言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

ごちそう

2011-02-15 | 詩の葉
最近、私はある友人の厚意に感動しました。そして思ったのです。どうしたら、こんな風に人を思いやれるんだろう。こんな風に愛せるんだろう。その秘訣を知りたいなぁ、と。しかし、秘訣を教わったからとて、それをそのまま真似る愛、人のやり方をなぞる愛は、本物ではないかもしれない。…それで、こんな詩を書きました。

*************************************

ごちそう


ごちそうさま。

おそまつさま。

いえいえ、
本当にごちそうでした。
私もつくりたいです、
こんなごちそう。

ええ、
つくれますよ、
あなたにも。

そうですか、
では、レシピを
教えてください。

レシピをあげるのは
簡単です。
でも、
それでは
本物のごちそうにはなりません。

では、
どうすればよいのですか。

よく味わうのです。
そして、
その味が生まれた過程を
想像してごらんなさい。
そして、
自分なりに
つくってみるのです。

同じ味が
できるでしょうか。

たくさんの
ごちそうを味わいなさい。
そうして
出会った味に
恩返しができるよう、
周りの人に
その味をお広めなさい。
そうして
広がるごちそうの波紋の中で、
味はますます磨かれ、
深まっていくのです。

本当に、ごちそうさまでした。

いえ、どういたしまして。

*************************************

私の尊敬するクリスチャンに、はちこさんという素敵な女性がいるのですが、この詩を書いた後に彼女のブログに書いてあったレシピのメタファーを思い出しました。(ってことは、この詩はパクリ?)「レシピ」とは神様の愛の原則で、「パン」とはその愛が体現されたもの。でも、「私たちはしばしばお腹をすかせた人に、パンを与えるかわりにレシピを与えてしまうことがあります。」(by ケン・ガイア「魂の窓」←この本オススメ!)レシピじゃ腹は満たせないよ、ってことですよね。「私たち一人ひとりが、レシピではなくパンを、この世に提供できる者となれますように。この生身の身体を用いて、キリストを体現することができますように。」というはちこさんの言葉に、アーメンです!

さて、かの向田邦子さんは、味を覚えて再現することが得意だったそうです。「名人上手の創った味を覚え、盗み、記憶して、忘れないうちに自分で再現して見る-これが私の料理のお稽古なのです。」とエッセイ「眠る盃」に書かれていました。なんでも、右手を右のこめかみに当て目を閉じて精神集中すると、全神経がビー玉ほどの大きさになって右目の奥にスウッと集まった感じになる―そこで「この味は覚えたぞ」ということになるのだとか!私の場合、気がついたらお皿が空っぽになっているので(あれ?)、まずはじっくりと味を堪能する訓練が必要なようですが。

なんかね、「てっとり早くレシピくれよ!」って思うこともありますけどね。つまり、いい授業案とか、恋愛テクとか、伝道法とか。単なるレシピ集めに夢中になったり。それでやった気になってる。でも結局、自分で「あーでもない、こーでもない」と試行錯誤しながらパン焼いて、「ごちそうさま!」な笑顔を少しずつ増やしていくのが本物なんだろうな。

ちなみに私は、実際にキッチンではレシピを使わず、アバウトに料理する派です。同じ料理は二度と出来ない。だから、パンやお菓子がまともに焼けたことがありません。レシピも大事!?


Feast

2011-02-15 | leaves on POETRY
Recently, I was touched by my friend’s kindness. Then I wondered, “How can I care for others like this? How can I love others like this? I’d like to know the secret.” But even if I get the secret, just copying someone’s method, tracing others’ track may not be the real kind of love. So I wrote a poem to figure it out.

*************************************

Feast


What a feast!

Not at all.

Really,
it was a feast.
I’d love to
give a feast like this!

Sure,
you can too.

Really?
Then give me
the recipes!

It’s easy to
give out the recipes.
But you can’t
make a real feast
just like that.

I see.
What can I do then?

Savor well
each flavor.
Then imagine how those
flavors came to be.
Then cook
as you have imagined.

Can I duplicate
the same flavor?

Enjoy many feasts.
Then as to repay
the great flavors,
you do your best to
spread the flavors around.
As they spread
with rippling feasts,
the flavor will be
enriched and deepened.

Wow,
thank you for the feast.

You’re welcome.

*************************************

Among many Christians I respect, Hachiko-san was the one that came to my mind after I wrote this poem. Then I remembered her blog entry (Thank you Meg, for translating) about the recipe metaphor. (Did I take-off on her?) “Recipe” represents God’s principles of love. “Bread” is the actual life lived out of love. “What people are drawn to is the smell of freshly baked bread… However, we often give starving people the recipe, instead of the bread.” (Ken Gire “Windows of the Soul” (a great read, btw)) In other words, you can’t fill a stomach with a recipe. She ended her entry with a prayer, “May each of us cater bread, not recipe, to this world. May we embody Christ with our own flesh.” I say amen to that!

Sometimes I feel like, “Just hand me the recipe!” Yeah, like great lesson plans, rules for romance, and outreach programs. Then I really get into just collecting the “recipes”, feeling like I’ve done the job. But the real way to go is going after “What a feast!” smile one by one, through a trial-and-error process myself, baking real breads.

By the way, I rarely use recipes in my kitchen to cook. I’m an ad-lib cook. Can’t make a same dish twice. So I am not really good at baking breads or cakes. Recipes can do some good too.

バーチャル合唱団、その象徴性と可能性

2011-02-04 | 音の葉


「嗚呼、二ヶ月前に戻れたら!」昨夜YouTubeで、イイ男、いえイイ音楽を物色していた私は、激しく後悔の念に襲われたのでした。その理由を皆さんにも説明いたしましょう。以前このブログでも紹介したカッコイイ指揮者の代名詞、エリック・ウィティカーの「バーチャル合唱団」なるプロジェクトをYouTubeにて発見。それは、YouTubeを通して集められ、ウィティカー氏の指揮によって束ねられた、世界各国の歌い手による動画の結集でした。名づけて"Eric Whitacre's Virtual Choir"。まずは、世界中の参加希望者達がYouTubeで彼の指揮を見ながら独り歌いを録画し、YouTubeにその動画を投稿。そこから厳選された動画達を編集し、「合唱」としてまとめられた第一弾の曲の動画“Lux Aurumque”、まずはご覧あれ。



そして第二弾“Sleep”のため全世界の潜在的歌い手に向けられたYouTube指揮を見つけた私は、大コーフン!この曲、クワイヤーで歌ったことある!よし、いっちょう私も応募してみっか!と思いきや、エリック・ウィティカーの公式ウェブページで、“Sleep”の動画投稿は、去年の12月31日に締め切られたことを知りました…チーン。あとは、4月に第二弾“Sleep”がYouTubeで公開されるまで、そして第三弾が始まるまで、指をくわえて待っているしかないのか…いやいや、ただボーッと待つのではなく、次の機会のためアクティブに準備したいものですね。ほら、そこのあなたもご一緒にいかがですか?

さて、このバーチャル合唱団の感想を述べさせて頂きます。一聴すると、リアル合唱団による“Lux Aurumque”と、そんなには違わないかも。でも、やっぱりリアルの方が臨場感があるし、ナマモノ感がありますね。うねってる。バーチャル合唱団の方が、人工的。じゃあ、何故わざわざバーチャルで合唱するのか?そもそもそれは「合唱」と呼べるのか?(実際、こんなの「合唱」じゃない!とコメントしている人もいた。)しかしこのバーチャル合唱団、出来上がった音声を楽しむだけではなく、その象徴的コンセプトに学ぶところが多い気がしたのです。

ここで、このバーチャル合唱団がどのようにして生まれたのか、という話にさかのぼりましょう。自称エリック・ウィティカー中毒の少女が、自分で“Sleep”を歌う姿をYouTubeにアップし、そのリンクを紹介されたウィティカー氏が、「アハ体験」しちゃった訳です。「これはすごいことを思いついてしまった―僕は思わず武者震いしました。100人の人がみんな自分のパートを録音したら、僕らの方で全部合わせられるし、バーチャルコーラスができるぞ!と思いついたのです。」と公式ウェブページで彼は語っています。(日本語訳はこちら

そこで、彼はバーチャル合唱団の象徴的コンセプトについても述べています。このバーチャル合唱団は、「人間がみな持っている、人とつながる絆の必要性を詩的に象徴している」と。また、音楽が会ったことのない人達をつないでいることに感動し、完成曲を聴きながら涙ぐんだそうです。(エエ人や)いやぁ、エリック・ウィティカー、音楽的にも天才だけど、YouTubeさばきもなかなかのもの。そして五つのパンと二匹の魚みたいに、一人の少女が捧げた動画からこんなに壮大なプロジェクトを考えつくなんて…惚れ直すなぁ。(照)

<エリック・ウィティカー氏、TEDでバーチャル合唱団の起こりを語る>


これは、クリスチャンにとっても象徴的ですよね。「指揮者」をちゃんと見ること。会ったこともない人達とも時空を超えて、一つの歌を和して歌っていること。一人のようでも、一人じゃないこと。そして、詩的に象徴された縦と横の絆の必要性。また、独りコンピューター・スクリーンに向かいつつも、チャットやSNSなどで人とのつながりを求めているネット社会の現代人をも象徴している。

それだけではなく、このバーチャル合唱団は、バーチャル世界での様々な可能性を提示してくれています。私の日本の出身校、三育学院ではOBクワイヤーなるものがありましたが、海外などにいて物理的に集まれなくても、このようにバーチャルで声を集めることが可能じゃないかと。そりゃ、リアル合唱には敵わない要素も沢山あります。同じ場所で味わえる一体感や一緒に造り上げるプロセスが欠けています。でも、バーチャルだから出来るってこともあるんじゃないでしょうか?そこにあるのは、物理的に集まれない人同士がコラボできる可能性。バーチャル・オペラ、バーチャル演劇、バーチャル結婚式(?)、もう何でもあり!?

という訳で、すっかり一人で盛り上がっているワタクシでございますが、冷静になるためにダメだしもしたいと思います。エリック・ウィティカー様にダメだしなんて、アンタ何様?という感じですけど、愛ゆえのダメだしですから。(いえ、このプロジェクトの可能性に対する愛ですって。)さて、第一弾バーチャル合唱見て思ったんですけど…音楽は素晴らしいのに、映像がチープ!かなり残念。なので、映像の質を良くして、さらに巷に溢れるミュージック・ビデオのようにストーリー性が感じられるものになればいいな、と。(欲張り?)沢山の声と顔が世界中から集まり、指揮を通して一つになっている、その縦と横の絆の詩的象徴を映像を介して現わして欲しかった。第二弾に期待してます!

「最終的には、バーチャル合唱のための曲を書いて、サイバースペースで最初の『公演』をするのが夢だ。」と語るウィティカー氏。きっともう思案中だとは思うのですが、わざわざバーチャルのために書くのなら、リアル合唱のための曲とは全く違うものを期待しますね。そう、時空を超えるバーチャル性を活かせる曲を。せっかく国際色豊かな歌い手が集まっているんだから色んな言語や民族音楽を混ぜるとか、ソロパートや掛け合いを増やすとか、一人ハモリ入れちゃうとか(この人スゴイ)。あと、ざわざわしゃべりパートのある“Cloudburst”なんか、バーチャル向きかも。(雨とかすごくなりそう!)ちなみに第一弾“Lux Aurumque”はソロパートがあったけど、第二弾“Sleep”にはありません。(バーチャル版につけ足してない限りね)リアルとバーチャルの“Sleep”と比べて、「じゃあ、わざわざバーチャル版をやった意義は何?」とか言われないかなぁ。「バーチャルの動画にリアルの音声を被せてもバレないじゃん疑惑」が、生まれそうだし。“Sleep”大好きだけど、あえてバーチャルにする必要性が薄いような…“Lux Aurumque”では、ソロの人の顔がど~んと大きくなって画面の真ん中に出てきたりして、面白かった!ああいうのが、バーチャル版の醍醐味じゃないですかね。リアル合唱では出来ない視覚的演出を、音楽に合わせてするのが。ソロパート、掛けあわせ、一人ハモリ、多言語パーツがあれば、視覚的にも楽しそうだし♪それから、バーチャル合唱ならではのメッセージ性、例えば世界平和的テーマを音楽と映像で現わせるのでは?…な~んて、勝手に人の夢を膨らませちゃって、「あなたの夢は私の夢!」と言わんばかりのバーチャル・ドリーマーな私なのでした。