ウツウツ記

毎日の生活で感じたことを書いています。

「永山則夫」

2009-10-13 17:16:20 | TV
永山則夫を特集していたETV特集を見た。
19歳で4人連続射殺事件を起こした犯人・永山則夫の
人生を残された膨大な手紙や著書、
結婚し離婚した妻、支えてきた弁護士など関わった人への
インタビューで辿った番組だ。
当時小学生だった私は、ぼんやりとこの事件を覚えている。
19歳という少年が起こしたという事で話題になったことも覚えている。
そして後に、死刑判決の基準となるものが
この事件を機に作製された事も知っている。
が、あの頃は三島由紀夫の事件やハイジャック事件、
連合赤軍事件などの方が印象に残っていて
4人も殺した犯人が死刑になるのは当然、
という感想しか持っていなかったのも事実だ。

今回改めて、永山則夫の人生を知った。
家庭を顧みない父親を持ち、極貧の生活の中
兄弟は母親に置き去りにされてしまう。
当然零下になる北海道の冬を、港に落ちている小魚や捨てられた残飯だけで
生き延びる過酷さを、私は想像できない。
後に母親と同居するものの、極貧生活は変わらず
兄に殴られる毎日を過ごす少年の淋しさも
少年を殴ることでしか自分の不満を爆発できない兄の悲しさも
私の想像を遥かに超えてしまう。
どうでもいい、とにかく疲れた体を休める場所だけを探す毎日に
希望を持てとは言えない。
体も心もあまりの貧しさゆえに
その延長線に事件は起きる。

永山則夫は、死刑が怖くないと法廷で言い放つ。
拘留後、沢山の本を読み思想を学んだ彼は
自分の過ちの根源は、貧しさにあると理解するのだ。
そうして、悪に満ちた社会を敵とし、
敵と戦うことは決して怖くない、と言い放つ。
独学で字を学び膨大な本を読みこなす彼は
本当に生まれさえ選べたならば、絶対に違う人生を送っていたのだろうと
確信させる。
これだけの能力を持ちながら、何故、罪を犯したのか。
正に根源は、社会の貧しさ、他人の冷たさだったのだと思う。

それでも、どこかに疑問が残る。
根源は理解できても、では彼の謝罪、償いは何に対してなのか。

彼が書いた「無知の涙」という本を読んで
ミミさんという女性が感想を寄せてくる。
彼女も沖縄生まれのハーフ、しかも無国籍というハンディを負って
生きていた。
遠くアメリカにいた彼女と永山は膨大な文通を通して
やがて結婚にいたる。
彼も彼女も、お互いを受け止めてくれる相手は互いしかいないと。
ミミさんは、被害者に謝罪してあるく。
著書の印税を受け取ってくれるよう、説得にゆく。
受け取る遺族、受け取らない遺族。
その頃、一審の死刑判決の控訴を受けた高裁の裁判長は
死刑についてあらためて考える。
本当に彼は死刑に値するのだろうか。
永山の心も変化し始めていた。
自分は社会と闘うために裁判をうけている、と言っていたが
やがて自分の犯した罪について、現実の被害者について
深く考え始める。
被害者にも命があり、人生があり、関わる家族があり仲間がいた。
そんな当然の事実にやっと気がついた、
そんな風に私には感じられたのだが。。
何故彼がそこに思い至ったかといえば、
それはミミさんがいたからに他ならないだろう。
自分が絶対に受け入れられる相手がいる、
その信頼や安心が生について考える機会を与え
やがて自分を大切に考えるようになり
その先に初めて、他人の大切さについても思い至ったのではないか
そう思う。
字を学び、膨大な本を読み、学問を身につけ
そうしてようやく、人間としての心を身につけた。
その瞬間だったように思う。
間違いを畏れずに言えば、彼の本当の人生の始まり、
だったのではないか。

高裁の判決は無期懲役だった。
死刑判決はたとえ誰が裁判をしても、絶対に死刑以外あり得ない、
というものでなければならない、というのが理由だ。
永山はこのころ、希望を言葉にしている。
塾をひらきたい、と手紙に書いているのだ。
自分の経験を社会に還元してみたい、そんな風に感じる。
しかし、現実は違う方向で動き出す。
最高裁はこの高裁判決を元に、明確な死刑基準を設ける。
そうして、高裁判決は破棄され、永山は再審請求もせずに
死刑を受け入れるのだ。

自分は死刑を恐れてなんかいなかったのに、
生きたいと思わせたのはあなた達だ。
生きたいと思わせて、それから死刑判決を受けるなんて酷すぎる。
そう彼は妻や支援者に言う。
妻とも離婚する。
確かに、生を知り希望を持たせて、あっさりとそれを断ち切られる絶望は
いかほどのものなのか。
彼の過酷だった少年時代が想像できないように
この絶望についても、薄い人生を歩む私には到底想像できない。
彼は本当に死刑に値していたのか。
真の謝罪の姿ではなかったのか。

難しすぎて、私には答えが出せない。
いくら考えても、思いは揺らいでしまう。
ただ一つだけ明らかなことは、
彼の絶望はそれだけ彼が真に反省していたからだということだ。
自分に希望を持つ、
それはすなわち、他人にも希望があり命があるということに繋がる。
自分と同じように、被害者は生きていたのだという実感。
それを断ち切ってしまった自分のあまりに愚かな行い。
何をしても誰も生き返りはしないという事実の重さ。
それを痛感し、のた打ち回っただろう。
4人の命の償いだから、死刑は仕方ない、
そうとも思う。
これだけ深く自分の罪を考えたのだから、
遺族にもその気持ちは届いたのではないか、とも思う。

ふと、最近の理由のよくわからない殺傷事件を思う。
誰でもいい。何人でもいい。
特に貧しい訳でもなく、ある時までは普通に育った若者の事件。
やっぱり彼らも、人の形はして生まれたけれど
誰からも自分の生を感じられないほど優しくされずに
心は極貧なんだと思う。
永山には、本当の人生を歩ませてくれた伴侶や応援者がいた。
彼らにも実は、そんな人達が必要なのではないか。
自分の生を実感し、やがて他人の生にも思いがはせられるようになって初めて
謝罪が始まる、
もし死刑判決が下り実行されるにしても
彼らが本当の人生を知ってから、それは行われるべきなのかもしれない。
一番残酷な事かもしれないが、
そう思う。

私の中で、言葉だけが一人歩きしていた「永山則夫」が
とても多くのことを教えてくれた番組だった。
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