日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

松井秀喜を推理する

2005年12月08日 10時21分31秒 | 野球
松井秀喜選手が、私財5億円を投じて完成した「MATUI-HIDEKI BASEBALL MUSEUM」(兄の一級建築設計士、松井利喜氏の設計)の開館式に出席した。
ミュージアム前の松井選手の少年時代の銅像は、右打ちだ。生まれつきは、右投げ、右打ちだったのだ。4歳から習い始めたピアノは、11歳(根上小学校5年生)で、根上少年野球クラブに入部しても続けられ、小学6年生で能美郡野球大会で優勝するまで続けられた。(8年ものピアノ歴)
13歳で根上中学校に入学すると、捕手に転向。15歳(3年生)では、投手に。すでに、身長は172Cmもあった。
16歳で星陵高校に入学すると、一塁手に転向した。
では、写真の銅像は何歳のときのものでしょう?
エピソードで語られているのは、兄も(利喜氏)野球をしていたが、弟が余りにも打つので、ハンディキャップを付け「左で打て」と言ったようだが・・・?
そうであれば、少年野球クラブで練習を始めてすぐの時期か、前の三角ベース時代かハッキリしない。銅像のあどけない顔立ちや、大柄だったことを考えると、ページ管理人は、左打ちは10歳で始まったと推理します。そして、そのことが偉大な打者を生んだ。(右打ちでも、余りある才能は開花したでしょう。)兄弟間で、命令できるのは、草野球時代で、少年野球クラブ時代はコーチもいたでしょうから・・・。


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1 コメント

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Unknown (オガチャン)
2005-12-08 12:08:21
これだけ若くしてこのような記念館が出来るというのは異例中の異例と推測します。松井が「右利きから左に変えてもプロ野球選手になれるんですからアハハハハ」というコメントには笑いました。ただ何かで聞いたのですが生前中に銅像を作るのは良くないと聞きます。あのスーパースターマイケルジョーダンもそうですが。ちょっと銅像はいらないのかな?というのは私だけでしょうか?

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