昨日もまた軽音楽部が正門で挨拶をしていた。ここまで来たらいっそのこと部員も多いんやし、毎日やったらどうか。ただし熱中症には注意せなあかんなあ。
いよいよ6月4日(日)に12月のスニーカーの抽選会がある。会場は大阪芸術大学。下はその付近の地図で、付き添いを担当する自分は大学近辺の魅力的な史跡によだれが出そうだ。
マウスで線を描くのは本当に至難の業だ。お見苦しくて申し訳ない。
地図にもあるが地名で「太子町」とあり、聖徳太子に近い天皇の陵墓と思しきものが近辺に散在している。肝心の「聖徳太子(厩戸皇子)」の墓はどこにあるのだろうかと調べてみたら、なんと地図のど真ん中やや右にある「叡福寺」の中の「叡福寺北古墳」と言われているそうだ。
むむむむ、「小野妹子」といい役者がそろい踏みです。
また、地図の上の方(北)に「源頼義」「源義家」の墓があるのも興味深い。
大変不明瞭で申し訳ない。「源氏」は「清和天皇」の子孫。969年の安和の変で密告して出世した「源満仲」は摂津多田荘(兵庫県川西市)に土着して武士団の棟梁となる。
その後、大江山の鬼退治で有名な長男「源頼光」は父の跡を継いで「摂津源氏」と呼ばれ、3男の「頼信」がこの地に本拠地を構えて「河内源氏」となる。
本来、源氏の本流は長男の「摂津源氏」だが、「河内源氏」の三男「頼信」の子孫が鎌倉幕府を開いた源頼朝やその弟の義経につながっており、「河内源氏」が本流となった。
日本史Bの選択生徒はここんところ、よろしく。