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蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

いよいよお別れです

2025年07月10日 | 暮らしの積み木

庭の端に設置したネットハウスも土がなじんできたようで、夏野菜のキュウリやナスやトマトはまずまず成長している。

 

正面にはトマト5本がひしめき合って、中玉2本とミニ3本。

手前は例年の夏すずみ2本と北信須坂の伝統野菜「八町キュウリ」を2本栽培している。

ハウス外の鉢の「八町キュウリ」1本は、お向かいの子供さん用にと内緒で育てている。まだやっと花が咲いたばかり。

本日ハウス内の小さい八町キュウリを1本差し上げたら、甘くておいしいと好評だったそうです。

枝豆をたくさん作れなくて、ツルなしインゲン(カルナ)をオクラとコンプラで栽培している。手前の畝は同じカルナだがタイムラグで間がしょぼい。

ハウス内にはでこれから3寸ニンジンの種まき準備をし、8月に播種する大きくならない「うえだみどり大根」の種を準備している。

チマチマと畝を移動させながら栽培してきた。キャベツや結球しないハクサイや小松菜も、それなりに成功してきた。

3.2メートル×5.2メートルのハウスは、冬はビニールをエイヤッと掛けたら大活躍してくれた。感謝です。

 

ハウス外でも猿と闘いながら、プランターではレタスを。手前の小松菜は良く育った。奥の空畝は3寸ニンジンを大浦ごぼうとコンプラで予定している。まるで箱庭状態。

大きめのプランターではレタスやバジルやネギがみっともないが、いざ猿の徘徊があれば寒冷紗を掛けられるように半円支柱を残している。縁がなくなればすっきり整頓しよう。

 

同時進行で、秋に終了するブログの保存したいカテゴリを整理している。

特に旅の記録は、今後外出がきつくなる頃には読み物として重宝しそう。

付録のような『ふらり旅』は一味違うインド他の記事が多いので、選択しA4サイズの両面コピーで仕上げてファイルに収めた。

 

息子が、作りたいように編集するからと先日下ごしらえに来てくれました。何かと『一家に1台便利帳』で助かる。

こんな表紙で第一弾完成。ひとまず記事を日程ごとにコピーし棟梁への感謝を込めて冊子にしました。コピー記事は厚さ8mm 重さ300g。これが本になるとどんな感じになるのやら?

2005年1月から夏までの建築、入居は8月5日でした。

私は3.5か月を豊科のワンルームアパートで暮らし、時々現場で手伝いやらお邪魔虫をしていました。生涯に残る体験でした。

 

今でもお訪ねくださる方があり、こんな駄文に長い間お付き合いいただきありがとうございました。

皆様お元気でおすごしくださいませ。

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次第に遠のく

2025年06月15日 | つれづれ思うに

張りきってブログを綴っていた頃が懐かしい。

親を亡くすのも友を失うのも、年齢とともに増えてゆくだろう。

失くさなくても最近は、友の病気で苦しんでいるメールを読むのが辛くなって来た。パーキンソン病と知らされ認知症との関連を心配する。

乳がんのあと歩行が辛くなってきた元職場の同僚。

2024年秋に2回目の安曇野来訪予定だった同級生に胃がんが襲ったとの知らせこうして日を追いながら私の健康も失ってゆくのだろう。思い出話が多くなってきた。

先日、安曇野に移住し自宅を建てるきっかけとなった棟梁と、長野在住の山友の北信のご実家売却の件でお会いしました。立派なお家で出来れば『民家再生』で縁を繋ぎたいと考えました。

今も変わらぬ暖かい笑顔と、豊富な知識をご提供いただきました。

私は待っている間に、自然の長寿梅の木から小梅をもいでいました。結局2キロでさし酢を2リットル瓶弱2本分と、梅酒用に1キロの梅で2リットル瓶弱2本が出来ました。来年はこの梅はもう入手できない。

 

実は、棟梁とお会いした時から住宅完成までgooブログのカテゴリ『モダン古民家建築記』に綴っていました。

そうだ棟梁にプリントして差し上げたいと準備しました。ご本人には多くの建築作品の1軒に過ぎないでしょうから、こちらが思うほどの感慨はないかもしれない。でも気持ちを伝えたい

厚さ8ミリ 重さ300グラム

表紙を作り、本のようにはゆかないが仕上げてみよう。

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ブログ開設から7450日

2025年06月05日 | つれづれ思うに

今日は2025年6月5日。ブログ開設から7450日。60歳で安曇野へ。20年続いたお稽古(ブログ)は、結婚生活に次ぐ長さです。

ブログを始めた2005年以前の1993年に、インドを旅行中に曹洞宗お坊様の寺子屋活動に出会い、資金集めのニュースレター発行のお手伝いをきっかけに2013年までインドにかかわっていました。

せっかくの募金をお届けにインド・サルナートにでかけるなら、脚を伸ばしてあちらこちらを旅行しました。そのおまけに出来た旅日記のホームページを「ふらり旅」として当ブログのカテゴリとして挿入しました。

これもgoo blog終了と共に消えてしまう。それなら好きな国の旅日記をA4サイズのwordにプリントしファイルに残す作業をボツボツ始めました。

つたない我流の体裁ではあるが、楽しく綴った思い出は老後(すでに十分老後だが)のお楽しみとして時間はつぶせるかもしれない。

 

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再会しちゃいました

2025年06月04日 | 暮らしの積み木

我が家のお向かいさんちの道端で、駐車中の「あの車」にです。

2023年3月に紹介した車です。

新手の詐欺横行 - 蔵くら日記

新手の詐欺横行 - 蔵くら日記

のどかな時代のトヨペットに遭遇昭和40年製造で、ドライバー氏ものんびり穏やかな方でした。おれおれ詐欺から始まった各種の詐欺行為。全く後を絶たない!その手口とは①画面...

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あの当時は、山麓線あたりで店を出したい。。。のような感じでした。

その独特な風貌を放つトヨペットが、ある日我が家のすぐ向かいに駐車しているではないか。ちょうど冬タイヤを履き替える時期でした。

履き替えるタイヤを出し、履き替え、冬タイヤを元の位置に戻す作業を自宅まで来てやって下さるという。

ありがたい‼‼

当然のように時間があるなら私のタイヤも、とお願いしました。

いただいたはがきサイズの名刺

オッと自動車やさんへ持ち込むのと同じ金額ですよ。ありがたい。

 

後日、気がかりだった庭の樹木の伐採や高い枝にはびこる葉っぱの散髪もできるのかしらん?と問い合わせると、『はい!』

というわけで6月に入ってからという約束が出来ました。高木の伐採はミズナラだけでなくサクラもあり、これらはクレーン搭載の大型作業です。

とりあえずお隣の朝日を遮る3本の散髪が急務です。

かなり忙しいらしい。繁盛おめでとう

便利屋さんは我々高齢者にはありがたい存在であり、また自営業としては今後ますます注目される分野のような気がします。

 

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母を送るパート2

2025年05月26日 | 介助ときどき日誌

落ち着いた頃から故人の手続き事務処理(概ね10日後から)が始まる。自治体によってフォームは違うかもしれないが、安曇野市役所市民課発行の

■お手続き内容一覧 に記載の電話番号へ、伺う日時の予約を取ります。その時点で申請用に必要な準備しておく証書や手帳や返却する保険証などが伝達されます。

葬儀費用に補助がでるというので領収書も必携。請求者(つまり申請者)の戸籍謄本や印鑑や銀行通帳も持参します。

そして当日

❑「死亡届に伴う手続きについて」に従って窓口を移動しながら手続きを完了させる。廃止は、すべて額面によらず相続扱いとなるので必要書類の多いこと。

今回のドタバタに感じたのは自身が元気なうちを見はからい、出来る始末は自身で済ませておこう。特に定期預金の解約は書類記入が面倒だったと記憶している。

普通預金にまとめておけば、カードで入出金できるし、家族にも頼みやすい。老人ホームにお世話になるなら、確実に銀行引きおとしになりますから。

ちょっとした骨とう品もあったので、松本にある店に相談してなにがしか換金してくださった。お金より処分方法が面倒なので、それなりに助けていただいた。

落ち着いたころ、20年近く続けていたgooブログサービスが終了になると告示があり、さてどうしたものか?

小林工務店の棟梁とああだこうだと話し合い、小ぶりながらちょっとおしゃれな古民家風の自宅を建てていただきました。その顛末を記録しようと始めたブログでした。

他のブログへの引っ越しや書籍化するサービスがあるが、もう続行はしないと思うので、手引きに従い人生初の自作本作りを始めることにした。

山友に話したところ「本買うよ」「えっ!本気?」と笑ってしまった。

そんなこんなでスタートです。どうなることやら?

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母を送るパート1

2025年02月22日 | 介助ときどき日誌

ご無沙汰です。

長き休暇にもかかわらず、以前と変わらぬ数字で来ていただいていました。

特に大変な最後ではなかったのですが、初めての喪主様となり

1月28日から右往左往でした。

 

ランチの時間にちょっと疲れた様子で7.8度の発熱があり、自室に戻ったあと、呼吸が少なくなり息を引き取ったそうです。

大好きだったホームのスタッフさんに看取られ、母は安心だったと思います。駆け付けた時『すみません』を言い続けるスタッフさん。なんのなんの信頼関係の篤かったお互いで慰め合いました。

不思議と涙は出ませんでした。

101歳まで生きてコロナ禍の影響からこのまま外出は出来ず、行きつけの好きなお寿司屋さんへも伺うことが叶わず、電池が切れたのでしょう。穏やかな表情でした。

豊科日赤病院で長時間待ち、遺体の引き取りは21時になりました。寒波による冷え込みの影響かお葬儀が混んでいるとのことで、結局2月1日火葬14時と決まりました。

さてかねてから母の希望により、安曇野市の自宅から東京多摩の菩提寺へお骨を届けました。骨壺は大きいし重いし、提げては行けません。ゆうパック(のみ)の宅配サービスがあることを知り、お寺さんに確認すると

『最近は時々あります。早めの日程で送ってくださいな』父が子供のころからのお付き合い。

厳しそうな真言宗にあって、いとも簡単に話が進み、結局2月9日納骨式から四十九日法要まで済ませてくださいました。母からの希望で永代供養の契約も済ませて、気持ちが軽くなりました。

立ち会ってくれた長男夫婦と、立川駅近くで美味しい中華料理「謝朋殿」で久しぶりのおいしい夕食を済ませ、東京の自宅へ送り出しました。

 

昨年12月29日に父の墓参に行ったのが、母を呼んでもらうことになったみたいです。

あの日と同じ青空でした。

翌朝、立川駅発8時24分は松本駅通過で穂高駅下車が可能です。

父は60歳で亡くなり60歳の母は一人であれもこれもしたのです。

私は子供が小さかったので、結局母は一人でここまでを済ませ、この後に続く市役所関係の煩雑な手続きもやっていたのだと思うと、締め付けられる思いを味わうことになる。

そしてその後自らが101歳まで生きるとは想像していなかっただろうし、人生は悲喜こもごも。

 

 

 

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ネットハウスの冬支度

2024年12月09日 | わいわい農園

今朝は冷えて7時30分の外気温-3度

 

周りの枯松の葉やナラの葉が飛んでくるので、ネットだけでは面倒なので

ビニールを掛けていたが、夏野菜栽培中は外していた。

 

毎年繰り返すにはパッカーの取り外しが大変困難と予想されるし、毎度お隣のお姉さんのお世話になるのもなぁ。

彼女は手慣れたもの!

しかし、落ち葉もさることながら積雪対策も兼ねて通年ビニールを掛けておく対策をしてみた。

資材は

 

今回も力持ちの若いお姉さんにビニール掛けを頼んだ。10分で終了。

ひとまずビニールを固定するために幅1㎝長さ6.5mの黒いテープ6本分と

中央の出入り口用の5mテープ1本を準備。軍手とテニスボール1個も。

 

さて準備しておいた留め具を差し込み

長さ6メートルのコートテープの片方を結ぶ。

他方のテープで、テニスボールを入れた軍手を結び、エイヤッとハウスの反対側めがけて投げると、するすると落ちていった。

ボールを取り出しテープ止め具に結び付けひとまず6ケ所終了。

出入り口側も同様にテープを設置するも

さて中扉と立てかけ網をどうしたものか?

猿は来なくなったからと中扉をなしにすると、弱みにつけこまれるかしらん?

 

北と南の下部はビニールなしに出来るので、蒸れ防止の通風に、

しばらくはこのままにしておこう。

立てかけ網にもビニール対応を考えたが、ここでひとまず第一ラウンド終了。

春から秋までは、ビニールの裾を半分の高さくらいまで巻き上げて

様子を見よう。散水の手間は避けられないが、枯葉の侵入はかなり避けられる。

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武道館🎵 初体験記

2024年11月17日 | 安曇野を離れて

11月10日17時開演の初『石田組武道館コンサート」は無事終了。心配された動員数は8300人、完売でした。

ターシャ展と東京土産買い物を済ませて、地下鉄九段下駅から徒歩5分。

道すがら中年のほぼ女性軍団とちらほら男性たちが歩む先に

通常ホールなら入口内でのグッズ販売だが外のテントで販売中。大勢の方々が物色中でした。

チケットを握りしめて指定されたアリーナ席札の列に並ぶ。入場するとこのサイズ!

正面は武田双雲氏の特大幕

ワーォ!袖(演奏者の出入り口)の前で、A4ブロック 2列目 7番は↓画像の2列目の右から3番目。

袖はメンバーが音もなくスゥーと歩み出入りします。  

真上のスタンバイスクリーンがお洒落でした。

前席は高いステージの演奏者や楽器は見えにくい。

しかしこの席で良かった! いえこの席が良かった❤

 

天井を見上げるとマイクがぶら下がっていません。各楽器に取り付けている『ピックアップマイク』でした。メッセージを伝えるマイクは通常のハンドマイク。

あれ?本日のプログラムが配布されてない。

会場出口手前に表示看板があり、その後Web上にも掲載されました。長いけど記録として残します。

<1部>

布袋寅泰(松岡あさひ編曲):
BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY
レッド・ツェッペリン(松岡あさひ編曲):
天国への階段
レインボー(松岡あさひ編曲):
スターゲイザー
ラヴェル(松岡あさひ編曲):
亡き王女のためのパヴァーヌ
ファリャ(松岡あさひ編曲):
火祭りの踊り(舞踏組曲「恋は魔術師」より)
ビゼー(松岡あさひ編曲):
ファランドール(アルルの女)
クイーン(松岡あさひ編曲):
ボヘミアン・ラプソディ
クイーン(松岡あさひ編曲):
ボーン・トゥ・ラブ・ユー

<2部>

ピアソラ(松岡あさひ編曲):
アディオス・ノニーノ
ピアソラ(近藤和明編曲):
タンゲディアⅢ
ピアソラ(近藤和明編曲):
リベルタンゴ
ニーノ・ロータ/カーマイン・コッポラ(松岡あさひ編曲):
ゴッドファーザーメドレー
U.K.(近藤和明編曲):
シーザーズ・パレス・ブルース
レッド・ツェッペリン(近藤和明編曲):
カシミール
ディープ・パープル(近藤和明編曲):
紫の炎 ◆ステージ前端から紫の電飾炎が噴き出す

<アンコール>

ナイジェル・ヘス(松岡あさひ編曲):
ラヴェンダーの咲く庭で ◆後日図書館で原作本を借りた
タケカワユキヒデ(松岡あさひ編曲):
銀河鉄道 999  ◆出演者に内緒で観客のスマホのライト点灯
水野良樹(松岡あさひ編曲):
ありがとう     ◆追記:YouTubeで初めて知り泣いた曲
オアシス(松岡あさひ編曲):
ホワットエヴァー ◆手拍子の間、石田さんは弾かずに耳をそばだてる姿勢。 

3時間の公演は、譜面台なし立ちっぱなしの感動演奏でした。

最後に惜しみながら席を立つと、天井から金銀のテープが降ってきた。

2mの、手書きメッセージのプリントが愛おしい。

テープ画像が不出来でみっともない仕上げですが、販売されていないグッズだからね

 

メンバーはもちろんスタッフの皆様ありがとうございました 

命の洗濯Dayでした。

帰り道振り返ると

次の目標は大阪城ホールだとか。

明日からも輝いて全国の方々に感動を贈り続けてください。

追記:Web上に鑑賞記事が出ています。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002838.000012949.html

2025年の予定のコンサート日程も掲載されています。

興味のある方は是非お出かけください。

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初スープセロリ

2024年11月06日 | わいわい農園

ネットハウス菜園に加えて庭の空き地に小規模の畝を作っている。

楕円形の畝には、これまたチマチマとした「スープセロリ」を植える段取りをした。サラダのトッピングに重宝しそう。

最近スーパーで使われている、舞茸用の容器に種を播き、畝に定植するつもりが、あまりに小さいので個別に鉢上げするのを断念。

やれやれ3パックとも発芽したが、そのままここで栽培することにした。

この畝は鉢上げ後の残った野菜苗を無造作に定植しているので、まるで雑居ビルの如し。

 

この柔軟な対策こそがチマチマ家庭菜園の醍醐味です。

キャベツは定植の土寄せに失敗したがそのまま成長を見届けることにした。

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バッタの水難事故

2024年10月28日 | 庭まわり

自宅菜園では水回りが近くて、バケツを駆使し雨水をため重宝する。

2日前、白いバケツに緑っぽい虫が浮いている。死骸だった。

驚いた!って、死骸といえどもここでこのサイズと色のバッタを見つけたのは初めてだと思う。

3週間前から図書館で借りた前野ウルド浩太郎著

『バッタを倒しにアフリカへ』

『バッタを倒すぜアフリカで』

夢にバッタが出てきそうな読書三昧の日々を送っていた。

アフリカへは過去2度旅行しておりバッタ自体の思い出はないが、バッタによる農作物災害のことは知っていた。

という関連から手を染め、昆虫学者のモーリタニアでの困難に笑いを誘うタッチで、まだまだ厚さ2.6㎝の本は手ごわい。

 

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