言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

程よい甘さの「ありあまる富」

2009-05-29 | 今の葉
久しぶりに椎名林檎名義の新曲が出ましたね。「ありあまる富」 さっそく聞いてみました。不覚にも涙してしまった。。。まぁ、最近涙もろいってのもあるんですが。いやあ、素直ないい曲じゃないですか。あんまり林檎ちゃんらしい色気や毒気はなく、ささやかな、でも器のでっかい応援歌、って感じです。私はクリスチャンなんで、この歌詞、けっこう聖書的にも受け取れるな~、とか思っちゃいました。「僕らが手にしている見えない富」は「彼ら」には見えない、そして奪えない天に積まれた宝なんだ、なんて風に考えると、ぴったり☆ まぁ、彼女にはそんな意図はないようですけどね。

でも、知ってました?林檎ちゃんは三浦綾子文学のファンなんだそうです。初めは「へぇ~!」って思いましたが、よく考えるとそんなに意外じゃないかも。綾子さんの療養時代、個性的で感性の鋭そうな人達がたくさん彼女の病室を訪れていたようですが、その中に林檎ちゃんのような少女がいても不思議じゃない気がするし、クリスチャンになる前の綾子さんや、「積み木の箱」のみどりにも、なんか雰囲気が似てるかも。そう、媚びないところなんか。…っていっても、綾子さんにも林檎ちゃんにも会ったことないんで、あくまで作品から伝わるイメージ同士比べっこなんですが。

さて、私は初期の頃の林檎ちゃんの曲しか知らないので、東京事変の曲もこれを機会にちょっと聴いてみました。「私生活」と「落日」なんか、とても良かった。(早速ヘビロテしてます。)結構しみじみ系が好きになってきてるのかなぁ。縁側でお茶、みたいな。(婆さん化?)私はあんまり音楽的なことはわからないのですが、相変らずいい詩を書きますね、彼女。こういう詩を読むと、自分は日本人で良かったな~、と思わされます。(しかし更に、歌詞を英語に訳そうと頑張ってる人達もいるんです!)

ありあまる富」の「価値は生命に従って付いてる」とか、
私生活」の「夕日も秋も日曜も沢山はない」とか、
正しい街」の「都会では冬の匂いも正しくない」とか、
カプチーノ」の「ミルクの白に茶色が負けている」とか、

一行でこう、刺さる言葉を、書いてくるわけですよ。そんじょそこらに転がってないフレーズ。羨ましい才能です、ほんと。

でも、デビュー当時から比べると、この10年で丸くなったというか、まろやかになったというか、肩の力がいい感じに抜けたみたいですね。お母さんになったしね。「ありあまる富」の Amazonのレビューでは、このような感想を書かれた人がいました。 

「新シングルのジャケットは彼女自身の「左右非対称な鎖骨」(中略)
おそらく彼女の「コンプレックスの象徴」と言えるべき写真です。(中略)
早く「何か完璧な」 ことを表現し残そうという焦燥感があった。と語っていました。(中略)
アルバムの曲順の対称な並び、 収録時間の数値がゾロ目や、分と秒が左右対称、等、
大変に芸が 細かかったのですが、では今になってこの非対称の「鎖骨の写真」
を使うという事は何を意味するのでしょうか?
それは「不完全肯定宣言」なのかもしれません。 (中略)
「彼女のこだわりが消えた」 と異論を唱える方がおられました、たしかにそうです。
ですが彼女 自身が、そんなこだわりをもう捨てようとしていると
考えてみては いかがでしょうか。」

…いや~、読みが深いですね。また、林檎ちゃんのあこがれの人、あの鈴木一朗選手との対談では、イチローに「スッパ!って感じだった林檎が、だいぶ甘さが出てきて食べやすくなってきたのかな。」と言われてましたが、上手く例えたもんです。(ってか、イチローの前ではジャム化してますが。)とにかく、「ありあまる富」、なかなか程よい甘さの良曲です。昔、椎名林檎が苦手だった人にも、ぜひ聞いて頂きたいな。