったらもっとアメリカにとけこめたじゃない。・・・今ごろアメリカ人になってたかもしれない。」二十年間東海岸でしか暮らしたことのない姉妹の想像の中では、カリフォルニアのアジア人達は「私ダッテアメリカ人ヨ!」的顔で歩いているのでしょう。確かにここカリフォルニアにはアジア人が多い。でも、顔つきは様々です。「アジアの遺産」としてナショナル・ジオグラフィックスの表紙を飾れそうな誇り高い顔、「受け入れてもらえますかね」的心もとない顔、「私ダッテアメリカ人ヨ!」と気張っている顔、もはや自分が溶け込んでいるかどうかさえ意識することもない地元顔、などなど。私はどんな顔をしているんだろう・・・カリフォルニアに移って三年目、最近では日本の店の店員に日本語で話しかけられることも増えてます。(笑)

この十八年の間に、カリフォルニア、ミシガン、バージニア、そして再びカリフォルニア、と移り住んできた私も、アメリカのどこに住むかで外国人に対しての視線が違うのは、肌で感じてきました。州によって、雰囲気もまるで違いますしね。確かにカリフォルニアでは、アジア人を見慣れているせいか、妙な視線を感じることはあまりありません。(田舎では違うらしいですが)ただ白人にとってアジア人はみな同じように見えるらしく、どこの国から来ていようと、何年アメリカに暮らしていようと、いつまでも総まとめにone of themとして見られている感はありますよ。でも、私の目から見れば、FOB(fresh off the boat=渡米ほやほや)から代を重ねた移民まで、こんなに歴史の厚みを感じるアジア人生存地帯は、アメリカ広しと言えどもそうありませんって。顔つきも服も立ち振る舞いも違う。もう、在米アジア人図鑑ができちゃいそうな面揃えかも?

中西部のミシガン州には一番長く住みましたが、留学生の多い大学のキャンパス近辺や日本人の多い街に住んでいたせいか、そう物珍しげな目では見られませんでした。(これも、田舎では違うらしい)でも、私の元ルームメイトのフィリピン系アメリカ人の友人は、よく「どこの国出身?」と聞かれ、「シカゴよ」と答えると、「え、外国じゃないの?」的ケゲンな顔をされていました。(訛りも全くないのに)これは、アジア系移民の歴史がカリフォルニアより短いせいかもしれないし、留学生の多い地域だったからかもしれません。(でも、カリフォルニアでは、こんな反応をするアメリカ人はあまりいないと思う。)それから、学生から社会人になってから、外国人扱いを受けることが増えた気もします。大学における留学生の割合より、社会における外国人雇用者の割合が圧倒的に低いから、当たり前か。でも、かなり違和感あったな~、当時は。

しかし、バージニア州の学校に面接に行った時には、おったまげましたね。「アメリカの別の顔を見た!」って感じでした。レストランに入ったら、客はみんな白人で、半分くらいはカーボーイハットやらカーボーイブーツやら履いたおっちゃんで、バリバリ南部訛りで、「よそもんが来たぞ!」的目で見られて。(まだdeep southじゃないのに)そして学校創設以来、初めての非白人教師となった私は、「英語は変だけど、先生愛してるよ」と言われたり(苦笑)、村上春樹氏の「卵と壁」スピーチを授業で紹介したら、「自分が日本人だからって、日本人作家を紹介するなんて、先生はレイシストだ。」と生徒に言われたり、(そもそもレイシストの意味わかってるのか?)同じ年度に雇われた韓国系アメリカ人の先生に間違われ続けたりしましたっけ。この先生についても、「○○先生は、英語うまいよね」と生徒が話しているのを聞いたけど、その人アメリカ人だから!(まぁ、日本人なのに、タレント・ショーでアフリカ踊りを披露した私は、かなり異色であったと思われる・・・)それから、バージニアには植民地時代や建国時代や南北戦争の名残があちこちに残っていて、記念碑やら南軍の旗やらよく見かけたな~。毎年、近くで南北戦争の再現劇をやってたし。まぁ、一言にバージニアと言っても、DC寄りだとメトロポリタン・カルチャーで、ウエストバージニア州寄りだとレッドネック・カルチャー。私がいたのは、もちろん後者。男子は狩で鹿を射止めれば一人前と認められるらしく、狩について書かれた作文が幾つも提出されたのが印象的でした。そういう世界がまだ残っているんだ、と感慨深かったっけな。開拓者精神よ、永遠なれ。

なんだか私のアメリカ体験談になりつつあるので、「しレラ」に戻りますが、美苗も奈苗もアジア民族ひとっ括り扱いには、大いに違和感があったようで、泣いたり赤くなったりと激しい反応を起こしてましたね~。確かにアメリカに来てから、他のアジアの国々との関係について考えさせられることが、増えました。日本は、アメリカにとってもアジアの諸国にとっても敵国だったことがあり、他のアジア諸国とはひとくくりにはできない微妙な立ち位置ですし。その辺を、成長するにつれちゃんとわかってきた美苗には、好感もてました。それから、奈苗の「みっともない人だって思われるの、みっともない人種だって思われるより気楽じゃない」というセリフにも、妙に腹オチ。アメリカにいたらね、やっぱり頭のどっかでそういうこと意識してるわけですよ。ちょっぴり国を背負ってる感が、ある。でも、日本だったら、会社や家を背負っている意識がもっと強いでしょうから、どっちもどっちなのかな。何にも背負ってない個なんて、ないのかもしれません。

V.教師像に学ぶ

この本には魅力的な教師が多く登場します。未だ社会に出ていない美苗にとって、教師の存在は大きいものだったのでしょうね。アメリカで理不尽な想いをしてきた美苗ですが、教師との出会いには恵まれていたようです。いえ、実際には酷い先生もいたかもしれませんが、彼女が記しているのは、美苗の才能と本質を見抜き引き上げてくれた先生や、自分の教える分野に誇りを持っている教師ばかり。教師たるもの、かくあるべし!だな。

まずは、中学のESL(英語が母国語でない生徒のための英語のクラス)の先生、Mr.Keith。美苗の拙い英作文に文才を認め、ESLクラスから優等生クラスに、引き上げてくれた先生です。(正確には、ESLとHonorsの両方をとるようにアドバイス)高校時代、いつESLを抜け出せるかとアクセクしていた私、そしてその十年後には高校でESLを教えていた私としては、身につまされました・・・私の高校時代には、これでESL終了!という明確な判断基準はなかったため、かなり不満がありましたっけ。そして私が教えていた高校ではTOEFLが基準でしたが、それが最善の判断材料だったかというと、疑問もありましたね。・・・ま、話をMr.Keithに戻しましょう。彼がESLクラスを教える時と、優等生クラスを教える時では、全く違う顔を見せるくだりは、興味深かったです。でも、どちらのクラスにも入ってみたい、と思わせるところが、さすが。そして、美苗が高校に進学する前のアドバイス、"Don't forget your Japanese." にも、愛を感じましたね。("your"が入っているところに、グッとくる!)

お次は、高校の美術の先生、Mr.Shermanです。当時は珍しかった黒人の教師で、白人社会に迎合せず、黒人として、そして一人の芸術家としての誇りを持って、高校生の「アートはeasy A」的認識をビシバシと張り倒していく先生でした。(カッコええ)それと比べて、私の教えたアートクラスは、かなりお気楽なものでしたがね。Mr.Shermanと比較すると、アーチストとしても私は未熟なもんで・・・方向性も表現法も、まだ確立されていない。(ションボリ)それから、非白人同士の連帯感についてのエピソードにも、「あるある!」って感じでした。この先生に出会い、美苗はアート系の大学に進むことになるのでした。

その後、大学院では仏文学を専攻した美苗。ここでも強烈キャラ達が現われます。まずは、イスラエル系の仏文科のアドバイザー、Madama Ellman。大学院を卒業した後に日本に帰るという美苗に、「故郷は戻るべき場所にに非ず。」(イスラエル人が言うと、なおさら重い)と、キビシ~い一言:「確かに日本に帰っても、孤独かもしれません。」と答えた美苗に、さらに研ぎ澄まされたご返答:「孤独こそ、ものを書く人間の条件なり。」ひえ~、まるで禅問答のようだわ。でも、そのとおり!これまでにもここで、谷川俊太郎氏の「集合的無意識」や、長谷川櫂氏の「孤心とうたげ」について語ってきましたが、昇華させるまでに私が孤独と向き合えるようになるのは、いつになることやら・・・

そして大トリは、「ヨーロッパの知性そのもの」と形容される(どんだけ凄い人なん!?)大教授"Big Mac"(マクドの商品ではない)。日本語で小説を書きたいが、「カリフォルニアの日系人のようにアメリカに根をおろし、英語で物書きになろうとしていた人生の方がよかったのではないか?」(カズオ・イシグロの加州版?)と迷う美苗を、「ナンセンス!」と跳ね除ける。(あっぱれ!)「そうしたら君が君でなくなってしまう。」ふ~む、私が私である表現方法って何だろう。この本を読んで、また少し明確になってきたかも。さらに、Big Macは翻訳者でもあり、「言語の本質にある、他の言語に還元できない固有性を慈しんで」おられたそうです。そうそう、「こっちの言葉じゃなきゃ、しっくりこない!」ってのがあるから、ちゃんぽんしちゃうんですよね。「英語と日本語、どちらが話し易い?」と訊かれても、「場合によりけり」としか言えませんもん。「本妻も愛人も、それぞれ良さがあって、捨て難いんだよな~」みたいな?いや、たとえが悪くてすんません。でも、あくまで日本語が妻ですからっ!

とにかく、良い教師の素質というのは万国共通ですよね。そりゃあ、教えるスタイルや教育哲学にはお国柄が表れるけど、人柄や熱意や誠意はそれらの違いをも超える。これは、どの職業についても言えるのでしょうけれど。

VI.家族の妙

もう一つ万国共通なのは、家族との確執。こちらも、たっぷりと見せてくれますよ~。奈苗と美苗の関係は離れたくても離れられない「腐れ縁」って感じなんですけど、腐っている部分だけではなく、新たな気づきや発展もある。二人が同じ○○を見ていたことが初めて分かったくだりでは、なんかホロリときちゃいましたよ。そして終盤では、互いを思いやり、二人で大泣きし、これまでの人生を肯定して終わる―その先は描かれていないけれど、この姉妹それぞれ何とかやっていけるだろう、と思えました。(ごめんなさい、ネタバレて。)まぁ、兄弟姉妹がいるって、やっぱり悪くないですよねえ。

そして古今現在、どこでも見られる母VS娘のバトル!性格的に奈苗は母親はガチンコ対決しちゃうタチで、対照的なオリコーさん・美苗は冷静に分析。子どもの頃は芸術的才のある奈苗の影となり放っとかれた感のある美苗は、大人になると母親に頼られるようになり、反対に大人になっても頼りない奈苗は放っとかれるようになっちゃうんです。ああ、無情。この母親が美・苗・だ・けに宛てて書いた手紙を読んで、「何て勝手な母親なんだ!」って、私は腹立ちましたよ。(ここも私は奈苗寄りだな)美苗は「血のつながるものへの嫌悪と愛情と罪の意識」が入り混じったものを感じたようですが、それでも冷静に対処しています。それにしても、このお母様も自由奔放な方でね~。手紙の中でも「いつか生い立ちの記を書きたい」と記しているのですが、実際に「高台にある家」という本を出されています。親子二代で自伝を出しているなんて、やっぱり血は争えんわ。彼女の自由奔放さは奈苗に受け継がれ、記述欲求は美苗に受け継がれていったように見えますし。(でも、私の記述欲求は、いったいどこから来たんでしょうかね?)

また、日本の駐在員の息子と娘の育て方の違いにも、「そうだったのか!」と思わずポンと膝打ちしそうでした。「滞在がのびれば、息子は適当なところで日本に帰し、日本の大学にやる。男は日本の社会の成員になる必要があったからである。その代わり娘は手元に置いて外国の大学にやる。いづれ日本の男と結婚させればよかったからである。帰国子女と呼ばれるのに女の多い所以であった。」とな。まぁ、時代の違いもあるでしょうけどね。さらに帰国子女育て論は続きます―「娘はいくら外国で育てられるといっても、日本の男―日本の社会に受け入れられるよう育てなければならなかった。娘がペラペラ英語を喋ると言っては犬が芸当でもしたように相好をくずす親でも、その程度のことは心得ていたのである。」いやぁ、犬が芸当って、奈苗さん(笑)。しかし、「その程度」のことを心得ていなかったのか水村夫妻、「娘の未来の夫には当然のように日本の男を想定していたくせに、娘がいつとはなしに日本の規範から逸脱していくのに、良くいえば寛容、悪くいえば鈍感だった」らしく、三十代の娘二人は売れ残ってしまってる。(人のこと言えませんけどね(苦笑))私もその辺りに鈍感だったらしく、今じゃどこの国の人で何色の人と結婚するのか、皆目検討つきませ~ん。アメリカ人でも日本人でも、しっくりこないのでは?と悩みます。最近、私のクラスの日系人やハーフの子どもたちにアンケートをしたんですが、「将来は何人(なにじん)と、結婚すると思いますか?」との問いに「いい人」と答えていた子がいましたっけ。うん、いいぞ!私もシンプルに行こうっと♪

VII.美苗のその後

[この本を読んでから、一ヶ月以上「しレラ」について書き溜めて参りましたが、書く程に書きたいことが出てきてしまう。他にも、「持つべきものは友」「しレラちゃんぽん分析」「使われなかった人生を想って」「芸術家が陽の目を浴びるまで」など、「しレラ」関連ネタを書き続けたい私ではありますが、それでは今年中にブログに載せることができそうにないため、「美苗のその後」で一旦打ち切りたいと思います。(ここまで読んできた方、ホッとしました?)まぁ、気が向いたら、続きも書きますよ。(「アンダーグラウンド」の感想の続きさえ書いてませんが・・・)]

この「私小説」の中で「日本語で小説を書きたい」との想いを姉と親友に打ち明けた美苗でしたが、実際に帰国後に「続 明暗」「私小説 from left to right」「本格小説」と水島美苗の名で本を出版し、高い評価を得、様々な賞を獲っています。奈苗に「漱石みたいにだって書ける」と言い放って呆れられた美苗でしたが、本当に漱石の「明暗」の続編「続 明暗」を書いた水村氏、ただもんじゃない!処女作に大文豪による小説の続編を書くなんて、すんごい度胸&才能ですよね。しかも、その執筆目的が漱石のように書くこと以上に、漱石より面白く書くことだったというから、驚くじゃありませんか。NYのアパートでグズグズしていた大学院生と同一人物とは思えません!(まぁ、小説的脚色はあったでしょうけれど。)

と、すっかり水村美苗氏その人にもハマった私、興味深いインタビューを見つけました!その彼女の言葉の中に、悶々としていたモラトリアム大学院時代の美苗と作家・水村美苗氏を繋ぐ軌跡が見えたのです。「私は作家になったのが遅く、だらだらと無駄な人生を歩んできた、小説の執筆に役立たない捨て札ばかりの人生を歩んできた、とずっとそう思っていたんです。それが『本格小説』を書いているうちに、捨て札があれよあれよとすべて生き札となったの。大変な歓びがありました。」捨て札が生き札となる瞬間って、あるんですね~。(「人生は、振り返って初めて、点と点のつながりが見えてくるものだ」とスティーブ・ジョブスも言ってます。)人生、無駄なことってないのかも。そう思えただけで、この本を読んで水村氏に出会えた価値がありました。あなたが捨て札だと思っていた札だって、いつか生きる日が来るかも!?

************************************

おわりに

書評というより、水村姉妹のアメリカ体験談と私のアメリカ体験談の比較みたいになってしまいましたね。しかも、私の話の方が長かったりして。(なんで、タイトルも後でこっそり変えました。)そうか、私もこの姉妹の会話に入れて欲しかったのかもしれない。こんな話を、誰かととことん、したかったのかもしれない。その代わりに、延々と独り言をブログに垂れ流してしまい、すみませんでした。でも、この本のおかげで、固まっていたこのブログの空気も流れ出した。窓、開けられました。・・・美苗さん、ありがとう。待っていてくれたあなたにも、ありがとう。そして、私にしかない人生と札を与えてくれた神様、ありがとう。



惚れ直したわ、MK

2008-02-29 | 本の葉
やっと日本語でインターネットが出来る環境になってNSやり過ぎなんですが(←わかります?)、ふと宮沢賢治のサイトに行って「農民芸術概論綱要」を読んでたんですよね。そしたら…この一行で速攻やられてしまった!

「詞(ことば)は詩であり 動作は舞踊 
音は天楽 四方はかがやく風景画」
どうですか、ありきたりの日常生活が芸術に変わってしまう、この名文!

「芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある」
ヤバイかっこいいですね。惚れそうです。仕事場にもさっそく書いて張りました。いや、教えるのは好きなんですけど、マル付けとか事務的な作業って私にとって灰色労働なんですよ。(ENFPだし。)でも、頑張るわ、賢治!(←誰だよ。)

「世界に対する大なる希願をまず起こせ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ」 ヒーローだわ。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」 
あまりにも有名。

「かけた情けは水に流し 受けた御恩は石に刻め 」
かけたものも受けたものも両方流してるかも。ハイ、石に刻みます。特に神様からの御恩を、しっかりと。

「なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
風とゆききし雲からエネルギーをとれ」
おおお。風と雲をこよなく愛した賢治の童話の世界が私の中にどっと蘇ってきた!いや私、小学生の頃すごい賢治フリークだったんですよ。童話集全巻読破して、先生に「作文が宮沢賢治風になってますね。」とか言われて。ものすごい好きだった。お話の内容ももちろん好きだったけど、オノマトピアの語感や、想像五感をいっぱいに広げられる、その世界に惹かれてた。中学の卒業説教では「銀河鉄道の夜」のさそりの星のエピソードを使わせてもらったし。今思うと、私の心の原風景は賢治の世界だったのかも。体は東京に生まれ育ちながら、脳内野育ちなのはそのおかげ(?)なのでしょう。しかし、大人になってからは彼の詩「春と修羅」がよくわからず、童話どまりだった私。(いや、「告別」は良いと思ったな。)しかし今またこうして出会い、再び賢治にフォーリン・ラブ!(すいません、今回は興奮気味で…)

そういえば、祖父は「雨ニモマケズ」が好きだったらしく、いつも部屋に飾っていた。古くなったら取り替えて。祖父没後、それを勝手に国外に持ち出し自分の部屋に飾っていたら、「あんたが持ってたのね!」と母に怒られた。 …ところで、こんな面白いものを見つけちゃいました。「雨ニモマケズ東北弁朗読」 いかがでしょう?東北弁も手伝って、非常に味のある朗読でスた。この「ソウイウモノ」さんは、ちょっとお人よし過ぎるんでない?と思ってたこともあるけど、やっぱりいいですね。なりたいかも。基督を思わせるな。

それから、またしばらく賢治関連ネットサーフィン、いやリサーチを続けると、こんなものが!
爆笑問題のススメ - 人生を変えた一冊」(←読むバージョン)
1 / 2 / 3 ←観るバージョン)
この番組も好きだったですね~。(とは言っても、たまたま日本に帰ってた時一回くらいしか見たことないけど。)これが最終回らしく、太田光氏、熱く語っております。Wikipedia によりますと彼は大変な読書好きで年に100冊以上は読んでいるとか。で、彼のベスト本3冊のうちに、「銀河鉄道の夜」が入っています!一冊目は太宰治の「晩年」、それと対をなすのが「GTY」、ラストは忘れたけどbyサリンジャーでした。(ライ麦ではない)彼は「晩年」を読んでいて「これ、自分じゃん。自分しか知らないと思ってたのに…」と思ったそうです。「私にとって本は生きてきた証。」とも言ってました。やはり「人は一人ではないことを知るために本を読む」のですね。あと、番組の最後で太田氏が読書の魅力というものについて語るところが非常によかったです。これは、これから学生達に文学を教える際に忘れてはいけないな、と思いました。文章読ませて四択問題で答えさせて測った読解力なんて、なんぼのもんじゃい!ってね。まぁ、TOEFLとかSATとかあるから、そういう答を見つけるテクニックも現世では必要なんですが。そこで知力消耗させずに、自分にしかない、もっと深い読みを追求させたいものですね。

それから、今までアートの話のなかで、「孤島と大陸」「弧心とうたげ」として語ってきたところの集大成を「農民芸術概論綱要」に見つけてしまった。。。 (「芸術」の代わりに「俳句」や「宗教」や「愛」など、好きな言葉を入れられるのもミソ。)

「芸術のための芸術は少年期に現われ 青年期後に潜在する
人生のための芸術は青年期にあり 成年以後に潜在する
芸術としての人生は老年期中に完成する
その遷移にはその深さと個性が関係する」

完全にやられた。37歳の若さで没した賢治の遷移のスピードはいかほどだったのだろうか・・・私はやっと青年期、まだまだ青いぞっ、と。

孤心とうたげ

2008-02-26 | 本の葉
二週間ほど前、生徒達が帰省していた週末にちょっとワシントンDCまで出かけ、元生徒を訪ねたり、小学校時代の知り合いを訪ねたり、日本食や日本の本を仕入れてきたんですけど、その中の一冊、「俳句的生活」(長谷川櫂)という本を今読んでいます。なかなか面白い本です。単なる俳句の解説にとどまらず、俳句的人生の美学や哲学を感じさせるというのか… 一見バラバラなものに食指を伸ばしていると、意外なシンクロがあって面白いものですが、彼の俳句人生の中にも、近頃の私がアートに思う事とだいぶ重なるところがありました。「孤島と大陸」と私が呼んだものが、ここでは「孤心とうたげ」と言われております。長いのですが、ずずいと引用させていただくと…

「これでも私はすでに三十年以上も俳句を詠んでいるが、あらためて振り返ると初めの頃とは詠み方がずいぶん変わった。大きな流れをいえば十代、二十代のころは自然や素材と一人向き合って詠んでいたのであるが、三十代の半ばからは友人や親しい人々の間で詠むようになった。…私の詠み方の変化は単に私だけの問題ではなく、実は日本の詩歌の基本的な構造に触れる問題であることにその後、気がついた。たしかに詩歌は宇宙の闇黒の中で輝き始める星の子どものように孤独な人間の奥底で産声をあげる。これは洋の東西を問わず詩歌と名のつくすべてにあてはまることだろう。ところが西洋の詩歌はそれ以外の何ものでもないが、日本の詩歌、中でも俳句や短歌は人々の集まりの中で読まれてきた。この二者合一の境地をみごとに言い表している西行の歌がある。

さびしさに堪へたる人の又もあれな いほりならべん冬の山ざと

「私と同じように淋しさに耐えている人がもう一人いたら訪ねてくれる人もまれなこの冬の山里に庵を二つ並べて暮らしたいという歌である。いつも仲間と一緒にいて淋しさなど味わう暇もない賑やかな人ではなく、淋しさの味を知り尽くしている人とこそ友達になりたいというのである。

「俳句や短歌が孤独な心から生まれ、同時に人々の集まりの中で生まれるということは互いに相容れぬことのようにきこえるかもしれないが実のところは何の矛盾もない。…日本の詩歌を織りなしてきたこの二本の糸を大岡信氏は「孤心」と「うたげ」という言葉で表わした。…短歌の源である相聞は恋の孤独に耐えかねた二つの心の間で交わされた和歌のやりとりであったし、俳句の産屋となった連句は「さびしさに堪へたる人」を主客とする連衆の座で成り立つものであった。日本の詩歌の二つの大きな流れである和歌と俳諧、そのどちらも孤独な心とその集まりという異質な二つの要素が縦糸と横糸になって織りなしてきた言葉の織物なのである。」

なかなか奥が深いですよね~。「孤心」が人の数だけあるからこそ、「うたげ」においてその共鳴のハーモニーが重厚になるのでしょうか。この孤心とうたげが織りなす世界って、いつか書いた「騒がしい詩」で引用した谷川俊太郎氏の言われた「集合的無意識」に近いものがあるような気がします。一人掘り下げた深い井戸の底には、他の人の井戸の底にも通ずる水が流れているのかもしれません。私のいち押し映画「永久の愛に生きて」(C.S.ルイスの実話)に「人は一人ではないことを知るために本を読む。」という台詞があるのですが、いい本を読んだり、素晴らしい芸術に触れたりすると、「おお、この人も頑張って掘ってきたんだな。」って思えたりしますよね。まぁ、自分はずーっと「冬の山里」に籠もっているのは嫌な半ば「賑やかな人」なんで、掘りがまだまだ浅くて届かない流れが多いんですけどね。お恥ずかしながら、解説なしでは殆どの俳句の意味がちゃんとはわからなかったですから… 一詠まれたところに十を、いや百を読み取るような解説に「なるほど~」と唸っていたのであります。俳句や芸術としっかり向き合うには、作者と同じ「冬の山里」の景色を知らないと、なかなかその心を見ることはできないんだろうなぁ。(ここで槇原敬之のBGM♪)

ここで、もう一冊。前回もお話したec07で日本語クリスチャン・ブックの買いだめをしたのですが、その中でも大当たり!だったのは前から読みたかった「魂の窓」でした。(っていうかこれしかまだ読んでないけど。)でもこれは今まで読んできた本のうちでも、マイ・クリスチャン・ブック・ベスト5に入りますよ!超お勧め。この本の著者ケン・ガイアも一を見て十を知る眼を持つ大切さを語っています。普通の人が見過ごしてしまうような人々の「魂の窓」の奥底の痛みを見ることがイエスの生き方だった、と。ガイア氏も「冬の山里」の景色を知る人。彼は、イエスが見つめられた聖書の中の人物の話も多く書いていますが、自分の家族や身近な人達、ゴッホやノーマン・ロックウェルといった画家、文学作品、映画の中で見い出した「魂の窓」についても語っています。ゴッホといえば、生きている間は絵が売れず、自分の耳を切ったりした挙句に自殺したヤバイ画家、という認識くらいしかなくって、彼が牧師の息子で信徒伝道者だったとはこの本を読むまで知らなかった。彼は「貧しい労働者階級の人々に聖書の言葉を蒔くために絵を描こう」としていたらしいです。そんな彼が、どうしてあんな最後を迎えたのか、まぁこの本を読んで頂けばわかるのですが、一言で言えばそれは彼の魂の窓が人々に理解されなかったからだ、といえると思います。激しい「孤心」のみで「うたげ」の場がない人だったのですね。辛いわ。

そういえば、冬休みにフィラデルフィア美術館にて駆け足でルノアール風景画展示会を見てきたのですが、印象派の代表格であるルノアールとモネは仲良しだったみたいです。これも知らんかったわ。(美術史のクラスを真面目にやらなかったせいか?)二人で野山に絵を描きに行ってたり、モネが絵を描いている姿をルノアールが描いたスナップ撮影さながらのスケッチがあったり。互いにいい影響を与えて合っていたご様子で。「西洋の詩歌には孤心があってもうたげがない」と前述の長谷川氏が述べておられましたが、西洋美術にもうたげがない、とは言えないのでは。きっとどの文化においても、孤心とうたげの両方を求める精神があるのであるのでしょう。人間の世界だけでなく、神様の世界にはもっと深い孤心と大きなうたげがあるように思えてなりません…(ここでNicole NordmanのBGM♪)しかし、こうしてブログを書いたり、コメントを頂くことが私にとっては「うたげ」になっているのかもな。それをこうして可能にして下さる皆さん、今日もここまで読んで下さってありがとうございました~!

八木重吉のことば -聖書について-

2006-09-27 | 本の葉
昨晩は寝る前に「八木重吉-詩と生涯と信仰」(関 茂著)を読んでおりました。八木さんはクリスチャン詩人として有名かと思いますが、最近そのよさがしみじみ感じられるようになってきた気がします。若い頃は、その飾り気のないスタイルに「なんか誰にでも書けそうな詩だなぁ。」なんて思っていましたが。(生意気な!)しかし、こんなにも研ぎ澄まされた詩は彼にしか書けないものですね。透明度の高い言葉と、その中にまっすぐ流れるひたむきさと実直さに、心が洗われます。この人の場合、詩と人間性が一体に感じられます。そして自分の詩は小手先だなぁ、と反省させられます。

この本の中に、彼が師範校友会雑誌に投稿した聖書についての文の引用があるのですが、これに昨夜とても感動しました。少し抜粋します。

「すべての詩の本が亡びても、私には一冊の聖書があればすこしもさびしいことはありません。イエスという人は、時々、非常な、無理な、到底人間には出来ぬようなことを人に欲求しているようにみえます。それについて私はながい間疑がはれなかった。しかしだんだんわかってくるようです。つまりイエスは、右の手に光を持ち、左の手に救いを持っていられたのだと思います。右の手の光で、私らをすっかり照らして、私らに自分の底をよく見させ、自分とはこんなものだということを知らせ、それから左の手で救い取ってくださるのだと思います。

「・・・しかし、つまりは、自分の気持は一つです。イエスが好きだ世界中で一番好きだということです。好きだから、イエスの云ったことに嘘はよもあるまいとおもう。もし嘘があってもかまわないとおもうのです。

「・・・そして、その人により、おのおの、個性を通して、千変万化の相ある真理をだんだん深く、探り当ててゆかれることと思います。千変万化でありながら、真に、一であるもの―それに触れてゆくでしょう。」

作品やその中に見られる技術に感心することはあっても、それらを造りだした作者の人生や生き様においても感銘を受けるということは、そう多くはないかもしれせん。詩においても、信仰においても、学ぶところの多い人に出会えて、幸いです。

あなたとわたしのアンダーグラウンド (1)

2006-04-30 | 本の葉
期末が近づいているというのに、本が私を呼んでいるので困ります。去年の夏に買って、「分厚いから時間のあるときに読も。」と思っていたのに、最近手をつけちゃったんですよ。あらら、そしたら毎日読むのが習慣になってしまった・・・そしてついに一昨日読み終わりました!(これで勉強に専念できる?)11年前に起こった地下鉄サリン事件の被害者の方へのインタビューをもとに書かれたノンフィクション「アンダーグラウンド」。色々と考えさせられた作品でした。

1995年3月20日といえば、私がまだカルフォルニアで大学生の頃。この地下鉄サリン事件に限らず、日本のニュースをテレビやインターネットなどで目にすることもなく、家族に電話で教えてもらっていた時代でした。今は自分でネットから情報収集しますが、それでも海外で記事を読むだけなのと、実際にリアルタイムでその社会の中に生きているのとは違うことをよく感じます。このオウム関連の事件に関して言えば、アメリカでもメジャーな雑誌に取り上げられていたし、友達にも質問されたのを覚えています。それから日本のクリスチャンの知り合いが「伝道がしにくくなった・・・」とぼやいていたのも。(やっぱり宗教アレルギーの人が増えましたものね。)しかし、「ひどい事が起こったものだ!」とは憤慨はしたものの、本当は何が起こったのか、それが何を意味していたのか、そしてそれが自分とどう関連があるのか、そこまで考えてはいなかったし、事件の重みを肌身に感じていなかったのです、当時の私は。

この本の著者、村上春樹氏(最近このブログに出ずっぱり?)がこの本を書く動機として、「そこで本当に何が起こったのか?」という問いと、そして更なる深層心理に「より深く日本を知りたい」という欲求の二つがあったといいます。メディアが伝える事件ではなく、オウムという組織についての報道ではなく、もしそこに自分が遭遇していたら体験していたのかもしれない、人々が見たもの、とった行動、感じたもの、そして考えたことを知りたかったのだと。また当時、村上氏はしばらく日本を離れて暮らしていて(今もか)、アメリカから一時帰国していた時に突然(のように感じた)日本でこのような事件が起こった事に戸惑いと違和感を覚えたそうです。ちょうど、「自分が社会の中で与えられた責務を果すべき年代にさしかかっている」と感じ、「そろそろ日本に帰ろう」と彼が思っていた矢先にこの恐ろしい事件は起きた・・・のでした。

全く同じ感覚ではないかもしれませんが、彼にとって動機となった何かが私にも少しわかるような気がします。休暇中日本に帰り、東京で満員電車に揺られてもそこに人の群れを見ただけで、そこにいる様々な世代の人間の暮らしや状況に、自分は思いを馳せたことはなかった。一対一のインタビューでほとんどが成り立っているこの本を実際読んで、今までよく知らなかった日本の社会の一端を担って暮らしている方達に次々と出会っているような感覚がありました。中学校の時までしか日本に住んでいない私にとって、日本の大人の社会はある意味、未知のものなのです。違う時代に生まれ、違う故郷に育ち、違う暮らしを営んできた人々の人生が、同じ日に同じ事件を体験するという一点で交差した・・・その一点だけにフォーカスするのではなく、そこから過去、現在、未来へと無数に伸びている人々の人生、そしてその向こうに浮かび上がる日本の社会を垣間見させてもらった気がします。

あの日、地下鉄で働いていた方や地下鉄に乗り合わせた人々、その家族等62人のそれぞれの生い立ちから現在に至るまでの話、事件の時の体験、そしてその後の生活についての語りに耳を傾けていくなか、私もその「現実に生きている人間ひとりひとりの物語に癒された」という村上氏の言葉に共感させられました。「どの人の話を聞いてもその人間性に魅力を感じ、その人たちが送ってきた人生というものに惹きつけられた、ひとたび向き合えば人はそれぞれかけがえがないことが実感できた。」とも彼は感想を述べています。2年ほど前にハマっていた本、"What Shall I do with my life?”(「このつまらない仕事を辞めたら、僕の人生は変わるのだろうか」)(変な邦題!)の著者ポー・ブロンソンも「それまでジャーナリストとして何か変わった物語、ネタをいつも捜し求めていた。しかしこれまで目も向けなかった『普通の』人達の語をじっくり聞いてみると、それらひとつひとつがかけがえのない物語であることがわかった。探し回らなくても目を向けさえすればこの世は素晴らしい物語で満ちているのだ。」と書いていましたっけ。あなたはどんな物語を持っていますか?

まだまだこの本について、事件について、宗教観について語りたいことがあるのですが、勉強しなくちゃいけないので、パート2をお待ちください・・・
(英語訳もお待ちください・・・)

翻訳の神様、どこ?

2006-04-26 | 本の葉
前回の「靴下効果は温泉効果!?」に、翻訳についてのこんなコメントがついておりました。

「村上春樹はこっちでも翻訳されて高い評価を受けてるよねえ。英語が母国語の人が読んでも、同じように彼の紡ぎ出す物語の倍音が体に残っていくんだろうか。その辺、翻訳の巧みさにもよるんだろうけど。翻訳でもある意味ルーブリックが通じないとこあるよね。意味を完璧に訳して、文法も流れもスムーズにまとめられていても、なんだか心に残らない。原文の魅力が伝わらないことがある。ふと思ったけど、聖書ってとんでもなく翻訳が難しい書物かもね。」

前にもちょっと触れましたけど、私のアメリカ人の友達で大学教授に熱く勧められたのをきっかけにハルキストになった人がいます。それで私も彼女から英語訳を借りて読んだりしましたが、結構雰囲気は残っているものですね。原文と並べて綿密に比べたわけじゃなく、あくまで前に日本語で読んだ時の読後感と英語で読んだ時のそれの色と密度が等しく感じただけですけど。ところで、村上春樹ときて翻訳といえば、「翻訳夜話」という本が絶対的に面白い!数年前に父に買ってもらい、翻訳・通訳をしていたN子ちゃんに貸して、N子ちゃんからは「神の子どもたちはみな踊る」を貰って・・・(すいません、内輪ネタです。)そうですね、技術的な面についても言及はあるけれど、それより翻訳という作業のメンタルな部分についてパブリックに、そしてパーソナルに村上氏と柴田元幸氏が深く楽しく語り合っていて、とても興味深い本でした。

幾つか抜粋させて頂くと・・・ (全部、村上さんの方の発言ですが)

「・・・そこ(翻訳すること)には何にもまさる無形の報いがあるように、僕には感じられる。いささかオーバーな物言いをすれば、どこか空の上の方には『翻訳の神様』がいて、その神様がじっとこちらを見ているような、そういう自然な温かみを感じないわけにはいかないのだ。」5頁

「僕が翻訳をやっているときは、自分がかけがえがないと感じるのね、不思議に。・・・結局、厳然たるテキストがあって、読者がいて、間に仲介者である僕がいるという、その三位一体みたいな世界があるんですよ。・・・かけがえがないというふうに自分では感じちゃうんですよね。一種の幻想なんだけど。・・・自分が何かの一翼を担っているという感触がきちっとあるんですね。誰かと何かと、確実に結びついているという。そしてその結びつき方はときとして『かけがえがない』ものであるわけです。少なくとも僕にとっては。」26頁

「なぜ(翻訳をすることを)求めるんだろうというと、・・・僕は文章というものがすごく好きだから、優れた文章に浸かりたいんだということになると思います。それが喜びになるし、浸かるだけじゃなくて、それを日本語に置き換えて読んでもらうという喜び・・・紹介する喜びというものもあるし・・・」110頁

「(写経について)しかしそうすることを通して結果的に、・・・人々は物語の魂そのもののようなものを、言うなれば肉体的に自己の中に引き入れていった。魂というのは効率とは関係のないところに成立しているものなんです。翻訳という作業はそれに似ていると僕は思うんですよね。翻訳というのは言い換えれば『もっとも効率の悪い読書』のことです。でも実際に自分の手を動かしてテキストを置き換えていくことによって、自分の中に染み込んでいくことはすごくあると思うんです。だから、その染み込み方をどのように切実に読者に伝えられるかということが、僕は翻訳にとっていちばん重要なことじゃないかと思うんです。」111頁

「魂というのは効率とは関係のないところに成立しているもの」 いい言葉だなぁ。

さてさて、翻訳というのかわからないんですけど、詩を日本語で書いて英語で書き直したり、その逆をやったり、ということは多くあります。基本的に日本語と英語をワンセットとして揃えときたいので。でも訳しているっていうより、また新たに書いてる感が強いかな。「母国語でない言葉で書く詩は嘘だ」とツェランは言ったそうですが、私はそうは思いません。プロセスにおいて利き手じゃない言語の不器用さを感じる事もあるし、出来上がった詩も少し不恰好なんですけど、それはそれで愛着がわくってもんです。ちなみに私は日本語で書いて英語に訳す方が、その逆よりは多いのですが、どちらが先にしても訳す方が難しいかも。訳のほうがなかなかしっくりいかない。意味的にはちょっと離れても、響きが詩的になる方を選ばざるをえなかったり。だから二つの詩は一卵性双生児みたいにはなれない。ちゃんとピンでもその言語で詩として成り立つように、オリジナルとは別個の新しい詩を造りあげる心持ちでやりますが、内容的にあんまり原詩を裏切ってもいけないので、ここそことお伺いを立てて気を使うんですよね。「こんなんでよろしいでしょか?」みたいに。もともとは自分が書いたものなんだけど、いったん原文を書いた自分とは離れて、テキストと対話しているな。で、たまに「何が言いたかったんでしたっけ?」って原作者(自分じゃん)に訊きに行くけど。

だけど「あれ、訳のほうがいいんちゃう?」てなこともたまにあります。そんじゃあ、ってオリジナルの方を手直しするとか。「あんたも負けてられんよ」ってね。二つの言語で書かれた詩は、お互いを意識し合う良きライバルみたいなもんですかね。(これがバイリンガリズムの醍醐味かも?)そういえば日本語と英語の詩を同時進行で書いたことはないなあ、一つの詩の中で両方交互に使うとか。それも面白そう!?

「博士の愛した数式」と十字架

2006-02-04 | 本の葉


いい本を読みたいなぁ、と願っていると本のほうからやって来てくれるものらしい。最近友達になった子も本虫さんらしいので、今まで読んだうちで一番好きな本は何かと聞いたら、即座に「博士の愛した数式」と教えてくれた。すると、昨日「渡したいものがあるんです」といってその本を私にくれたのでびっくり。(Aちゃん、送って下さったNさん、ありがとうございました!)早速、一気に読んでしまった。本の中は独特の世界で、そこでの時間の流れは緩やかで暖かく、それに身を任せるのは心地よかった。いつもは平気でしている斜め読みもおこがましく思え、連なるページを一枚づつ味わなければ勿体無い気持ちになった。私は、プロットに引っ張られる話より、あたかもどこかに実在しているような、でもそこにしかいない登場人物、そこに描かれた情景の雰囲気、言葉の選び方やそのリズムなど要素に惹かれるので、すっかりこの本にハマってしまった。読後、車を運転したのだが、現実の世界に戻ってきたのにまだ体がしっくりとせず、一瞬どっちの車線を走ったらいいのかわからないほどだった。(危ない、危ない。)

それは、80分しか記憶の持たない数学博士と彼の家政婦とその息子の物語。博士は、家政婦に直線を引かせて、こう語る・・・(以下抜粋) 「そうだ。それは直線だ。君は直線の定義を正しく理解している。しかし考えてごらん。君が描いた直線には始まりと終わりがあるね。・・・本来の直線の定義には端がない。無限にどこまでも伸びてゆかなけれればならない。しかし一枚の紙には限りがあるし、君の体力にだって限界があるから、とりあえずの線分を、本物と了解し合っているに過ぎないんだ。更に、どんなに鋭利なナイフで入念に尖らせたとしても、鉛筆の芯には太さがある。よってここにある直線には幅が生じている。面積がある。つまり、現実の紙に、本物の直線を描くことは不可能なのだ。・・・真実の直線はどこにあるか。それはここにしかない。」博士は自分の胸に手をあてた。・・・「物質にも自然現象にも感情にも左右されない、永遠の真実は、目にはみえないのだ。」

そういえば私の胸の中にも、まっすぐにのびる二本の直線のイメージが、ここしばらくの間、あるのだ。それは十字に交わり、縦横に無限にのびている・・・ 先週の土曜日にクリスチャンの集まりで、十字架の縦の線は自分と神様との天へ向かうつながりで、横の線は自分と人との地上のつながりを表している、という話を聞いた。現実の生活という紙上に現れている線には限りがあって、それはとぎれとぎれになっているような気さえ、時々する。私の限界によって「とりあえずの線分」になっている。でも、胸の中の線のイメージはすぅーっとまっすぐにどこまでものびているのだ。何にも左右されない真実、それは縦と横にのびる線には切れ目もなく、終わりもない、ということなのだ。博士は私に教えてくれた。「神様の手帳」にはすでに真実が描かれていて、私達はそれを写し取っていくだけなのだ、ということを。

余談になるが、昔TVでこの本の著者の小川洋子さんを見たことがある。確か、爆笑問題の二人が司会する本に関する番組で、「大人の哀しみ」についてのトークをされていて、なかなか興味深かったのを覚えているなぁ。

本乃葉虫子の生活

2006-01-30 | 本の葉
ある本に書いてあった、あるユダヤ人の考えさせられる言葉です。

「本をその表紙で判断してはいけない」ということわざがある。しかし、私はさらに、社会的なことに関しては「本をその中身で判断してはいけない」と言いたい。本はそれが引きおこす結果-人々にどういう影響を与えるか-で判断しなければならないのだ。

私は子供の頃から母に「本野虫子ちゃん」と呼ばれるほど本好きでしたねぇ。(今じゃほとんど「積読屋」ですが・・・)それらの本達に影響されたことは言うまでもありません。小学生の頃、私の作文を読んだ担任の先生が一言、「今、あなた宮沢賢治読んでるでしょう。」いい意味でも悪い意味でも、影響されやすいんですね。(やっぱところてんつきだわ)

大人になってからは、フィクション以上にセルフヘルプ系の本をよく読むようになりました。「どうやったら時間を有効に使えるか」とか「整理整頓するための本」とか「生き方についての本」とか「コミュニケーションスキル本」とか「恋愛のための本」とか。より良いクリスチャン・ライフのための本も結構読みましたよ。「とりなしの祈り」とか「宣教」とか「みこころを知る」とか「聖い生活」とかその辺りの。でも読後に自分がそんなに変わったかというと・・・うーん、微妙。どんな本なのか人に説明はできても、自分自身が「そうだよな~!」と感銘を受けていても、実際の生活はそんなに簡単には変わらないのです。本がその内容ではなく、それが引きおこす結果、読者への影響力で判断されなければならないとしたら、星二つくらい減らさなきゃいかんわ。でもそれは本が悪いのではなく、私の意志が弱いだけかも・・・ しかし聖書はやっぱ別格ですよ。ディボーションであんまり意味がわからなかったとしても、なんだか聖書読んだ日は読んでない日と違うぞな。

ところで嬉しいことに最近、本虫仲間が増えまして、"Let's swap!"って本を交換してます。アメリカ人のクラスメイトで熱烈な村上春樹ファンがいて、英語パージョンを取りかえっこしたり、(私はファンではないけど、一部の表現方法が好きなだけ。でも彼のエッセイは面白い)別の友達とも本の嗜好が近いことがわかり、クリスチャンライフ系の本を貸し合ったりしてます。せっかくブログやってることだし、ここでも本野虫子改め本乃葉虫子の感想をシェアしていこうかな。皆さんの「こんな本はいかが?」的なコメントも大歓迎です! 一緒に「本の葉」をかじって大きな虫、いえいえ美しい蝶になりましょう!

パパラギ

2005-08-31 | 本の葉
今回の日本での休暇中、「最近読んで面白かった本を3冊あげてみて」と母の教会の友人に聞かれました。(入試や入社の面接みたい?)そのうちの一冊、読んでもう数ヶ月たつのにいまだ影響を受けているのが「パパラギ」です。(本を置いていってくれたNさん、ありがとう)ずいぶん昔のベストセラーらしいのですが、自分とってはまだ世の中の誰にも読まれていない私宛の手紙みたいに感じられました。そういえば、ベストセラーとか流行りモンにはなんか抵抗があって、ひと段落してからじゃないと読まないモームのような傾向が私にはあるな。何とはなしにふと出会って意外に感動、って方が人生おいしいじゃないですか。しかし沢山の人を惹きつけてきた本の中にはやはり個人的にも好きなものが多いんですよ。(病院で死ぬということ、五体不満足、夜と霧、星の王子様、ノルウェイの森など。だけどセカチューはまだ読めない)何故かちょっと悔しいけどね、みんなもすでに読んでると。まぁ、沢山の人に読まれるからってそのぶん自分の分け前が減るとか、内容が薄められるとか、自分の受信アンテナが弱ってるって訳じゃないんですが。読む人が増えるのが嫌なんじゃなくて、ただ個人的にぽっかり出会って、密かに読んで気に入って、それで大事な打ち明け話のように個人的に好きな本を勧めていきたい、っていうささやかな欲望(?)があるみたい。おかしなもんですね。

そうそう、「パパラギ」の話でした。パパラギとは白人、または文明人を指す言葉で、私たちから見れば「原始的」生活をしている国の酋長が、文明社会に毒されないように仲間に呼びかけているものです。最近は絵本版も出ていますが(可愛いよ)、これには神さまについての部分が省略されています。(Too bad!)パパラギなる宣教師達にキリスト教を学んだサモア人達でしたが、やがて彼らの本質を見破る事になるのです。ここのくだりは自分にも耳が痛い部分がありました。魂を伴わない形だけの宗教は人を救わない、ということなんです。

「パパラギの宣教師は、私たちにはじめて神とは何かを教えてくれた。そして宣教師が誤まれる偶像と呼んだ私達の古い神々から、私たちを遠ざけてくれた。偶像の中に本当の神はなかったのだ。こうして私たちは、夜の星を、火と風の力をあがめるのをやめ、彼に教えられた神、天の大いなる神へ目を向けた。」
「愛する兄弟達よ、もし、私たちが神さまと同様にあがめ、尊び、最愛のものとして胸に抱くものを偶像というなら、パパラギは今、むかし私たちが持っていたよりも、ずっとたくさんの偶像を持っている。」
「私がこう言っても、神さまはお怒りにはならないと思う。私たち島の子は、まだ星や火をあがめていたころでも、今のパパラギより卑しくはなかった。なぜなら私たちが心卑しく、闇の中にうずくまっていたのは、光りを知らなかったからだ。だがパパラギは光りを知っていながら、闇の中に生き、心卑しい。」
「彼らの心と愛は、神さまにではなく、ただいろいろの「物」に、丸い金属と重たい紙に、快楽の思いや、いろいろの機械の前にひざまずいている。…神さまはもう遠くへ遠くへ行ってしまわれた。」

さて、子供の頃のように久しぶりに読書感想文でも書きたくなりました。この本が手紙のように感じられたので、手紙で返事を書く事にしましょうか。


南の島の酋長ツイアビさんへ

有難いお話をありがとうございます。
もしも私が子供の頃に「パパラギ」を読んだなら
ひとっとびであなたの国に移り住んだことでしょう。
そこで明るい太陽のもと、歌い踊り働き、
大地を裸足で駆け回ったことでしょう。
いまだにそれを願う自分があることも事実です。

だけれど今、あなたの国に移り住むには
私はここで年を取り過ぎ、このパパラギの世界に
毒され過ぎてしまったかもしれません。
知識のむしろをかじるのも好きだし、
職業を持つことを誇りに思うし、
子供たちを教育したいと望んでいるし、
丸い金属と重たい紙も大事になっているのです。

しかし今でも、あなたの国の方が
パパラギの国より羨ましいことがあります。
石の箱がびっしり並んだ所は好きでないし、
時間を切り刻んで追いかけるのは苦手だし、
友だちとのんびりおしゃべりをしたいし、
神さまをうわべだけでなく心から崇めたいのです。

そしてあなたの国の話は、
私が忘れかけていた
大事な何かを思い出させてくれました。
仲間を大切にすること。
欲張らないこと。
生きる喜びを感じること。
神さまに感謝すること。
あなたの国に暮らすことが出来なくても、
同じ心で生きられたらと願います。

あなたの同胞への訴えは、
はたから見るとパパラギの暮しかたは
こっけいで愚かしいものかもしれない、
生まれた時からこの社会で生きてきた私に、
そう気づかせてくれました。
あなたの国に暮らすことが出来なくても、
今生きているこの場所で
あなたの国から吹いてくる風を
感じられたらと願っています。

南の島の酋長ツイアビさん、
どうかいつまでもお元気で
この地球のどこかで
あなたの国を
守り続けてくださいね。

なりかけパパラギより