日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

落魄れの美学!

2009年05月14日 09時12分04秒 | 残日録
落魄(らくはく・・おちぶれ)の美学。

種村季弘(たねむら すえひろ。ドイツ文学者にして評論家、エッセイスト1933~2004)が、いみじくも看破している。
「人生居候日記」の中の「落魄の味」である。
【「かねてから私は、男性最高の快楽は落魄ではないかと考えている」、「身ぐるみはがれて落ぶれ果てた男は、若さの内実をうしなって思い出しか持ち合わせがない。その分だけ夢とエロティシズムに近づいているのだ」】が、今週の週刊文春のコラムで「亀和田武」さんに引用されている。

古来、文学にはこの手の主人公が多くいた。また、落魄れからの再生も。
アメリカン・ドリームは、貧乏からの成り上がり物語だが、落魄はその反対で功なり名を遂げた者が落魄れ果てた姿にこそ美学があるとの偏屈な理論である。

しかし、老齢の病気もちになってみると、この気持ちが理解できるから不思議だ。
栄華を達成した人間が、ボロボロに身を落としても、心には(思い出には)栄華を纏っているから、うれしいのだ。しかし、過去を知る人もいない場所でひっそりと生きていくだけだ。
しかし、女性となると悲しい。栄華を極め、男性遍歴に彩られた「清少納言」や「小野小町」の落魄を言われると物悲しいだけだ。ボロをまとって漂白する姿は、想像するだに哀れだ。


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