言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

ナメると恐いぜ、スポークン・ワード・ポエトリー。

2013-02-26 | 詩の葉
さてさて、サラ&フィルに大興奮してから、約一ヶ月たちました。その後、浮気症な私は(いや、多趣味と呼んでください)、オペラやったり、ゴスペル演歌やったりしてたんですが、実はサラ&フィルのWordplayの後、すぐにスポークン・ワード仕様の詩を書き上げていたんでやんす。正確には、以前かいた詩を、スポークン・ワード向けに書き直したのです。と、いうのもスポークン・ワードの厳密な定義が「人前で披露することを想定して書いた詩を、人前で披露すること」だと知ったので。つまり、前回のわたくしの"Hello, Earth"は、正確にはスポークン・ワード・ポエトリーではなかったんですね~。ただ元々読まれることを想定して書いた詩に、手振りをつけて実演しただけだったんです。でも、一応最も実演向きの詩を選んだんだし、まぁいっか。

<前回の出し物>


というわけで、けっこう近間の喫茶店で毎週行われているオープン・マイクに出演してきました!このRed Rockというカフェは、このベイエリアで1番良質なオープン・マイクをやる店という評もあり、なかなかの芸達者な強者揃いが出演するところを、なかなか目の高いお客さん達がスケッチなんぞしたりして、なかなかいい雰囲気作りをするスタッフさん達が温かく仕切ってくれる、というベイエリアのクリスチャン芸人と呼ばれている(?)私には願ってもない楽しい場所なんですよ。毎週行けたらいいんですけど、お仕事があるからそうもいかない、ですね。(Facebookやっている方は、ここでRed Rockでのこれまでの演目が見れますよ。)

今晩は、誰でも参加OKなオープン・マイクの後のfeatured musicianがちょっと有名な人だったらしく、お客さんが多かったんですよね。で、ひっさしぶりに頭真っ白状態になりましたよ、詩の途中で!次が出てこなくなって、数行ふっ飛んだ先に着地しました。危ない、危ない。ホント、歌うより緊張しましたよ。まぁ、まだ場馴れしてないせいだろうけど、ナメると恐いぜ、スポークン・ワード・ポエトリー、ですわよ、奥様。というわけで、ちょっと残念な感じに終わった私のスポークン・ワード・ポエトリー第二弾(厳密には第一弾)だったのですが、数人のお客さんは「あなたの詩、良かったわよ~」と後から言ってくださいました。感謝、感謝。「でも、数箇所とばしちゃったんですよ、頭真っ白になっちゃって」と暴露したら、「あ~、あの空白の時間ね・・・でも、意味のある間のようにも、とれたわよ」とフォローしてくださいました。(でも、後で動画みたら、やっぱスコーンと抜けてる感じでしたけど。汗)それに、所々言葉につまってたし、ステージプレゼンスもまだまだ固い。ってか、前置き長過ぎ。いろいろと改善の余地ありです。スポークン・ワード修行するぞ!サラ・ケイは一日にして成らず。さて、今晩詠んだ詩のとりあえずの日本語訳をずっと下の方に載せたので、興味のある方はどうぞ読んでみてください。元が英語の詩なので、か~なり違和感ありますけど。(自作でも、詩を訳すって難しい!)それに、読まれることを前提に書く詩はもっと余白があるんですが、聴かれることを前提に書く詩は言葉数が増えちゃって、こうして載せると字ヅラが長過ぎてウザって感じなんですけど、それでもよろしければ。(いや、単に私がwordyなだけか?)

<本日の出し物>


というわけで、聴衆が自分の目の前にいることを想定して書く詩は、印刷された頁を読む読者を想定して書く詩とは、ずいぶん変わったものになるようです、元々同じ題材を使って書いていても。読み手を想像しながら書くブログ仕様の文章は普通の文と違う!っていう実感もありますが、さらに受け取る人と同じ空間にいることを想像すると、より受け手に寄り添った感じになるんですかね~。しかし、目の前に生きた人がいて、自分の表現するものをちゃんと観て聴いてくれるって、本当にすごい有難いことです。恐いことでもあるけど。そして、その人達が目の前にいるからこそ引き出されるものって、確実にあるんです。ちゃんと向き合えば向き合うほど、それはばっちり受け取って頂けるようです。歌にしても、この数年はなるべく暗譜して臨んでいます(コーラスではしてないけど、ソロの時は)。やっぱり、100%視線を客席に注げないと、譜面に視線が戻るたびに繋がりが途切れちゃいますからね。しっかり聴いてくださっている人の姿はやっぱり目に入ってくるし、この箇所はあの人のほう向いて歌おう!みたいなのもでてくるし、向くべき人のほうに向かせてくださる神様の力を感じたこともあります。なので、やっぱりイイ発信するには、受信力も高めないと・・・ね。これは、このブログでも、教師としても、クリスチャンとしても、恋愛でも、私が反省しきりな部分なんですけど、出すだけ出して相手側の半世界をちゃんと見てないだろ!みたいな。(このブログにコメントくださった方々、ちゃんとお返事しますね。)今宵詠んだ詩じゃないけど、向き合っている相手のページの厚みと、語られない言葉と、隠れた傷とを察することができたら、と思う今日この頃です。

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詩を刷るということ

「君達が形作っているのは、版木だけじゃない、
その周りの空気もだ」
と、先生が版画のクラスで言ったっけ

ノミはきっぱりとした意志を持って
正の空間を、負の空間から
掘り分ける

スポークン・ワード・ポエトリーも、それに似てますね
私が形作るのは、語る言葉だけじゃない、
秘する言葉もだから

ぺンはきっぱりとした意志を持って 
語る言葉を、秘する言葉から
書き分ける

・・・例えばぁ、
今日の朝何食べた、とか
これまで付き合った男は何人、とか
何回 細胞検査を受けたか、とか
ここに来る前にかかってきた電話の内容、とか

語る言葉同様、秘する言葉にも
はっきりとした理由があるもんで
・・・例えばぁ、
全然関係ないから、とか
個人的内容すぎる、とか
語るには辛すぎる、とか
どうやって言葉にしたらいいか まだわかんない、とか
黙って聞き手に委ねたほうがいい、とか

版画のクラスに戻ります
版木を彫り終わったら
版画を刷る準備は万端
彫られた版木の労をねぎらうべく
たっぷり塗るインク
掘り残されたジューシーな面は
バージン・ペーパーにくちづけして
情熱の跡を残し、
彫られた部分は距離を置きつつ
その彫りの深さを紙の白さに託す

詩を刷ることも同じです
ここにいる皆さんは紙
私は版木
もっと正確に言えば、
あなたが私に委ねているこの瞬間が、バージン・ペーパー
だって、人生はまだ誰も触れたことのない瞬間を重ねた紙束
私が用意してきた詩、
ここに書かれた台詞が、彫った版木
私の声、動き、そして存在はインク
私の感情、そしてエネルギーが、その色

あなたの存在と私の存在が
ここでこうして、出会う
たった一度だけ、こんな風に

再び、版画のクラスです
「紙上の版画だけじゃなく、
その向こう側の版木や血も見通しなさい」
と、美術の先生が言ったっけ

そうそう、嫌なトゲがささったり、
うっかり手を切ったこともあった
ある子は掌をザックリ切ってしまった
でも、クラスの作品展を見るだけでは
一番多くの傷を持って作られた作品がどれだか
一番深い傷を持って作られた作品がどれだか
なんてわからない

皆さんの前に立つ詩人の傷も、同じように隠されているんです
・・・例えばぁ、
私も離婚した親の話だとか
死んだ元カレの話だとか
辞めた仕事の話だなんてしないし

完璧な比喩などない
これも、そう

あなたは真っ白な紙ではなく、
人生と傷を背負った生身の人間
あなたも私も今日をここまで生きてきて、
これまでの人生を生きてきた
あなたのヒストーリーと私のストーリーが
ここでこうして、出会う
たった一度だけ、こんな風に

正直、こんな風に詩を刷るのは
生身が晒されるようで、キツい
ただ紙とかブログとかに詩を載せるのとは全然違う

私という版木の体は
聞き手のあなたという生身の体と人生と傷に向かい合っている
あなたの傷は、私の傷より深いかもしれない
あなたの秘した言葉は、私の秘した言葉より大きいかもしれない
あなたの紙束は、私の版木より厚いかもしれない

あなたという紙束の聞き手は
吸収力も観察力もあって
私のインクをじっくり吸い取る
そうして、私が秘した言葉も隠した傷もあなたの内に浸透し、
誰も知らないあなたの深い所にあるそれと
共鳴するのかもしれない

今、私は脆く、恐れ多い気持ちで
皆さんの前に立っています
あなたが委ねてくれた貴重なひと時というページに
相応しいくちずけの跡を
そのバージン・ペーパーに残せたことを
願いながら

Spoken Word Poetry

2013-02-04 | はじめに * In the beginning


sarah: writing poetry is like pooping.What's inside you gotta come out. Sometimes it's quick, but sometimes it takes long. It can be frustrating, but it can be quite satisfying. And it's absolutely necessary.

"When Sarah Kay began hanging around the Bowery Poetry Club as a teenager, she developed the reputation of being a great "youth poet," which was ridiculous. She was a great poet. Period. We should have known from the way she kicked our butts in the poetry slam that she is nothing less than a star. Not as in "superstar" or "movie star," but as in "something from out of this world that gives off light, that you can use to navigate by, that you can make a wish upon." - Taylor Mali

スポークン・ワード・ポエトリーのライブレポート、そして才能の使い方

2013-02-03 | 詩の葉
以前イケメン指揮者エリック・ウィティカーにハマっていた、彼についての記事を読みまくっていたのですが(覚えてますか?)、そこで彼が出演していたTEDという世界の名立たる思想家や手腕家によるカンファレンスを主催しているグループを知りました。(すでにご存知の方も多いと思いますが、TEDが無料で配信しているプレゼンの動画は英語の勉強にもなるし、内容もレベルが高くておススメです!TED活用サイトはコチラ)そこで芋づる式に見つけた詩人サラ・ケイのプレゼンとその詩にすっかり感銘を受けたのであります。それまで聞いた事もなかったスポークン・ワード・ポエトリー、それは自分の声と身振り手振りを通して、聴衆の前で詩を最大限に表現するパフォーマンス・アート。すっかりこの詩の形式に魅了された私は、上質なスポークン・ワード・ポエトリーの動画を捜し求めてYouTubeのプレイリストに集め、寝しなにちょいちょい嗜むようになりました。遂には、ご近所のカフェのオープンマイク(誰でも飛び入りで参加できるステージ開放イベント)で自作のスポークン・ワード・ポエトリーを披露するまでに。もともと詩を書くことが趣味でしたが、それをどのように身体表現するか、といったことは考えたことのなかった私に、新しい世界が広がったのでした。

<サラ・ケイのTEDでのプレゼン>

(YouTubeのサイトにとんで、右端のメモ帳みたいなアイコンをクリックすると、日本語の字幕も出ます。)

スポークン・ワード・ポエトリーにハマッてから1年ほどたったでしょうか・・・あのサラ・ケイがスタンフォード大学で詩のパフォーマンスをするイベント「Wordplay」があるというではありませんか!(Facebookさまさま)しかも、スポークン・ワード・ポエトリー相棒のフィル・ケイと一緒に!この2人、ケイという苗字や母親が日本人で父親がユダヤ人、という以外にも信じられないほど共通点が多いのですが、血の繋がりはなく、全くの他人です(「堂本兄弟」みたいなもんです。笑)。彼氏彼女でもありません(しつこいくらいにこの点を強調してました)。この2人は「プロジェクトVOICE」なるものを立ち上げ、世界各国を回って詩を披露したり、子どもから大人まで詩を通した自己表現を教えたりしています。スタンフォードでもワークショップをやってましたが、これはスタンフォードの生徒限定だったので残念ながら参加できず(涙)。

というわけで、心ウキウキわくわくスタンフォード大学のキャンパスに侵入、いや突入したわけなのです。スタンフォード大学は家から結構近いのでよく行くんですけど、私がこれまで在学してきた大学とは比べ物にならないくらい広いので、いつもかなり迷います・・・今回は道を尋ねた学生たちも丁度「Wordplay」に行くところだったので助かりました。いやはや、ライブでスポークン・ワード・ポエトリーを観る楽しさは格別でしたね!いつもYouTubeで観ている2人が、目の前であの詩この詩をパフォームしてくれる不思議な感動。まるで、憧れのアイドルにやっと会えた追っかけファンの気分。詩のパフォーマンスが良かったのはもちろんのこと、2人のMCもとっても気さくでフレンドリーだったし、会場の空気や観客の反応も楽しめました。そこには私と同じようなS&Pファンが大勢いる雰囲気が漂ってましたね。フィルくんの"Geico Gecko"が始まる前の「ゲッコー、キターーーー!!」みたいなざわめき。サラの十八番"B"が始まる前の「お、いよいよか・・・」みたいな厳粛な空気。皆さんもそうとうS&Pにハマってるわね、と親近感を覚えました。会場が大学の構内ということもあり、観客の80%は大学生みたいでしたが、中年のご夫婦も幾組か混じっていました。全体的にアジア人が多かったですね。イベントの主催がフィリピン系学生の会だったせいもあるのかも。

そうそう、可愛い顔して、サラさん、面白いこと言ってましたよ。「詩を書くことは、pooping(排便行為)に似ているわ」って。(会場爆笑)「だって、自分の中にあるものは、出さなきゃいけないでしょ。すぐ出る時もあるし、なかなか出ないこともある。うまくいかなくてイライラすることもあるけど、出ればけっこう快感を味わえる。それに、生きていくために絶対的に必要なことだから。」ちなみにこれは、「ライターズブロックに悩まされることはないんですか?」という質問の答えだそうです(笑)。サラさんの「詩=ウンチ」説によれば、私はただいま重症な便秘だわ。(そして、このブログもね)。他にも「この中で恋をしている人~?」というサラの呼びかけに会場中の若者が盛り上がり(みなさん若いね~☆)、さらに「この中で遠距離恋愛してる人~?」と聞かれて、「ウォ~~~~!」と雄たけびを上げた男子学生がいたりで、観客もノリノリ。それに、「なぜここで?」な所で笑いが起こるのも、YouTubeで観るのとは違って新鮮でした。寺山修司氏は「作者は作品の半分を作り、半分は観客が作る」と言っていますが、その「半世界」のこちら側を皆さんと共有できた、至福の時でした。



観客との距離を縮める2人のMCも良かったですが、やはりメインである詩のパフォーマンスにはヤラレっぱなしでしたね。それも、私のお気に入りばかりセレクトしてくれたかのような「ザ・ベスト・オブ・S&P」ってな感じの演目でした。やっぱ鉄板ポエムってあるんでしょうね~。笑わせたり泣かせたり、硬軟取り混ぜた構成でした。それから、まだYouTubeにはのっていない新作も幾つかあり、得した気分。まずは場慣らしとて、「スポークン・ワード・ポエトリーって何?」というあなたの素朴な疑問に答えてくれる"She Asks Me"(YouTubeではフィル1人だけど、ここでは2人)。弟思いのサラが微笑ましい"Brother"、祖父、父、そして自分と男三代の人生を語るフィルによる新作(YouTubeにのってないからたぶん新作、題は不明)。それからサラとフィルの共通点の多さに驚き、恋人以上に稀有な友人関係が羨ましくなる"An Origin Story"。「前のはもう古いから、また僕について書いてよ」というサラ弟のリクエストに答えた、弟ネタ第二弾の新作"Ghost Ship"。それからフィルのなりきりゲッコー(やもり)と微妙なイギリス訛りがおかしい"Geico Gecko"。(これってフィル作のオリジナルキャラかと思っていたら、某保険会社のコマーシャルに登場するキャラだったのね・・・)それからサラによる恋愛モノ2本立て"Postcards"と"Toothbrush to the Bicycle Tire"。フィルの日本人祖父とユダヤ人祖父を通して民族間の確執と和解を描いた"Teeth"。冒頭のTEDに出演したサラを一躍有名にした"B"。そして、両親の離婚を通して言葉の重さを実感したフィルの十八番、"Repetition"。そして、やっぱりシメはこれよね!的な"When Love Arrives"。初恋から黄昏の恋まで、老若男女に効く普遍的な恋の詩。絶好調の時にも、失恋した時にも、ばっちり沁みます!



終わった後の会場は、なんだかほっこりした雰囲気でした。「あの詩のここが良かったね~」と嬉しそうに奥さんに話しかけてる旦那さんがいたり、「やっぱいいよね~、サラ&フィル!」って盛り上がってる女子学生がいたり。オリジナル詩集やTシャツを販売し、それらにサインをしたり、一緒に写真に写ったりと、かなりスターなサラとフィル、そしてかなりミーハー気分な私。長蛇の列に並んだ末、やっとサラの前に辿り着いた私の第一声は"Finally!"(やっと会えた!)「列、長かったもんね」と言うサラに、「それもあるけど、一年くらい前にYouTubeのあなたの詩にハマってから、ずっと会いたかったから」と私。それから横にいたフィルには、「『おじいちゃま』の発音、かわいかったですね」と言ってみました。だって、本当にかわいかったんですから!写真を一緒に撮る時には、フィルが「君の靴、可愛いね」と言えば、「っていうか、あなた全体的にオシャレよ」とサラが言ってくれて、嬉しかったな~。というのも、かなりサラをイメージしたファッションで行きましたからね。髪もクルクルにしてみたし。どんだけ好きなんだっていう(笑)。とにかく実物のサラもとってもチャーミングでかつ堂々としてたし、フィルはちょっとスカした感もあるけど茶目っ気もある好青年でした。まだまだ続きそうなあったかいサイン会に後ろ髪ひかれながらも、あまり夜遅くまで不慣れなスタンフォード・キャンパスを彷徨いたくなかったので、会場を後にしました。(実際、車を見つけるのは一苦労だったし・・・)



その後も興奮冷めやらぬ私は、サラとフィルと一緒に撮った写真(↑)を加工したりして一夜を明かし、今夜もこうしてせっせとブログ記事を書いてるわけなんですね。いやはや、やっぱりイイ余韻は長持ちさせなきゃね。そういえば、サインに記念写真と大忙しの2人をスター呼ばわりしてしまいましたが、私が心酔しているもう1人のスポークン・ワード詩人テイラー・マリは「プロジェクトVOICE」のホームページでサラ・ケイを次のように称しています。「ティーンエイジャーのサラ・ケイが"バワリー詩の会"に出入りし始めた頃、よく"素晴らしいヤング詩人"とうわさされていたけど、それってバカらしいよね。彼女は"素晴らしい詩人"だったんだよ。年についての形容などいらないね。サラが詩の会で俺達をうちのめしたあの様子から、彼女がスター以外の何者でもないことを知っておくべきだったのさ。それは、"スーパースター"や"ムービースター"といったたぐいの"スター"じゃなく、この世から離れた場所から光を放ったり、方角の目印になったり、願いをかけられたりするって意味での"スター"さ。」自身が詩人ってこともあり、テイラー・マリ氏、なかなか素敵な紹介をしてくれるじゃないですか。"B"の詩集にかいてくれた、サラのサインにも☆がついてましたしね。スター・サラ。



このサラとフィルは、詩のパフォーマンスだけでなく、小学校から大学院まで回って詩のワークショップをしたり、若い子達の自己表現の支援をしているところが、素晴らしいです!この2人が立ち上げた「プロジェクトVOICE」のミッションは「スポークンワードによって、楽しみと教育と刺激を生み出すこと」だそうです。サラが冒頭のTEDに出演した時も、大学時代に近辺の高校で詩のクラブを作って、なかなか詩が書けない子がものすごく個性的な詩を書くまでになったエピソードを話していました。自分の才能を磨くだけでなく、他者の才能を見つけ磨いていたからこそ、TEDからもお声がかかったんだと思うんですよね。前述の元教師でもあるスポークン・ワード詩人テイラー・マリ氏は、「教育について語ることによって、1000人教師を生み出す会」を立ち上げていますし、エリック・ウィティカーのヴァーチャル合唱団も然り。彼らの単なる自己表現を超えた社会福祉的創作活動には、最近知人の紹介で読んだ内田樹氏のブログ記事「才能の枯渇について」に通じるものを感じます。そこで一部掲載。「才能は自己利益のために用いると失われる。『世のため人のため』に使っているうちに、才能はだんだんその人に血肉化してゆき、やがて、その人の本性の一部になる。そこまで内面化した才能はもう揺るがない。でも、逆に天賦の才能をもっぱら自己利益のために使うと、才能はゆっくり目減りしてくる。才能を威信や名声や貨幣と交換していると、それはだんだんその人自身から『疎遠』なものとなってゆく。他人のために使うと、才能は内在化し、血肉化し、自分のために使うと、才能は外在化し、モノ化し、やがて剥離して、風に飛ばされて、消えてゆく。」これには、唸らされましたね。才能は贈り物で、たまたま手元に預けられており、それをうまく使うことが委ねられている・・・とまるで聖書のタラントのたとえみたい。目減りがちな私のタラント活動に渇!を入れてくれるお言葉でやんす。それにサラとフィルの姿を見て、私も「何かしよっ!」と才能を使うモチベーションがあがりましたよ。まぁ、世のため人のためと言いつつも、自己利益も考えちゃう不純な動機と常に戦ってますけどね。だからといって何もしないんじゃ、タラントを埋めた人と同じになっちゃうので、100%純粋な動機じゃなくても、とりあえず始めてみようかな、と。そういえば、以前何かのセミナーに参加した時に「自分のライフ・ワークにミッションを掲げる」という課題があって、「クリエイティブな活動を通して、人と人を隔てている壁を取り壊す」というミッションを思いついたんでしたっけ。そのミッションに沿うように、創作意欲と活動の場が与えられるように祈っていこっと。皆さんにも、応援して頂けると嬉しいです。頑張って、恩返ししますので。