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言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

「正しい読書」

2014-01-17 | 詩の葉
明けましておめでとうございます、を言うのには遅い気もするのですが、まだ今年に入ってからご挨拶をしていませんので・・・というか、長いことご無沙汰していましたので。今年もよろしくお願いしますね!今年はもうちょっと頻度があがると思うんですよ、いやホント。

さて、今年最初の詩ができました。書き初めってやつですかね、習字じゃないですが。まぁ、いつものように書き出し時には考えてなかったオチになりましたけど、詩も「一度書き出すと、動き出す」んで。さて、ゆるく線対称になっている構成です。はい、私の詩によくあるパターンです(笑)。実際に20行ほどで傲慢が治れば、苦労はないんですが(苦笑)。とにかく、皆さんにとってそれぞれの「読書」を楽しまれる一年になりますよう、お祈りしていま~す。

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正しい読書  


傲慢にも、
これは一度 読んだことのある本の
再読だ、と私は思っていた。
予めわかっているストーリーラインを
なぞるようなものだ、と。

ところが、
予想をなぞろうとしていた私は
物語の展開と度々衝突した。
想定外のページに出遭うごとに
怒り、戸惑い、笑って、泣いた。

毎度毎度、新参者。

同じ本など、一つとしてないのだ。
一度ひらけば、物語は動き出す。
後戻りも、飛ばし読みも、できない。
一頁一頁、飲み込んでいく、
それだけ。

その消化次第で、
物語の展開は変わっていくのかもしれない。
私は読み続ける。
どこかにいるのであろう書き手を、
畏れつつ。

生者の言い訳

2013-04-24 | 詩の葉
死は死者を いやおうなしに 神聖化する
私には、それがアンフェアに思えてならなかった
たとえ、無数の綻びを晒していたとしても、
命よりも正当に語るものはないではないか

死者の残像は、
生者の中の記憶という不確かな光源と
生者による解釈という歪んだスクリーンの上で
不正確さを増していくものだから

生者のあいだにも認識の誤差はつきものかもしれないが、
そこには対等に保たれ続ける確かなフェアネスがある

死が根本的に不条理なものだと知りながらも、
私は生理的に死を厭う
そして
死者を美化する人々を疎みながらも、
同じ誘惑に誘われる自分自身を嫌悪する





ナメると恐いぜ、スポークン・ワード・ポエトリー。

2013-02-26 | 詩の葉
さてさて、サラ&フィルに大興奮してから、約一ヶ月たちました。その後、浮気症な私は(いや、多趣味と呼んでください)、オペラやったり、ゴスペル演歌やったりしてたんですが、実はサラ&フィルのWordplayの後、すぐにスポークン・ワード仕様の詩を書き上げていたんでやんす。正確には、以前かいた詩を、スポークン・ワード向けに書き直したのです。と、いうのもスポークン・ワードの厳密な定義が「人前で披露することを想定して書いた詩を、人前で披露すること」だと知ったので。つまり、前回のわたくしの"Hello, Earth"は、正確にはスポークン・ワード・ポエトリーではなかったんですね~。ただ元々読まれることを想定して書いた詩に、手振りをつけて実演しただけだったんです。でも、一応最も実演向きの詩を選んだんだし、まぁいっか。

<前回の出し物>


というわけで、けっこう近間の喫茶店で毎週行われているオープン・マイクに出演してきました!このRed Rockというカフェは、このベイエリアで1番良質なオープン・マイクをやる店という評もあり、なかなかの芸達者な強者揃いが出演するところを、なかなか目の高いお客さん達がスケッチなんぞしたりして、なかなかいい雰囲気作りをするスタッフさん達が温かく仕切ってくれる、というベイエリアのクリスチャン芸人と呼ばれている(?)私には願ってもない楽しい場所なんですよ。毎週行けたらいいんですけど、お仕事があるからそうもいかない、ですね。(Facebookやっている方は、ここでRed Rockでのこれまでの演目が見れますよ。)

今晩は、誰でも参加OKなオープン・マイクの後のfeatured musicianがちょっと有名な人だったらしく、お客さんが多かったんですよね。で、ひっさしぶりに頭真っ白状態になりましたよ、詩の途中で!次が出てこなくなって、数行ふっ飛んだ先に着地しました。危ない、危ない。ホント、歌うより緊張しましたよ。まぁ、まだ場馴れしてないせいだろうけど、ナメると恐いぜ、スポークン・ワード・ポエトリー、ですわよ、奥様。というわけで、ちょっと残念な感じに終わった私のスポークン・ワード・ポエトリー第二弾(厳密には第一弾)だったのですが、数人のお客さんは「あなたの詩、良かったわよ~」と後から言ってくださいました。感謝、感謝。「でも、数箇所とばしちゃったんですよ、頭真っ白になっちゃって」と暴露したら、「あ~、あの空白の時間ね・・・でも、意味のある間のようにも、とれたわよ」とフォローしてくださいました。(でも、後で動画みたら、やっぱスコーンと抜けてる感じでしたけど。汗)それに、所々言葉につまってたし、ステージプレゼンスもまだまだ固い。ってか、前置き長過ぎ。いろいろと改善の余地ありです。スポークン・ワード修行するぞ!サラ・ケイは一日にして成らず。さて、今晩詠んだ詩のとりあえずの日本語訳をずっと下の方に載せたので、興味のある方はどうぞ読んでみてください。元が英語の詩なので、か~なり違和感ありますけど。(自作でも、詩を訳すって難しい!)それに、読まれることを前提に書く詩はもっと余白があるんですが、聴かれることを前提に書く詩は言葉数が増えちゃって、こうして載せると字ヅラが長過ぎてウザって感じなんですけど、それでもよろしければ。(いや、単に私がwordyなだけか?)

<本日の出し物>


というわけで、聴衆が自分の目の前にいることを想定して書く詩は、印刷された頁を読む読者を想定して書く詩とは、ずいぶん変わったものになるようです、元々同じ題材を使って書いていても。読み手を想像しながら書くブログ仕様の文章は普通の文と違う!っていう実感もありますが、さらに受け取る人と同じ空間にいることを想像すると、より受け手に寄り添った感じになるんですかね~。しかし、目の前に生きた人がいて、自分の表現するものをちゃんと観て聴いてくれるって、本当にすごい有難いことです。恐いことでもあるけど。そして、その人達が目の前にいるからこそ引き出されるものって、確実にあるんです。ちゃんと向き合えば向き合うほど、それはばっちり受け取って頂けるようです。歌にしても、この数年はなるべく暗譜して臨んでいます(コーラスではしてないけど、ソロの時は)。やっぱり、100%視線を客席に注げないと、譜面に視線が戻るたびに繋がりが途切れちゃいますからね。しっかり聴いてくださっている人の姿はやっぱり目に入ってくるし、この箇所はあの人のほう向いて歌おう!みたいなのもでてくるし、向くべき人のほうに向かせてくださる神様の力を感じたこともあります。なので、やっぱりイイ発信するには、受信力も高めないと・・・ね。これは、このブログでも、教師としても、クリスチャンとしても、恋愛でも、私が反省しきりな部分なんですけど、出すだけ出して相手側の半世界をちゃんと見てないだろ!みたいな。(このブログにコメントくださった方々、ちゃんとお返事しますね。)今宵詠んだ詩じゃないけど、向き合っている相手のページの厚みと、語られない言葉と、隠れた傷とを察することができたら、と思う今日この頃です。

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詩を刷るということ

「君達が形作っているのは、版木だけじゃない、
その周りの空気もだ」
と、先生が版画のクラスで言ったっけ

ノミはきっぱりとした意志を持って
正の空間を、負の空間から
掘り分ける

スポークン・ワード・ポエトリーも、それに似てますね
私が形作るのは、語る言葉だけじゃない、
秘する言葉もだから

ぺンはきっぱりとした意志を持って 
語る言葉を、秘する言葉から
書き分ける

・・・例えばぁ、
今日の朝何食べた、とか
これまで付き合った男は何人、とか
何回 細胞検査を受けたか、とか
ここに来る前にかかってきた電話の内容、とか

語る言葉同様、秘する言葉にも
はっきりとした理由があるもんで
・・・例えばぁ、
全然関係ないから、とか
個人的内容すぎる、とか
語るには辛すぎる、とか
どうやって言葉にしたらいいか まだわかんない、とか
黙って聞き手に委ねたほうがいい、とか

版画のクラスに戻ります
版木を彫り終わったら
版画を刷る準備は万端
彫られた版木の労をねぎらうべく
たっぷり塗るインク
掘り残されたジューシーな面は
バージン・ペーパーにくちづけして
情熱の跡を残し、
彫られた部分は距離を置きつつ
その彫りの深さを紙の白さに託す

詩を刷ることも同じです
ここにいる皆さんは紙
私は版木
もっと正確に言えば、
あなたが私に委ねているこの瞬間が、バージン・ペーパー
だって、人生はまだ誰も触れたことのない瞬間を重ねた紙束
私が用意してきた詩、
ここに書かれた台詞が、彫った版木
私の声、動き、そして存在はインク
私の感情、そしてエネルギーが、その色

あなたの存在と私の存在が
ここでこうして、出会う
たった一度だけ、こんな風に

再び、版画のクラスです
「紙上の版画だけじゃなく、
その向こう側の版木や血も見通しなさい」
と、美術の先生が言ったっけ

そうそう、嫌なトゲがささったり、
うっかり手を切ったこともあった
ある子は掌をザックリ切ってしまった
でも、クラスの作品展を見るだけでは
一番多くの傷を持って作られた作品がどれだか
一番深い傷を持って作られた作品がどれだか
なんてわからない

皆さんの前に立つ詩人の傷も、同じように隠されているんです
・・・例えばぁ、
私も離婚した親の話だとか
死んだ元カレの話だとか
辞めた仕事の話だなんてしないし

完璧な比喩などない
これも、そう

あなたは真っ白な紙ではなく、
人生と傷を背負った生身の人間
あなたも私も今日をここまで生きてきて、
これまでの人生を生きてきた
あなたのヒストーリーと私のストーリーが
ここでこうして、出会う
たった一度だけ、こんな風に

正直、こんな風に詩を刷るのは
生身が晒されるようで、キツい
ただ紙とかブログとかに詩を載せるのとは全然違う

私という版木の体は
聞き手のあなたという生身の体と人生と傷に向かい合っている
あなたの傷は、私の傷より深いかもしれない
あなたの秘した言葉は、私の秘した言葉より大きいかもしれない
あなたの紙束は、私の版木より厚いかもしれない

あなたという紙束の聞き手は
吸収力も観察力もあって
私のインクをじっくり吸い取る
そうして、私が秘した言葉も隠した傷もあなたの内に浸透し、
誰も知らないあなたの深い所にあるそれと
共鳴するのかもしれない

今、私は脆く、恐れ多い気持ちで
皆さんの前に立っています
あなたが委ねてくれた貴重なひと時というページに
相応しいくちずけの跡を
そのバージン・ペーパーに残せたことを
願いながら

スポークン・ワード・ポエトリーのライブレポート、そして才能の使い方

2013-02-03 | 詩の葉
以前イケメン指揮者エリック・ウィティカーにハマっていた、彼についての記事を読みまくっていたのですが(覚えてますか?)、そこで彼が出演していたTEDという世界の名立たる思想家や手腕家によるカンファレンスを主催しているグループを知りました。(すでにご存知の方も多いと思いますが、TEDが無料で配信しているプレゼンの動画は英語の勉強にもなるし、内容もレベルが高くておススメです!TED活用サイトはコチラ)そこで芋づる式に見つけた詩人サラ・ケイのプレゼンとその詩にすっかり感銘を受けたのであります。それまで聞いた事もなかったスポークン・ワード・ポエトリー、それは自分の声と身振り手振りを通して、聴衆の前で詩を最大限に表現するパフォーマンス・アート。すっかりこの詩の形式に魅了された私は、上質なスポークン・ワード・ポエトリーの動画を捜し求めてYouTubeのプレイリストに集め、寝しなにちょいちょい嗜むようになりました。遂には、ご近所のカフェのオープンマイク(誰でも飛び入りで参加できるステージ開放イベント)で自作のスポークン・ワード・ポエトリーを披露するまでに。もともと詩を書くことが趣味でしたが、それをどのように身体表現するか、といったことは考えたことのなかった私に、新しい世界が広がったのでした。

<サラ・ケイのTEDでのプレゼン>

(YouTubeのサイトにとんで、右端のメモ帳みたいなアイコンをクリックすると、日本語の字幕も出ます。)

スポークン・ワード・ポエトリーにハマッてから1年ほどたったでしょうか・・・あのサラ・ケイがスタンフォード大学で詩のパフォーマンスをするイベント「Wordplay」があるというではありませんか!(Facebookさまさま)しかも、スポークン・ワード・ポエトリー相棒のフィル・ケイと一緒に!この2人、ケイという苗字や母親が日本人で父親がユダヤ人、という以外にも信じられないほど共通点が多いのですが、血の繋がりはなく、全くの他人です(「堂本兄弟」みたいなもんです。笑)。彼氏彼女でもありません(しつこいくらいにこの点を強調してました)。この2人は「プロジェクトVOICE」なるものを立ち上げ、世界各国を回って詩を披露したり、子どもから大人まで詩を通した自己表現を教えたりしています。スタンフォードでもワークショップをやってましたが、これはスタンフォードの生徒限定だったので残念ながら参加できず(涙)。

というわけで、心ウキウキわくわくスタンフォード大学のキャンパスに侵入、いや突入したわけなのです。スタンフォード大学は家から結構近いのでよく行くんですけど、私がこれまで在学してきた大学とは比べ物にならないくらい広いので、いつもかなり迷います・・・今回は道を尋ねた学生たちも丁度「Wordplay」に行くところだったので助かりました。いやはや、ライブでスポークン・ワード・ポエトリーを観る楽しさは格別でしたね!いつもYouTubeで観ている2人が、目の前であの詩この詩をパフォームしてくれる不思議な感動。まるで、憧れのアイドルにやっと会えた追っかけファンの気分。詩のパフォーマンスが良かったのはもちろんのこと、2人のMCもとっても気さくでフレンドリーだったし、会場の空気や観客の反応も楽しめました。そこには私と同じようなS&Pファンが大勢いる雰囲気が漂ってましたね。フィルくんの"Geico Gecko"が始まる前の「ゲッコー、キターーーー!!」みたいなざわめき。サラの十八番"B"が始まる前の「お、いよいよか・・・」みたいな厳粛な空気。皆さんもそうとうS&Pにハマってるわね、と親近感を覚えました。会場が大学の構内ということもあり、観客の80%は大学生みたいでしたが、中年のご夫婦も幾組か混じっていました。全体的にアジア人が多かったですね。イベントの主催がフィリピン系学生の会だったせいもあるのかも。

そうそう、可愛い顔して、サラさん、面白いこと言ってましたよ。「詩を書くことは、pooping(排便行為)に似ているわ」って。(会場爆笑)「だって、自分の中にあるものは、出さなきゃいけないでしょ。すぐ出る時もあるし、なかなか出ないこともある。うまくいかなくてイライラすることもあるけど、出ればけっこう快感を味わえる。それに、生きていくために絶対的に必要なことだから。」ちなみにこれは、「ライターズブロックに悩まされることはないんですか?」という質問の答えだそうです(笑)。サラさんの「詩=ウンチ」説によれば、私はただいま重症な便秘だわ。(そして、このブログもね)。他にも「この中で恋をしている人~?」というサラの呼びかけに会場中の若者が盛り上がり(みなさん若いね~☆)、さらに「この中で遠距離恋愛してる人~?」と聞かれて、「ウォ~~~~!」と雄たけびを上げた男子学生がいたりで、観客もノリノリ。それに、「なぜここで?」な所で笑いが起こるのも、YouTubeで観るのとは違って新鮮でした。寺山修司氏は「作者は作品の半分を作り、半分は観客が作る」と言っていますが、その「半世界」のこちら側を皆さんと共有できた、至福の時でした。



観客との距離を縮める2人のMCも良かったですが、やはりメインである詩のパフォーマンスにはヤラレっぱなしでしたね。それも、私のお気に入りばかりセレクトしてくれたかのような「ザ・ベスト・オブ・S&P」ってな感じの演目でした。やっぱ鉄板ポエムってあるんでしょうね~。笑わせたり泣かせたり、硬軟取り混ぜた構成でした。それから、まだYouTubeにはのっていない新作も幾つかあり、得した気分。まずは場慣らしとて、「スポークン・ワード・ポエトリーって何?」というあなたの素朴な疑問に答えてくれる"She Asks Me"(YouTubeではフィル1人だけど、ここでは2人)。弟思いのサラが微笑ましい"Brother"、祖父、父、そして自分と男三代の人生を語るフィルによる新作(YouTubeにのってないからたぶん新作、題は不明)。それからサラとフィルの共通点の多さに驚き、恋人以上に稀有な友人関係が羨ましくなる"An Origin Story"。「前のはもう古いから、また僕について書いてよ」というサラ弟のリクエストに答えた、弟ネタ第二弾の新作"Ghost Ship"。それからフィルのなりきりゲッコー(やもり)と微妙なイギリス訛りがおかしい"Geico Gecko"。(これってフィル作のオリジナルキャラかと思っていたら、某保険会社のコマーシャルに登場するキャラだったのね・・・)それからサラによる恋愛モノ2本立て"Postcards"と"Toothbrush to the Bicycle Tire"。フィルの日本人祖父とユダヤ人祖父を通して民族間の確執と和解を描いた"Teeth"。冒頭のTEDに出演したサラを一躍有名にした"B"。そして、両親の離婚を通して言葉の重さを実感したフィルの十八番、"Repetition"。そして、やっぱりシメはこれよね!的な"When Love Arrives"。初恋から黄昏の恋まで、老若男女に効く普遍的な恋の詩。絶好調の時にも、失恋した時にも、ばっちり沁みます!



終わった後の会場は、なんだかほっこりした雰囲気でした。「あの詩のここが良かったね~」と嬉しそうに奥さんに話しかけてる旦那さんがいたり、「やっぱいいよね~、サラ&フィル!」って盛り上がってる女子学生がいたり。オリジナル詩集やTシャツを販売し、それらにサインをしたり、一緒に写真に写ったりと、かなりスターなサラとフィル、そしてかなりミーハー気分な私。長蛇の列に並んだ末、やっとサラの前に辿り着いた私の第一声は"Finally!"(やっと会えた!)「列、長かったもんね」と言うサラに、「それもあるけど、一年くらい前にYouTubeのあなたの詩にハマってから、ずっと会いたかったから」と私。それから横にいたフィルには、「『おじいちゃま』の発音、かわいかったですね」と言ってみました。だって、本当にかわいかったんですから!写真を一緒に撮る時には、フィルが「君の靴、可愛いね」と言えば、「っていうか、あなた全体的にオシャレよ」とサラが言ってくれて、嬉しかったな~。というのも、かなりサラをイメージしたファッションで行きましたからね。髪もクルクルにしてみたし。どんだけ好きなんだっていう(笑)。とにかく実物のサラもとってもチャーミングでかつ堂々としてたし、フィルはちょっとスカした感もあるけど茶目っ気もある好青年でした。まだまだ続きそうなあったかいサイン会に後ろ髪ひかれながらも、あまり夜遅くまで不慣れなスタンフォード・キャンパスを彷徨いたくなかったので、会場を後にしました。(実際、車を見つけるのは一苦労だったし・・・)



その後も興奮冷めやらぬ私は、サラとフィルと一緒に撮った写真(↑)を加工したりして一夜を明かし、今夜もこうしてせっせとブログ記事を書いてるわけなんですね。いやはや、やっぱりイイ余韻は長持ちさせなきゃね。そういえば、サインに記念写真と大忙しの2人をスター呼ばわりしてしまいましたが、私が心酔しているもう1人のスポークン・ワード詩人テイラー・マリは「プロジェクトVOICE」のホームページでサラ・ケイを次のように称しています。「ティーンエイジャーのサラ・ケイが"バワリー詩の会"に出入りし始めた頃、よく"素晴らしいヤング詩人"とうわさされていたけど、それってバカらしいよね。彼女は"素晴らしい詩人"だったんだよ。年についての形容などいらないね。サラが詩の会で俺達をうちのめしたあの様子から、彼女がスター以外の何者でもないことを知っておくべきだったのさ。それは、"スーパースター"や"ムービースター"といったたぐいの"スター"じゃなく、この世から離れた場所から光を放ったり、方角の目印になったり、願いをかけられたりするって意味での"スター"さ。」自身が詩人ってこともあり、テイラー・マリ氏、なかなか素敵な紹介をしてくれるじゃないですか。"B"の詩集にかいてくれた、サラのサインにも☆がついてましたしね。スター・サラ。



このサラとフィルは、詩のパフォーマンスだけでなく、小学校から大学院まで回って詩のワークショップをしたり、若い子達の自己表現の支援をしているところが、素晴らしいです!この2人が立ち上げた「プロジェクトVOICE」のミッションは「スポークンワードによって、楽しみと教育と刺激を生み出すこと」だそうです。サラが冒頭のTEDに出演した時も、大学時代に近辺の高校で詩のクラブを作って、なかなか詩が書けない子がものすごく個性的な詩を書くまでになったエピソードを話していました。自分の才能を磨くだけでなく、他者の才能を見つけ磨いていたからこそ、TEDからもお声がかかったんだと思うんですよね。前述の元教師でもあるスポークン・ワード詩人テイラー・マリ氏は、「教育について語ることによって、1000人教師を生み出す会」を立ち上げていますし、エリック・ウィティカーのヴァーチャル合唱団も然り。彼らの単なる自己表現を超えた社会福祉的創作活動には、最近知人の紹介で読んだ内田樹氏のブログ記事「才能の枯渇について」に通じるものを感じます。そこで一部掲載。「才能は自己利益のために用いると失われる。『世のため人のため』に使っているうちに、才能はだんだんその人に血肉化してゆき、やがて、その人の本性の一部になる。そこまで内面化した才能はもう揺るがない。でも、逆に天賦の才能をもっぱら自己利益のために使うと、才能はゆっくり目減りしてくる。才能を威信や名声や貨幣と交換していると、それはだんだんその人自身から『疎遠』なものとなってゆく。他人のために使うと、才能は内在化し、血肉化し、自分のために使うと、才能は外在化し、モノ化し、やがて剥離して、風に飛ばされて、消えてゆく。」これには、唸らされましたね。才能は贈り物で、たまたま手元に預けられており、それをうまく使うことが委ねられている・・・とまるで聖書のタラントのたとえみたい。目減りがちな私のタラント活動に渇!を入れてくれるお言葉でやんす。それにサラとフィルの姿を見て、私も「何かしよっ!」と才能を使うモチベーションがあがりましたよ。まぁ、世のため人のためと言いつつも、自己利益も考えちゃう不純な動機と常に戦ってますけどね。だからといって何もしないんじゃ、タラントを埋めた人と同じになっちゃうので、100%純粋な動機じゃなくても、とりあえず始めてみようかな、と。そういえば、以前何かのセミナーに参加した時に「自分のライフ・ワークにミッションを掲げる」という課題があって、「クリエイティブな活動を通して、人と人を隔てている壁を取り壊す」というミッションを思いついたんでしたっけ。そのミッションに沿うように、創作意欲と活動の場が与えられるように祈っていこっと。皆さんにも、応援して頂けると嬉しいです。頑張って、恩返ししますので。

日本へ II

2011-03-21 | 詩の葉
日本へ II


傷つくあなたを見て、
やっと
あなたを愛しているということを
思い知らされた

苦しむあなたを感じて、
やっぱり
あなたが私の一部だということを
突きつけられた

どんなに遠く離れても
どんなに長く留守にしても
あなたは私の国には変わりない
私の土台には変わりない

(他の国が苦しんでいる時にも
同じ痛みを感じなければ
真の国際人とは言えないのかもしれないが、
私の胸の内にも国境は存在するようだ・・・)

こうして
あなたの体は2.4メートル、私に近づいた
こうして
私の心は太平洋超え、あなたに近づいた


あなたが感じる痛みに
寄り添いたい

これから
立ち上がるあなたを
助けたい

これまで
私を育んでくれたあなたに
お返しをするためにも

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「日本へ」というタイトルで書き出したのですが、「前にも『日本へ』って詩を書いたような・・・」と思って探したら、ありました、ありました。(コレ) ってことで、これは第二弾です。あれ、私って、結構ジャパン・ラブなんですね。日本ネタの詩は幾つか書いてますが、アメリカネタは一つしか書いたことがありません。擬人化もしてません。(ここには載せてませんが。)いやぁ、「失わないとその大切さに気がつかない」ってよく言いますけど、「有事になって初めて気付く」っていうのも、それに近いものがありますね。まぁ、それだけ甘えがあった、ってことなんですけど。でも今回は、甘えてられないわ。逆に私にちょっと甘えてくださいな、日本さん。


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(後日談)
ブログでこの詩を公表してしまってから、日本は西に2.4メートル動いたのではなく、東に2.4メートル動いたのだと知りました。方向音痴ぶりを晒してしまい、すみません。

元はこうでした。

「あなたが2.4メートル
 私から遠くなったとしても
 私の心は はるかに
 あなたに近くなった」

さすがに、そのままだと事実に反するので、五連目だけ書き直させて頂きました。(11月12日付け)


ごちそう

2011-02-15 | 詩の葉
最近、私はある友人の厚意に感動しました。そして思ったのです。どうしたら、こんな風に人を思いやれるんだろう。こんな風に愛せるんだろう。その秘訣を知りたいなぁ、と。しかし、秘訣を教わったからとて、それをそのまま真似る愛、人のやり方をなぞる愛は、本物ではないかもしれない。…それで、こんな詩を書きました。

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ごちそう


ごちそうさま。

おそまつさま。

いえいえ、
本当にごちそうでした。
私もつくりたいです、
こんなごちそう。

ええ、
つくれますよ、
あなたにも。

そうですか、
では、レシピを
教えてください。

レシピをあげるのは
簡単です。
でも、
それでは
本物のごちそうにはなりません。

では、
どうすればよいのですか。

よく味わうのです。
そして、
その味が生まれた過程を
想像してごらんなさい。
そして、
自分なりに
つくってみるのです。

同じ味が
できるでしょうか。

たくさんの
ごちそうを味わいなさい。
そうして
出会った味に
恩返しができるよう、
周りの人に
その味をお広めなさい。
そうして
広がるごちそうの波紋の中で、
味はますます磨かれ、
深まっていくのです。

本当に、ごちそうさまでした。

いえ、どういたしまして。

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私の尊敬するクリスチャンに、はちこさんという素敵な女性がいるのですが、この詩を書いた後に彼女のブログに書いてあったレシピのメタファーを思い出しました。(ってことは、この詩はパクリ?)「レシピ」とは神様の愛の原則で、「パン」とはその愛が体現されたもの。でも、「私たちはしばしばお腹をすかせた人に、パンを与えるかわりにレシピを与えてしまうことがあります。」(by ケン・ガイア「魂の窓」←この本オススメ!)レシピじゃ腹は満たせないよ、ってことですよね。「私たち一人ひとりが、レシピではなくパンを、この世に提供できる者となれますように。この生身の身体を用いて、キリストを体現することができますように。」というはちこさんの言葉に、アーメンです!

さて、かの向田邦子さんは、味を覚えて再現することが得意だったそうです。「名人上手の創った味を覚え、盗み、記憶して、忘れないうちに自分で再現して見る-これが私の料理のお稽古なのです。」とエッセイ「眠る盃」に書かれていました。なんでも、右手を右のこめかみに当て目を閉じて精神集中すると、全神経がビー玉ほどの大きさになって右目の奥にスウッと集まった感じになる―そこで「この味は覚えたぞ」ということになるのだとか!私の場合、気がついたらお皿が空っぽになっているので(あれ?)、まずはじっくりと味を堪能する訓練が必要なようですが。

なんかね、「てっとり早くレシピくれよ!」って思うこともありますけどね。つまり、いい授業案とか、恋愛テクとか、伝道法とか。単なるレシピ集めに夢中になったり。それでやった気になってる。でも結局、自分で「あーでもない、こーでもない」と試行錯誤しながらパン焼いて、「ごちそうさま!」な笑顔を少しずつ増やしていくのが本物なんだろうな。

ちなみに私は、実際にキッチンではレシピを使わず、アバウトに料理する派です。同じ料理は二度と出来ない。だから、パンやお菓子がまともに焼けたことがありません。レシピも大事!?


カセットテープ

2010-12-22 | 詩の葉
学生時代の友人が、「男はカセットテープのツメ跡を塞いで、古い曲に覆い被せるように新しい恋をする。女はちゃんと空白を作って吹っ切れてから、次の恋をする。」なーんて言ってましたっけ。そうそう!と思う人、「私もそう思う」をクリック!あ、ここはYahooのコメント欄じゃなかった・・・ まぁ、男も女も関係ない気がしますけどね。誰にでも、ちゃんと吹っ切れてないのに、次いっちゃうこと、あるんじゃないでしょうか。英語だと、そういう反動的な恋愛をリバウンドと呼んだりしますけど。(ダイエットのリバウンドではないw)私も「もう、お腹いっぱい・・・」と言いつつ、美味しそうな食べ物を見ると、オカワリしてたことがあったかも。(遠い目)それって、ただの食いしん坊!?まぁ、若かったということで。(苦笑)とにかく、そんなこと続けてると、テープも胃も心も伸びちゃって、疲れます。深呼吸が必要です。沈黙も愉しみましょうよ。・・・ってなもんで、こんな詩できました。

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カセットテープ

もう聴くことのなくなった曲を
あなたはどうやって
やりすごすのだろうか

ツメの折れ跡を塞いで
新しい曲を被せることで
忘れてしまうのだろうか

わずかに残るそのノイズ
先に進むことを知らない
伸びかかった磁気テープ

私ならば
カセットテープを
てのひらに載せて
その軽さに泣くのだろう

そうしていつかその曲が 
頭の中で鳴りやむ時、
深呼吸ひとつぶんの空白の後に
新しい曲を 迎え入れる

一生に一本の テープなら
端から端まで 走りきらせたい
ある一部だけ 擦り減らすのでなく
端から端まで 選ばれし曲たちと
濃密な沈黙を 織り交ぜながら

日本は遠い国ですか

2010-12-15 | 詩の葉
日本人・日系人が多いベイエリアで、日本につながりがある子ども達に、継承語として日本語を教えて始めて、はや7ヶ月が過ぎました。新年度の前には、継承語教育についてリサーチし、その道のエキスポートに会いに行き、カリキュラム作りをし・・・と準備をしたのですが、実際に教えてみると、机上の理論通りにはいかないわけですな。当たり前ですけれど。そんな風に子ども達と時間を過ごしているうちに、こんな詩ができました。これは、この仕事をしていなかったら、おそらく書かなかった、いや書けなかった詩だろうと思います。子ども達よ、ありがとう。

さて、自分の詩を声に出して人に聞かせるのは恥ずかしいのですが、教室で子ども達に読み聞かせてみました。すると・・・今までになかったくらいの教室の静けさ。色々な読み教材を探したり、選んだりしてきたのですが、時には自分自身の言葉で伝えるって大事なんだな、と思い知らされました。子ども達よ、またまた、ありがとう。

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日本は遠い国ですか


日本は遠い国ですか
飛行機に乗れば、丸半日
船に乗れば、丸半月
毎年、帰るわけじゃない

日本は遠い国ですか
いえいえ、そうではありません
お皿に、おわんに、日本を入れて
毎日、おはしで食べられます

日本は遠い国ですか
いえいえ、そうではありません
ポッケに、かばんに、日本を入れて
毎日、いっしょに遊べます

日本は遠い国ですか
いえいえ、そうではありません
メロディ、言葉に、日本をのせて
毎朝、楽しく歌えます

日本は遠い国ですか
いえいえ、そうではありません
本や、写真で、日本を目にし
毎晩、ふらりと立ち寄れます

日本は遠い国ですか
いえいえ、そうではありません
電話や、手紙で、日本と語り
毎月、仲良く過ごせます

日本は遠い国ですか
いえいえ、そうではありません
正月、お盆に、日本をまとい
毎年、肌身につけられます

日本は遠い国ですか
いえいえ、そうではありません
八月、胸に、日本を抱いて
毎年、平和を祈れます

日本は遠い国ですか
心に想えば、一瞬で
子に伝えれば、一世代
離れても、遠いわけじゃない

春夏秋冬 

2010-11-16 | 詩の葉
出来たての詩で、ございます。
「しゅんかしゅうとう」ではなく、
「はるなつあきふゆ」とお読みください。
では。

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春夏秋冬 


春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬

また春が来た
また夏が来た
また秋が来た
また冬が来た

春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬

忘れられない春
忘れられない夏
忘れられない秋
忘れられない冬

春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬

同じ春は来ない
同じ夏は来ない
同じ秋は来ない
同じ冬は来ない

春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬
春 夏 秋 冬

あと何度の春
あと何度の夏
あと何度の秋
あと何度の冬

春夏秋冬
春夏秋冬
春夏秋冬
春夏秋冬・・・

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いたってシンプルな詩ですけれども、その分引き出しが広いと思います。
人の数だけ、生きてきた年の数だけ、春夏秋冬がある。
各行、単なる繰り返しではなく、
様々な春夏秋冬を思ってゆっくり読んで頂きたいな。

愛の木の下で...

2010-11-04 | 詩の葉
「愛について」 殿岡 辰雄


ひとを
愛したという記憶はいいものだ
いつもみどりのこずえのように
たかくやさしく どこかでゆれている

ひとに
愛されたというおもいはいいものだ
いつも匂いやかなそよ風の眼のように
ひとしれず
こちらむいて またたいている

「愛」をいしずえとして
ひとよ
生きているといろんなことがあるものだ


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「木肌がすこしあたたかいとき」 高橋順子

木肌がすこしあたたかいときは
優しい恋唄をうたっている
人間だったときに
うたえなかった うたを


両思いかもね

2010-04-12 | 詩の葉
「言の葉ひらひら」を見渡してみると、このところ「詩の葉」が多い感じがしますよねぇ。ここには全部載せてませんが、いい詩を読ませて頂いたり、書かせて頂いたりと、最近はいつになく詩とラブラブなのかもしれません。「詩帰り」の頃は、詩を放ったらかしにしていて、いつぞや別れを告げられるのでは?と恐れている恋人みたいな心境でしたが… まぁ、ラブラブね♡なんて思ってあぐらかいてると、危機がやってきますから、油断は禁物ですけれど。

さて、ある方に「深呼吸の必要」(長田弘)という詩集を薦められていたので、今日さっそく本屋さんに行ってきました。(今日の一句:アメリカに 紀伊国屋ある 嬉しさよ)で、その本はなかったのですが、代わりに詩関連の本が皆50%OFFになっているではありませんか!詩との両思いを確信しましたね。思わず、大人買いです。

「二十億光年の孤独」(谷川俊太郎)
「詩ってなんだろう」(谷川俊太郎)
「みみをすます/Listening」(谷川俊太郎)←日本語と英語訳併せて一冊。CD付き!
「自分の感受性くらい」(茨城のり子)

他にも日本語教育に使えそうなもの数冊が半額。なんてラッキー・デイでしょう!ひとつ言わせて頂くと、谷川俊太郎の愛読者ではあるのですが、他の詩人の本ももっと置いて欲しかったような… 今日は浮気(?)するつもりで行ったのに、彼の詩からはやはり逃げられません。(笑)

こぼれ話:店員さんに「詩集はどこにありますか?」って訊いたら、「詩の本ですよね?」って、確かめてくれました。それから家に帰り、茨城のり子さんの「詩集と刺繍」を読んで笑いました。

人口衛星

2010-02-05 | 詩の葉
人口衛星

一定のスピードで
小さな人口衛星が
空をよぎっていく

見上げている
私の視線の先を
一直線に導いていく

君は星ではない

一度、目を離してしまえば
見つけられはしない
頭をよぎりもしまい

もう 二度と

ぶぶんぶん

2009-10-02 | 詩の葉
今日は、「あなたに会いたくて生まれてきた詩」という詩集を読んでいたのですが、その内の半数は子どもが書いた詩だったんです。いやぁ、心洗われましたね~、っていうか、泣けてきてヤバかった。(仕事中でしたから)え、何で仕事中に詩集なんか読んでいるのかって?まぁ、そういう仕事なんですよ。アメリカの地で育つ子供に、日本語とその心を受け継いでもらおうという・・・詳しい話は、またいつか書きますけど。

という訳で、童心に返って詩を書いてみました~。

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ぶぶんぶん

はえがとぶとぶ
うるさいな
ぶんぶんぶんぶんぶぶんぶん
はやくどっかに
きえてくれ

そこへ2ひき目
やってきて
ぶんぶんぶんぶんぶぶんぶん
ぶんぶんぶんぶんぶぶんぶん
たぁかい音で ぶぶんぶん
ひぃくい音で ぶぶんぶん
はえもハモリが
できるのね

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ちなみに私の涙腺を刺激した詩たちとは・・・

さくら 
酒井健司(3歳)

おばあちゃん
おはなみにいって
さくらのはなが
ごはんのうえに
おちてきたら
どうしたらいいの

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おかあさんはおふろのかんごふさん  
さとう ゆうすけ(小1)

いつも、ぼくにはなしてくれる。
おふろは、とてもきもちいいよね。
まいにちはいりたいよね。
でも、大すきでも、はいりたくても、
はいれない人が、たくさんいるんだって。
だから、おかあさんは、
どんなとおくでも、いきたいんだ。
ひとりで、はいれない
からだのふじゆうな人のために。

ぼくにはなすんだ。
「てをにぎるとね、おはなしできなくても
わらってくれる。」って。
目になみだをいっぱいためて。
あかあさんは、こころもからだも
あったかくしてあげるんだ。
おかあさん、がんばれ。

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すいめん 
竹谷育美(小5)

プールのすいめん見だっきゃ
ふたごののぞみが見えできたんず
おなか見る機械さ かげも見えなくて
もう一人いるごと おらしか
知らなかったんず
おら 先に生まれで 初めでみんな
もう一人いることがわがったばって
のぞみ死んで生まれてきたんず
すいめんののぞみ おらさこういった
わのぶんも 一生けんめい生ぎで
悲しそうに 言ったはんで
なみだがこぼれそうになったんず

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じいちゃんの耳  
中川さや子(小6)

十二月になると
じいちゃんの耳が黒くなる
サトウキビ畑で、キビ葉をむく
じいちゃんの耳が黒くなる
北風に当たると
じいちゃんの耳が黒くなる

むかしむかし 大むかし
じいちゃんは
マンシュウヘ せんそうに行った

それいらい
じいちゃんの耳は黒くなる
寒くなると黒くなる

じいちゃんの耳は
マンシュウをおぼえてる
むかしむかしのせんそうを
おぼえてる

詩は愛に似ている

2009-09-22 | 詩の葉
最近、宇野千代さんの「普段着の生きていく私」という本を読んでいるのですが、いい文を書きたい、いい恋をしたい、と思わせてくれます。(それに、笑えるし、元気も出る!)そこで、こんな詩できました。

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詩は愛に似ている


詩を詩としたらしめるものは何か
他の文章と何が違うというのか

愛を愛としたらしめるものは何か
他の感情と何が違うというのか

改行して 見た目を良くし、
リズム揃えて 耳障りを良くし、
比喩を用いて 美しいイメージを描く
それで 詩のようには、なる
でも それは本物かどうか

着飾って 見た目を良くし、
甘い言葉で 耳障りを良くし、
優しい約束で 未来のイメージを描く
それで 愛のようには、なる
でも それは本物かどうか

本物の詩が あなたと出会う時、
本物の愛が あなたと出会う時、
あなたはそれ以前のあなたよりも
もっと、あなたらしいあなたになる

我が詩よ、愛に似たものであれ
我が愛よ、詩に似たものであれ

詩帰り

2009-08-25 | 詩の葉
最近、詩を書いてなかったんですよね~。書かないでいると、いよいよ書く気がなくなるっていうか、その根底には実はこんな(↓)恐怖心があった訳なんですけど。でも、一行目をまず書いちゃったら、後は出てきました。なんか、詩に安心させてもらったというか、これで安心しちゃいけないっていうか・・・もっと詩家に帰らなきゃね。

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詩帰り


詩が書けなくなる気がして こわい
絵が描けなくなる気は しない
歌が歌えなくなる気も しない

なのに
日常を繰り返していると
詩から離れた生活をしていると
ある日突然、詩から見放されそうで

やっと家に帰った放蕩息子を
出迎えてくれるはずの詩は 
もう
いない

がらんどうの家に
私の声だけが響く

もう一回 書かせて
もう一回だけ 書かせてくれ


私は、待とう

きっと 詩にだって 
放蕩息子になりたい時があるのだ
そして
家に帰りたくなる時も