前回、「辛いときも 幸せなときも」という詩を書いてみて、漢字もよいものだなぁ~、と思ったのですが、他にも漢字の部首を題材にした詩があったことを思いだしたので、ここにご紹介します。
歩く
by 三谷 恵子
「歩」という字は
なぜ
「止まる」「少し」と書くのだろう
歩く
道を歩きながら
考える
止まってみよう
少しだけ
道の途中だけれど
一息ついて
ふりかえる
なぜか
「歩く」を感じる
うーん、いいですねぇ。漢字を感じる詩です。7行目と8行目の頭が並んで、「歩」に見えるところもいいです。(もともとは縦書きなので、こうは見えませんでしたが。)そうそう、小・中学生に漢字を教える時、こんな風に部首に関連する詩を書かせたりするといいかもしれないですね。右脳が鍛えられそうで。でも、先生がみんなにヤラセるより、ふと漢字に感じた子が何の気なしに詩を書く方がいいかもしれない。
それから、たま~に読む「きっこのブログ」で最近紹介されていた住宅顕信さんの自由律俳句や宮田美乃里さんの短歌もすごい良かったです。俳句の密度は半端じゃないですね。たまに俳句も書いてみるのですが、wordyな私には難しい。。。
両手に星をつかみたい子のバンザイ
by 住宅顕信
母の日に真赤なカーネーション贈る(私も子供を産みたかったの)
by 宮田美乃里
二人とも、残り少ない命を燃やして創作していたようです。住宅氏は白血病と戦いつつ病室で子供を育てていたそうですし、宮田氏は乳癌で左乳房を全摘出するも、全身転移、延命治療を拒んで亡くなったそうです。そういう背景を知ると、ますますその限られた言葉達の重みがこう、どーんと、響いてきますね。。。太く短い、俳句のような人生、それも十分何かを語るのだな、と思います。いや、それでしか語れないものがある、そう教えてくれた人が私にも、います。
* * * * * * * *
(コメント返信☆欄)
めぐんちゃん、
うん、「鮮やかな軌跡」を見させられたね。インパクト大。でも、それが太くてかつ長~かったらよかったのに・・・と思ってしまうのは、贅沢なのかしら。。。
再びめぐんちゃんへ、
今週末は本当に色々ありがとう。さて、今日はあの後、Nちゃんの闘病記を読みましたが、涙なしには読めず。彼女の近くにいた時だって、その状況とか心境のホンの数%しかわかってなかったんだな、たいしたことできんかったな、もっと腹割って話せばよかったな、等々思ってしまいます。短くてもすごい影響を与えてくれた人生だったなと感動する反面、「薄ボンヤリした人生でもなんでもいいから」と言いたくなる気持ちもわかる。理屈じゃないし。でも、?や不条理に思えることでも、神様を信頼して感謝して用いられて生きていく見本を、沢山与えられた週末だったなぁと思います。
3度もありがと、めぐんちゃん。
読める時でいいんだよ。Nちゃんは待っててくれるし。でも、読めば読む程、書かれていない空白の部分を思って、心がまた痛いものです。。。
歩く
by 三谷 恵子
「歩」という字は
なぜ
「止まる」「少し」と書くのだろう
歩く
道を歩きながら
考える
止まってみよう
少しだけ
道の途中だけれど
一息ついて
ふりかえる
なぜか
「歩く」を感じる
うーん、いいですねぇ。漢字を感じる詩です。7行目と8行目の頭が並んで、「歩」に見えるところもいいです。(もともとは縦書きなので、こうは見えませんでしたが。)そうそう、小・中学生に漢字を教える時、こんな風に部首に関連する詩を書かせたりするといいかもしれないですね。右脳が鍛えられそうで。でも、先生がみんなにヤラセるより、ふと漢字に感じた子が何の気なしに詩を書く方がいいかもしれない。
それから、たま~に読む「きっこのブログ」で最近紹介されていた住宅顕信さんの自由律俳句や宮田美乃里さんの短歌もすごい良かったです。俳句の密度は半端じゃないですね。たまに俳句も書いてみるのですが、wordyな私には難しい。。。
両手に星をつかみたい子のバンザイ
by 住宅顕信
母の日に真赤なカーネーション贈る(私も子供を産みたかったの)
by 宮田美乃里
二人とも、残り少ない命を燃やして創作していたようです。住宅氏は白血病と戦いつつ病室で子供を育てていたそうですし、宮田氏は乳癌で左乳房を全摘出するも、全身転移、延命治療を拒んで亡くなったそうです。そういう背景を知ると、ますますその限られた言葉達の重みがこう、どーんと、響いてきますね。。。太く短い、俳句のような人生、それも十分何かを語るのだな、と思います。いや、それでしか語れないものがある、そう教えてくれた人が私にも、います。
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(コメント返信☆欄)
めぐんちゃん、
うん、「鮮やかな軌跡」を見させられたね。インパクト大。でも、それが太くてかつ長~かったらよかったのに・・・と思ってしまうのは、贅沢なのかしら。。。
再びめぐんちゃんへ、
今週末は本当に色々ありがとう。さて、今日はあの後、Nちゃんの闘病記を読みましたが、涙なしには読めず。彼女の近くにいた時だって、その状況とか心境のホンの数%しかわかってなかったんだな、たいしたことできんかったな、もっと腹割って話せばよかったな、等々思ってしまいます。短くてもすごい影響を与えてくれた人生だったなと感動する反面、「薄ボンヤリした人生でもなんでもいいから」と言いたくなる気持ちもわかる。理屈じゃないし。でも、?や不条理に思えることでも、神様を信頼して感謝して用いられて生きていく見本を、沢山与えられた週末だったなぁと思います。
3度もありがと、めぐんちゃん。
読める時でいいんだよ。Nちゃんは待っててくれるし。でも、読めば読む程、書かれていない空白の部分を思って、心がまた痛いものです。。。