言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

ブログ、お引っ越しします。Moving to a New Blog!

2014-07-21 | 今の葉
このgooブログを始めてから、もう9年が過ぎようとしています。ここに来てくださる方々のことを思うと迷ったのですが、思い切ってブログを引っ越すことにしました。実は、私自身も最近アメリカから日本に引っ越しをしました。心機一転、新たな思いで「言の葉」をしたためていこうと思っていますので、よろしくお願いいたします。ぼちぼち、これまでの葉っぱも新しい樹へ引っ越していくつもりです。これまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

新しいブログも同じ名前です。言の葉ひらひら
My new blog has the same name : Wordy Leaves Dancing

It's hard to believe it's been nine years since I started this blog. Thinking about you faithful visitors, it was a hard decision, but I decided to move to a new blog. In fact, I've physically moved myself too from America to Japan recently. With a refreshed mind, I want to continue on posting new "wordy leaves," so please meet me at my new blog. I'll gradually move the old leaves from here to the new tree too. Thank you for coming here until today.

「正しい読書」

2014-01-17 | 詩の葉
明けましておめでとうございます、を言うのには遅い気もするのですが、まだ今年に入ってからご挨拶をしていませんので・・・というか、長いことご無沙汰していましたので。今年もよろしくお願いしますね!今年はもうちょっと頻度があがると思うんですよ、いやホント。

さて、今年最初の詩ができました。書き初めってやつですかね、習字じゃないですが。まぁ、いつものように書き出し時には考えてなかったオチになりましたけど、詩も「一度書き出すと、動き出す」んで。さて、ゆるく線対称になっている構成です。はい、私の詩によくあるパターンです(笑)。実際に20行ほどで傲慢が治れば、苦労はないんですが(苦笑)。とにかく、皆さんにとってそれぞれの「読書」を楽しまれる一年になりますよう、お祈りしていま~す。

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正しい読書  


傲慢にも、
これは一度 読んだことのある本の
再読だ、と私は思っていた。
予めわかっているストーリーラインを
なぞるようなものだ、と。

ところが、
予想をなぞろうとしていた私は
物語の展開と度々衝突した。
想定外のページに出遭うごとに
怒り、戸惑い、笑って、泣いた。

毎度毎度、新参者。

同じ本など、一つとしてないのだ。
一度ひらけば、物語は動き出す。
後戻りも、飛ばし読みも、できない。
一頁一頁、飲み込んでいく、
それだけ。

その消化次第で、
物語の展開は変わっていくのかもしれない。
私は読み続ける。
どこかにいるのであろう書き手を、
畏れつつ。

"Reader's Digest"

2014-01-17 | leaves on POETRY
I know it's a bit too late to say "Happy New Year," but I haven't yet greeted you here in 2014, so, a happy New Year to you all! It's been long actually, but this year, I will be able to post more often, I mean, seriously.

So here is my first poem of the year. As usual, it landed on where I didn't expect at the beginning, but a poem too "takes off on its own once it’s started" so I couldn't help it. By the way, it's kinda symmetrical, like many of my other poems...*sigh* I wish I could fly from arrogance to reverence within just 20 lines or so in a real life, but it ain't so easy, right? Well, I hope you will enjoy your own assigned "reading" this year!

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Reader’s Digest


In my arrogance,
I thought this was a second time reading
Of a book I’ve already read.
As if it was just tracing over
An already-known plot.

However,
I crashed against its storyline
As I tried to follow my own prediction.
Every time I faced unpredictable pages,
I got upset and confused, laughed and cried.

At each reading, I’m made a novice.

There is no book alike.
Once it’s opened it takes off on its own.
No going back or skipping allowed.
Only swallowing one page
At a time.

How a story will unfold
May depend on my digestion.
There must be a writer somewhere,
I suspect, reading on
With reverence.

「聖書と村上春樹と魂の世界」を読んで感じた「私と聖書とその他の世界」

2013-07-07 | 本の葉
今回の日本での一時帰国では、結構イイ本をたくさん手に入れたんですが、その中でも今の自分にドンピシャだったのが、これです。「聖書と村上春樹と魂の世界」あまりに気に入ったので、人にあげて、もう1冊自分に買いました。最近ぼんやり思っていたことが、はっきりと説明されていて、「そうそう、そう思ってたのよ!」っていうのと、自覚してなかった最近の自分の傾向が「なるほど、そういうことだったのか!」とわかる、目からウロコの1冊でした。

このブログでもかなり引用しているのでバレバレかもしれませんが、私はけっこうハルキストなのかもしれないですね。こっぱずかしくて認めたくないんですけど。なんか文章はキザだし、読後感が微妙なこともあって、「ノルウェイの森」から入った頃は、そんなに好きではなかったのですが。「やがて哀しい外国語」などのエッセー、「神の子たちはみな踊る」などの短編集、そして「アンダーグラウンド」を読んだ辺りから、ハマってきた気がします。「海辺のカフカ」はツボでしたし。しかし、とっても保守的なクリスチャン高校に行っていたせいか、本当に起こったことを書いていないフィクションを読むのは悪、みたいな意識がどこかにあるんですよ、私には。キリスト教と村上春樹の小説は相容れないもの、みたいな(実際、この対談を載せた「リバイバル・ジャパン」誌には、批判的なコメントも寄せられ、購読をやめた人もいるという)。でも、聖書は読めなくても、彼の小説は読める、って日もあるんですよね(それもどうかと思うけど)。そんな罪悪感というか違和感を、この本は払拭してくれたのでした。

この本はクリスチャンであり、そしてハルキストである3人の対談、そして連筆のかたちをとっています。特に語られているのが、「福音は命題化された信条だけでなく、物語(ナラティブ)を通して、より深く語られる」ということ。ちょうど最近、礼拝の説教というのは「命題化されたテーマを中心にしたもの」か「聖書の物語を掘り下げたもの」の二つに大きく分けられるな、って思ってたんですよ~。前者は、聖書のあっちこっちを引かなきゃいけないタイプで、後者は同じところをずーっと開けていればいいタイプかな、ざっくり言うと(前者タイプの説教は、眠い時にはキツい←悪い信者だな)。かくいう私は、前者タイプの説教をすることが多いんですが、聴くほうとしてはこのタイプばっかり聞くと、何か腑に落ちないところが出てくるというか、疲れるんですよね、なんとなく。物語を紐解く説教の方が、聴きやすい。それは、自分が霊的になまぬる~いからかな、なんて思ってたんですけど、この本を読んでたら、そうでもないんだ、と(まぁ、なまぬるいには、なまぬるいんですが)。つまり、近年のプロテスタントは、福音を概念化し、記号化し、表層の世界に固定化してしまったが、物語としての福音はその下の無意識の世界にも届いて人の魂を癒す、のだそうだ。確かに栄養分だってサプリばかり飲むより、ちゃんと食べ物でとるほうが、いいもんな。

確かに、著書「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」でも、村上氏は「物語が人を癒す」ことについて、語っていました(これもかなり面白い本で、読んでいた時は、すごくブログで書きたいことが頭の中を渦巻いていたんですが、もう熱は冷めてしまった・・・)。「ノルウェイの森」を読む前に、この話の概要を読んだことがあるのですが、「なにそれ!?」って感じでしたし。要約しちゃうと、失われるものってありますからね。物語には、物語という形式でなければ、伝わらないものがある」と「物語の役割」の小川洋子氏も言ってます(最近、読んでいるこの本とも、いろいろな部分がカブってる)。私達の人生もつまりは一つの長い物語なんで、物語という形式には私達の心に深くシンクロする力があるんじゃないかな。

それから、村上春樹の小説のエンディングには未完成性がある、というのにも激しく同意です。私も初めて読んだ「ノルウェイの森」の終わり方には、大いに不服でしたし。でも、うろ覚えなんですが、村上氏が「私にとって小説を書く作業とは、一つの疑問を新たな疑問に移し替える作業に過ぎない」と何かに書いていていて、そういうことならああいう結末もありかな、と思ったんですよね。例えば、私は教会で証をする時に、自分の人生の一部を切り取って、起承転結的に解釈して、霊的にオチつけてシェアするんですけど、実際には人生は続いていく訳なんで、後で「あの区切り方は間違ってたな~。あの時『結』だと思ったとこは、まだ『承』だったわ!」みたいなこともあるんですよね。この本の中でも、「村上春樹の小説が未完成性を残しながら次の小説で発展していくように、私達も自分の物語も書き換えていい。全体像としての結論がわからなくても、必要なことはその都度、神様に教えられる。むしろ、一度出来上がった物語にしがみつくほうが危ない」みたいなことが書かれています。聖書も66の本が集まって、何百もの物語が連なって書かれていますしね。ある説教者が教えてくださったのですが、聖書の物語を読む時は、そのエピソード一つ一つの意味やメッセージを汲み取るだけじゃなくて、それぞれの物語の前後関係や並び方を考えると、新たな意味が浮かび上がってくる、ということでした。やっぱ深いわ、聖書って。「聖書は一つの流れを持っているが、数えきれないほどの扉がついている。どの扉を開けるかで、どのような物語に出会うのか、人によって異なってくる。聖書には、人として体験するすべての物語が含まれている。その物語によって自分自身が取り扱われる世界へ行ってみましょう」ということで、命題で区切らずに、川の流れのような聖書物語のあっちこっちに浸ってみるような読み方もなんか良さそう。

まぁ、私は高校から大学生の頃は、物語よりも、パウロの手紙とか箴言とか、「○○とは、○○である」みたいな定義が多い箇所の方が、わかりやすくて好きだったんですけどね。信条にしても、ライフスタイルにしても、白黒ついてるほうがフォローしやすいし、説明しやすいじゃないですか。それに、裁きやすいってのもあるか(こわっ)。この本にはこんな風に書いてありました.「教会では、聖書から教理的な枠を作り上げて、それに従っていれば良いクリスチャンになれると教えています・・・けれども、枠にはめられない部分やモヤモヤ感を無視していると、切り捨ててきた深層の自分と、表側の自分に限界が来る時に、心の全体性を取り戻そうとする魂の欲求が起こります。」っていうか、私にも起きてるな。ホントに「信仰による義」だけで生きていたら、無理に自分を枠にハメるような変わり方ではなくて、内側から全人的に聖霊に変えられるから、そんな分裂は起こらないんだろうけど、「行いによる義」的思考で変わろうとしたり、教会の人の目を気にしたり、自己満足のためとかで、枠にはまった生き方をしてしまうんですよね(はぁ~)。これまでの窮屈な生き方を続けるのも本質的な問題解決にならないし、かといって押さえてきた自分を暴走させるのも危険なので、時間をかけて焦らずに第三の道を模索するしかないらしい。いや、その両方の自分と正直にがっつり向き合ってると、いずれ第三の道が降ってくるらしい。で、村上春樹の小説では、そのような深層に隠された自分は、投映された異性像として登場し、主人公に揺さぶりをかけつつ、様々な出来事を通しながら主人公の魂の中で内面化し、統合されるらしい。ふむふむ。とにかく、両方の自分の面を認めて、神様と一緒に時間をかけて、統合するのが第三の道だそうな。統合といっても、分裂する前の自分に戻るということではなく、新たな福音の肉体化を図るということでしょうね。最近、読んだ別の本のキーワードでもあったな、「福音の肉体化」(何の本か忘れたけど)。あ~、頭ではわかるけど、かなり面倒くさそうですね。でもこれまで腑に落ちない部分を先送りにしていたツケがまわってきたわけだから、がっつり取り組んでいくとしましょう・・・

思うに、自分は「聖書的生き方」と「その他的生き方」、あるいは「聖書的読み物」と「その他的読み物」みたいにいろんな事を単純に二分化していて、聖書的な方は神様の前や教会で安心して出していけるけど、そうじゃない方はなかなか神様にも人にも晒せない、という矛盾があるようです。あまりクリスチャン的でない自分だと祈れなくなったり。でも、本当に「そうじゃない」のかなんて、神様に全て晒さないとわからないんですよね。それに、村上春樹だってこんな風に聖書的に読めるなら、もっと意外なところにも聖書的な教訓が隠されているかもしれない。逆に自分が「聖書的」と思っていたほうが、実はクライスト・ライクな精神に基づいていないかもしれない。自分で勝手に振り分けるより、もっと神様にお任せしたほうが、無理がないのかもしれない・・・そんなことを考えている自分も、ここでちょっと晒してみました・・・本当にこれまでの考え方でいいのか、腑に落ちないところもしっかり認めながら、信仰の再構築をしたいなぁ~、と思う今日この頃なのです。

遅ればせながらのレミゼ・レビュー

2013-07-07 | 今の葉
何で今さら「レミゼ」なの?と思われる方もいるかもしれませんが、実は1月に映画を観て、途中までガーッと感想を書いてから・・・半年あまり経ってしまったのです。実は、書いたことすら、とんと忘れていたんですが、つい最近になって図らずも飛行機の中で3度目(!)のレミゼ鑑賞をすることになり、この記事のことを思い出したってなわけです。面目ない。こうして今読み返してみると、鑑賞したてのほやほやで、やたら熱入っててお恥ずかしいのですが(熱しやすくて、忘れやすいタチなんです)、これだけ書いといて、日の目を見せないのもなんなんで・・・恥を忍んで、載せます。

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16年前に観ていたのが、「オペラ座の怪人」ではなくて、「レ・ミゼラブル」だったら、私の人生も変わっていたのかもしれません・・・なんて、それはいささか大げさですが、レミゼにどハマりしていたには違いありません。その昔、イギリスに4日間だけ滞在することになり、友人が「本当はレ・ミゼラブルのチケットがとりたかったのだけれど・・・」と言って誕生日プレゼントにと連れて行ってくれたミュージカルが、「オペラ座の怪人」でした。その当時まだお子ちゃまだった私には、男女の複雑な感情の絡み合いが理解できなかったことは、以前にも記した通りです(しかし、その10年後に再び「オペラ座の怪人」を観てからは、ハマりまくって「ひとりオペ怪メドレー」をしてしまったほど)。今回は冬休みが明ける前の晩、ふと、「そういえば、レ・ミゼラブルの映画版やってたから、休みの締めくくりにでも観に行くかぁ」と軽い気持ちで映画館に足を運んだのでした。大まかな筋は知っていたものの、背景や登場人物に関してよく知らないままに観劇。しかし、アン・ハサウェイの「夢破れて」には、泣かされましたね。定番の「オン・マイ・オウン」にも、いたく感動。不幸な女子達に、大いに涙、そして共感したのであります。

それから一週間も絶たないうちに、たまたま映画館の近くを通りかった時、そんな予定もなかったのに「よし、また観っかぁ」と映画館に吸い込まれてしまった私。その時は何とラッキー、自分1人しか観客がいなかったので、映画館は貸し切り状態。たった10ドルでなんという贅沢!おかげで、先週以来、レミゼ・フィーバーで聴きまくり&歌いまくりだった私は、映画の俳優達に合わせてレミゼ・ナンバーをがんがん歌うことができたのでした。貸し切りシング・アロング映画鑑賞なんて、なかなかできる体験じゃございません!(しかし客観的に考えると、これはかなり異様な光景かも?)ちなみに、2度目は少年ガブローシュや逆さ吊りアンジョルラスなど、不幸な男子達に涙いたしました。(ちなみに3度目は、ジャン・バルジャンがファンティーヌに迎えられて、息を引き取る場面で涙しました。)しかし、2度も観て(しかも泣いて)おきながら、パーフェクトな映画、パーフェクトな歌唱だとは思えない部分もあり、あちこちつつきたくなる映画版レ・ミゼラブルなのですが、それでも何か私をハマらせる魅力のある、人に語りたくなる映画です。そこで、非常に私的な感想なのですが、ここ「ことひら」の場を借りて語ってみようと思います。これまた、長~くなる予感がするので、警戒しつつ、読みたい方だけ読んでくださいませ(ネタバレもあるし)。

まずは、キャスト。そしてまずは、ジャン・バルジャン。あなた、人相変わり過ぎ。同じ人だとすぐにはわかりませんでしたから。そのとんがったお鼻と身分が変わっても相変わらず汚い歯だけがたよりでしたよ。それから、たった15分間の出演でスクリーンをかっさらっていき、オスカー助演女優賞を受賞したアン・ハサウェイ。ついこの間のキャット・ウーマンでも「イメチェンしたな~」と思ったけれど、そこから更に振り切ったイメチェン!この映画の一番の功労者でしょう。予告編の歌が主人公ではなく、彼女のものだったのが、それを物語っています。実生活では、甘えてしまうからと婚約者からも距離を置き、結婚式のロングヘアも諦め、役作りのために体重を落としたという、あっぱれな女優魂の持ち主です。「プリンセンス・ダイアリー」、そして「プラダを着た悪魔」を経て、ずいぶんとハードなお仕事をする女優さんになったものですね!あと、それまで知らなかったサマンサ・バークスは、ミュージカル舞台版でもエポーネを演じていただけあり、惚れ惚れする歌唱力。それに、個人的にはエポーネのほうが、コゼットより可愛いと思ったし(健気な娘に弱いのよ)。それに、なぜかブロンド娘よりもブルーネット娘のほうが可愛く思えるんだよな~(グィネスよりウィノナ、レネーよりキャサゼタのほうが魅力的)。しかし、コゼット役のアマンダ・セイフライドもミーン・ガールズの頃より出世したものです(というか、リンジーが堕ちすぎ)。でもコゼット役は、子役のイザベル・アレンが激似のダコタ・ファニングのほうが良かったような。それに、ダコタちゃんのほうが陰があるし、苦労人に見えたはず。でも、ダコタちゃんだと、お相手のマリウスとのお似合い度は下がっちゃいますね。アマンダほど歌えたかどうかも、わからないし。でも、アマンダちゃんには、「マンマ・ミーヤ」みたいな明るい役のほうが似合ってる気がします。(いや、あの目玉ならホラーでもいけるかも?)歌はどっちも可愛くこなしてましたけど(ポップもクラッシックも歌える人って羨ましいわ)。それから、私が密かに「オーストラリア産のじゃがいも」と呼んでいる(うそ)ラッセル・クロウ、原作によるとジャペール警部はブルドック顔らしいから、案外ミスキャストではないのかも。でも、なんかこの人この程度だっけ?って感じてしまった。最初「主役っぽくないな~」って思ったのに次第に存在感が増したグラディエーター、どう見ても学者面ではないのに(スマン)感動したビューティフル・マインド等々、上手い役者さんなのにねぇ。声質だって悪くないのに、なんだか歌声にも心に響くものがなかったし。なんか無難にこなしたって感じ。主役じゃないと、張り切れないタチなんでしょうか?でも、ガブローシュ役のダニエル・ハトルストーン君は良かった!!あ~ゆ~訛りって萌えるわ。出演者さん、みんな彼と同じ訛りでしゃべって、って思っちゃったほど。"Can you hear the people sing?"を歌い出す時ところなんか、粋だった。可愛い子役は多くても、「粋」を感じさせる子役って珍しいと思いません?死に方も死体役も印象的だったし。恐ろしい子・・・将来有望株だわ。

次は歌。このミュージカル映画はプロデューサーと監督のこだわりで、歌を全てライブ録音したことが話題になっていましたよね。確かにセットに立つ以前に、そして共演者と会う以前に、歌だけ先録りするのは、気持ちが入りにくいかもしれません。私も手振り身振り入れるほうが、歌に気持ちが入るタイプなので、生録がいいな(誰も私には聞いてませんが)。アンやサマンサの歌うシーンでは、歌声と表情と佇まいが矛盾なくひとつになってスクリーンからビンビン放たれており、生録が最大限にいかされていましたよね。でも、ラッセル・クロウみたいなタイプはもしかして、別撮りにしたほうが良かったのでは?そのほうが、歌唱と演技のそれぞれに集中して実力をもっと発揮できたのかも。(あれが別撮りだったと言われても違和感ないだろうし)それから、歌っている人の顔にぐっと近寄るカメラワークには賛否両論あったようですが、私はあれで良かったと思います。ミュージカルの舞台では俳優の表情がそこまで見えないぶん歌で聞かせてくれますが、映画俳優の武器はまずは演技と表情ですから、歌で足りない部分はスクリーンいっぱいに広がった顔で補えばよいのです!ボイスレッスンを重ねた成果もあってか、映画俳優さん達は予想以上の歌声を披露してくれましたが、ミュージカル俳優のそれと比べると、やはり技術的には劣ります(舞台出身のサマンサは別ね)。全体的になんだか力みすぎ。声に自然な深みや余裕がない。マリウス役の坊ちゃん、声はいいけれど、ビブラートを唇で作っているみたいだし、ヒュー・ジャックマンは喉でビブラートをかけているように聞こえます。私は生でレミゼのミュージカルは観たことがないものの、大学生時代にオリジナル・ミュージカル版のサントラCDをよく聞いていたせいか、今回は司祭役だったコリン・ウィルキンソン氏の「Bring him home」が自動的に脳内再生されてしまうため、同曲のヒュー・ジャックマンの喉声には違和感がありました(前半の囚人役にはマッチした声質だったと思いうけど)。しかし、ヒューさんはもともとテナーではない上、この曲はウィルキンソン氏のために書かれた曲らしいですから、比べるのが酷というもの。なので、映画を観たけれど、ミュージカルはまだ未見という方には、ぜひオリジナルキャストの歌声を聴いてプロの歌い手達の歌を堪能して頂きたい。歌えなくては食べていけない人達なのですから当たり前ですが、第一声から違う!しかし、舞台は舞台、映画は映画、それでいいのです。「私より上手く歌える歌い手はたくさんいるでしょう。でも、私はファンティーヌとして生きて歌ったの。『夢破れて』は有名な曲だけれど、まるでこれまで歌われたことのない歌のように歌え、と監督に言われたわ」とアン・ハサウェイがインタビューで言っていました。確かに技術的にはアンよりうまく歌える歌手はいるでしょうが、こんなにも心に食い込み、鮮烈な印象を残す「夢破れて」はそうそうないでしょう。まさに歌声と演技の総合力勝ち!これは舞台ではなく、映画だからこそ観ることができる、一発撮りの奇跡なのです。

そして、ストーリー。実際には大河ドラマにもなりそうな長編小説を映画にしちゃったので、ずいぶん展開が駆け足でしたね。テーマも絞れるだけ絞っちゃって、中心テーマに関係ないエピソードやキャラクターはがしがし削っちゃったんでしょう。コゼットとマリウスが恋に落ちるところなんて、ロミジュリばりに速い!そして、あっという間に別離、いっという間に革命はコケ、うっという間に結婚し、えっという間にマリウスは真実を知り、おっという間にフィナーレ。最後にあっち側の世界に行った人達がみんな現われて、高らかに歌い、感動的な大円宴!と、ミュージカル映画的にはもっりもりに盛り上がって終わりましたが、冷静に考えると実際はあの人達はみ~んな死んじゃってるわけで、幽霊の大合唱の後に残された人達のこれからを思うと、現実的にはそんなにハッピーエンドじゃないだろう、っていう。コゼットとマリウスはジャン・バルジャンの自己犠牲的な愛を知り、彼のまいた種は次の世代に受け継がれていく・・・小規模な意味ではハッピー・エンドなんですけど。でも、フランスの民衆はあれから、どうなっちゃうのでしょうか?革命のために流された多くの血が、次世代で実を結ぶようには思えない。政府軍に破れ、仲間を失ったマリウスが、今度は綿密に計画を立てて、血を流すことなく地道に世直ししていくようには・・・思えない。少なくとも、映画ではそういう提示はなかったと思います。結婚式はお金かかってそうだったし、きっと金持ちのじいちゃんの家に出戻って、以前は嫌悪していたシステムに迎合しちゃったんでしょ。(あくまで、予想。原作読めって?)歴史的カタルシスを含めてかなり大風呂敷を広げちゃったけど、結局のところ映画版レ・ミゼラブルは、ジャン・バルジャンと彼が関わった人達の個人的な魂の軌道の物語。まぁ、いいお話ではあるんですがね。結局、究極のところ、法より愛、正義感より慈悲!ってテーマなんですかね。それは、クリスチャンにとっても普遍的なテーマであると思うんですけど、やはり律法と恵みのバランスがね、品性の形成には大事なんだという。

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ここからレミゼのテーマや倫理観について語りたかったところで終わっちゃったわけですが、半年前の私からのバトンタッチを受けて、もう少し熟成された(?)感想を語ってみましょう。この映画では、社会的にも人格的にもドン底から這い上がり、成功して人格者にもなったジャン・バルジャンが主人公で、法にあまりに厳格なジャペール警部は悪役、ってな配置になってますが、これはいかがなものでしょう?そんなに、ジャペールは嫌な奴なのか?フツーの映画の悪役より、悪い人じゃない気もするけど?彼の仕事上、そして彼の性分上、「罪人」を見逃すことはできなかった、そんな彼なりの正義感に突き動かされて生きていたのだと思います。多分、たった1片のパンを盗んだ「小さな」罪(そしてその優しい動機)に対して、重く苦しい19年間の服務という処罰の釣り合わない感のせいで、ジャン・バルジャンのほうが観客や読者の同情を買っているのかも。しかし、その不条理な境遇に魂まで荒んでしまったのか、19年後には本当の泥棒になりさがってしまった彼。そこを、救ったのがミリエル司祭。「罪人」を見逃す愛 vs 見逃さない正義、どちらが正しいのでしょうね~。正義とは?法とは?本当にその人を立ち直らせる愛とは?とか、色々考えちゃうのです。

私も教師という職業柄、ルールを破った生徒にはそれなりの処罰をしなきゃいけない身。特に全寮制の高校で勤めていた頃には、学校だけでなく寮やプライベートに関する多くのルールがありました。わたし的に変なの~!と思うルール(例えば、「男子生徒と女子生徒は3秒以上ハグしてはいけない」)の違反は、見逃していましたし。(←いいかげんな先生だな)だけど、ルール違反を見逃してもらって、さらに調子こいちゃう生徒ってのもいますしね。神様もね、愛もあるけど、正義も同じくらいあるわけで、アダムとイブの罪を見なかったことにする、という対処はされなかったですよね。神自ら身代わりになって、罰をうけてくださったんですから。これぞ愛、これぞ正義でしょう!司祭は、罪は見逃したけど、罰を被ったわけじゃないですからね~。結果論で言いますと、ジャン・バルジャンの場合、あそこで赦されて人生変わったからいいんですけど、あれからもし調子こいてたら、あの司祭は責められるでしょ。見逃す愛にはそれなりのリスクと責任がありまっせ。もしかして、司祭にはジャン・バルジャンの見える行動としての「罪」だけではなくて、慈愛を必要としている「罪人」、そして再生の可能性までもが見えていたのかも。対して、ジャペール警部は、ジャン・バルジャンの「罪」はしっかと見ていたけれど、彼の人格や更正の可能性には興味がなかったようですから。きちんと罪を償うことでこの人は更正する!という可能性まで見ている正義感なら違ったのかもしれませんが、「罪人は世界の果てまで、追いつめてやるぜ!」みたいな彼の正義感は独りよがりなものだったみたい。結局、罪を見逃すとか見逃さないとかの問題ではなく、「罪を責めて、人を責めるな」的なことなのかもしれませんね。その人をしっかり見て、対応の判断をする、と。まぁ、警察はいちいちそんなことしてられないでしょうけど、誰かが「罪」の対処だけでなく、「罪人」と向き合った対応をしていかないと、人は救われないですよね。神様はきっちり両方やってますけどね。さすが!

今は幼児教育に携わっている私ですが、何か悪いことをした子どもをただ叱るのではなく、そこに至った経緯や子どもの気持ちをしっかり聞いて、受け止めることを学ばされています。悪いことは悪いけど、その行動に至った気持ち(怒り、悲しみ、孤独、焦り、嫉妬 etc.)には共感する、という。そして、どういう行動をすれば、他人に気持ちが通じるのか、何がお互いにとって良い解決策になるのかを考えられるように助ける。結局、子どもの世界も大人の世界の縮小版みたいなもので、程度の違いこそあれ、人生は似たような学びのレベルアップの繰り返しなのだす。

・・・などと、行きに観た映画の感想を、帰りの飛行機で書いております。いつか、「ひとりレミゼ・メドレー」でもやって、私なりのフィナーレにしようかな。

生者の言い訳

2013-04-24 | 詩の葉
死は死者を いやおうなしに 神聖化する
私には、それがアンフェアに思えてならなかった
たとえ、無数の綻びを晒していたとしても、
命よりも正当に語るものはないではないか

死者の残像は、
生者の中の記憶という不確かな光源と
生者による解釈という歪んだスクリーンの上で
不正確さを増していくものだから

生者のあいだにも認識の誤差はつきものかもしれないが、
そこには対等に保たれ続ける確かなフェアネスがある

死が根本的に不条理なものだと知りながらも、
私は生理的に死を厭う
そして
死者を美化する人々を疎みながらも、
同じ誘惑に誘われる自分自身を嫌悪する





ナメると恐いぜ、スポークン・ワード・ポエトリー。

2013-02-26 | 詩の葉
さてさて、サラ&フィルに大興奮してから、約一ヶ月たちました。その後、浮気症な私は(いや、多趣味と呼んでください)、オペラやったり、ゴスペル演歌やったりしてたんですが、実はサラ&フィルのWordplayの後、すぐにスポークン・ワード仕様の詩を書き上げていたんでやんす。正確には、以前かいた詩を、スポークン・ワード向けに書き直したのです。と、いうのもスポークン・ワードの厳密な定義が「人前で披露することを想定して書いた詩を、人前で披露すること」だと知ったので。つまり、前回のわたくしの"Hello, Earth"は、正確にはスポークン・ワード・ポエトリーではなかったんですね~。ただ元々読まれることを想定して書いた詩に、手振りをつけて実演しただけだったんです。でも、一応最も実演向きの詩を選んだんだし、まぁいっか。

<前回の出し物>


というわけで、けっこう近間の喫茶店で毎週行われているオープン・マイクに出演してきました!このRed Rockというカフェは、このベイエリアで1番良質なオープン・マイクをやる店という評もあり、なかなかの芸達者な強者揃いが出演するところを、なかなか目の高いお客さん達がスケッチなんぞしたりして、なかなかいい雰囲気作りをするスタッフさん達が温かく仕切ってくれる、というベイエリアのクリスチャン芸人と呼ばれている(?)私には願ってもない楽しい場所なんですよ。毎週行けたらいいんですけど、お仕事があるからそうもいかない、ですね。(Facebookやっている方は、ここでRed Rockでのこれまでの演目が見れますよ。)

今晩は、誰でも参加OKなオープン・マイクの後のfeatured musicianがちょっと有名な人だったらしく、お客さんが多かったんですよね。で、ひっさしぶりに頭真っ白状態になりましたよ、詩の途中で!次が出てこなくなって、数行ふっ飛んだ先に着地しました。危ない、危ない。ホント、歌うより緊張しましたよ。まぁ、まだ場馴れしてないせいだろうけど、ナメると恐いぜ、スポークン・ワード・ポエトリー、ですわよ、奥様。というわけで、ちょっと残念な感じに終わった私のスポークン・ワード・ポエトリー第二弾(厳密には第一弾)だったのですが、数人のお客さんは「あなたの詩、良かったわよ~」と後から言ってくださいました。感謝、感謝。「でも、数箇所とばしちゃったんですよ、頭真っ白になっちゃって」と暴露したら、「あ~、あの空白の時間ね・・・でも、意味のある間のようにも、とれたわよ」とフォローしてくださいました。(でも、後で動画みたら、やっぱスコーンと抜けてる感じでしたけど。汗)それに、所々言葉につまってたし、ステージプレゼンスもまだまだ固い。ってか、前置き長過ぎ。いろいろと改善の余地ありです。スポークン・ワード修行するぞ!サラ・ケイは一日にして成らず。さて、今晩詠んだ詩のとりあえずの日本語訳をずっと下の方に載せたので、興味のある方はどうぞ読んでみてください。元が英語の詩なので、か~なり違和感ありますけど。(自作でも、詩を訳すって難しい!)それに、読まれることを前提に書く詩はもっと余白があるんですが、聴かれることを前提に書く詩は言葉数が増えちゃって、こうして載せると字ヅラが長過ぎてウザって感じなんですけど、それでもよろしければ。(いや、単に私がwordyなだけか?)

<本日の出し物>


というわけで、聴衆が自分の目の前にいることを想定して書く詩は、印刷された頁を読む読者を想定して書く詩とは、ずいぶん変わったものになるようです、元々同じ題材を使って書いていても。読み手を想像しながら書くブログ仕様の文章は普通の文と違う!っていう実感もありますが、さらに受け取る人と同じ空間にいることを想像すると、より受け手に寄り添った感じになるんですかね~。しかし、目の前に生きた人がいて、自分の表現するものをちゃんと観て聴いてくれるって、本当にすごい有難いことです。恐いことでもあるけど。そして、その人達が目の前にいるからこそ引き出されるものって、確実にあるんです。ちゃんと向き合えば向き合うほど、それはばっちり受け取って頂けるようです。歌にしても、この数年はなるべく暗譜して臨んでいます(コーラスではしてないけど、ソロの時は)。やっぱり、100%視線を客席に注げないと、譜面に視線が戻るたびに繋がりが途切れちゃいますからね。しっかり聴いてくださっている人の姿はやっぱり目に入ってくるし、この箇所はあの人のほう向いて歌おう!みたいなのもでてくるし、向くべき人のほうに向かせてくださる神様の力を感じたこともあります。なので、やっぱりイイ発信するには、受信力も高めないと・・・ね。これは、このブログでも、教師としても、クリスチャンとしても、恋愛でも、私が反省しきりな部分なんですけど、出すだけ出して相手側の半世界をちゃんと見てないだろ!みたいな。(このブログにコメントくださった方々、ちゃんとお返事しますね。)今宵詠んだ詩じゃないけど、向き合っている相手のページの厚みと、語られない言葉と、隠れた傷とを察することができたら、と思う今日この頃です。

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詩を刷るということ

「君達が形作っているのは、版木だけじゃない、
その周りの空気もだ」
と、先生が版画のクラスで言ったっけ

ノミはきっぱりとした意志を持って
正の空間を、負の空間から
掘り分ける

スポークン・ワード・ポエトリーも、それに似てますね
私が形作るのは、語る言葉だけじゃない、
秘する言葉もだから

ぺンはきっぱりとした意志を持って 
語る言葉を、秘する言葉から
書き分ける

・・・例えばぁ、
今日の朝何食べた、とか
これまで付き合った男は何人、とか
何回 細胞検査を受けたか、とか
ここに来る前にかかってきた電話の内容、とか

語る言葉同様、秘する言葉にも
はっきりとした理由があるもんで
・・・例えばぁ、
全然関係ないから、とか
個人的内容すぎる、とか
語るには辛すぎる、とか
どうやって言葉にしたらいいか まだわかんない、とか
黙って聞き手に委ねたほうがいい、とか

版画のクラスに戻ります
版木を彫り終わったら
版画を刷る準備は万端
彫られた版木の労をねぎらうべく
たっぷり塗るインク
掘り残されたジューシーな面は
バージン・ペーパーにくちづけして
情熱の跡を残し、
彫られた部分は距離を置きつつ
その彫りの深さを紙の白さに託す

詩を刷ることも同じです
ここにいる皆さんは紙
私は版木
もっと正確に言えば、
あなたが私に委ねているこの瞬間が、バージン・ペーパー
だって、人生はまだ誰も触れたことのない瞬間を重ねた紙束
私が用意してきた詩、
ここに書かれた台詞が、彫った版木
私の声、動き、そして存在はインク
私の感情、そしてエネルギーが、その色

あなたの存在と私の存在が
ここでこうして、出会う
たった一度だけ、こんな風に

再び、版画のクラスです
「紙上の版画だけじゃなく、
その向こう側の版木や血も見通しなさい」
と、美術の先生が言ったっけ

そうそう、嫌なトゲがささったり、
うっかり手を切ったこともあった
ある子は掌をザックリ切ってしまった
でも、クラスの作品展を見るだけでは
一番多くの傷を持って作られた作品がどれだか
一番深い傷を持って作られた作品がどれだか
なんてわからない

皆さんの前に立つ詩人の傷も、同じように隠されているんです
・・・例えばぁ、
私も離婚した親の話だとか
死んだ元カレの話だとか
辞めた仕事の話だなんてしないし

完璧な比喩などない
これも、そう

あなたは真っ白な紙ではなく、
人生と傷を背負った生身の人間
あなたも私も今日をここまで生きてきて、
これまでの人生を生きてきた
あなたのヒストーリーと私のストーリーが
ここでこうして、出会う
たった一度だけ、こんな風に

正直、こんな風に詩を刷るのは
生身が晒されるようで、キツい
ただ紙とかブログとかに詩を載せるのとは全然違う

私という版木の体は
聞き手のあなたという生身の体と人生と傷に向かい合っている
あなたの傷は、私の傷より深いかもしれない
あなたの秘した言葉は、私の秘した言葉より大きいかもしれない
あなたの紙束は、私の版木より厚いかもしれない

あなたという紙束の聞き手は
吸収力も観察力もあって
私のインクをじっくり吸い取る
そうして、私が秘した言葉も隠した傷もあなたの内に浸透し、
誰も知らないあなたの深い所にあるそれと
共鳴するのかもしれない

今、私は脆く、恐れ多い気持ちで
皆さんの前に立っています
あなたが委ねてくれた貴重なひと時というページに
相応しいくちずけの跡を
そのバージン・ペーパーに残せたことを
願いながら

Spoken Word Poetry

2013-02-04 | はじめに * In the beginning


sarah: writing poetry is like pooping.What's inside you gotta come out. Sometimes it's quick, but sometimes it takes long. It can be frustrating, but it can be quite satisfying. And it's absolutely necessary.

"When Sarah Kay began hanging around the Bowery Poetry Club as a teenager, she developed the reputation of being a great "youth poet," which was ridiculous. She was a great poet. Period. We should have known from the way she kicked our butts in the poetry slam that she is nothing less than a star. Not as in "superstar" or "movie star," but as in "something from out of this world that gives off light, that you can use to navigate by, that you can make a wish upon." - Taylor Mali

スポークン・ワード・ポエトリーのライブレポート、そして才能の使い方

2013-02-03 | 詩の葉
以前イケメン指揮者エリック・ウィティカーにハマっていた、彼についての記事を読みまくっていたのですが(覚えてますか?)、そこで彼が出演していたTEDという世界の名立たる思想家や手腕家によるカンファレンスを主催しているグループを知りました。(すでにご存知の方も多いと思いますが、TEDが無料で配信しているプレゼンの動画は英語の勉強にもなるし、内容もレベルが高くておススメです!TED活用サイトはコチラ)そこで芋づる式に見つけた詩人サラ・ケイのプレゼンとその詩にすっかり感銘を受けたのであります。それまで聞いた事もなかったスポークン・ワード・ポエトリー、それは自分の声と身振り手振りを通して、聴衆の前で詩を最大限に表現するパフォーマンス・アート。すっかりこの詩の形式に魅了された私は、上質なスポークン・ワード・ポエトリーの動画を捜し求めてYouTubeのプレイリストに集め、寝しなにちょいちょい嗜むようになりました。遂には、ご近所のカフェのオープンマイク(誰でも飛び入りで参加できるステージ開放イベント)で自作のスポークン・ワード・ポエトリーを披露するまでに。もともと詩を書くことが趣味でしたが、それをどのように身体表現するか、といったことは考えたことのなかった私に、新しい世界が広がったのでした。

<サラ・ケイのTEDでのプレゼン>

(YouTubeのサイトにとんで、右端のメモ帳みたいなアイコンをクリックすると、日本語の字幕も出ます。)

スポークン・ワード・ポエトリーにハマッてから1年ほどたったでしょうか・・・あのサラ・ケイがスタンフォード大学で詩のパフォーマンスをするイベント「Wordplay」があるというではありませんか!(Facebookさまさま)しかも、スポークン・ワード・ポエトリー相棒のフィル・ケイと一緒に!この2人、ケイという苗字や母親が日本人で父親がユダヤ人、という以外にも信じられないほど共通点が多いのですが、血の繋がりはなく、全くの他人です(「堂本兄弟」みたいなもんです。笑)。彼氏彼女でもありません(しつこいくらいにこの点を強調してました)。この2人は「プロジェクトVOICE」なるものを立ち上げ、世界各国を回って詩を披露したり、子どもから大人まで詩を通した自己表現を教えたりしています。スタンフォードでもワークショップをやってましたが、これはスタンフォードの生徒限定だったので残念ながら参加できず(涙)。

というわけで、心ウキウキわくわくスタンフォード大学のキャンパスに侵入、いや突入したわけなのです。スタンフォード大学は家から結構近いのでよく行くんですけど、私がこれまで在学してきた大学とは比べ物にならないくらい広いので、いつもかなり迷います・・・今回は道を尋ねた学生たちも丁度「Wordplay」に行くところだったので助かりました。いやはや、ライブでスポークン・ワード・ポエトリーを観る楽しさは格別でしたね!いつもYouTubeで観ている2人が、目の前であの詩この詩をパフォームしてくれる不思議な感動。まるで、憧れのアイドルにやっと会えた追っかけファンの気分。詩のパフォーマンスが良かったのはもちろんのこと、2人のMCもとっても気さくでフレンドリーだったし、会場の空気や観客の反応も楽しめました。そこには私と同じようなS&Pファンが大勢いる雰囲気が漂ってましたね。フィルくんの"Geico Gecko"が始まる前の「ゲッコー、キターーーー!!」みたいなざわめき。サラの十八番"B"が始まる前の「お、いよいよか・・・」みたいな厳粛な空気。皆さんもそうとうS&Pにハマってるわね、と親近感を覚えました。会場が大学の構内ということもあり、観客の80%は大学生みたいでしたが、中年のご夫婦も幾組か混じっていました。全体的にアジア人が多かったですね。イベントの主催がフィリピン系学生の会だったせいもあるのかも。

そうそう、可愛い顔して、サラさん、面白いこと言ってましたよ。「詩を書くことは、pooping(排便行為)に似ているわ」って。(会場爆笑)「だって、自分の中にあるものは、出さなきゃいけないでしょ。すぐ出る時もあるし、なかなか出ないこともある。うまくいかなくてイライラすることもあるけど、出ればけっこう快感を味わえる。それに、生きていくために絶対的に必要なことだから。」ちなみにこれは、「ライターズブロックに悩まされることはないんですか?」という質問の答えだそうです(笑)。サラさんの「詩=ウンチ」説によれば、私はただいま重症な便秘だわ。(そして、このブログもね)。他にも「この中で恋をしている人~?」というサラの呼びかけに会場中の若者が盛り上がり(みなさん若いね~☆)、さらに「この中で遠距離恋愛してる人~?」と聞かれて、「ウォ~~~~!」と雄たけびを上げた男子学生がいたりで、観客もノリノリ。それに、「なぜここで?」な所で笑いが起こるのも、YouTubeで観るのとは違って新鮮でした。寺山修司氏は「作者は作品の半分を作り、半分は観客が作る」と言っていますが、その「半世界」のこちら側を皆さんと共有できた、至福の時でした。



観客との距離を縮める2人のMCも良かったですが、やはりメインである詩のパフォーマンスにはヤラレっぱなしでしたね。それも、私のお気に入りばかりセレクトしてくれたかのような「ザ・ベスト・オブ・S&P」ってな感じの演目でした。やっぱ鉄板ポエムってあるんでしょうね~。笑わせたり泣かせたり、硬軟取り混ぜた構成でした。それから、まだYouTubeにはのっていない新作も幾つかあり、得した気分。まずは場慣らしとて、「スポークン・ワード・ポエトリーって何?」というあなたの素朴な疑問に答えてくれる"She Asks Me"(YouTubeではフィル1人だけど、ここでは2人)。弟思いのサラが微笑ましい"Brother"、祖父、父、そして自分と男三代の人生を語るフィルによる新作(YouTubeにのってないからたぶん新作、題は不明)。それからサラとフィルの共通点の多さに驚き、恋人以上に稀有な友人関係が羨ましくなる"An Origin Story"。「前のはもう古いから、また僕について書いてよ」というサラ弟のリクエストに答えた、弟ネタ第二弾の新作"Ghost Ship"。それからフィルのなりきりゲッコー(やもり)と微妙なイギリス訛りがおかしい"Geico Gecko"。(これってフィル作のオリジナルキャラかと思っていたら、某保険会社のコマーシャルに登場するキャラだったのね・・・)それからサラによる恋愛モノ2本立て"Postcards"と"Toothbrush to the Bicycle Tire"。フィルの日本人祖父とユダヤ人祖父を通して民族間の確執と和解を描いた"Teeth"。冒頭のTEDに出演したサラを一躍有名にした"B"。そして、両親の離婚を通して言葉の重さを実感したフィルの十八番、"Repetition"。そして、やっぱりシメはこれよね!的な"When Love Arrives"。初恋から黄昏の恋まで、老若男女に効く普遍的な恋の詩。絶好調の時にも、失恋した時にも、ばっちり沁みます!



終わった後の会場は、なんだかほっこりした雰囲気でした。「あの詩のここが良かったね~」と嬉しそうに奥さんに話しかけてる旦那さんがいたり、「やっぱいいよね~、サラ&フィル!」って盛り上がってる女子学生がいたり。オリジナル詩集やTシャツを販売し、それらにサインをしたり、一緒に写真に写ったりと、かなりスターなサラとフィル、そしてかなりミーハー気分な私。長蛇の列に並んだ末、やっとサラの前に辿り着いた私の第一声は"Finally!"(やっと会えた!)「列、長かったもんね」と言うサラに、「それもあるけど、一年くらい前にYouTubeのあなたの詩にハマってから、ずっと会いたかったから」と私。それから横にいたフィルには、「『おじいちゃま』の発音、かわいかったですね」と言ってみました。だって、本当にかわいかったんですから!写真を一緒に撮る時には、フィルが「君の靴、可愛いね」と言えば、「っていうか、あなた全体的にオシャレよ」とサラが言ってくれて、嬉しかったな~。というのも、かなりサラをイメージしたファッションで行きましたからね。髪もクルクルにしてみたし。どんだけ好きなんだっていう(笑)。とにかく実物のサラもとってもチャーミングでかつ堂々としてたし、フィルはちょっとスカした感もあるけど茶目っ気もある好青年でした。まだまだ続きそうなあったかいサイン会に後ろ髪ひかれながらも、あまり夜遅くまで不慣れなスタンフォード・キャンパスを彷徨いたくなかったので、会場を後にしました。(実際、車を見つけるのは一苦労だったし・・・)



その後も興奮冷めやらぬ私は、サラとフィルと一緒に撮った写真(↑)を加工したりして一夜を明かし、今夜もこうしてせっせとブログ記事を書いてるわけなんですね。いやはや、やっぱりイイ余韻は長持ちさせなきゃね。そういえば、サインに記念写真と大忙しの2人をスター呼ばわりしてしまいましたが、私が心酔しているもう1人のスポークン・ワード詩人テイラー・マリは「プロジェクトVOICE」のホームページでサラ・ケイを次のように称しています。「ティーンエイジャーのサラ・ケイが"バワリー詩の会"に出入りし始めた頃、よく"素晴らしいヤング詩人"とうわさされていたけど、それってバカらしいよね。彼女は"素晴らしい詩人"だったんだよ。年についての形容などいらないね。サラが詩の会で俺達をうちのめしたあの様子から、彼女がスター以外の何者でもないことを知っておくべきだったのさ。それは、"スーパースター"や"ムービースター"といったたぐいの"スター"じゃなく、この世から離れた場所から光を放ったり、方角の目印になったり、願いをかけられたりするって意味での"スター"さ。」自身が詩人ってこともあり、テイラー・マリ氏、なかなか素敵な紹介をしてくれるじゃないですか。"B"の詩集にかいてくれた、サラのサインにも☆がついてましたしね。スター・サラ。



このサラとフィルは、詩のパフォーマンスだけでなく、小学校から大学院まで回って詩のワークショップをしたり、若い子達の自己表現の支援をしているところが、素晴らしいです!この2人が立ち上げた「プロジェクトVOICE」のミッションは「スポークンワードによって、楽しみと教育と刺激を生み出すこと」だそうです。サラが冒頭のTEDに出演した時も、大学時代に近辺の高校で詩のクラブを作って、なかなか詩が書けない子がものすごく個性的な詩を書くまでになったエピソードを話していました。自分の才能を磨くだけでなく、他者の才能を見つけ磨いていたからこそ、TEDからもお声がかかったんだと思うんですよね。前述の元教師でもあるスポークン・ワード詩人テイラー・マリ氏は、「教育について語ることによって、1000人教師を生み出す会」を立ち上げていますし、エリック・ウィティカーのヴァーチャル合唱団も然り。彼らの単なる自己表現を超えた社会福祉的創作活動には、最近知人の紹介で読んだ内田樹氏のブログ記事「才能の枯渇について」に通じるものを感じます。そこで一部掲載。「才能は自己利益のために用いると失われる。『世のため人のため』に使っているうちに、才能はだんだんその人に血肉化してゆき、やがて、その人の本性の一部になる。そこまで内面化した才能はもう揺るがない。でも、逆に天賦の才能をもっぱら自己利益のために使うと、才能はゆっくり目減りしてくる。才能を威信や名声や貨幣と交換していると、それはだんだんその人自身から『疎遠』なものとなってゆく。他人のために使うと、才能は内在化し、血肉化し、自分のために使うと、才能は外在化し、モノ化し、やがて剥離して、風に飛ばされて、消えてゆく。」これには、唸らされましたね。才能は贈り物で、たまたま手元に預けられており、それをうまく使うことが委ねられている・・・とまるで聖書のタラントのたとえみたい。目減りがちな私のタラント活動に渇!を入れてくれるお言葉でやんす。それにサラとフィルの姿を見て、私も「何かしよっ!」と才能を使うモチベーションがあがりましたよ。まぁ、世のため人のためと言いつつも、自己利益も考えちゃう不純な動機と常に戦ってますけどね。だからといって何もしないんじゃ、タラントを埋めた人と同じになっちゃうので、100%純粋な動機じゃなくても、とりあえず始めてみようかな、と。そういえば、以前何かのセミナーに参加した時に「自分のライフ・ワークにミッションを掲げる」という課題があって、「クリエイティブな活動を通して、人と人を隔てている壁を取り壊す」というミッションを思いついたんでしたっけ。そのミッションに沿うように、創作意欲と活動の場が与えられるように祈っていこっと。皆さんにも、応援して頂けると嬉しいです。頑張って、恩返ししますので。

選挙後日談

2012-11-06 | はじめに * In the beginning
今日、私の周りは静かだった・・・同僚に選挙権を持った人は、いない。生徒のあいだにも選挙ネタは、ない。アメリカにいる実感、薄め。それもそのはず、ここはカリフォルニアの日本人補習校だから。少し、淋しい。

4年前とは対照的だ。その頃、バージニアの高校で働いていた。アメリカ人の同僚も生徒も、日々熱く論じていた。そして、オバマ氏が当選した夜中、女子寮からは歓喜の声が聞こえてきた。歴史的瞬間を、肌で感じた。なんだか、懐かしい。

12年前は、ブッシュ対ゴア、だった。私はミシガンで教育実習中で、小学4年生の生徒らに討論をさせたところ、彼等は本気になって泣いたり怒ったりしていた。アメリカ人の原点を見た気がした。非常に、懐かしい。

アメリカ人は、幼いうちから政治ネタに熱い、という印象がある。今日も数名の5才児が“I voted”というシールを胸に、登園してきた。もちろん本物ではないが、多くの現地校で擬似選挙をするからだ。政治に疎い私には、ある意味、羨ましい。

My sentiments on the election

2012-11-06 | leaves on TODAY
It was quiet around me today... None of my colleagues are eligible to vote. No election-related buzz among my students. As if I am no longer in America. No wonder, I am at a Japanese school in California. I kind of miss the buzz.

What a contrary to the election season four years ago. I was working at a high school in Virginia. There were many heated discussions among my American colleagues and students. The night Mr. Obama was elected, I heard a loud shout of joy from the girls’ dorm. It was a historical moment made tangible. I kind of miss such moments.

Twelve years ago, it was Bush vs. Gore. It was during my student teaching in Michigan. I had my fourth graders debate. They became quite serious; some cried, some were upset. I kind of saw where Americans were coming from.

So I gathered that many Americans are into politics from young age. Even some of my kindergartners were proudly wearing “I voted” stickers on their shirts today. That’s because many American schools have mock elections for kids. And I kind of envy them for growing up that way.

「私小説 from Left to Right」から読み解く私生活 from East to West

2011-11-11 | 本の葉
最近、バイリンガルやクロスカルチャーに関する児童書や文学にハマっておりまして、そこで日本初の横書き日英バイリンガル小説「私小説 from Left to Right」(水村美苗著)に出会いました。冒頭の頁から、いきなり英語ONLYの横文字世界。でも、あとはこちらにはらり、あちらにはらり、と軽いぼた雪くらいにしか英語は現れませんので大丈夫、中学生程度の英語でも読めるそうですよ。(結構、日本の中学英語って、読解の役には立つんです。)大学院時代、コードスイッチング(二言語以上の言葉を混ぜ合わせて使うこと、いわゆる「ちゃんぽん語」)のリサーチをしていたこともあり、(このブログでも取り上げてましたね)「こんなちゃんぽん小説があるなんて!」と軽くノボせてしまいました。(お風呂で読んでいたせいもある?)対訳付きのバイリンガル本なら結構ありますが、一つの思考の流れが日本語になったり英語になったりしている本ってのは珍しいです。(日本の歌謡曲にはありがちだけど)私の思考言語もちゃんぽん気味なので、こういう文章は自然に脳に染みる感あり。と言うわけで、ページをめくるごとに、いやおうなしに期待が高まっちゃいました!

さて、「言語と文化は切り離せない」とよく言われるように、この小説世界でも、ちゃんぽんなのは言葉だけではなく、文化もまた然り、でした。アメリカで十代から三十代までを過ごした日本人女性の半生記、私が共感できる部分が非常に多かったです。どんな内容かといいますと・・・「私小説」をleft to rightに綴る主人公・水村美苗(著者と同姓同名)は、十二歳の時に家族と渡米し、二十年間アメリカに住みながらもアメリカ人になりきれず、さりとて「モロジャパ」にもなれない大学院生。旧き良き日本に憧れ続け、日米どちらの現実社会にも踏み出せずに、モラトリアムに甘んじている。具体的に言えば、口答試験を先延ばしにし続け、大学町に住みながらキャンパスをも避け、アパートで引きこもり生活を送っている。加えて同棲していたモロジャパな「殿」にも去られたばかりで、篭る一人暮らしのアパートの空気の重いこと、重いこと。でも、この感じ、少しわかります。空気って、体や心を動かしていないと固まって、どんどん身動きが取れなくなるんですよね・・・。孤独ってある意味、自己責任なのかも。

そんな美苗よりも、もっと危なっかしいのは、二歳年上の姉・奈苗。見た目と振る舞いは、基本アメリカナイズされた上、インターナショナルな男性暦を経て、国籍不明の体を晒しています。彫刻家なれど彫刻だけでは食えず、バイトで食い繋ぐ生活。マンハッタンのSoHoのロフトに猫二匹と住んでいる、と言えばオシャレな感じもしますが、呑んだくれ無職DV男と同棲し、妹・美苗に電話でグチる毎日。面の皮厚いようで、泣き虫。自由奔放なようで、繊細。気さくそうで、ソノビッシュ。ミーハーなようで、保守的。日本人らしくないのに、日本に拘る。とまぁ、面白い人です。この姉妹、かなり両極端なんですが、どちらも私と似ているところがあるなぁ・・・

この小説の殆どは、姉妹にとって「渡米二十周年記念日」となった或る一日の間に交わされた、二人の“only you know what I mean”的日英ちゃんぽん長電話会話で占められています。数回の通話の合間に美苗の一人称の語りが挟まれて、二人の現状や過去が浮かび上がっていく、という構成。渡米記念日ということも手伝ってか、二人は感慨深げに日本での幼少時代の思い出や、互いのアメリカ順応(もしくは非順応)の歴史を語り合います。終盤に重い空気が入れ替わるようなカタルシスがあるといえばありますが、筋らしい筋はあらず、話を区切る章もない、不思議な本です。でも、私は筋で引っ張るプロット先行型の小説より、キャラやテーマ、または描写や表現で読ませる小説の方が好みなので、問題なし。キャラ的にも背景的にも共感度は高かったし、テーマはド真ん中に好みだったし、随所に「上手いな~」と思わせる文章があったし、字ズラに拘っているところも、詩的で素敵。ってなわけでワタシ的には、かなりハマりました。湯船のお湯が冷めても、読みふけっちゃったほど。

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長~い前置きになってしまいましたが、いよいよ「私小説 from left to right」、略して「しレラ」(←略し過ぎ)に、様々な角度から切り込んでみたいと思います!(ネタバレを避けたい方は、ここまでにした方がいいかもしれません)(というより、ここまで読んでくださった奇特なあなた、ありがとうございます。覚悟あらば、ここからもご一緒しませう。)


I.渡米の動機と順応力の関連性

共感したと言いながら、相違点の「違」から語るのもなんですが、同じように十代で渡米して約二十年近くアメリカ暮らしをしてきた美苗と私には、多くの違いがありました。まずは、美苗の「受動的な渡米」 と私の「能動的な渡米」、そして、美苗の「日本への回帰傾向」 と私の「アメリカへの順応傾向」ですね。そして渡米の動機と順応力の間には関連性があるようで。「上昇志向がそのまま西洋指向につながったような」両親に連れられ渡米した中学生の美苗は、最初のハネムーン期こそは「アメリカの豊かさを自分の豊かさのように」誇っていましたが、すぐに夢に見るまでにも日本を恋い偲ぶようになり、アメリカに連れてこられた自分の運命を疎うようになります。それなのに、二十歳になるまで再び祖国の地を踏むこともできず、「日本人であることの証を日本語に求めて」、日本近代文学を読みふけるようになるのです。しかも「いつか日本に帰るのだから」と英語を学ぶ必要性は、全く感じていない。その結果、彼女の性格には釣り合わないような変人(?)にしか相手にされないソーシャルライフを送り、彼女の知能に釣り合わないようなアカデミック評価を受けるという不毛な小・中学生生活を送ります。(歯痒いわぁ)

私の場合はと言えば、自ら好んで単身留学をし、いずれ日本に帰ろうとも思わず、バカにされてなるものかとサバイバル英語を身に着け(サバイバル英語で満足してしまった感はあるが)、早く現地人の親友やBFを持とうと躍起になっていたのでありました。かといって、日本文化を疎んじていたというわけでもなく、日本人留学生仲間と、トレンディドラマ(既に死語)の一気観をしていましたし(今もしてるか)、一年に一度は日本に里帰りしていましたから、それほど望郷の念に胸焦がれることもなく、アメリカ生活を送れたのかもしれません。アメリカと日本両方の若者文化を吸収しようとした所は、奈苗に似ているかも。それに、自分の決断で来たせいか、美苗のような「連れて来られた」的被害者意識や、「アメリカに来てなけりゃ、今頃私だって・・・」的たられば思考も、なかったですね~。これは過去に受け持った、駐在員の子どもと単身留学生の間にも見られた違いです。でも駐在員の子どもでも、「どーせアメリカに住むなら、楽しんで、頑張って、得られるもん得たる!」と開き直った生徒は、強くなっていきましたね。被害者意識のあった子どもは伸び悩んでいたし。やっぱり、「変えられないものを受け入れる力」は、大事です!

II.言葉を通じての祖国とのつながり

最近、私の教える補習校の卒業生達が、ノートいっぱいに漢字を書いたりして、アメリカにいても自分は「日本人だ」という意識を保っていると聞いて、「へえ、そんなことするんだ」と感心していたのですが、いましたよ・・・ここにも似たようなことしてる人が。現地校の授業中に、写経のごとく日本の住所をノートに書いたり(しかもコダワリの縦書き)、ひらがなの美しさにウットリしてみたり、果てには高校の授業をサボって、日本の小説を読みふけったり。(良い子はマネしないよーに!)そんな美苗の言い訳(?)は、「私は日本人であることの証しは血にはないことを知るようになった。以来私は寝ても覚めてもそれを日本語に求めたのである。」こうして健気な古文オタクが出来上がっていったのでした。チャンチャン♪

渡米後、日本語に日本とのつながりを求めた所は美苗も私も同じなんですが、彼女はそれを日本近代文学に求め、私はそれを現代の音楽・ドラマ・小説・ネット等に求めたという違いもひしひしと感じました。片や美苗は「企業」は読めなくても「美人局」(「つつもたせ」と読むそうで)を何と読むかは早々と学び、対する私は「ぶっちゃけ」や「~っすか」といった表現を覚えていったというわけです。初の日英バイリンガル小説と謳われる本書ですが、実際は英語より古文の占める割合の方が高いかも。「No, no.もっと古風に。――われ叫びいでん、懷かしきわが國よ、わがふるさとよ、われ今おんもとに歸りきぬ…」ってな具合に。ある意味トライリンガル小説かもしれないわ、これ。日本の高校で国語を学ばなかった私には、古文のほうがまるで外国語のようでしたよ、正直言って。私にとって一番身近な古文らしきものは、椎名林檎の擬似古文調歌詞かもしれん・・・こんな「なんちゃって日本人」で大丈夫なのか?私。

III.アメリカ社会との共通語

ところで、この小説にはアメリカ文化を語るには欠かせないはずの宗教の要素が不思議なほど皆無なのですが、私がクリスチャンであることも、宗教を持たない(と思われる)美苗との大きな違いでしょう。言語は変われども、同じ讃美歌や聖書物語という「共通語」があり、同じ信仰という共通の宗教的かつ文化的価値観があったことは、ラッキーだったと思います。これまで、カナダ、アメリカ、そしてアフリカに移り住んできましたが、同じ宗教ベースのコミュニティーだったためか、国境は越えても遠い親戚と付き合っているような、どこか地続きみたいな感覚がありました。(もちろん他にも信仰を持つ利点はありますが、それはいずれまたゆっくりと。。。)

ですから、アメリカ人と宗教という共通語を分ち合わなかった奈苗と美苗が、「万国共通語」とも呼ばれる音楽や芸術、また第三外国語の分野で、アメリカ人と同じ土俵に立とうとしたのかもしれない、というのは私の深読みのしすぎでしょうか?英語の勉強よりも、絵を描くことやフランス語の勉強に熱心な美苗。ピアノや彫刻や自らの性を通して、自己表示を試みる奈苗。言葉以外にも、使える武器はたくさんありますものね。ある人にとって、それはスポーツだったり、歌だったり、料理だったりする。世界との共通語とは、すでに自分の中に培っているものなのかもしれない。・・・もし、言葉を剥ぎ取られたら、あなたは何で勝負に出ますか?

IV.在米アジア人の溶け込み度、ところ変われば

同じアメリカに暮らすと云えど、アメリカは広し、です。水村一家は渡米直後にニューヨークに家を構えており、NYで育った娘達は東海岸の大学を卒業してからNYに戻ってそれぞれ一人暮らしをしている。そんな美苗が奈苗に、こう言う場面があります。「Californiaに育ったらもっとアメリカにとけこめたじゃない。・・・今ごろアメリカ人になってたかもしれない。」二十年間東海岸でしか暮らしたことのない姉妹の想像の中では、カリフォルニアのアジア人達は「私ダッテアメリカ人ヨ!」的顔で歩いているのでしょう。確かにここカリフォルニアにはアジア人が多い。でも、顔つきは様々です。「アジアの遺産」としてナショナル・ジオグラフィックスの表紙を飾れそうな誇り高い顔、「受け入れてもらえますかね」的心もとない顔、「私ダッテアメリカ人ヨ!」と気張っている顔、もはや自分が溶け込んでいるかどうかさえ意識することもない地元顔、などなど。私はどんな顔をしているんだろう・・・カリフォルニアに移って三年目、最近では日本の店の店員に日本語で話しかけられることも増えてます。(笑)

この十八年の間に、カリフォルニア、ミシガン、バージニア、そして再びカリフォルニア、と移り住んできた私も、アメリカのどこに住むかで外国人に対しての視線が違うのは、肌で感じてきました。州によって、雰囲気もまるで違いますしね。確かにカリフォルニアでは、アジア人を見慣れているせいか、妙な視線を感じることはあまりありません。(田舎では違うらしいですが)ただ白人にとってアジア人はみな同じように見えるらしく、どこの国から来ていようと、何年アメリカに暮らしていようと、いつまでも総まとめにone of themとして見られている感はありますよ。でも、私の目から見れば、FOB(fresh off the boat=渡米ほやほや)から代を重ねた移民まで、こんなに歴史の厚みを感じるアジア人生存地帯は、アメリカ広しと言えどもそうありませんって。顔つきも服も立ち振る舞いも違う。もう、在米アジア人図鑑ができちゃいそうな面揃えかも?

中西部のミシガン州には一番長く住みましたが、留学生の多い大学のキャンパス近辺や日本人の多い街に住んでいたせいか、そう物珍しげな目では見られませんでした。(これも、田舎では違うらしい)でも、私の元ルームメイトのフィリピン系アメリカ人の友人は、よく「どこの国出身?」と聞かれ、「シカゴよ」と答えると、「え、外国じゃないの?」的ケゲンな顔をされていました。(訛りも全くないのに)これは、アジア系移民の歴史がカリフォルニアより短いせいかもしれないし、留学生の多い地域だったからかもしれません。(でも、カリフォルニアでは、こんな反応をするアメリカ人はあまりいないと思う。)それから、学生から社会人になってから、外国人扱いを受けることが増えた気もします。大学における留学生の割合より、社会における外国人雇用者の割合が圧倒的に低いから、当たり前か。でも、かなり違和感あったな~、当時は。

しかし、バージニア州の学校に面接に行った時には、おったまげましたね。「アメリカの別の顔を見た!」って感じでした。レストランに入ったら、客はみんな白人で、半分くらいはカーボーイハットやらカーボーイブーツやら履いたおっちゃんで、バリバリ南部訛りで、「よそもんが来たぞ!」的目で見られて。(まだdeep southじゃないのに)そして学校創設以来、初めての非白人教師となった私は、「英語は変だけど、先生愛してるよ」と言われたり(苦笑)、村上春樹氏の「卵と壁」スピーチを授業で紹介したら、「自分が日本人だからって、日本人作家を紹介するなんて、先生はレイシストだ。」と生徒に言われたり、(そもそもレイシストの意味わかってるのか?)同じ年度に雇われた韓国系アメリカ人の先生に間違われ続けたりしましたっけ。この先生についても、「○○先生は、英語うまいよね」と生徒が話しているのを聞いたけど、その人アメリカ人だから!(まぁ、日本人なのに、タレント・ショーでアフリカ踊りを披露した私は、かなり異色であったと思われる・・・)それから、バージニアには植民地時代や建国時代や南北戦争の名残があちこちに残っていて、記念碑やら南軍の旗やらよく見かけたな~。毎年、近くで南北戦争の再現劇をやってたし。まぁ、一言にバージニアと言っても、DC寄りだとメトロポリタン・カルチャーで、ウエストバージニア州寄りだとレッドネック・カルチャー。私がいたのは、もちろん後者。男子は狩で鹿を射止めれば一人前と認められるらしく、狩について書かれた作文が幾つも提出されたのが印象的でした。そういう世界がまだ残っているんだ、と感慨深かったっけな。開拓者精神よ、永遠なれ。

なんだか私のアメリカ体験談になりつつあるので、「しレラ」に戻りますが、美苗も奈苗もアジア民族ひとっ括り扱いには、大いに違和感があったようで、泣いたり赤くなったりと激しい反応を起こしてましたね~。確かにアメリカに来てから、他のアジアの国々との関係について考えさせられることが、増えました。日本は、アメリカにとってもアジアの諸国にとっても敵国だったことがあり、他のアジア諸国とはひとくくりにはできない微妙な立ち位置ですし。その辺を、成長するにつれちゃんとわかってきた美苗には、好感もてました。それから、奈苗の「みっともない人だって思われるの、みっともない人種だって思われるより気楽じゃない」というセリフにも、妙に腹オチ。アメリカにいたらね、やっぱり頭のどっかでそういうこと意識してるわけですよ。ちょっぴり国を背負ってる感が、ある。でも、日本だったら、会社や家を背負っている意識がもっと強いでしょうから、どっちもどっちなのかな。何にも背負ってない個なんて、ないのかもしれません。

V.教師像に学ぶ

この本には魅力的な教師が多く登場します。未だ社会に出ていない美苗にとって、教師の存在は大きいものだったのでしょうね。アメリカで理不尽な想いをしてきた美苗ですが、教師との出会いには恵まれていたようです。いえ、実際には酷い先生もいたかもしれませんが、彼女が記しているのは、美苗の才能と本質を見抜き引き上げてくれた先生や、自分の教える分野に誇りを持っている教師ばかり。教師たるもの、かくあるべし!だな。

まずは、中学のESL(英語が母国語でない生徒のための英語のクラス)の先生、Mr.Keith。美苗の拙い英作文に文才を認め、ESLクラスから優等生クラスに、引き上げてくれた先生です。(正確には、ESLとHonorsの両方をとるようにアドバイス)高校時代、いつESLを抜け出せるかとアクセクしていた私、そしてその十年後には高校でESLを教えていた私としては、身につまされました・・・私の高校時代には、これでESL終了!という明確な判断基準はなかったため、かなり不満がありましたっけ。そして私が教えていた高校ではTOEFLが基準でしたが、それが最善の判断材料だったかというと、疑問もありましたね。・・・ま、話をMr.Keithに戻しましょう。彼がESLクラスを教える時と、優等生クラスを教える時では、全く違う顔を見せるくだりは、興味深かったです。でも、どちらのクラスにも入ってみたい、と思わせるところが、さすが。そして、美苗が高校に進学する前のアドバイス、"Don't forget your Japanese." にも、愛を感じましたね。("your"が入っているところに、グッとくる!)

お次は、高校の美術の先生、Mr.Shermanです。当時は珍しかった黒人の教師で、白人社会に迎合せず、黒人として、そして一人の芸術家としての誇りを持って、高校生の「アートはeasy A」的認識をビシバシと張り倒していく先生でした。(カッコええ)それと比べて、私の教えたアートクラスは、かなりお気楽なものでしたがね。Mr.Shermanと比較すると、アーチストとしても私は未熟なもんで・・・方向性も表現法も、まだ確立されていない。(ションボリ)それから、非白人同士の連帯感についてのエピソードにも、「あるある!」って感じでした。この先生に出会い、美苗はアート系の大学に進むことになるのでした。

その後、大学院では仏文学を専攻した美苗。ここでも強烈キャラ達が現われます。まずは、イスラエル系の仏文科のアドバイザー、Madama Ellman。大学院を卒業した後に日本に帰るという美苗に、「故郷は戻るべき場所にに非ず。」(イスラエル人が言うと、なおさら重い)と、キビシ~い一言:「確かに日本に帰っても、孤独かもしれません。」と答えた美苗に、さらに研ぎ澄まされたご返答:「孤独こそ、ものを書く人間の条件なり。」ひえ~、まるで禅問答のようだわ。でも、そのとおり!これまでにもここで、谷川俊太郎氏の「集合的無意識」や、長谷川櫂氏の「孤心とうたげ」について語ってきましたが、昇華させるまでに私が孤独と向き合えるようになるのは、いつになることやら・・・

そして大トリは、「ヨーロッパの知性そのもの」と形容される(どんだけ凄い人なん!?)大教授"Big Mac"(マクドの商品ではない)。日本語で小説を書きたいが、「カリフォルニアの日系人のようにアメリカに根をおろし、英語で物書きになろうとしていた人生の方がよかったのではないか?」(カズオ・イシグロの加州版?)と迷う美苗を、「ナンセンス!」と跳ね除ける。(あっぱれ!)「そうしたら君が君でなくなってしまう。」ふ~む、私が私である表現方法って何だろう。この本を読んで、また少し明確になってきたかも。さらに、Big Macは翻訳者でもあり、「言語の本質にある、他の言語に還元できない固有性を慈しんで」おられたそうです。そうそう、「こっちの言葉じゃなきゃ、しっくりこない!」ってのがあるから、ちゃんぽんしちゃうんですよね。「英語と日本語、どちらが話し易い?」と訊かれても、「場合によりけり」としか言えませんもん。「本妻も愛人も、それぞれ良さがあって、捨て難いんだよな~」みたいな?いや、たとえが悪くてすんません。でも、あくまで日本語が妻ですからっ!

とにかく、良い教師の素質というのは万国共通ですよね。そりゃあ、教えるスタイルや教育哲学にはお国柄が表れるけど、人柄や熱意や誠意はそれらの違いをも超える。これは、どの職業についても言えるのでしょうけれど。

VI.家族の妙

もう一つ万国共通なのは、家族との確執。こちらも、たっぷりと見せてくれますよ~。奈苗と美苗の関係は離れたくても離れられない「腐れ縁」って感じなんですけど、腐っている部分だけではなく、新たな気づきや発展もある。二人が同じ○○を見ていたことが初めて分かったくだりでは、なんかホロリときちゃいましたよ。そして終盤では、互いを思いやり、二人で大泣きし、これまでの人生を肯定して終わる―その先は描かれていないけれど、この姉妹それぞれ何とかやっていけるだろう、と思えました。(ごめんなさい、ネタバレて。)まぁ、兄弟姉妹がいるって、やっぱり悪くないですよねえ。

そして古今現在、どこでも見られる母VS娘のバトル!性格的に奈苗は母親はガチンコ対決しちゃうタチで、対照的なオリコーさん・美苗は冷静に分析。子どもの頃は芸術的才のある奈苗の影となり放っとかれた感のある美苗は、大人になると母親に頼られるようになり、反対に大人になっても頼りない奈苗は放っとかれるようになっちゃうんです。ああ、無情。この母親が美・苗・だ・けに宛てて書いた手紙を読んで、「何て勝手な母親なんだ!」って、私は腹立ちましたよ。(ここも私は奈苗寄りだな)美苗は「血のつながるものへの嫌悪と愛情と罪の意識」が入り混じったものを感じたようですが、それでも冷静に対処しています。それにしても、このお母様も自由奔放な方でね~。手紙の中でも「いつか生い立ちの記を書きたい」と記しているのですが、実際に「高台にある家」という本を出されています。親子二代で自伝を出しているなんて、やっぱり血は争えんわ。彼女の自由奔放さは奈苗に受け継がれ、記述欲求は美苗に受け継がれていったように見えますし。(でも、私の記述欲求は、いったいどこから来たんでしょうかね?)

また、日本の駐在員の息子と娘の育て方の違いにも、「そうだったのか!」と思わずポンと膝打ちしそうでした。「滞在がのびれば、息子は適当なところで日本に帰し、日本の大学にやる。男は日本の社会の成員になる必要があったからである。その代わり娘は手元に置いて外国の大学にやる。いづれ日本の男と結婚させればよかったからである。帰国子女と呼ばれるのに女の多い所以であった。」とな。まぁ、時代の違いもあるでしょうけどね。さらに帰国子女育て論は続きます―「娘はいくら外国で育てられるといっても、日本の男―日本の社会に受け入れられるよう育てなければならなかった。娘がペラペラ英語を喋ると言っては犬が芸当でもしたように相好をくずす親でも、その程度のことは心得ていたのである。」いやぁ、犬が芸当って、奈苗さん(笑)。しかし、「その程度」のことを心得ていなかったのか水村夫妻、「娘の未来の夫には当然のように日本の男を想定していたくせに、娘がいつとはなしに日本の規範から逸脱していくのに、良くいえば寛容、悪くいえば鈍感だった」らしく、三十代の娘二人は売れ残ってしまってる。(人のこと言えませんけどね(苦笑))私もその辺りに鈍感だったらしく、今じゃどこの国の人で何色の人と結婚するのか、皆目検討つきませ~ん。アメリカ人でも日本人でも、しっくりこないのでは?と悩みます。最近、私のクラスの日系人やハーフの子どもたちにアンケートをしたんですが、「将来は何人(なにじん)と、結婚すると思いますか?」との問いに「いい人」と答えていた子がいましたっけ。うん、いいぞ!私もシンプルに行こうっと♪

VII.美苗のその後

[この本を読んでから、一ヶ月以上「しレラ」について書き溜めて参りましたが、書く程に書きたいことが出てきてしまう。他にも、「持つべきものは友」「しレラちゃんぽん分析」「使われなかった人生を想って」「芸術家が陽の目を浴びるまで」など、「しレラ」関連ネタを書き続けたい私ではありますが、それでは今年中にブログに載せることができそうにないため、「美苗のその後」で一旦打ち切りたいと思います。(ここまで読んできた方、ホッとしました?)まぁ、気が向いたら、続きも書きますよ。(「アンダーグラウンド」の感想の続きさえ書いてませんが・・・)]

この「私小説」の中で「日本語で小説を書きたい」との想いを姉と親友に打ち明けた美苗でしたが、実際に帰国後に「続 明暗」「私小説 from left to right」「本格小説」と水島美苗の名で本を出版し、高い評価を得、様々な賞を獲っています。奈苗に「漱石みたいにだって書ける」と言い放って呆れられた美苗でしたが、本当に漱石の「明暗」の続編「続 明暗」を書いた水村氏、ただもんじゃない!処女作に大文豪による小説の続編を書くなんて、すんごい度胸&才能ですよね。しかも、その執筆目的が漱石のように書くこと以上に、漱石より面白く書くことだったというから、驚くじゃありませんか。NYのアパートでグズグズしていた大学院生と同一人物とは思えません!(まぁ、小説的脚色はあったでしょうけれど。)

と、すっかり水村美苗氏その人にもハマった私、興味深いインタビューを見つけました!その彼女の言葉の中に、悶々としていたモラトリアム大学院時代の美苗と作家・水村美苗氏を繋ぐ軌跡が見えたのです。「私は作家になったのが遅く、だらだらと無駄な人生を歩んできた、小説の執筆に役立たない捨て札ばかりの人生を歩んできた、とずっとそう思っていたんです。それが『本格小説』を書いているうちに、捨て札があれよあれよとすべて生き札となったの。大変な歓びがありました。」捨て札が生き札となる瞬間って、あるんですね~。(「人生は、振り返って初めて、点と点のつながりが見えてくるものだ」とスティーブ・ジョブスも言ってます。)人生、無駄なことってないのかも。そう思えただけで、この本を読んで水村氏に出会えた価値がありました。あなたが捨て札だと思っていた札だって、いつか生きる日が来るかも!?

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おわりに

書評というより、水村姉妹のアメリカ体験談と私のアメリカ体験談の比較みたいになってしまいましたね。しかも、私の話の方が長かったりして。(なんで、タイトルも後でこっそり変えました。)そうか、私もこの姉妹の会話に入れて欲しかったのかもしれない。こんな話を、誰かととことん、したかったのかもしれない。その代わりに、延々と独り言をブログに垂れ流してしまい、すみませんでした。でも、この本のおかげで、固まっていたこのブログの空気も流れ出した。窓、開けられました。・・・美苗さん、ありがとう。待っていてくれたあなたにも、ありがとう。そして、私にしかない人生と札を与えてくれた神様、ありがとう。



日本へ II

2011-03-21 | 詩の葉
日本へ II


傷つくあなたを見て、
やっと
あなたを愛しているということを
思い知らされた

苦しむあなたを感じて、
やっぱり
あなたが私の一部だということを
突きつけられた

どんなに遠く離れても
どんなに長く留守にしても
あなたは私の国には変わりない
私の土台には変わりない

(他の国が苦しんでいる時にも
同じ痛みを感じなければ
真の国際人とは言えないのかもしれないが、
私の胸の内にも国境は存在するようだ・・・)

こうして
あなたの体は2.4メートル、私に近づいた
こうして
私の心は太平洋超え、あなたに近づいた


あなたが感じる痛みに
寄り添いたい

これから
立ち上がるあなたを
助けたい

これまで
私を育んでくれたあなたに
お返しをするためにも

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「日本へ」というタイトルで書き出したのですが、「前にも『日本へ』って詩を書いたような・・・」と思って探したら、ありました、ありました。(コレ) ってことで、これは第二弾です。あれ、私って、結構ジャパン・ラブなんですね。日本ネタの詩は幾つか書いてますが、アメリカネタは一つしか書いたことがありません。擬人化もしてません。(ここには載せてませんが。)いやぁ、「失わないとその大切さに気がつかない」ってよく言いますけど、「有事になって初めて気付く」っていうのも、それに近いものがありますね。まぁ、それだけ甘えがあった、ってことなんですけど。でも今回は、甘えてられないわ。逆に私にちょっと甘えてくださいな、日本さん。


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(後日談)
ブログでこの詩を公表してしまってから、日本は西に2.4メートル動いたのではなく、東に2.4メートル動いたのだと知りました。方向音痴ぶりを晒してしまい、すみません。

元はこうでした。

「あなたが2.4メートル
 私から遠くなったとしても
 私の心は はるかに
 あなたに近くなった」

さすがに、そのままだと事実に反するので、五連目だけ書き直させて頂きました。(11月12日付け)


Dear Japan II

2011-03-21 | leaves on POETRY
Dear Japan II


When I saw you hurting
I finally realized
How much I actually
Loved you

When I felt your pain
I assuredly knew
You were a big
Part of me

No matter how far you are
No matter how long it’s been
You are still my country
My roots

(A true world citizen
Would feel as much pain
When other countries are suffering,
But my heart is not so borderless…)

So your body moved eight feet
Towards me
So my heart moved across the pacific
Towards to you

I want to be
Beside your pain
Now

I want to
Lift you up
In the future

As to
Pay back
For raising me
In the past

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So I started writing this poem and realized I've written one titled "Dear Japan" already. (It hasn't been translated though.) So this is number two. Anyway, I must be into my country, seriously! I've written several poems about Japan, but only written one about the U.S. I haven't used personification on her either. (And I haven't made it public.) Sometimes we don't realize its worth until we lose it. Likewise, we don't realize its worth until it's damaged. Taking for granted she was. But I can no longer take her for granted...It's about time you lean on me a little, Japan.

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(Added as of Nov.12, 2011)

You know, I found out that Japan moved eight feet eastward instead of eight feet westward! That's my bad. Let's blame it on my directionally-chagllengedness.

I originally wrote:

"Though you moved eight feet
Away from me
My heart has grown
Much closer to you"

But of course this is not true to the facts, so I had to rewrite the 5th stanza. Sorry about that.

東日本大震災後の日本のための祈りの課題リスト 

2011-03-20 | 神の葉
東日本大震災の影響で被害を受けた方々、不自由を強いられている方々、心を痛めている方々に、心よりお見舞い申し上げます。

私が毎週出席しているカリフォルニアの日本人教会で、日本のために特別祈祷会が行われました。そのために、祈りのリストをつくったので、教会や集会所などでご自由にアレンジしてお使いください。…とはいうものの、実は半分くらい他のサイトの祈りのリストからパクリ、カテゴライズしただけです。(Prayer Chain for JAPANさんとClaycomo Baptist Church Missions Blogさん、ここにてお礼申し上げます。)他にも祈りの課題の事項を送って頂ければ、付け加えるかもしれません。(状況は一刻一刻変わっているので、しょちゅうアップーデートが必要な事項は載せられませんが、ご了承ください。)

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神様のために:
-神様の名に栄光が帰され、恨まれることのないように。

天災と人災のために:
-海と地と風と気候が治められ、自然が落ち着きを取り戻すように。
-原発発電所の原子炉が冷却され、炉心融解が防げるように。放射能漏れの範囲が広がらず、量が増えないように。

日本政府と国民のために:
-政治的リーダー、自衛隊、救援隊、企業、そして各個人が最も効果的な判断をくだすための知恵と持久力を与えられるように。
-原子炉の状態についての正しい情報が提示され、それに対して日本国内と国外の人々が常識を持った反応が出来るように。
-国民が情報の妥当性を吟味し、適切な判断をすることができるように。
-愛する人、生計、財産、そして機会を失い絶望している人々が慰められ、哀しみを乗り越えて希望を持つことができるように。
-住居、食料、生活必需品に欠く人々に、必要な物資と安全な環境が提供されるように。
-被災地のリーダーと人々が共に再建に向かって助け合うことができるように。
-被災地以外の地域の人々が思いやりを持ち、買いだめをやめ、被災地の人々のために募金、物資援助、支援活動などのサポートを提供できるように。
-計画停電による事故や、略奪、詐欺などの二次的災害を防ぐことができるように。
-国も国民も、現実的に長期的復興の計画をたて、それをやり通す事ができるように。

日本のクリスチャンのために:
-周りの情報に流されず、神様の声を聞いて、平安と希望を得ることができるように。
-援助活動、寄付、心遣い、そして福音を通して人々を助けることができるように。
-聖霊の促しに敏感になり、その場に応じた適切な助けができるように。
-教会にリバイバルがもたらされ、自分も周りの人々をも再臨に備えることができるように。
-日本の各地で霊的な覚醒がもたらされ、クリスチャンの働きとメッセージが受け入れられるように。

日本以外の国や人々のために:
-惜しみなく救済活動、募金、物資援助、励ましの行動や言葉などを与え、彼らが与えることによって祝福されるように。
-国家間の政治的な壁や、人々の間の偏見や差別が取り去られるように。
-この災害をきっかけに、世界の人々が霊的に目を覚ますことができるように。
-他の震災の被災者たちがフラッシュバックなどを経験せずに、日本の被災者の心に寄り添うことが出来るように。また、彼らのための長期的なサポートや寄付が、忘れられることがないように。