蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

矢吹町とサールナート2

2011年04月03日 | 2011東日本震災
※記事の展開が前後して分かりにくいね、すみません。
ひょんなことから縁を結んだ福島県矢吹町の高橋さんと、
メールを頂きながら小さな町の震災後をみつめています
福島県矢吹町1
矢吹町2
矢吹町3
矢吹町とサールナート1

2011年2月に学校と町をあげて取り組んだ、海外支援のコーディネーター高橋さんからのメールです。

『3月28日、矢吹町立善郷小学校の卒業式に参加させていただきました。
耐震補強のおかげで無事だった体育館で、余震を気にしながら
(式中、1回ありました。毎日余震の中で生活しています)
6年生80名弱と父兄だけの式でした。

安全第一、時間短縮のため後藤住職のメッセージを読み上げることができませんでしたが
校長先生が代わりに「インドからメッセージが届きました」と紹介してくださいました。
後藤住職のお言葉をプリントアウトしたものは、卒業証書と共に生徒さんに配っていただきました。
きっと、皆さんにとって大きな力になったことと思います。感謝です。

町を上げての国際支援は今年で2年目ですが、学校側から、
「新年度も続けます。今までは役場に送料を出してもらっていましたが、次回はどうにかして
送料も自分達で出す予定です」とおっしゃってくださいました。
被災されて大変な中でも、次回の海外支援の事を考えていると聞いて、大変感動しました。
私が国際支援の授業をする時はいつも、「もらう人の気持ちを考えてください。
貧しいからあげるのではないのです。必要としている人がいるからして差し上げるのです。
1してあげると100になって返ってくることが経験してわかっています。だからして差し上げるのです」
と言うことから始めます。

みなさん、初めはきょとんとしていますが、今回、自分達が支援される立場になって、
本当の支援の意味がよくわかった事と思います。
矢吹っ子の中から真の海外協力の逸材が出てくれたら、本望です』
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