言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

あなたとわたしのアンダーグラウンド (1)

2006-04-30 | 本の葉
期末が近づいているというのに、本が私を呼んでいるので困ります。去年の夏に買って、「分厚いから時間のあるときに読も。」と思っていたのに、最近手をつけちゃったんですよ。あらら、そしたら毎日読むのが習慣になってしまった・・・そしてついに一昨日読み終わりました!(これで勉強に専念できる?)11年前に起こった地下鉄サリン事件の被害者の方へのインタビューをもとに書かれたノンフィクション「アンダーグラウンド」。色々と考えさせられた作品でした。

1995年3月20日といえば、私がまだカルフォルニアで大学生の頃。この地下鉄サリン事件に限らず、日本のニュースをテレビやインターネットなどで目にすることもなく、家族に電話で教えてもらっていた時代でした。今は自分でネットから情報収集しますが、それでも海外で記事を読むだけなのと、実際にリアルタイムでその社会の中に生きているのとは違うことをよく感じます。このオウム関連の事件に関して言えば、アメリカでもメジャーな雑誌に取り上げられていたし、友達にも質問されたのを覚えています。それから日本のクリスチャンの知り合いが「伝道がしにくくなった・・・」とぼやいていたのも。(やっぱり宗教アレルギーの人が増えましたものね。)しかし、「ひどい事が起こったものだ!」とは憤慨はしたものの、本当は何が起こったのか、それが何を意味していたのか、そしてそれが自分とどう関連があるのか、そこまで考えてはいなかったし、事件の重みを肌身に感じていなかったのです、当時の私は。

この本の著者、村上春樹氏(最近このブログに出ずっぱり?)がこの本を書く動機として、「そこで本当に何が起こったのか?」という問いと、そして更なる深層心理に「より深く日本を知りたい」という欲求の二つがあったといいます。メディアが伝える事件ではなく、オウムという組織についての報道ではなく、もしそこに自分が遭遇していたら体験していたのかもしれない、人々が見たもの、とった行動、感じたもの、そして考えたことを知りたかったのだと。また当時、村上氏はしばらく日本を離れて暮らしていて(今もか)、アメリカから一時帰国していた時に突然(のように感じた)日本でこのような事件が起こった事に戸惑いと違和感を覚えたそうです。ちょうど、「自分が社会の中で与えられた責務を果すべき年代にさしかかっている」と感じ、「そろそろ日本に帰ろう」と彼が思っていた矢先にこの恐ろしい事件は起きた・・・のでした。

全く同じ感覚ではないかもしれませんが、彼にとって動機となった何かが私にも少しわかるような気がします。休暇中日本に帰り、東京で満員電車に揺られてもそこに人の群れを見ただけで、そこにいる様々な世代の人間の暮らしや状況に、自分は思いを馳せたことはなかった。一対一のインタビューでほとんどが成り立っているこの本を実際読んで、今までよく知らなかった日本の社会の一端を担って暮らしている方達に次々と出会っているような感覚がありました。中学校の時までしか日本に住んでいない私にとって、日本の大人の社会はある意味、未知のものなのです。違う時代に生まれ、違う故郷に育ち、違う暮らしを営んできた人々の人生が、同じ日に同じ事件を体験するという一点で交差した・・・その一点だけにフォーカスするのではなく、そこから過去、現在、未来へと無数に伸びている人々の人生、そしてその向こうに浮かび上がる日本の社会を垣間見させてもらった気がします。

あの日、地下鉄で働いていた方や地下鉄に乗り合わせた人々、その家族等62人のそれぞれの生い立ちから現在に至るまでの話、事件の時の体験、そしてその後の生活についての語りに耳を傾けていくなか、私もその「現実に生きている人間ひとりひとりの物語に癒された」という村上氏の言葉に共感させられました。「どの人の話を聞いてもその人間性に魅力を感じ、その人たちが送ってきた人生というものに惹きつけられた、ひとたび向き合えば人はそれぞれかけがえがないことが実感できた。」とも彼は感想を述べています。2年ほど前にハマっていた本、"What Shall I do with my life?”(「このつまらない仕事を辞めたら、僕の人生は変わるのだろうか」)(変な邦題!)の著者ポー・ブロンソンも「それまでジャーナリストとして何か変わった物語、ネタをいつも捜し求めていた。しかしこれまで目も向けなかった『普通の』人達の語をじっくり聞いてみると、それらひとつひとつがかけがえのない物語であることがわかった。探し回らなくても目を向けさえすればこの世は素晴らしい物語で満ちているのだ。」と書いていましたっけ。あなたはどんな物語を持っていますか?

まだまだこの本について、事件について、宗教観について語りたいことがあるのですが、勉強しなくちゃいけないので、パート2をお待ちください・・・
(英語訳もお待ちください・・・)

ハッピー☆サバス!(9)

2006-04-29 | 神の葉
「最高の指導者とは一番沢山のしもべを持つ者ではなく、
その人自身が最高のしもべである者です。
天の記録における最高のリーダーは
地上の歴史における最高の従う者でした。」
-詠み人知らず

「彼らは、純潔なものである。
そして、子羊のいく所へは、どこへでもついて行く。」
ヨハネの黙示録14:4

今日の説教は謙遜についてでありました。
学ぶところがありますね...

それでは「従う」週をお過ごしください!

Happy Sabbath! (9)

2006-04-29 | leaves on GOD
“The greatest leader is the greatest servant,
not the one who has the most servants.
The greatest leader in the annals of heaven have been
The greatest follower in the history of earth.”
- Anonymous

“These are the ones who follow the Lamb wherever He goes.”
Revelation 14:4

Today’s sermon was about humility.
That's something to learn....

Have a “following” week!

翻訳の神様、どこ?

2006-04-26 | 本の葉
前回の「靴下効果は温泉効果!?」に、翻訳についてのこんなコメントがついておりました。

「村上春樹はこっちでも翻訳されて高い評価を受けてるよねえ。英語が母国語の人が読んでも、同じように彼の紡ぎ出す物語の倍音が体に残っていくんだろうか。その辺、翻訳の巧みさにもよるんだろうけど。翻訳でもある意味ルーブリックが通じないとこあるよね。意味を完璧に訳して、文法も流れもスムーズにまとめられていても、なんだか心に残らない。原文の魅力が伝わらないことがある。ふと思ったけど、聖書ってとんでもなく翻訳が難しい書物かもね。」

前にもちょっと触れましたけど、私のアメリカ人の友達で大学教授に熱く勧められたのをきっかけにハルキストになった人がいます。それで私も彼女から英語訳を借りて読んだりしましたが、結構雰囲気は残っているものですね。原文と並べて綿密に比べたわけじゃなく、あくまで前に日本語で読んだ時の読後感と英語で読んだ時のそれの色と密度が等しく感じただけですけど。ところで、村上春樹ときて翻訳といえば、「翻訳夜話」という本が絶対的に面白い!数年前に父に買ってもらい、翻訳・通訳をしていたN子ちゃんに貸して、N子ちゃんからは「神の子どもたちはみな踊る」を貰って・・・(すいません、内輪ネタです。)そうですね、技術的な面についても言及はあるけれど、それより翻訳という作業のメンタルな部分についてパブリックに、そしてパーソナルに村上氏と柴田元幸氏が深く楽しく語り合っていて、とても興味深い本でした。

幾つか抜粋させて頂くと・・・ (全部、村上さんの方の発言ですが)

「・・・そこ(翻訳すること)には何にもまさる無形の報いがあるように、僕には感じられる。いささかオーバーな物言いをすれば、どこか空の上の方には『翻訳の神様』がいて、その神様がじっとこちらを見ているような、そういう自然な温かみを感じないわけにはいかないのだ。」5頁

「僕が翻訳をやっているときは、自分がかけがえがないと感じるのね、不思議に。・・・結局、厳然たるテキストがあって、読者がいて、間に仲介者である僕がいるという、その三位一体みたいな世界があるんですよ。・・・かけがえがないというふうに自分では感じちゃうんですよね。一種の幻想なんだけど。・・・自分が何かの一翼を担っているという感触がきちっとあるんですね。誰かと何かと、確実に結びついているという。そしてその結びつき方はときとして『かけがえがない』ものであるわけです。少なくとも僕にとっては。」26頁

「なぜ(翻訳をすることを)求めるんだろうというと、・・・僕は文章というものがすごく好きだから、優れた文章に浸かりたいんだということになると思います。それが喜びになるし、浸かるだけじゃなくて、それを日本語に置き換えて読んでもらうという喜び・・・紹介する喜びというものもあるし・・・」110頁

「(写経について)しかしそうすることを通して結果的に、・・・人々は物語の魂そのもののようなものを、言うなれば肉体的に自己の中に引き入れていった。魂というのは効率とは関係のないところに成立しているものなんです。翻訳という作業はそれに似ていると僕は思うんですよね。翻訳というのは言い換えれば『もっとも効率の悪い読書』のことです。でも実際に自分の手を動かしてテキストを置き換えていくことによって、自分の中に染み込んでいくことはすごくあると思うんです。だから、その染み込み方をどのように切実に読者に伝えられるかということが、僕は翻訳にとっていちばん重要なことじゃないかと思うんです。」111頁

「魂というのは効率とは関係のないところに成立しているもの」 いい言葉だなぁ。

さてさて、翻訳というのかわからないんですけど、詩を日本語で書いて英語で書き直したり、その逆をやったり、ということは多くあります。基本的に日本語と英語をワンセットとして揃えときたいので。でも訳しているっていうより、また新たに書いてる感が強いかな。「母国語でない言葉で書く詩は嘘だ」とツェランは言ったそうですが、私はそうは思いません。プロセスにおいて利き手じゃない言語の不器用さを感じる事もあるし、出来上がった詩も少し不恰好なんですけど、それはそれで愛着がわくってもんです。ちなみに私は日本語で書いて英語に訳す方が、その逆よりは多いのですが、どちらが先にしても訳す方が難しいかも。訳のほうがなかなかしっくりいかない。意味的にはちょっと離れても、響きが詩的になる方を選ばざるをえなかったり。だから二つの詩は一卵性双生児みたいにはなれない。ちゃんとピンでもその言語で詩として成り立つように、オリジナルとは別個の新しい詩を造りあげる心持ちでやりますが、内容的にあんまり原詩を裏切ってもいけないので、ここそことお伺いを立てて気を使うんですよね。「こんなんでよろしいでしょか?」みたいに。もともとは自分が書いたものなんだけど、いったん原文を書いた自分とは離れて、テキストと対話しているな。で、たまに「何が言いたかったんでしたっけ?」って原作者(自分じゃん)に訊きに行くけど。

だけど「あれ、訳のほうがいいんちゃう?」てなこともたまにあります。そんじゃあ、ってオリジナルの方を手直しするとか。「あんたも負けてられんよ」ってね。二つの言語で書かれた詩は、お互いを意識し合う良きライバルみたいなもんですかね。(これがバイリンガリズムの醍醐味かも?)そういえば日本語と英語の詩を同時進行で書いたことはないなあ、一つの詩の中で両方交互に使うとか。それも面白そう!?

靴下効果は温泉効果!?

2006-04-23 | 今の葉
最近の談話分析のクラスで、「生徒の作文をどのように評価するか」というトピックがあり、それぞれが英作文担当の教授にインタビューしてくることになりました。なるべく客観的、そして公平な評価が出来るようにと、ほとんどの教授がルーブリック(評価表)を使っています。
例えば、
内容。。。20%
構成。。。20%
文体。。。20%
思考の流れ。。。20%
文法・スペリング・句読点。。。20%
こんなのをもとに点をつけているわけです。(教授によって色々違うけど)

でもあるクラスメイト曰く、「私は今学期、フレッシュマン・コンプ(大学一年生必須の作文クラス)教えていて思うんだけど、こういう評価表によれば100%取れる作文でも、いい作文とは言えない、なにも惹かれるものがない文章ってあるよね。」あるあるある!すると教授も、「そうなのよね、だから私はSox Effect (靴下効果)という項目も設けて3%あげていたわ。」「何ですか、そのSox Effect って?」と私。「あら、それは英語のイディオムで、なにかがあんまり素晴らしくて驚く時、『靴下が飛んでいく』(knocks my socks off) と表現するのよ。」はぁ~、靴下ポーン!点ですか...でも全ての書き手が、全ての作品で、全ての読み手の靴下をぶっ飛ばせるものを生み出せるわけじゃないし、難しくありません?読み手の好みもあるし、かなり主観的な評価になっちゃうし。だから3%なのかな?

そこで、先週も引用させてもらった内田先生のブログ(最近、ハマってます)の話を思い出しました。そこに、村上春樹x柴田元幸の雑誌の対談の一部が載っていたので、またまた引用させて頂きます。村上氏、物語についてこう語ります。

「極端なことを言ってしまえば、小説にとって意味性というのは、そんなに重要なものじゃないんですよ。大事なのは、意味性と意味性がどのように呼応し合うかということなんです。音楽でいう「倍音」みたいなもので、その倍音は人間の耳には聞き取れないだけれど、何倍音までそこに込められているかということは、音楽の深さにとってものすごく大事なことなんです。

温泉のお湯につかっていると身体が温まりやすいのと同じで、倍音の込められている音というのは身体に残るんです。フィジカルに。でも、それがなぜ残るかというのを言葉で説明するのはほとんど不可能に近いんです。それが物語という機能の特徴なんですよね。すぐれた物語というのは、人の心に入り込んできて、そこにしっかりと残るんだけど、それがすぐれていない物語と機能的に、構造的にどう違うのかというのは、ちょっと言葉では説明できない。」

この話をクラスでさせてもらったら、みんな納得している風でした。(ありがとう村上さん!)教授は「その作家はうまいことを言ったものね。理論的に説明できない時、人はたとえを使うのよねぇ。」と言っていました。それからこの授業の後も、私はしばらくこの「温泉効果」について考えていました。物語に限らず、「本物」と呼ばれるものには言葉では説明できない何か、があって、人の心に残る暖かさや振動があるのでは?それは絵画や音楽などの芸術作品であったり、ある体験や人間や思想であったりするのかも。もしそうならば、私の今までの人生は温泉効果のある作品や、人との出会いや、体験や、教えに恵まれていたな。感謝ですね。温泉につかるだけじゃなく温泉の源泉を心に持って、温泉効果のある人生を送りたいものです。靴下だけではなく服もふっ飛ばして、温泉を楽しんで頂けるような...(おいおい)

Sox Effect = Hot Spring Effect

2006-04-23 | leaves on TODAY
For the Discourse Analysis class I'm taking, we were assigned to interview composition teachers to discuss how teachers should evaluate and grade students’ writings. We found that most professors use a rubric in order to grade their students’ works as objectively and fairly as possible. It may look something like this:
Content……20%
Organization……20%
Style/Voice……20%
Flow of thoughts……20%
Grammar, spellings and punctuations……20%

But one of my classmates said, “Since I’ve been teaching Freshman Comp this semester, it puzzles me that some writings are not that great or attractive even though it is 100% perfect according to the rubric.” True, true. Then our professor replied, “That is possible indeed. So I use to give maximum of 3% for the ‘Sox Effect’ points.” “What’s the Sox Effect?” I asked. “Oh, it’s an idiom to express that something is so surprisingly impressive that it knocks your socks off.” So I give it credit for shooting my socks off, I see.

Then I remembered about Mr. Haruki Murakami’s comment on writing quoted in Professor Uchida’s blog. Let me re-quote part of it here.

“In an extreme sense, I say meaning is not so important to a novel. The important thing is, how those meaning and meaning act in concert with each other. It’s like harmonic overtone in music which is not heard by human ears, but the depth of music depends on how many overtones are there hidden.

“Natural hot springs can warm up a body more easily, so can sounds with harmonic overtones linger within the body. I mean physically. But it is impossible to logically explain why it lingers so. That’s the characteristic of how a good story functions. A high-quality story enters into people’s hearts and stay there well. Yet, it is hard to explain with words how such a story differs from not so-high-quality stories functionally and structurally.”

So I shared this metaphor in class and it seemed to have made sense for everyone. (Thank you, Mr. Murakami!) My professor commented, “That novelist put it well. When we can’t quite explain something logically, we use metaphors.” Since then, I’ve been contemplating on the “hot spring effect” for a while. I wonder, is it only for a story or can other “authentic” thing contain unexplainable elements causing lingering warmth or liberation within us? It may be a painting, music, or any other forms of art. It may be an experience, a person, or an idea. If so, my life have been blessed with artworks, people, experiences, and teachings with the hot spring effect. So I am very grateful. Now, instead of just sitting in the hot spring, but I must have the springhead in my heart, living a life with hot spring effect. Not only your socks, but it will also knock your clothes off so you can enjoy the hot spring. (Watch out!)

ハッピー☆サバス!(8)

2006-04-22 | 神の葉
「孤独は、非常に願わしい状況となりえる。
人は静けさの内で、自分自身に耳を傾け、
静寂の内に、神の声さえ聞くかもしれないのだから。」
-マヤ・アンジェロウ

「静まってわたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、
全地にあがめられる。」

詩篇 46:10

「静かな」一週間をお過ごしください!

Happy Sabbath! (8)

2006-04-22 | leaves on GOD
“Solitude can be a much-to-be-desired condition.
In silence we listen to ourselves,
and in the quietude we may even hear the voice of God.”
- Maya Angelou

“Be still, and know that I am God;
I will be exalted among the nations,
I will be exalted in the earth!”
Psalm 46:10

Have a “quiet” week!

ハッピー☆サバス!(7)

2006-04-15 | 神の葉


「痛みがなければ、シュロの葉もない。
イバラがなければ、王座もない。
苦しみがなければ、栄光もない。
十字架がなければ、冠もない。」
-ウィリアム・ペン

「わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、
彼と共に葬られたのである。
それは、キリストが父の栄光によって、
死人のなかからよみがえらされたように、
わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。」
ローマ6:4

今日は献身的な若い青年のバプテスマと、
イエス・キリストの生き様、死、そして甦りを
見ることができました。

「新しい命にあふれた」一週間をお過ごし下さい。

Happy Sabbath! (7)

2006-04-15 | leaves on GOD


“No pain, no palm; no thorns, no throne;
no gall, no glory; no cross, no crown.”
- William Penn

“We were therefore buried with him through baptism into death
in order that, just as Christ was raised from the dead
through the glory of the Father, we too may live a new life.”
Romans 6:4

Today, I was able to witness a baptism of a dedicated young man
and a life, death, and resurrection of Jesus Christ!

Have a “new-life-ful” week!

騒がしい詩

2006-04-10 | 詩の葉
子供の頃から詩を書くことが好きでしたが、振り返ってみると、10年前にアフリカへ行った頃から頻繁に詩を書くようになったと思います。誰に読んでもらうというのでもなく、いわば日記を煮詰めたみたいなもんでしたけど...しかしある時、私をよく知るある人に自作の詩を読んでもらう事にしたのです。(当時の自信作で、めちゃめちゃ長かった!)するとその人は一言、「あなたの詩は自我でいっぱいだね。」その時は、「なんじゃその批評は!?」と思ってしまったのですが、今となるとわかるなぁ。実は最近、あるブログを読んでいて、あの辛くも真実をついていたコメントを思い出したのです。

以下は、そこに載っていた谷川俊太郎さんの言葉の抜粋です。

「詩のことばが作品として成立しているかどうかは、ほとんど直感で判断するしかないんだけれど、ひとつには、そのことばが作者を離れて自立しているかどうか。そのように自立したことばというのは、書いた人間の騒がしさから離れて、たとえどんなに饒舌に書かれていても、ことば自身が静かになってそこに在る。

逆に、たった三行の詩でも、騒がしい詩というのはあります。詩というのは、いわば芸がないと成立しないもので、ほんとうは、芸があって、ことばが自立しているほうが、実際には他者にはよく伝わるはずなんです。『自分はこんなに苦しんでいるだ』ということをいうだけでは、意外に他者には伝わらないものです。いま、だれもが『オレが、オレが』と自分を表現しようとしていることが、たぶん騒がしさのいちばんの源なんじゃないでしょうか。

じゃあ、騒がしくないことば、沈黙をどこかに秘めたことばとはどういうものかを考えたときに、それは個人に属しているものではなくて、もっと無名性のもの、集合的無意識のようなところから生まれてくるものだと、ぼくは思う。」

いやぁ、あの頃は「騒がしい詩」を書いていたんですね。今だって静かというわけじゃないですが、あの頃は「私が!私が!」の大コーラスだったわ...言葉とは自分の意思や感情を伝達するためにのみ発せられるのではなく、人の意思や感情を引き出して包むスペースを創るためにもあるんですよね。詩だけじゃなく日々の生活の中でも、ついつい騒がしい言葉を使い、騒がしい態度で暮らしているので、反省!(ブログも騒がしかったら、すいません。)結局、生き方が反映されるんでしょうね...言葉は生ものですから。その生き方については、またまた最近読んだ別のブログで感銘を受けたので、読んでみてください。->「人を祝福するために生きる」 私も人を祝福するために生き、blessful な詩や絵やブログを創っていきたいなぁ。。。

A poem too noisy

2006-04-10 | leaves on POETRY
I’ve always enjoyed writing poems, but as I look back, I really got into it since I went to Africa ten years ago. But they were written for nobody, kept only to myself, like a boiled-down diary.... Well, one day, I decided to have my mom look at one of my poems. (It was my proud piece - a very, very long one.) After reading, she simply commented, “Your poem is full of ego.” At that time, I was like, “How critical!” But now I understand what she meant. A blog I read recently brought it right back to my mind - her remark, so sharp, yet so truthful.

In this blog, a part of Shuntaro Tanikawa’s dialogue on poetry was quoted. Let me try to translate his words here.

“It’s only by my guts I can tell if words in a poem are established as a piece of artwork. One thing is that those words must stand independently apart from their writer. No matter how chattery the words are, such independent words set themselves apart from the writer’s noise, settling quietly on their own.

There are poems with only three lines that are too noisy. The poem does not work well without artistry, so the independent words crafted with artistry can convey themselves more effectively to their readers. Merely saying, “I’m suffering so!” does not communicate the essence of suffering to the audience as much as you’d think. The main source of noise today is that everyone is trying to express themselves, crying out loud, ‘I this, I that!’

In contrast, noiseless words or words with silence within are born from anonymity, a kind of collective unconsciousness, instead of belonging to a particular individual, I think.”

So now I realize I was writing poems too noisy. Not that they are so quiet now, but they were shouting, “I this, I that!” chorus back then.... Words are not only produced to convey our ideas and emotions for ourselves, but also to create space where others’ ideas and emotions can be brought out and be wrapped up. Not only my poems, but in my everyday life, I use noisy words with noisy attitude, so I’m sorry. (sorry if this blog has been noisy too.) I guess my way of living is reflected.... Words are such a raw property. I was struck by reading another blog, of a Christian music teacher, on the way of living. To sum it up, he was quoting E.G.White, “Jesus lived for this purpose since His childhood, to bless others in His life,” and how a principal at his Christian school made that his motto in his youth. I too, aspire to live to bless others, create blissful poems, drawings, and a blog....

ハッピー☆サバス!(6)

2006-04-08 | 神の葉


「神さまからの風は常に吹いています。
でも、帆を立てるのはあなたなのです。」
-詠み人知らず

「また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、
そのうしろで『これは道だ、これに歩め』
という言葉を耳に聞く。」
-イザヤ31:21

今週は、とっても御言葉に励まされ、慰められました。。。

「導かれる」一週間をお過ごしください!

Happy Sabbath! (6)

2006-04-08 | leaves on GOD



“The winds of God are always blowing,
but you must set the sails.”
- Anonymous

“Whether you turn to the right or to the left,
your ears will hear a voice behind you, saying,
‘This is the way; walk in it.’”
- Isaiah 30:21

This past week, I was really encouraged & comforted by His words.

Have a “guided” week!

パッション 2006 に行こう!

2006-04-07 | 今の葉


4月といえば、イースター。イースターといえばパッション!パッションといえば、メル・ギブソンの映画が記憶に新しいと思いますが(古いか)、そのパッションが生で見れちゃいます!私の大学では毎年この時期になると、受難週のエルサレム入城から、最後の晩餐カルバリー、そして復活までのキリストの様子を、野外劇で擬似体験することが出来るのです。当時の食べ物(試食OK)や動物(本物のラクダも登場)が楽しめる過ぎ越しの祭や、映画版ほどグロくない十字架のシーン、感動の復活の場面など、90分間見所いっぱいです。無料(ただしチケットが必要)で子供から大人まで楽しめますので、近く(ミシガン近辺)にお住まいの方は是非!いらして下さい。

スケジュール
日:2006年4月15日(土)
時間:最初のグループは1:45 p.m.から。
2:30 p.m.からは30分おきにスタート。
最後のグループは7:00 p.m.から。

日:2006年4月16日(日)
時間:最初のグループは11:30 a.m.から。
その後は30分おきにスタート。
最後のグループは5:30 p.m. から。

ますます興味のある方はこちらをクリック! -> PASSION 2006