シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」という絵本に出会ったのは、中学生の頃だったと思います。聴衆を泣かせる説教で定評のあったS牧師が(当時は女子寮の舎監)、大きな木を神様に見立てて、話して下さいました。(ここからネタバレに注意!)大きな木は、少年と仲よし。一緒に遊んで楽しい時間を過ごす。しかし、大きくなるにつれ少年は木を離れ、必要な時だけ木の所にやってくるようになる。青年になった彼は、町に出て売るための林檎を、木に求める。家庭を持つようになった彼は、家を建てるための枝を、木に求める。問題を抱えた中年の彼は、船を造るための幹を、木に求める。木は与え続けて幸せだったが・・・本当は淋しい。そこに人生に疲れた老年の彼が、戻ってきた。もう何も上げられない切り株となった木は、「ここに座って、休みなさい。」と彼に呼びかける・・・木は彼が戻ってきて、幸せだった。おしまい。
この話を始めて聴いた時は、なんともやるせない気持ちになったものです。「木よ、それでいいのか!?」と。それから、あんまり与え過ぎるのも考えものだなんて思ったり、お人よしは損だよね、と言ってみたり。・・・でも、人間はそんな風に無条件に自分に与えてくれる存在を、心のどこかで欲している気がする。でも、人は不完全だから、そんな風に与え続けることは、実際には難しいんですよね。どこかで見返りを期待してしまうし。でも、神様はこの木のように、ただ与えて与えて与えるために存在している。その切り株の上に憩う時、人は真の平安を得るのじゃないかな。
そんな与える神様のことを考えていたら、「おおきな木」に宛てて、手紙を書きたくなってきた。そこで出来たのが、こんな詩です。
*************************************
おおきな木へ
私があなたを愛したのは
林檎がもらえたから
枝が手に入ったから
幹が欲しかったから
ごめんなさい
でも、
それが私の愛だった
あなたが私を愛したのは
私に与えたいから
私を愛したいから
私が私だから
ありがとう
でも、
私はあなたを傷つけた
それでも
そこにいてくれる
切り株ひとつで
待っている
身をすり減らした
小さなあなたが
今となっては大きく見える
こんな不実な私には
昔に食べた林檎の種が
私のどこかで芽を出して
与える木として大きく育ち
実を沢山つければいい
そしたら、その実を
あなたにあげたい
枝も、幹も
切り株さえも
この話を始めて聴いた時は、なんともやるせない気持ちになったものです。「木よ、それでいいのか!?」と。それから、あんまり与え過ぎるのも考えものだなんて思ったり、お人よしは損だよね、と言ってみたり。・・・でも、人間はそんな風に無条件に自分に与えてくれる存在を、心のどこかで欲している気がする。でも、人は不完全だから、そんな風に与え続けることは、実際には難しいんですよね。どこかで見返りを期待してしまうし。でも、神様はこの木のように、ただ与えて与えて与えるために存在している。その切り株の上に憩う時、人は真の平安を得るのじゃないかな。
そんな与える神様のことを考えていたら、「おおきな木」に宛てて、手紙を書きたくなってきた。そこで出来たのが、こんな詩です。
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おおきな木へ
私があなたを愛したのは
林檎がもらえたから
枝が手に入ったから
幹が欲しかったから
ごめんなさい
でも、
それが私の愛だった
あなたが私を愛したのは
私に与えたいから
私を愛したいから
私が私だから
ありがとう
でも、
私はあなたを傷つけた
それでも
そこにいてくれる
切り株ひとつで
待っている
身をすり減らした
小さなあなたが
今となっては大きく見える
こんな不実な私には
昔に食べた林檎の種が
私のどこかで芽を出して
与える木として大きく育ち
実を沢山つければいい
そしたら、その実を
あなたにあげたい
枝も、幹も
切り株さえも
But when we say "I feel used by someone, " it sounds negative. It's like someone took an advantage of us. We don't grow, we shrink. The boy was clearly taking an advantage of the tree too.
Is it right to "use" others and be "used" like that? No... but we all find ourselves doing it to God and even to people from time to time. But when we realize it, we are humbled, and we're made to be truly giving in return. And what we "used" can still teach us. That's what I think...