最近、公的機関のネットサービスからの貴重写真ダウンロードに凝っているが、これこそまさに「よだれが出そうな写真」をゲットした。
太平洋戦争が終わって2年半経過した1948(昭和23)年2月20日に、アメリカ軍が高度2438m上空から撮影した航空写真だ。
ダウンロード先は
[国土地理院]の
[地図・空中写真閲覧サービス]より。
「国土地理院」は国土交通省に置かれている特別機関で、とにかく「測量」して日本国土のなんでもかんでも測りまくって、それをもとにしていろいろな機能をもった「地図」を作成しまくっている国家機関である。
一般的にも有名な「地形図」や、「風水害対策・地震防災のための主題図」や「火山の地図」、航空レーザー測量で作成した詳細な標高データの地図など、いろいろなジャンルに及んでいる。
しかもこれらの地図や写真は「本サービスでダウンロード可能な空中写真は、『出典の記載について』にある通り、出典の明示等を行っていただければ利用可能です(申請不要)」とあり、以下のようにブログでも紹介できるのだ。
さてその写真がこれ。
さらに拡大。じっくり見たら、何か不自然な丸い穴ぼこのようなものが各所に点在しているのが分かる。
拡大
19480220.jpg
例によって分かりやすいように地図に半透明で書き込んでみよう。
拡大
19480220文字入り.jpg
(1)「青」が現在の柴島高校。「黄」が淀キリ。
(2)「崇」=崇禅寺駅 「柴」=柴島駅 「中」=中島惣社 「卍」=崇禅寺
(3)「●」=おそらく1トン爆弾の跡。とにかく焼夷弾のような小さいものでなく、かなりの破壊力を持った爆弾の爆発によりできた穴と思われる。
(4)「A」=ついにその謎が解けたぞ。このあたりは両側がプールのような浄水場で、真ん中を阪急電車が走っているではないか。よってこの写真が撮影されたのはこのあたりと確定。
その向こうにある大きな工場は「B」の「鐘紡中島工場」と思われる。現在の巨大マンション、「エバーグリーン淀川」である。
(5)「C」は「浪商高校」で、現在は「社会福祉法人ノーマライゼーション協会」。
淡路時代の「浪商」は、TBS(4チャンネル)の日曜朝の番組「サンデーモーニング」で毎週「喝(かつっ!!)」と叫んでいる「3000本安打の張本勲」や「怪童・尾崎行雄」、現在DeNAベイスターズのGMを務める「元巨人の高田繁」が在籍した。
その後、「浪商」は茨木市に移転して「牛島」や「ドカベン」を甲子園に送り込んだが、1989年に泉南郡熊取町に移転して「大阪体育大学浪商高等学校」に校名変更した。
(6)「D」は「東淡路小学校」。
上の航空写真を見てもわかるように、戦争が終わって2年半も経過しているのに、家の屋根のないエリアが下の戦災地図とほとんど一致している。「崇禅寺駅」北の広大なエリア、「柴島駅」南のエリアが、本校周辺の戦災地域である。
その後、日本は1950(昭和25)年に勃発した「朝鮮戦争」の「特需」をきっかけに立ち直り、1955(昭和30)年からの高度経済成長が1973(昭和48)年まで続いた。
1973(昭和48)年10月のオイルショックから1年半が経過、1975(昭和50)年4月に本校1期生が新入生として入学するのだが、ここでまた「国土地理院」は興味深い写真を我々に提供してくれるのだ。
そして昨日のブログ「3年5組と6組の境目に隠された秘密」で紹介した境目の意味も、これで明らかになるのだ。エクセレント。
下は1975(昭和50)年3月14日に撮影した航空写真。
さらに拡大する。
「これって、おかしくね?」「うんだ、うんだ」の反応が聞こえそうだ。撮影が3月14日。本校1期生(今年58歳)の入学式がおそらく4月8日。
「何これーっ!!」である。どこで入学式をやったのだろうか。それとも「国土地理院」の撮影日が間違っているのだろうか。
本校校舎の正門入ってすぐに見える部分は、他よりもいち早く完成していたのだ。それ以外の建物は、地下の基礎工事さえ始まっていない。
ちなみに現在の写真を「Google Earth」より。じっくり見てみると、校舎全体を「前半・中央・後半」の3ブロックに分けて建設したと思われ、今の3年5組と3年6組の間にある「境目」は、「前半」と「中央」の工事の境界線と想像できるのだ。
とにかく1期生の入学式をどこでやったかだ。もっと深く解明する必要がある。
以下次号 やっぱり古い写真って面白いですね。