柴高の毎日

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大阪城上空写真

2017-06-22 02:15:00 | 授業・HR
 9月上旬に観光学最後のフィールドワークで訪問予定の大阪城。例によって[国土地理院][地図・空中写真閲覧サービス]にあった写真を時系列で並べてみよう。

 1948(昭和23)年 

 アメリカ軍が撮影したもので、空襲の被害の生々しい跡が随所に見ることができる。写真右下にたくさんある丸い穴のようなものは、おそらく1トン爆弾でできたものだろう。



 戦災地図



 時代は一足飛びに1975(昭和50)年。ちょうど本校が創立した年。もちろん大阪城ホールやビジネスパークはまだない。JR森ノ宮駅から入った「大阪城の東側」、現在「噴水」や「市民の森」「記念樹の森」と呼ばれているエリアや野球場の整備が進んでいる。



 そして1989(平成元)年。ようやく大阪城ホールやビジネスパークが登場する。



 2007(平成19)年



 上の4枚で「大阪城の東側」の変遷がよくわかるが、このエリアにかつて「東洋一の軍需工場」があったことを知る人は少ない。その工場があったがゆえに、大阪城の周辺はアメリカ軍の空襲から免れることはできず、大阪城も多くの櫓や土塀を焼失した。

 その「軍需工場」はどれほどの規模であったのか興味がわいてきた。

 以下次号