言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

心を照らす質問力

2008-12-03 | 言の葉
人との会話の中で「質問力」って、けっこう大事ですよね。私のESLの初歩会話のクラスでは、「時と場合に応じた英語の質問のストックをしとくと便利だよ」ってなわけで、こんなアクティヴィティをしています。

まず紙を三等分に折り、三つの質問欄を作ります。

Step1:初対面/他人用の質問 
ここには初めて会った人に対する質問を書きます。”What’s your name?” “Where are you from?” “What are you studying?” “When did you come to the United States?” のような、当たり障りのない質問を書く生徒が多いですね。

Step 2:数週間後/知人用の質問 
ここにはあまり親しくはない知り合いに対する質問を書きます。 “What did you do this weekend?” “What are you doing for Christmas?” “Where did you buy those shoes?” みたいに、ちょっと踏み込むけど、あんまりパーソナルな粋に触れない程度の質問です。

Step 3:数ヵ月後/友人用の質問 
ここには親しい友人に対する質問を書きます。 ここまでくると、生徒達の個性やお国柄が垣間見れる質問が並ぶもんです。“How are things going with THAT guy?” (どこの国の人も好きな恋バナ♡) “Can I borrow money?” (確かに初対面では聞けないわ。)“Did you take a shower?” しまいには、“You need to take a shower.” (←もう質問じゃないし。)

質問を書き終わったら、最初の5分間は初対面になったつもりで、色んなクラスメイトに質問をしてもらいます。そして次の5分間はStep 2、そして最後の5分間はStep 3というように、相手を変えながら互いに質問をし合い、会話を展開させていきます。たったの15分間で人間関係の発展三段階を早送りで見るようで、傍目にも楽しいアクティヴィティなんですよね~。それにこれ、他にも色々活用できそうっ。例えば…

友達 → 友達以上恋人未満 → 恋人
ノンクリ → 求道者 → クリスチャン

まぁ、ストックに頼り過ぎると会話がマニュアル化しちゃうけど、色んな場面を想像しながら質問力を磨いておくのも悪くないと思います。特に外国語の場合。だけど、純粋に相手をもっとよく知りたい!という気持ちが、人の心に届く質問力の核なんだろうなぁ。

そういえば、司会業が多いSMAPの中居君が質問力について面白いことを話していました。初対面のゲストを相手にトークを展開するのは、知らない家で部屋の灯りを付けるスイッチを手探りで探すようなものだ、と。「この人ならココかな?」ってスイッチを入れて、話題の溢れるアタリ部屋に灯りがついて話が弾むこともあるし、「あれ、あんな所についた!?」ってハズれることもある。最初の1、2分が勝負。なるべく早くスイッチを見つけて、話が弾む部屋を見つけられるのがプロ、だそうな。これには、質問力がモノをいいそうですね。それ以来、私の中でちょっと株が上がった中居君なのであった。(笑)

ところで今年度から、留学生向けのキリスト教入門クラスも教えています。そこで最近、気が付いた事ひとつ。神様って、人が罪を犯した時、まず質問することが多いんですよね。(答えを知っているにもかかわらず。)そう、いきなり責めない。

「どこにいるのか?」→善悪を知る木の実を食べたアダムとエバに向かって。
「あなたの弟はどこか?」→弟アベルを殺したカインに向かって。
「あなたを責める者はどこにいるのか?」→姦淫を犯した女に向かって。
「あなたは私を愛するか?」→イエスを三度否定したペテロに向かって。

神様の質問は、私達の罪深い心の部屋を照らしてくれる。神様と愛の関係にある人はその光に優しさを感じることができるし、そうじゃない人はまるで警察のサーチライトにでも照らされたかのようにびびって攻撃的になったり、逃げたり、いじけたりする。でも、全知全能の神様の質問の核は「あなたをもっと知りたい!」じゃなくって、「あなたに自分で理解してもらいたい」「私に愛させて欲しい」「私に信頼して欲しい」「私に清めさせて欲しい」…なのかも。

私達の質問も優しい灯りとなりますように。

KYに見る日本語簡略化傾向と社会言語学的見解

2008-02-13 | 言の葉
…な~んて、偉そうなお題をつけちゃいましたけど、なんか面白そうなので、最近話題のKYについて考えた事を書きたいと思います。まぁ、流行語の寿命は短いので(特に日本産の)、波紋が広がって岸に着く頃には小石の落ちた所はもう静かになっているように、KYもテレビやブログで取り上げられてアメリカに届いている今頃は、もともとの使用者の間で既に死語になっているものと思われますが… ま、いっか。

KYという簡略語が生まれる前にも、「空気を読む」という日本独特の表現やコンセプトは昔からあったけど、最近になってその能力の重要性がより認識され、あちこちで語られていたように思いますね。(言の葉でも取り上げたし。)きっと「KY」という言葉のための通り道が、日本の社会に、そして日本人の意識の中に段々と造られていたんじゃないかなぁ。そしてニーズが高まったところで「KY」という言葉が生まれ、その通り道を駆け抜けて行ったんじゃないかと。日本にいた訳じゃないので、あくまでも想像なんですけどね。

でも、この十年ぐらいを振り返ってみると、日本の若者達の言葉の簡略化って色々ありましたよね~。「あけおめ」とか「キムタク」とか。こういう前二音節+後二音節な略し方は、英語とかヨーロッパ系言語ではあまりなさそう。(ちゃんと調べたわけじゃないけど・・・あ、Pre-calなんかそうか。)それに「国鉄」や「ごくせん」みたいに日本語オンリーで縮めるだけじゃなく、「メリクリ」とか「ロミジュリ」とか外来語である英語まで縮めちゃうのが面白い。しかも、英語+日本語の短縮形が、この数年でどんどん増えてきた…「ロン毛」「デパ地下」「ワン切り」「チョベリバ」などなど。韓国語でも同じ簡略化パターンがあって、長い足のことを「ロンたり」、短足のことを「ショッたり」と言うそうな。特にアルファベット略語は最近増えてきましたね。古くはH(変態)やGTOや3Kなんてありますけど。そこで日本語俗語辞書でこれまでの流行語を振り返ってみると、2007年になってから、圧倒的にKYを筆頭としたアルファベット略語が増えてるんですよ。CB(超微妙)、PSI(パンツにシャツイン)、H/K(話しは変わるけど)、色々と面白いのがありますね~。

今までによくあった「あけおめ」的略語と「KY」的略語の大きな違いは、元の言葉の見える分量でしょう。「メリクリ」なら頭とお尻が見えるけど、「KY」はイスラム教徒の女性が目だけ見せているみたい。もし、原文を知らない場合、アルファベット略語から原文を想像する方が難しそうだ。「メリクリ」はたぶん知らなくても、だいたい想像がつく。(「メリーさんが栗食べた」かな?とは思わないだろう。)でも、「KY」の場合、「今年もよろしく」「こっち寄るな!」「彼氏と約束」「今夜は焼肉」・・・と際限なく原文の可能性が広がっていくのだ。ということは、その正体を知っている者同士の連帯感を強める効果があるのかも。暗号めいてるし。だからネガティブな表現や陰口とかに使われがちだけど、あえて夫婦や恋人の間とか、仲間内の絆を深めるような、オリジナルなアルファベット略語をどんどん考えるのも楽しいと思います!(marimaさんの御子息作のCT=茶柱たった、なんて和の趣があって素敵。)そうだ、このブログでは「KY」の意味を、「言の葉、読んだ?」にしようかな。

それにしてもなぜに今、アルファベット略語が巷にあふれているのか? 一見正体不明なところがいいのか、それとも一見英語っぽいところがいいのか。実はアメリカでは、この手の略語がものすごく多いんです。若者の間だけではなく、ビジネスの上でもFYI(For Your Information)やASAP(As Soon As Possible)などが、よく使われています。でもやはり、チャットやEメールをする若者の間では、砕けたアルファベット略語が頻繁に使われているんですね~。(ちなみにどこの国でも、一番多くの流行語を生み出すのはティーンエイジャーの女の子の層らしいです。彼女達の前頭葉になにか秘密があるらしい。) LOL(laughing out loud)=大爆笑。MOS(mom over shoulder)=ママが後ろにいるから。CUL8R(see you later)=また後でね。そうそう、クリスチャン系の略語もありますよ。PTL(Praise the Lord)=主をほめたたえよ。WWJD(What would Jesus do?)=ジーザスならどうするかな?PK(preacher's kid)=牧師の子供、など。こちらの小学校では、こういう略語をボードに書いて、原文を当てさせるゲームをしている先生がいましたっけ。聖句とかでも使えそうですよね。

「KYだって?こりゃいかん、日本語が乱れておる!」と思われる方もいるかもしれませんが、言葉は生き物なのでどんどん変わっていくのが宿命だと思います。「変わらない言葉は、死んだ言語だけ。」と教授がよく言っていましたから。もともと中国からやって来た漢字を日本語に取り入れて、時代によって漢音で読んだり唐音で読んだりしていたわけだから、今の時代、英語をカタカナにして取り入れたり、さらにアルファベットを伏字のごとく日本語で読んだりするのも、日本らしい外来語の料理法ではないかと。時代が言葉に反映されていますしね。はたから観察するのも面白いですよ。「これが正しい使い方なのだ!」と用法を押し付ける文法をPrescriptive grammar(規範文法)、「実際にはこうして使われているんだって~。」とあるがままの用例を紹介する文法をDescriptive grammar(記述文法)と呼びますが、どちらがいいと言うより、この両方の感覚が必要なんでしょうね。「正しい」純粋な言葉がチューブの中に守られているからこそ、他の言葉とパレットの上で混ぜて、新しい絵をキャンバスに描けるのだと思うんですよ。キャンバス上で若者達が冒険したり、それを記述的に分析するのはいいけど、チューブの中に不純な色が逆流しないためにも、規範的な国語教育だってやっぱり必要です! それに日本語の歴史は長いから、「平安時代」「江戸時代」「現在」って時代別に絵の具の箱を持たないと。あー、私も日本語の勉強をし直さなきゃ。

そうそう、こないだ生徒達に共同制作で一つのキャンバスに絵を描かせたら、初めはきれいだったのに、最後は全体的にグレーになっちゃったんですよね。君達、混ぜ過ぎでしょ、みたいな。だから、言葉や文化も混ぜ合わせると新しい面白さや美しさが生まれるけど、元になる原色のチューブはしっかりセーブして自分の手で持ってないと、何も考えずに何でもかんでも混ぜていると単に灰色一色の世界になってしまうわ、と思ったのでした。なんだか「KY」からだいぶ話が逸れちゃいましたが… 今回のKH、お楽しみ頂けたでしょうか?

ミシガンはツンデレ!?

2007-04-15 | 言の葉
今日は久しぶりにぽかぽか暖かいので、敷布を出してきておひる御飯を太陽の下で食べました。だって、気まぐれミシガンにおいて得られる太陽光線は有難~く貴重なのございます。3月はしばらくTシャツ陽気になったと思ったら、4月のイースターには氷点下になって雪降るし。(おかげで恒例のPassion Playは室内劇となってしまった)特に今年のミシガン州の天気は激しく変わりすぎて、ついていけないものがある。。。(アメリカ中西部在住の皆さん、そうですよね?)

昨晩の残りのパッド・タイ・ヌードルを口いっぱい頬張りながら、私はふと思いついて一言、「ねぇ、ミシガンってツンデレだよね?」・・・と、いうのも昨晩タイ人の友人と日本人の女の子達で夕飯を食べつつ、最近(いや、もう古いのか?)日本において聞かれるこの「ツンデレ」という言葉について大いに盛り上がったからなのです。日本って造語・新語がぽこぽこ生まれる土壌だなぁ、とよく感心するのですが、その土地から離れてインターネットなどで私がランダムに出会う言葉&その定義ですから、やっぱり限られていたり、あやふやだったりする。私にとっても、これは知ってるようでちゃんと知らない言葉だったので、みんなと話して、かなり怪しかった部分が穴埋めされましたよー!

まず私が、「ツンデレとはツンツンとデレデレを足して2で割った造語で、ツンはcold, snobby, indifferent, inattentiveな感じで、デレはsweet, mushy, overly affectionateな感じ」と英語でタイ人の子に説明。(演技つき)「初めは気がなさそうなヨソヨソシイ女はツン期で、それを口説き落とした後のデレ期には、嘘みたいにオープンになり自分だけに甘えてくる。それが男の達成感と独占感を誘うらしい。」すると!もう一人のジャパニーズ・ガールは「他にも意味があるんです・・・」と新しい定義を教えてくれた。時間経過に伴って「ツン・ガール」が「デレ化」するだけでなく、「ツンとデレを同時に出す」ものがあるらしい。その二刀流秘儀とは・・・例えば「別に全然来る気なかったんだけどぉ。」などとそっけない調子で言いつつ、気合の入った愛妻、じゃなかった愛カノ弁当などを何気に持って現われる・・・こんな感じらしい。あー、このギャップに萌えるのですね。言葉はツンで、行動はデレ、これは日本人によくあるかも。照れ屋さんなのね☆(その他にも色々と効くが!)

そこで、みんなで自分の「ツンデレ度」を{ツン=0<デレ=10}の数値で言い表したりしてみました。だけど、そんな簡単に二極の間で測れるモンじゃないわ、だって両刀使いで両方の値が高い人もいるし。相手によっても、時期によっても変わるし。そこで今日見つけた正しいツンデレ度チェック。この二極のギャップを効果的に用いることができると、ツンデレ度が高くなるようで。(ちなみに私の場合は 37 点、ランクDと低く、ほとんど素の時が多いらしい。)ツンデレとは、どちらかの資質が高いというより、二つが相反し合って「対照的かつ表裏一体をなす」ものらしい。(Wikipedia参照)結構、奥が深いぞ、ツンデレ。

・・・というわけで話は戻って、ミシガンはツンデレなんですよ。そしてミシガンに住むミシガニアンもツンデレ対応型というか、厳しい寒さが長い分だけ、ひとときの暖かさに弱いというか、簡単にウキウキとデレ陽気にのせられてしま~う。(この気持ちはよっくわかりますがね。私だって今日はまんまとのせられたし。)ちょっと暖かくなったら、タンクトップとか短パンで嬉しそうに、外を走ったり歩いたりしてる人間達が続々現わる!動物達も花達もどんどん表に出て来ちゃ、車にべちゃっと轢かれたり、雪に打たれてへこたれている!あーあ。「気象庁が『のせられるな!警報』を出したらいいよね。」と側で寝転んでいたルーミーが言って、私は爆笑。長く住むには、その土地の気候・現象を知りつつ、それと上手く付き合っていくのが幸せなのかもしれませんね。・・・のどかな昼下がりのひとコマをお伝えしました~。

          *  *  *  *  *  *  *  *

遅ればせながら、コメント返し登場~!の欄

めぐんちゃん、
やっぱ、結構当たってる?でも、ラッキーアイテムは謎だよね。。。愛とか。それに確かに、相手によって&状況によって、ツンデレ度は変わるし。

Yoko、
「ツンの方が多いツンデレ」これも当たってる気がする~。しかし、「ツンデレとは、どちらかの資質が高いというより、二つが相反し合って対照的かつ表裏一体をなす」という定義から見ると、デレは表面化していないだけで、ツンと同じくらいあるのかもしれない!? (これってかわいいわ。)

はちこさん、
確かに気候帯の名前みたいですよね。ツンドラとか。はちこさんは確かに大勢の中ではムードメーカー的存在かも。すごい貴重な存在です!

英語いろいろ、人いろいろ

2007-01-30 | 言の葉
最近すごいですよ、ドカ雪が。めったに休みにならないこの学校も休校です。おかげで言の葉がつけられます!(小声:宿題もします。)さて新しい学期が始まり、3週間が過ぎました。今学期は、音声学と音韻論、言語と文化、そして社会言語学の三つのクラスを受講しています。なかなか面白そうですよね!それから、教育学部の教授補佐と、ESL部の英語講師の仕事も続けています。講義で学んでいる内容と自分のクラスで教えている内容が結構かぶったりしているし、それにinputとoutputの両方の場が与えられていることに感謝しています。

「言語と文化」のクラスでは、毎回ムズカシイ論文を読まないといけないのですが、今回はエッセー。しかも、私の好きな映画 “Joy Luck Club” 『ジョイ・ラック・クラブ』の原作の著者、Amy Tan (譚恩美)さんによる、 “Mother Tongue”-「母語」。そこには文字通り、母の使う言語についてのエピソードが語られていました。Amy Tanさんは中国系アメリカ人で、もちろん英語はペラペラなのですが、移民である彼女の母親の言語はいわゆるブロークン英語なのでした。そのため、彼女の母親はネイティヴ・アメリカンにあからさまに馬鹿にされたり、見くびられたりするので、幼いAmyが代りに通訳を務めるハメになる...Amy Tanさん自身も、母親の英語を恥ずかしく思っていた事を告白。「私は、母の英語が母の考えを現わすものだと思っていました。その英語が不完全なように、あたかもその考えまでが不完全であるかのように感じていたのです。それには理由がありました。店や銀行やレストランで、周りの人が彼女の言う事を真面目に聞かなかったり、判らないフリをしたり、あるいは聞こえないフリをしたからです。」これを読んでいて思い出しましたが、「言語能力=知的能力」な態度で接する人も少なくないんですよね。(→友人の)私もこちらに来たばかりの頃は敏感に感じたものです。。。(遠い目)まぁ、そうじゃない人もいますけどね。そしてESLの学生を教える今は、自分がそうならないように気をつけなくちゃならないのです、ハイ。

また、Amy Tanさんは「標準英語」中心のアメリカ教育制度の中で、英語の成績は悪くなかったものの、能力テストでは文系ではなく理系だと判断されたりしたそうです。(←私もそうでしたが。)それから小説家になったものの、「標準英語」オンリーで小説を書こうとしてもしっくりこず、「私が育ってきた中で触れてきた全ての英語 “Englishes”(←複数形に注目)を使って、書こう!」と決心し、小説『ジョイ・ラック・クラブ』が生まれたのです。批評家からも高い評価を受けたこの小説を読み終わった後、彼女の母親は一言いいます、“So easy to read.”「とても読みやすかった。」と。また、Amy Tanさんは大人になってから「母語」で母親と会話する時に感じる心地良さについて、こう語っています。「これが私達の家族の言語、『標準英語』とは違うけれども親密さを表わすもの、私を育ててくれた『母語』なのです。」


さて教育学部の仕事では、「『移民の子供達と英語教育』についてクラスで話してちょうだい。」と教授に言われ、参考資料として、“Do You Speak American?”「アメリカ語を話しますか?」の本とDVD、それから中国系移民の女の子のお話 “I Hate English!” 「英語なんて大嫌い!」という絵本を渡されました。この「アメリカ語を話しますか?」は、アメリカ全土の様々な“American Englishes”をレポートしたもので、もちろん方言もありますが、様々の移民達の口から生まれる新しい英語にも焦点をあてています。また、黒人英語を『母語』とする子供達に、ゲームを使って『標準英語』を教える授業もありました。こんな感じで-

(カルフォル二アのある5年生の教室)

先生: “My grandpa cook dinner every night.” これはどの言語だい?  
生徒1: AAEです。(African American English=黒人英語)
先生:  当り!じゃあ、文法的にどうしてそうだとわかるの?
生徒2: 三人称単数の用法でわかります。
先生:  そうだね、ならAAEからMAE(Mainstream American English=標準英語)に訳してみて。
生徒3: “My grandpa cooks dinner every night.”
先生:  よくできた!Aチームに500点!

このような授業の根底には「彼らの『母語』を独立した正しい言語であることを認めつつも、学校教育で標準とされ必要とされている『標準英語』を教える」という原則があるのですね。このDVDに登場した黒人のラジオ・ディスクジョッキーもこう言っていました。「この国でサバイヴするにはバイリンガルにならなくちゃな。黒人英語も大事にし、かつ仕事の面接も受けれるような。」つまり、標準英語と歴史的地理的民族的エトセトラ要因から派生した様々な“Englishes”は別もの、ってことですね。英語の中で「バイリンガル」がいたり、「通訳」したり...面白いです。きっと、それらの言語間の差が大きいからではなく、どちらも同等の言語だ、という意識からこのような表現が出てくるのだと思います。言語学的には黒人英語や移民達の「ブロークン英語」や「ちゃんぽん語」にも規則的な文法のルールがあり、デタラメや間違いではないのです。まぁ、過去には「それは間違ってる英語!これが正しい英語!」的教育がされていたのですが。日本にもかつて「方言札」(←方言を使った生徒の首にかけたらしい。コワ~!)があったように。

しかし世の中、『標準英語』じゃない英語に対する偏見は根強いよ、ってなリサーチもこのDVDで紹介されていました。「ランゲージ・プロファイリング」というのですが、スパニッシュ訛英語、黒人英語、南部英語、そして標準英語で、不動産屋などの対人ビジネス会社に電話して、どういう対応に出るか試してみる、というもの。(←このリサーチャーは七色ヴォイスで色んな英語の使い手なのだ。)するとすると...あっちゃいけないことだが、対応はかなり違うらしい。これはAmy Tanのお母さんの時代だけの話じゃなかったのですね。あっ、でも損ばかりではないみたいですよ。実は英語ペラペラな在米滞在暦長い人がスピード違反で捕まった時、片言英語で「エイゴ、ワカリマセン。ゴメンナサイ。」みたいな感じで言うと、見逃してくれるらしいし。(えっ、コレ私じゃないですよ!)もしかして、あなたも実はランゲージ・プロファイリングされてるのかもしれない・・・公平な対応を心がけてくださいね☆

ひとくちに英語といっても英語いろいろ、なぜって話す人がいろいろだからなんですね。この“Englishes”の多様化は英語圏の国だけにとどまらず、50年後ぐらいには英語を母国語としない英語使用者の数がネイティヴの数を上回るらしいですよ、みなさん。なので次回は、英語圏の外の英語いろいろ、に迫りたいと思います。。。(っていつになることやら。こんどの雪休みかな?)

           *  *  *  *  *  *  *  *

(コメントいろいろ、人いろいろ☆の欄)

大人っぽくなっためぐんちゃんへ、
昔はあんま気にしなかったけど、自分の英語がどう思われてるかって結構気になるよ~。特にESL教えるようになってから、「あ、今言ったの間違えてた!」って後から意識的に言い直したりするようになったわ、普段でも。それから、慣れてる人と会話する方が楽なのも同じ。私は初めて会った人の英語が聞き取りにくいことがよくあるし。。。

ランゲージ・プロファイリングでも思ったけど、言葉だけじゃなく、まず目に入る、耳につく、そういう氷山の一角みたいな限られた情報で人を判断してしまうこと(いわゆる第一印象)って、私達の視野を狭くし、相手に対する理解・態度を固まらせてしまうのかも。無意識にFill in the blankしてくれる友達は、水面下の自分もちゃんと知っているから、それができるんだろうね、きっと。どんな“Englishes”を話す人にも、または一見『非標準』な一角を持つ人にも、偏見を持たずに奥にある人間性を見ることができたら、と思う今日この頃なのでした。


いつもカワイイTamiちゃんへ、
そうそう、白人英語と黒人英語はかなり違うよね。それを体験するために、黒人英語で書かれたテストを受けてみたら、30点くらいしか取れませんでした...AskをAksって発音するのも、ワザとじゃなくて無意識だと思われる。。。私も知らないうちにうつってるらしいから。(私のボスがAks派なので。)

中学生にBe動詞と普通動詞の違いを教える秘密かぁ~。よっしゃ!

           ♪♪♪ kuriksの3分英語ティーチング ♪♪♪

Be動詞はイコールに置き換えられるか、って考えましょう☆

あなた=女の子 “You ARE a girl.”(名詞)
あなた=カワイイ “You ARE cute.”(形容詞)
あなた=カワイイ女の子 “You ARE a cute girl.”(名詞 + 形容詞)
ってなカンジで、AREの後には名詞 or/and 形容詞、
「あなたはこう。」という文。これが基本形。

これを質問形にする時は、さっき使ったBe動詞(ARE)を最初に持ってきて、
“ARE you a girl?”(見たらわかるって?)
“ARE you cute? (←普通、こんなコト訊かないけど...)
“ARE you a cute girl?”(これも訊かんな。)
つまり、「あなたってこう?」っていう質問になるのですね。

で、普通動詞は大抵、何か行動をおこしている!ワケだから、
あなた:食う(毎日) “You EAT every day.”(動詞の原型)
あなた:寝る(毎晩) “You SLEEP every night.”(動詞の原型)
あなた:遊ぶ(毎週末) “You PLAY every weekend.”(動詞の原型)
名詞の後に、動詞の原型がくるのは現在形で、「普段はこうしてるよ」っていう文。
「あなたはこんなことする。」これが基本形。

これを質問形にする時は、最初に助動詞(DO)を持ってきて、
“DO you eat every day?”
“DO you sleep every night?”
“DO you play every weekend?”
「あなたってこんなことする?」っていう質問になるのですね。

           ♪♪♪ ちゃんちゃん ♪♪♪

こんなんでよろしいでしょうか~?

熱~い初雪デー♪

2006-10-12 | 言の葉
秋を語るもつかの間、もう雪降ってますよ、ミシガン。今年は冬が来るのも早そうだとは読んでいましたが、もう雪が降るとは。。。いつもは11月頃なのに。でも、今朝の文法のクラスで、「韓国では初雪の日ってデート・デーなんですよ、先生♡」とピンク好きの可愛い韓国人奥様が教えてくれました。他の韓国人の女の子にも訊いてみましたが、みんながみんなじゃないけど、カップルがデートしたりとか、友達同士で集まったりとか、ちょっと特別な日らしいです、初雪。「えー、もう雪ィ!?」とか思ってたのに、ちょっぴりハッピーな気分になってきましたよ。(←単純?)このブログを読んでいる皆さんも、初雪にかこつけて楽しいことをしてみては?冬ソナばりの雪中デートとか、鍋パーティとか!(常夏の地で読んでいる人、ごめんなさい。) 

さて、久しぶりに英語教育ネタです!会話のクラスでは、教科書についているCDを聴いてから、Q&Aしたり、ディスカッションしたりしています。それで、会話の内容について把握するのはもちろんなんですけど、話し手の感情を推測する、というセクションもあるんです。 例えば、“That’s great.” -この話し手はエクサイトしているでしょうか?みたいな。単語の意味はポジティブなのに言い方がネガティブだと、単なる嫌味だったり。昔の知り合いに旦那さんがドジをする度に、“That’s cute.” って言う奥さんがいましたけど、(やってらんないわよ)的アキレタ感ありありだったし。 “Interesting”は「面白い、興味深い」と中学校英語で習いましたけど、言い方次第でどんな意味にも取れる便利な?単語なのです。実は、「微妙~」ってカンジで使われることが多いような。。。もちろん、好奇心炸裂させつつ、“Wow, that’s INTERESTING!!!”って言えば、ちゃんと「興味深く思っています」感が伝わります。

言葉の持つ意味も大事ですけど、伝え方も大事ってことですね。あるリサーチ(←3頁参照)では、「コミュニケーションの60%は言葉そのものではなくて伝え方だ、そしてそれは言葉そのものより記憶に残る」とありました。ですので、私のESLのクラスでも「語彙がネイティブの人より少なくても、表現を豊かにすればネイティブの人にも伝わり易くなります!それから、ネイティブの人達の表情&ボディーランゲージもよく観察して、表現方法を盗みましょう!」と言っています。まぁ、私のように10年以上もボキャ貧をオーパー表現力でカバーするのはどうかと思いますが・・・

では、表情筋が固まらないように雪ニモマケズ、熱~い表現力で初雪デーをお楽しみ下さい♪

           *  *  *  *  *  *  *  *

(コメント☆サンキュ欄)

めぐんちゃん、
昔にそうやって、限られた言語能力でコミュニケートしていて、その内容を後から確かめる機会があった、っていうのがすごい。「やっぱり通じてた」んだね。そう考えると、言葉って何なんだろう、言語能力は何のために身に着けるんだろうって思ってしまうけど、やはり言葉あってこその人間だし。花がなくても春は春だけど、だからといって散りゆく花びらに意味がないわけじゃないものね。

「何かと理由をつけて特別な日を作ると、生活が楽しくなる」ってそのとおりだね!初雨デーや初台風デーも特別な日にしちゃうとか!?古いけど「サラダ記念日」も同じ発想かも。何気ない事に幸せを感じられる生き方っていいね。

Unknownさん、
今年の雪は早かったよ。「ミシガンの秋、冬懐かしい」というあなたはT.S.ちゃんかな?初雪デー、楽しんだ?

文法小話

2006-08-03 | 言の葉
こないだ台湾からきた高校生達にESLで(母国語が英語でない人のための英語のクラス)関係代名詞を教えておりました。
「"who"で始まる関係節の入った文を作りなさい。」と言ったところ。。。

My father who is my dad said,"....”
(私のパパである私のお父さんが言った、「…」)

あーのー、これって文法的には正しいんですけど、ここで関係代名詞使う意味あるんでしょうか?関係代名詞にもやりがい感じさせてあげましょうよ、ねぇ。でも笑ったわ。

P.S. ついでに今晩、役に立ちそうな英文法サイト見つけました。

「ちゃんぽん」講座・第二弾!

2006-08-02 | 言の葉
皆さん、お待たせしました、Code Switching、またの名を「ちゃんぽん」講座の第二弾いってみまーす!会話の中で二つ以上の言語を混ぜて使うことをCode Switching、一つのセンテンスに混ぜて使うことをCode Mixing、ということを前回ご紹介いたしました。(復習したい方はコチラ
例:「第二弾はeventuallyやるつもりだったんだよね~。」(←本当です。)

言語教育的には賛否両論あるこの現象ですが、バイリンガル達はけっこう無意識に、かつ自然にかましています。すでにちゃんぽんマスター、または二刀流のあなた、普段なにげなーくCode Switchingしているかもしれませんが、このCode Switchingには14もの機能があるんです!こちら、頻度が多い順に並んでいます。(ただしこのデータは英語とスペイン語のCode Switchingを調べたもの。)もし、これらの用法に当てはまる例がありましたら、どしどしコメントお寄せ下さい!

1. Personalization(個人化)
これが圧倒的に多いらしいですよ。個人化、っていうか、聞き手に対してパーソナルに、より親しみやすく話すことが目的。私が日本で通っていた英語学校のアメリカ人講師は、なぜか英語の文章の終わりに日本語(とはいっても一文字だけ)をつけていましたっけ。「That’s easyね。」とか「Don’t worryよ。」とか。そっかこれ、Personalizationだったんですね。(本人は意識していないと思われますが。)これは、センテンスの終わりだけなんで、かなりマイルドなちゃんぽん例です。語尾のニュアンスがちょっと日本人に優しい、って感じですか。ちゃんぽんには、相手を安心させる、という機能もあるんですね。

2. Reiteration(反復)
これは同じ言葉を違う言語で繰り返して言う、というもの。
「Take me to the shopping mall pleeeeeeease, オ・ネ・ガ・イ!」
こんな感じかな。あんまり耳にしたことありませんが。ちょっとしつこい?

3. Designation(指名)
これは他言語を使って人に呼びかけたり愛称を言うというもの。これってちびまる子ちゃんの花輪くんがよくやってますよね、
「ベイビー、今日の君の心は何色かい?」(カタカナじゃ単なる外来語だけど。)
愛称だけじゃなく罵る時にも使うらしいですが、よい子のみなさんはやらないように。

4. Substitution(代用)
ある言葉(特に名詞や代名詞)と同じものをさすものを別の言語で、すぐ後から言い添える、それが代用。より詳しい説明ともいえる。
「この人が山田さん、my sister’s cousin’s classmate’s father-in-law,なんですよ。」(って誰だか余計わかんないって!)
「あ、前にここ、at my school, でお会いしたことありますよ。」

5. Emphasis(強調)
これは強調したいところだけ、別の言語にするというもの。
女:「You only listen to me 都合のいい時だけ!」
男:「That’s because you always 文句言うからだろ!」
…ってな風に妙なところを強調して雲行きが怪しいお二人。ちゃんぽんは喧嘩にも効果を発揮?いえいえ、ポジティブな部分を強調した方がいいですよね。
女:「But I do appreciate you ホントは。」なーんて。
断っておきますが、私はこんなちゃんぽん会話したことありませんから~。

6. Clarification(解明)
なんだか上手く伝わらなかったことを、他言語でもっと詳しく具体的に説明する。
子:「明日の遠足に必要なもの買ってきてね。」
親:「必要なものって?」
子:「Like snacks, a water bottle, and i-pod.」
親:「!?」
よく聞いとかないと騙されます。

7. Objectivizaion(他人化)
これはPersonalization(個人化)の逆らしい。逆だから「他人化」じゃ変だけど、うまく訳せなかったのでごめんなさい。つまり別の言語を使うことによって、聞き手に対して距離を置くんですね。感情的にならないためにも使います。
親:「ちょっとこのごろ勉強してないんじゃない?」
子:「そんなことないよ~、色々いそがしいだけ。。。」
親:「Stop giving me excuses and do your homework now!」
そういえば日本人生徒に教えていた頃も、なぜか注意がよく英語になり、生徒に「なんでそこだけ英語になるの?」と言われたことがありましたっけ。無意識にObjectivizaionしてたらしい。

8. Untranslatability(翻訳不可)
翻訳不可、これよくありますよね。まったく100%翻訳不可能とはいかなくても、なんだかしっくりこない、またはニュアンスが違う、そこでやむを得ずCode Switching。 前回コメント頂きました、「This is so なつかしい。」もそうかな。「なつかしい」って感覚、ひとことで英語では表わせませんよね。“It’s bringing back fond memories and making me feel a little nostalgic…”って長いわ!「お疲れ様。」とか、いまや世界共通語になろうと頑張っている「MOTTAINAI」もうまく訳せないし。このような翻訳不可な単語やフレーズはどの言語にも沢山あるそうで、そんなのを集めた"In Other Words"という本も出ているんです。こないだ立ち読みしたけど、けっこう面白いかった。やっぱりこの言語でこう言わなくっちゃ!な表現が全ての言語にあるから、言葉って面白い。BTW,バベルの塔以前はひとつの言語でそれら全ての表現をカバーできていたんでしょうか...? それとも沢山の言語ができてから、それぞれの言語特有の表現が生まれたんでしょうか?ニワトリが先か、ひよこが先か、みたいな疑問だわな。

では、残りの9~14の機能とオチはまたまた次回へと続きます!
第三弾もやるつもりだからね~、someday。

中田選手の引退、そして語学力とコミュニケーション力の違い

2006-07-06 | 言の葉
始めに断っておきますが、私は今回のワールドカップ/ブラジル戦で初めてサッカーTV観戦したぐらいのスポーツにあまり興味がない人間です。(好きで観るのは四年に一度のオリンピックくらい。)ですので、サッカーファンや中田ファンの方達に違うだろう!と思われることを書いてしまうかもしれませんが、あくまで今回の投稿の主役は「言葉」ということで、お許しください。

さて、インターネットのニュース欄で目に留まった中田選手の引退の話題を追ってみたら、こんなブログの記事を見つけました。そこには中田選手のサッカー暦に加えて、こんな事が書かれてありました。

「彼は言葉は話せても、伝え方が苦手だったと想います。」
「必ずしも語学が堪能な人が能力が高いとは限らない、というか、それが裏目に出る場合もある。」

よく知りませんが、確かに彼は英語もイタリア語も出来るけれど、誤解されやすく不器用なイメージがあります。(多分にマスコミのせいでしょうけど)今回の引退宣言をするにも自分のHPを選んだように、他人のフィルターを通して自分の言葉が曲げられるのを嫌う彼は、「世間から見られている自分」と「自分が思う自分」との間のギャップを、自身のHPに直接自分の言葉を綴る事によって埋めているようにも見えます。私もブログを書くようになって、ブログを通されたイメージと現実の私との間にギャップがあると言われたりするんで、なんかわかります。でも、不特定多数に読まれる事を前提に自分で意図的に選んで書く言葉と、普段関わり合う人達に無意識にさらけ出している自分に距離があるのは、しょうがないことだと思いますね。どちらの姿も現実であり真実であるけれど、その両方が本人の誤算や他人の誤解による誤差が含まれる可能性を多大に持っています。いったん自分が出した言葉って自分の一部のように思っていても、独り歩きすることもあるし、裏切ることもあるし、より大きくなって還ってきてくれることもあるんです。言葉って不思議ですよね~。

言葉を教えるものとして、やはり考えるのが語学力とコミュニケーション力の違いです。語彙を増やし、文法をマスターし、発音をきれいにし、色んな言い回しやイディオムを覚えても、それは単なる表面上の知識と技術です。それらを学ぶことももちろん大事ですけれども、コミュニケーション力を持つこととは違います。それは何かを伝える力。前述のブログに、このようにも書いてありました。

「言葉はあくまでも道具、その土地、土地での慣習に過ぎないのです。」
「大事なのは正確な内容ではなくて、伝えたい熱意や想いだったりするのです。」

少し前の忘筌、忘蹄、恋する男にも書きましたが、荘子も「言葉は魚を捕まえるアミ、兎を捕まえる罠のようなものだ。」と言っています。道具の性能もさることながら、魚のイキのよさ、兎のジャンプ力も大事。でもコミュニケーション力のつけ方は学校でなかなか教えてもらえない。だけど、伝える力、伝える道具、そして伝える何かを身につける場を与える教育って必要ですね。

先ほどの「必ずしも語学が堪能な人が能力が高いとは限らない」という言葉を読んで、村上春樹氏(またまた登場!)が言語力と気持ちの通じ合う率が必ずしも比例するわけではない、ということを述べていた文章を思い出しました。

「自分が流暢に話せないことを弁解するわけではないが、すらすら外国語が喋れてコミュニケートできるからといって個人と個人の気持ちがすんなり通じ合うというものでもないと僕は思う。すらすらとコミュニケートできればできるほど絶望感がより深まっていくということだってあるし、つっかえつっかえ話し合えばこそ気持ちが通じ合うということだってある。」(「やがて哀しき外国語」)より)

つたない言葉で気持ちが通じ合う、そんな場面を垣間見せてくれる本があります。開高健の「ベトナム戦記」-ベトナム戦争最前線の現場からのルポタージュ本。何かを伝えようとする気持ちと言葉について考えさせられるエピソードが幾つかあります。(以下抜粋)

「ベトナム語がまるで通じないのだから日本語としゃべるのとおなじで、そうした方が顔や声に感じがでてかえってハッキリこちらの意思が通ずるのだという考えを彼(同伴のカメラマン)は持ち、かねがね実行していた。はだしの子供二人が新聞をさしだしてかけよると、彼はポケットから金をつかみだし、日本語で茫然と
『・・・・笑って暮せよ、な」とつぶやいた。」

以下はほぼ全滅まで追い詰められて逃げていく月夜の夜、政府軍のベトナム人将校と筆者が共に歩いた時の会話です。

「“I am very sorry.”(たいへんすみません)
満月のハイ・ウェイを戦略村に向かって歩きながら中学生のように小さいその砲兵隊将校は私にあやまった。
“Oh. What has happened?”(どうしたんです?)
将校がぽつりと、ひとこと
“My country is war.” (私の国、戦争です。)
とつぶやいた。」

伝えようとする気持ちは何かを伝える…そう信じて言葉を使いたいものですね。

バイリンガル語:Code Switching (1)

2006-06-08 | 言の葉
ちょっと時間ができたので、久しぶりの言語学ネタいきまーす!この頃、近状報告的だった「言の葉ひらひら」でしたが、英語学習&言語学系の「言の葉」を目当てにこのブログに御来板される方達、お待たせしました!?

実は1月のセントラル・カンファレンス準備委員会の頃から、このネタを考えていたんですが・・・在米日本人には面白い言語的傾向があるのですよ。講師のパスター・マックも彼らについて「自由自在に日英両語を操っており」と言及しておられましたが、その両刀使いが特徴的なのです。まず、一つの会話の中で、二言語を行ったり来たりするのをCode Switchingといいます。
例:「それ失くしちゃったんだよね。I don’t know what to do.」
その中でも特に、もっと短いスパンの中で行われるのはCode Mixingと呼ばれています。一つの文の中で二言語が混ざっちゃってます。
例:「それがexactlyどこにあるのかわかんなくてさぁ。」
実は、昨年Code Switchingについてリサーチしていたので、これが気になってしょうがなかったんです。「あ、今のは前置詞句Code Mixing 、難易度高いわ・・・」とか。CCでも、けっこう激しくCode Switching & Code Mixingしている方がおられました・・・でもいったいこれって、言語学的・教育的にどうなんでしょうか?

ESL教師をしていた頃は、「一つの文の中で、二言語を混ぜるのはよろしくない。」というのをどこかで読んだので、自分でもCode Mixingしないように、またESL生徒にもさせないようにと、なるべく気をつけていました。それは、どちらかの言語の語彙で欠落した単語を、別の言語で補ってごまかすようになってしまうから、だそうです。セミリンガル化が進んじゃう。もっともに聞こえますよね。However, (←こんなところでやってみる)去年「Code Switching & Code Mixingしても二言語の能力に悪影響を及ぼさない。」という文献を読んで、目からウロコがdrop!drop!でした。そこで、それが本当かどうかリサーチしてみたんです。とはいっても、新しくデータを集めるのは大変なので、ESL教師時代の英語能力判断テストのデータを使わせて頂きました。(もちろん学校に許可を取りましたが。)

これは幼稚園入園当時~小1学年末までの間にやったテストの内のStory-retelling(まず英語でお話を聞かせて、次に自分の言葉で同じ話をしてもらう)の10数人のデータを比べるというものでした。初めてのテストでは英語で同じ話ができないと言うので日本語もOKにしていました。次にテストした時は、「ちょっとでもいいから、知ってる英語を使ってみて。」(少しでも英語を使うと点数が高くなるので。)とお願いしたところ、結構Code Switching & Code Mixingする子がいました。(点数上げたいから?)ちなみに男の子が多かったです。面白いのは、始めは日本語文法をベースに英語が混ざっていたのに、次回は逆に英語文法ベースにしている子がいたこと。
例:「いぬ meet いぬ. 」← SVO型(幼稚園児の頭は柔らかいのか、高度な技だ!)
でも最後のテストでは、全員ぜんぶ英語で話が出来るようになっていました!途中でCode Switching & Code Mixingしたからって、英語の発達が遅れたってこともなさそうでした。英語の発言単語数も数えたけどみんな順調に増えてたし、最終的には文法構造的にも悪影響はなさそうでした。(これらのデータをグラフにしたり表にしたりと、結構このリサーチにハマったなぁ。)ってなわけで、Code Switching & Code Mixingしても、オッケーですよ!(たぶん。)(←サンプル人数少ない&経過の期間が短い&いつもCSしてるわけじゃないかもしれない、ので確かじゃない。)

どっちにしろ、日本語ってCode Mixingウェルカム!な言語なんですよね。外来語多いし。J-POPには?な英語が氾濫しているし。他文化を取り入れて自国風にアレンジする国民性が表われてる?。「ハグする」とか「キスする」って言うものね。(でも、hug もkissもともと動詞なのに、なぜ「~する」を付けなきゃいけないのか疑問に思うのは私だけ?)あと、友達が「私、あの人にhiしたのに、あの人は私にhiしてくれなかったんだよー!」(hiする=挨拶する)というように、面白いCode Mixingをしてました。単なるCode Mixingじゃなく、英語だったら動詞になりえない“hi”を進化させてます。(この人は日本語も話せるトライリンガル韓国人でした。ちなみに在米コリアンは激しくCode Switchingするらしい。)中華料理を食べに行く事を「チャイナる。」タコベルに行く事を「タコる。」って言ってた日本人留学生の友達もいたな~。他に面白いCode Mixingを聞いたこと・使ったことがあったら、ぜひ教えてください!

次回は、バイリンガルの人同士がどのようにCode Switchingをするのか、その用途・用法に迫ります!お楽しみに・・・ 

忘筌、忘蹄、恋する男

2006-04-05 | 言の葉
先週の詩のクラスで、詩を10篇選んで、それらから詩を書くことについて何を学んだか、どのように自分の詩に活かしていけるかをレポートする課題がありました。谷川俊太郎、金子みすず、ロバート・フロスト、エミリー・ディキンソン、など有名な詩人や、今まであまり知らなかった詩人のものなど、色々な所から集めた詩達でしたが、それら皆から「言葉には言葉では表せない限界がある」ということ学んだ気がします。言葉を通して言葉ではないものを表すために、言葉が出来ることと出来ないことの境界線を、真の詩人は知っているのでしょうね。

谷川俊太郎さんの詩が好きなのでインターネットで探していたところ、本についての6編の日本語の詩と英語訳の詩が載っているウェブサイトを見つけたので、ラッキーでした。その中の、「恋する男」という詩を選んだのですが、現在はこのサイトは開けないようです。残念!

恋する男
谷川 俊太郎

恋人の皮肉な笑顔が読みきれなくて
彼は恋愛論を読む
開いたページの上の愛は
臭いも手触りもないが
意味ではちきれんばかりだ

彼は本を閉じて溜息をつく
それから柔道の稽古に出掛ける
「相手の動きを読め!」
とコーチの叱咤がとぶ

その晩恋人にキスを拒まれ彼は思う
この世には読まなきゃいけないものでいっぱいだ
人の心を読むことに比べれば
本を読むなんて楽ちんなものだ

だが言葉ではないものを読むためにこそ
人は言葉を読むのではなかったか
彼はふたたび恋愛論にもどる
溜息をつきながら
コンドームを栞(しおり)代わりにして


言葉と言葉でない物の対比、そしてそれらを読むという行為について考えさせられる詩です。最初の節と最後の節には、本を通して抽象的観念を読む例。その2つの節の間に、恋愛の中で人の表情を読むという繊細な行為と柔道で相手の動きを読むというアグレッシブな行為 - 生活の中での対照的な具体例が挟まれています。栞みたいにね。最後の行にいたっては...なんて言ったらいいんですか。(笑)いやよく見ると、それまで分けて語られていた恋愛にまつわる一見非にて似たる抽象的な物と具体的なものが、そこでやっと一時的に共存しております。栞の役割上、その接点はこれからも移動していくのであろうなぁ、と思わせる上手い終わり方です。そして栞のメタファーを生かす全体の構成力!さすがですね。

「言葉ではないものを読むためにこそ
人は言葉を読むのではなかったか」は、
この詩のパンチラインでもありますが、
「言葉ではないものを表わすためにこそ
人は言葉を発するのではなかったか」ともいえそうですね。

それから言葉と「言葉ではないもの」について色々考えていたら、シンクロして色々なブログにぶつかりましたよ。まずは巷で人気の「きっこのブログ」で知った「忘筌」(ぼうせん)「忘蹄」(ぼうてい)という言葉。荘子は言葉についてこう語ったそうです。「筌は魚を在るる所以なり。魚を得て筌を忘る。蹄は兎に在るる所以なり。兎を得て蹄を忘る。言は意に在るる所以なり。意を得て言を忘る。吾れいずくにか、かの言を忘るるの人を得て、これと言わんかな。」これは「魚を取るにはアミがいるが、魚が取れたらアミのことなど忘れてしまう。うさぎを捕るにはワナがいるが、うさぎが取れたらワナのことなど忘れてしまう。言葉は意味をつかまえる単なる道具で、意味が捉えられたら道具にはもう用がないのだ。そんな風に言葉を忘れられる相手を見つけ共に語り合いたいなぁ。」という意味らしい。なるほど、なるほど。でも、「忘筌/忘蹄」できるって潔い。私は単に言葉好きなので、意味を絶妙に伝えている言葉に出会うと、言葉にも「グッジョブ!」って言いたくなりますね。でもそれには、やっぱり「言葉ではないもの」に共感 & 納得できなくちゃ....

速読と足かせとのび太くん

2005-11-18 | 言の葉
ご存知かもしれませんが、大学院で読まなきゃいけない教科書や資料の量は半端じゃない!それからGA(教授補佐)もしているので、教育学部の大学生が提出するレッスンプランと感想文を毎週100枚くらい読んで成績をつけたりと、“読まなきゃ山”がどんどん高くなっていくのです・・・ なのに、私の英語を読む速度は日本語のそれの半分ぐらいなのが困りもの。結構長くこっちにいるのに、あんまり速くなっとらんぞ。効率を良くしたいな~、と思っていたその矢先!ESL(英語が母国語でない生徒の為のコース)で速読のセミナーをしていることを聞きつけ、そのセミナーの時間だけ週一度ESLのクラスに交ぜてもらう事にしました。全4回しかないので頑張ってます。最初の週は分速200語くらいで遅かったのですが、第3回目の今週は最高分速400語を越えた!こころなしか最近教科書も速く読めるようになってきた気が・・・教科書はあんまり速く読んだらわからなくなってしまいますが、先にskimmingしてから全体像を把握して、その後しっかり読むのがよいみたい。

前から速読には興味があってハウツー本とか持ってたんだけど長続きせず、でした。実際コーチがいてタイムとか測ってくれるほうがモチベーションがあがりますね。ウェブ上でも速読コースが色々あって、ただで速度と理解度を測れるページがあるので試してみては?->コチラ(英語のみですが)さて、速読には様々タイプがあって眼球の動きを速くするものとか、右脳を使って頁をパッパッと見ていく方法とか色々あるんですが、このセミナーでは指を使って素早く文をなぞったりしています。それから、始めにかせを与えて頑張らせ、その後にかせをとって普通に読ませる方式をとっています。この方式についての導入の話が気に入ったので紹介しましょう!

あるところに、クラス一勉強も運動も苦手でいつもからかわれていた男の子がいました。(のび太かい)彼はみんなのように出来ない自分に自信がありませんでした。ところがある日、体育の時間に先生が砂袋を用意して来ました。「みんな、かけっこをするよ!」ところが、この男の子にだけ先生は砂袋を足かせとしてつけたのです。「先生、僕ただでさえ走るの遅いのに、ひどいよ。」「それでも全速力で頑張ってみなさい。」しょうがなく彼は言われたとおりやってみる事にしました。よーい、ドン!みんなはあっという間に追い抜き、どんなに一生懸命走っても彼はどんどん距離を離されてしまいました。しばらく走ったその後に、「今度は砂袋なしで走ってごらん。」よーい、ドン!彼はまた一生懸命に走りました。足かせがないので背に羽が生えたかのような気分です。ふりかえると、どうでしょう!クラスメイト達はみんな後ろにいるではありませんか!彼は初めて一等になったのです。それからというもの彼は自信を持ち、自分の限界を常に伸ばしていけるようになったとさ。めでたしめでたし。:)

というわけで、いつものやり方の中で能力を固まらせない為には、そして自分のリミットを超えるには、キツい事も必要、ってことでしょうか。人生の中でも「なんだこりゃ」的足かせがあるかもしれないけど、神様からの恵みだったって後からわかるのかも。お楽しみに!

男脳 vs. 女脳

2005-11-17 | 言の葉
最近、脳の働きについてクラスで学んでいます。バイリンガル脳とモノリンガル脳の違いや、男脳と女脳の違いについてなど。バイリンガルには「二つ以上の言語を使うことが出来る」という単なる実用性以外にもお得な事があるらしい。創造力や融通性を高めたり、左脳を強めたりするとか。同じような事が「バイリンガル教育」にも書いてありましたが、上手く多国語を習得すると、言葉以外の面でも脳はワンパターンじゃない別の働き方を覚えるのかな。まぁ、自分の場合、モノリンガルのままのもう一人の自分がいないから、比べられないし良くわからないけど・・・ 両方使えると楽しいし便利って事でいっか!(どっちかが使いにくいこともあり。)

さて最近、ネットサーフィンしていたら、すごくタイムリーな面白いサイトを見つけました!その名も「男脳女脳診断」。ここで幾つかの質問に答えると、自分が男脳何%・女脳何%とか判るんです。ま、男脳100%だから単純に男らしい!ってもんでもないらしいけど。生まれつきの性差と環境、また脳の使い方の意識する事によっても、このパーセンテージは変わるとか。「男だから男脳、女は女脳が強ければよいというものではなく、男女ともに両方をバランスよく持っているほうが、いろんな人とはコミュニケーションが取りやすいというメリットはあります。でも芸術家はおもいっきり女脳に偏ってたほうがよさそうだし、科学者は男脳の論理性で真理を追究していくほうがよさそうだし、人それぞれ、なりたい職業にもよるのかなと思います。」という意見も投稿されてました。なるほどなるほど。興味のある人は試してみるべし!ちなみに私はやってみてわりと納得の結果でしたよ。

男と女の違いは、「話を聞かない男、地図が読めない女」「Men are from Mars, Women are form Venus」「本当にこの人と結婚していいの?」など数々のベストセラーによって解かれてますよね。結構好きなんだな、これが。

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(創世記 1:27)造り主の神様はきっと男脳も女脳も100%なんだな。(っていうか人と比べると無限大%)そうやって造られたから、男と女が一緒におるってことは神の“かたどり“に近くなっていいことかも。ひとりでもバランス取って、もとの“かたどり“に近くなりたいものですが。

Thou,Thy, Thee のお熱い関係!?

2005-11-10 | 言の葉
今週は面白い事を習いましたよ。英語の代名詞には、神様に対する特別なThou, Thy, Thee という言葉があるんですが、私にとってはなんとなく古めかしく堅苦しいイメージがあるものでした。(辞書でみると「汝」と訳されています。)まぁ、聖書の古い英訳であるKing James Version でも使われてるし、フォーマルな礼拝の中の祈りとかでもよく使われてるな...しかし教授は「実はもともとこの代名詞は恋人同士などの間で親密さを表わす為にその昔は使われていたんだ。現在では礼拝などで神を近づきがたい存在として畏敬の念を持って使われているようだけど、聞くたびに僕は違和感を感じておかしくなっちゃうよ。」と言ってました。そうかー、熱い間柄での呼びかけだったんですか、Thou, Thy, Theeは...これからは礼拝で聞いたり聖書で読むたびにドキドキものだわ、なーんて。これも神様からの「私達の関係をマンネリ化させてはいけないよ」っていう小さなメッセージかな?

なんか最近は授業ネタが多いですね... いやこれは真面目に受講してるぞ、って思わせるためのカモフラージュです、なんてね。いや、やっぱり専門の勉強は面白いんですよ。でも専門バカにならないようにしなきゃ、と最近読書レポートの為に読んでいる板坂元の「考える技術・書く技術」で思わされました。

動物だって・・・

2005-09-14 | 言の葉


またまた遅くなっちゃいました。大学院生活、結構忙しいです。難しい教科書開きながらよく睡魔に襲われています。(←忙しいというのか?)引越しもしたばかりであちこちに箱があってよくぶつかっています。そんな中、自然散策をしてきましたので、ここにshareいたします。アメリカもミシガン州は、早くも紅葉の時期が来たようです。私もこのBlogに美しく色づいた言の葉をつけたいものですが、まだまだ青いものばかりのようで…

「はじめましての言の葉」で人間は言葉を扱えることから「人間に生まれてきて良かった!」と書いたんですけど、最近、言語学のクラスで驚くべき事を習っているんです!オラウータンが手話を学んで、自分のペットの猫(動物が動物のペットを持つのもすごいな)が死んだ時、「僕は悲しい」って手話したそうです。(これは前にも聞いた事があったけど)しかし先週聞いてもっとびっくりした最新版は、マダカスカルの言葉をしゃべるあるオウム数羽ににある簡単なゲームを教えて、その後わざとルールを間違えてゲームをしたら、オウムが "No!No!"って言って、"This way, this way!"って言いながら正しいルールで遊んで見せたんだって!オウムのしゃべりはオウム返しじゃなかったの?びっくりさせ過ぎ。

あと、言語を扱う訳じゃないけど、もう一つコミュニケーションする動物編。メスのコオロギはオスのコオロギの歌を聞いて好みのオスを選ぶのですが、それがオスの出す音波の域に関係すると実験によって分かったそうです。ある音波の域がモテて、それ以外だとあまりメスが寄り付かないとか。「非モテ音波を出すオスは可哀相ですね」と発言したら、教授が「でも年魔のメスは許容域が広くなるんだ。だから大丈夫。」とおっしゃいました。クラス一同大笑い。でも、それって本当かいな?動物の世界も結構シビア…

でも、人間じゃなきゃBlogができないもん、やっぱり私は人間で良かった!(ってオチにしておこう。)