先日、観光学FWで駅前第3ビルの沖縄&熊本事務所を訪問。その後、中央公会堂前で解散したが、我々担当者2人は解散後も寸暇を惜しんで9月に予定されている大阪城FWの下見に繰り出したのである。
堺筋線「北浜駅」界隈
江戸時代、中之島には全国の藩の蔵屋敷があり、藩内で収穫されたコメが遠路はるばる船で大阪まで運ばれ換金された。コメを取り引きする「米穀取引所」が大坂にあり、それが明治になってから、NHK朝ドラ『あさが来た』でディーン・フジオカが演じた「五代友厚」が発起人となって設立された「大阪株式取引所」となる。
写真の銅像の人物が「五代友厚」で、明治になってから火の消えたようになった大阪経済を立て直した「大阪経済界の重鎮」である。
1915(大正4)年に建設された難波橋(なにわばし)。堺筋にかかる重厚な橋で、モデルはパリのセーヌ川にかかる橋。橋の南詰土台に鎮座する「ライオン」を撮影した。
左右で一対となっており、写真は口を閉じた「吽形(うんぎょう)」。反対は口を開けた「阿形」で、神社の「狛犬(こまいぬ)=空想上の生物」のスタイルをまねた「獅子=ライオン」である。
古代インドの言葉である「サンスクリット語」では、「阿」は口を開いて最初に出す音、「吽」は口を閉じて出す最後の音で、宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。
「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉があるようにこの一対の「獅子」は息の合った「難波橋」のガードマンであり、「我々がこの橋を守ってまっせ」「悪いことしたらアカンで」と、高いところから威厳ある姿で我々を見下ろしていた。
谷町線「谷町4丁目駅」の「1B」から地上に出て、「大手門」を目指す。本町通を東に歩き、馬場町交差点で「NHK大阪」と「大阪歴史博物館」を撮影。「歴博」は、当日のFW終了後、高校生料金400円を払って見学するにはあまりに惜しい。なぜなら「午後5時」で閉館するからで、興味のある生徒は夏休みなどを利用してじっくり見学するのがいいだろう。
馬場町の交差点をわたっていよいよ大阪城公園内へ。園内では日本人の我々は完全にマイノリティで、中国や韓国からと思しき多くの観光客でにぎわっていた。
じっくり彼らを観察すると大学生ぐらいの若者が多く、「彼らはちゃんと大学に行っているのか」と心配になった。ゆえに下見の後半、男性2人組に英語で話しかけると、韓国ではなんと数日前から夏休みに入っているとのこと。そして翌日は姫路城に行くと言っていたので、「おそらくあなたは今日大阪城を見たよりも何十倍も感動するだろう」と英語で答えた。
「南外濠(みなみそとぼり)」に面した石垣と「六番櫓」。この面には7つの櫓が並んでいたが、幕末の戊辰戦争や太平洋戦争で相次いで焼失し、残っているのは「一番櫓」と「六番櫓」だけ。
徳川時代の大坂城を再現した下のイラストで、現在、建物として残っているものを赤で表現してみた。
ああ、なんという美しさだろうか。私が実際に訪れた幾多の城郭の中で、石垣の積み方の美しさは大阪城が一番と信じて疑わない。しかし、その十倍以上も城郭を訪問している同僚M氏は香川県の「丸亀城」と断言していたが。
生徒諸君には、角ばった石をどのようにして積んだら写真のような湾曲になるのか、約400年前の技術者の気持ちになって考えてほしいものだ。
例によって
[大阪市立図書館デジタルアーカイブ]より、同じ場所から撮影したであろう写真(おそらく大正から昭和初期)を掲載します。
おそらく一番手前が現存している「六番櫓」。戊辰戦争時に「四番櫓」「五番櫓」「七番櫓」が焼失したので、むこうに見えるのは1945(昭和20)年8月14日にアメリカ軍の大空襲で焼失した「三番櫓」だろう。はるか向こうに前回話題にした「大阪陸軍造兵廠」の煙突がみえる。
アニメ『名探偵コナン』で、目暮警部が登場する前に必ず「警視庁」の建物が写るが、それに対抗してデザインされたとしか思えない「大阪府警本部」。
手前に「シロツメクサ」が群生しているが、なんとこの時期であるにもかかわらず雑草が生えていない。なんかうらやましい。
以下次号