日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

ネット参拝に是非論

2006年12月16日 19時47分54秒 | 残日録
【初詣でシーズンを前に、インターネット上で「参拝」「祈願」ができたり、お守りやお札を販売したりする試みを巡って、神社界が揺れている。全国約8万か所の神社を管理・指導する神社本庁(東京)は、「ネット上に神霊は存在しない」と、今年初めて自粛を求める通知を出した。しかし、導入している神社からは「神社に親しみを持ってもらえる」「遠方の人の助けになる」との声もあり、本庁では頭を抱えている。】

参拝とか参詣とかは、心の問題です。神社本庁では、8万ヶ所もの神社にお参りしてもらって、お賽銭や祈願のグッズが売れることがベストなんでしょう。
しかし、「信心はイワシの頭から」とも言いますから、万物拝めるものは、拝む人によって違います。今の日本では、祖先を仏教でおまつりしていても、結婚式は教会でと、とんでもない国です。多神教の国なんです。数万の宗教団体と延べ8億人の信者(宗教団体の信者数の合計)がいるんですから。一人で数団体の信者であったり、宗教団体も信者数を水増ししていますし・・・。
「四国八十八ヶ所」遍路についても、苦行をともなう「歩き遍路」が「同行二人」の本質なんでしょうが・・。時代が、文明が急速に発達し、歩きしかなかった時代から、今では順番を無視する「バス遍路」や「タクシー貸切遍路」や様々です。それを高野山(弘法大師)は許しているんでしょう。はたまた、「代行遍路(朱印貰いうけ)」(その人には、八十八ヶ寺の朱印の掛け軸が祈りの対象?)まで・・。(森の石松の金毘羅代参も・・お盆のお墓代参の商売もあるし・・)
神は、人それぞれの心の中の問題です。「心霊はネット上に存在しない」とは、不遜です。神社本庁は神ではないんですから、神の代弁は出来ません。
他人の信心を(心を)強制できません。川を拝み、朝日を拝み、山を拝み、河原で拾った石ころに願いをかけて持っている・・・・と繰り返して行きますとネット上の神社も許せるように・・・。但し、一部のネット上の神社がお布施やお賽銭を要求することはちょっと違うように思いますが・・。

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