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次のyahoo無料ブリーフケースに、論文全文(word)を置きましたので、
どなたでもダウンロード可能です。(A4で約70ページ)
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/tadaminoruid/
下記は参考までに口頭試問時の論文要旨です。
図表類及び詳細は、上記アドレスの本文をご参照ください。
ご意見、ご感想お待ちしています。
公務員意識改革のブレイクスルー(要旨)
-組織文化変革のダイナミクス-
高崎経済大学大学院 地域政策研究科
博士前期課程 705-006 多田 稔
はじめに
日本の社会は中央集権から地方分権へと変わりつつある。自治体職員には、これまでの受身的な仕事のやり方から、自ら地域の課題を見つけ、対策を考え、実行し、評価する自立的な仕事のやり方が求められるようになった。行政改革により自治体の人事制度や組織図などは変わったが、多くの職員の考え方や行動は、旧態依然としており、総務省の「地方財政白書」や自治体の人材育成計画において、職員の「意識改革」が必要であると指摘されている。
1 職員としての問題
都道府県及び政令指定都市の自治体職員意識について調査(以下「筆者調査」と言う)し、シャインの文化三層構造論により分析したところ(資料1参照)、意識改革を進める上で職員レベルの課題は、職員の意識の中に「キャリア・デザイン」が欠けていることの影響が大きいことが確認できた。シャインによれば、組織文化は、外部の者にもわかる表面的な「文物(人工物)」レベル、組織内の人間には自覚できる共通の「価値観」レベル、そして組織の構成員には当たり前すぎて改めて意識できないほど当然の前提となっている「基本的仮定」レベルの3つのレベルがある。そして「基本的仮定」が「文物」や「価値観」などを深い部分で規定しているのである。
従来、国が政策やその実施方法を決めたので、自治体職員は、言われたことをやる、という受身の姿勢であり、「キャリア・デザイン」は、特に意識しなくてもすんだ。自治体の職員意識調査では、多くの職員が仕事を通じて自分の成長や満足感を感じており、職員の仕事に対する意識改革には、「キャリア・デザイン」の概念からのアプローチが有効と考えられる。職員に「キャリア・デザイン」を意識させることで、より積極的な仕事への取組や自分の仕事の将来構想が描けるようになるのではないだろうか。
筆者のヒアリング調査(2006)において横浜市の担当者は、「市職員においても最近の若い世代は、『その組織に勤めることで、エンプロイアビリティがどう高まるか、キャリアにどうプラスに働くか』を考える傾向が強い。」と語っている。組織の側がキャリア・デザインの概念を教えるというより、すでに「キャリア・デザイン」に基づいた行動をとっている者もいるのである。
しかし、多くの職員にとっては、「自分にとっての仕事の意味を考えること」つまり「キャリア・デザイン」の概念は、価値観が変化したというより、従来の価値観の中で「空白」だった部分であり、公務員にとっては、欠けているという認識を持つことさえ困難なようである。なぜなら、公務員のキャリア研修の場では、「公務員は自分で異動先や仕事内容を決められないのに、なぜキャリア研修する必要があるのか?」という質問が出てくるのである。
現在自治体において、成果主義の導入など、「外発的動機づけ」が行われているが、職員の意識改革は進んでいない。そうであるなら職員の内的基準による満足を高められるように仕組みを整える必要があるだろう。一人一人が労働者として、自分の内面を見つめ、自分にとっての仕事の意義を考え、自分の内的基準に合致したキャリア・デザインを考える時、仕事に対して自分が主役となり、仕事に対する自立につながるのではないだろうか。(仮説図1-2参照)
2 組織としての問題
(1)「大過なく」という意識
バブル経済の頃とくらべ、自治体においてこれほど財政状況や人事評価制度等が変わったのに、なぜ公務員の意識改革が進まないのだろうか。制度を改正し、行動指針などを定めても、職員の意識改革が進展しない状況は、まさにピーター・M・センゲの言う「システムは、押せば押すほど強く押し返す」状況のようである。
センゲは、システムの中に変化を否定する「暗黙のうちに定められたターゲット」が存在すると、それが平衡循環として働き、変化を阻止するという。自治体を一つのシステムとして考えた場合、職員の意識改革が進まない原因は、組織経営の要である課長等の管理職が、なんらかの「暗黙のうちに定められたターゲット」を持っており、「意識改革」という変化を阻止する構造があるからではないだろうか。
職員の意識改革を押しとどめる「ターゲット」とは、管理職が持ち続けている価値観に違いない。筆者調査により管理職に対する職員意識を分析したところ、管理職の価値観は「無謬性」、「責任逃れ」、「保守主義」である(資料3参照)。
日常業務を行う上での座右の銘が「無謬性」であり、それを実現する判断基準が「保守性」だ。そして問題が発生した場合に「責任逃れ」が生じる。これらを包括する概念として「大過なく」が上司の持つ価値観だと言えよう。そしてこの価値観は、管理職自身の立場を反映したもの、つまり退職を目前にして「何事も大過なくやりすごしたい」という気持ちである。定年を指折り待つ日々の中で、管理職が「大過なく」という価値観を強く持っているならば、新しい仕事に積極的にチャレンジしたり、議員と対立してまで既得権益団体をばっさり切り捨てるなどの荒治療には取り組もうとはしないだろう。そして職員は、どのように行動すれば管理職から高い評価を得られるか、管理職の価値観を推し量りながら判断・行動しているので、組織の目標として、いくら「チャレンジ」、「成果」などを掲げても、実際に職員を評価する管理職の価値観が「大過なく」であり続けるからこそ、職員の意識改革は起こらず、従来の思考や行動パターンを続けているのである。
また、課長と部長の関係においても、部下と上司の関係なので、同様な構造がある。筆者調査によれば、部長評価を行っているか、否かにより、課長評価にあたり年功序列的要素を含む割合と、含まない割合が2倍近く異なり、部長評価の有無と、課長評価の質は強い相関関係があることが判明した(図11)。
(2)管理職の「上がり」の意識
管理職のあり方に注目すると、いったん管理職になると降格は、まずない。そして管理職のポストが空くのは退職待ちという状況。これでは管理職には、実質的に「制度的な年功序列性」が温存されていると言えよう。そして、管理職の精神面を見ると、一番長くその組織で働き、ある意味で年功序列に適応することでその地位をつかんだ者が管理職なのである。もともと保守的な行政組織文化と、部下を監督・指導する立場にある管理職員の退職を目前にした「大過なく」という価値観があいまって、どうやってもチャレンジングな組織文化にはならなかったのだ。これらの状況を改善するには、管理職を年功序列でなく、能力・実力で選抜し、更にいったん管理職に昇任したあとも、管理職全員を評価し、一定割合を降格させるような制度に変更することにより、管理職に絶えず仕事の成果を意識させ、そのことにより、まず管理職の意識改革を図ることが重要だろう。
管理職は「上がり」のポジションであり、いったんその地位に就いたなら勉強や能力の向上に努める必要はないのであろうか。その人にとって、「偉くなること」が仕事に取り組む上での目標・目的であったなら、管理職まで出世すれば、まさに双六でいう「上がり」の状態であり、これ以上することは何もない。しかし、もし仕事に取り組む目的が「少しでも良い仕事をして、住民に喜ばれたい」だったらどうだろうか。「自分は『上がり』だから、これ以上勉強も能力開発もする必要はない、そういうことは部下がしていれば良い。」と考えるだろうか。
(3)意識改革の必要性
自治体における課長は組織経営、人材育成マネジメントなどの中心なので、不適格者であると組織へのマイナスの影響が非常に大きい。逆に適格者であれば、日々の業務の管理、組織の運営を通じて組織のアウト・プットの質をコントロールし、部下の適切な育成を行うなど、よい影響が大きい。管理職がポストをかけて成果を問われることで、その意識が「大過なく」から「チャレンジ志向」へと変わったとき、部下の行動も変わり、組織として行動の変化まで含めた意味で、職員の意識改革が達成されるに違いない。年功序列でなく、ほんとうの適格者を管理職に配置することが組織における意識改革のブレイクスルーになるだろう。少子高齢化社会を迎え、自治体のおかれる立場も大きく変わった現在、自治体に求められているのは単なる給与制度の改革レベルの対応ではなく、人と組織の抜本的なイノベーションのはずだ。
筆者調査では、都道府県及び政令指定都市における課長評価の実施割合は、平成10年度の約60%から、平成18年度には約90%に急増している。また、下図のとおり課長評価の内容が平成14年度以降、年功序列的要素を考慮しない割合が、約14%から50%近くに急増しており、評価内容がより現実の能力を反映するように、評価の質が高まっていると考えられる。自治体において課長の能力に対する重要性の認識が高まってきた結果だと言えるだろう。
ブリッジズによれば、人が転機を迎えるステップの1番目として、それまでのやり方の「終わり」を実感させなくては、変化は始まらないという。
組織が職員に「意識改革」という転機を迫るには、組織として今までのやり方を許容してはならないのだ。管理職層には、制度的及び精神的な年功序列性が温存されていると指摘した。制度として、あるいは非公式な組織文化として、今までの考え方や行動を拒否できなければ「意識改革」が生まれるための転機は生じないのである。行政における組織文化を変革することは非常に難しいが、文明開化の「明治維新」や、「第二次世界大戦の終戦」など、抜本的な意識改革は日本でも起こった。共通する変革のカギは、士族の身分廃止や、財閥解体、公職追放、華族制廃止など、旧文化において中心であったコア人材の特権(既得権)の廃止であった(注1)。
(4)チャレンジングな組織文化へ
年功序列によらない昇進・昇格を実現するためには、早ければ30歳で課長、40歳で部長になることが可能なぐらいの思い切った人事制度を構想してみてはどうだろうか。現実に、国の省庁から自治体へ交流人事で来るキャリア官僚は、その年齢で課長・部長になっている。そして、いったん管理職になっても、定年まで無条件で管理職にいられるのではなく、毎年、管理職全員を対象に入れ替え評価を行い、一定割合(定年退職者以上の人数)を必ず入れ替えることで競争環境を担保する。一度出世レースから脱落したら終わりという、無謬主義や保守性を一掃し、チャレンジングな組織文化に変えていく。ポストと人を固定するのでなく、その時々の、旬の人材がキープレーヤーになるのだ。
そのためには前提として、次の準備が必要だろう。
①部課長ポストは年功序列でなく能力により選抜する。(そのために部課長の定年退職を待つだけでなく、スポーツの1部2部入れ替え戦のように、一定割合〔定年退職数と同数程度では意味がない〕を毎年制度的に入れ替え、管理職ポストの健全な競争と新陳代謝を担保する)
②部課長のおかれる立場を「退職目前・降格なし」から、「年齢関係なし・評価が低いと降格される」に変えることで、彼らの価値観を「大過なく」から「挑戦・成果」等に変える。
③上司の判断基準(部下にとっては「評価基準」)を変えることにより、部下の判断・行動を変える。
この提案は、これまでの自治体の常識では考えられない荒唐無稽な論なのだろうか。否、まったくそうではない。地方公務員法では、職員の評価と、それに伴う降任は初めから予定されている(注2)。「組織における現時点での最適な人事配置を行うため、管理職も含めて評価を行い、再配置しましょう」という提案は、邪道でもなんでもなく、本筋論なのだ。年功序列で、たとえ管理職として不適格なものであっても、定年間近だから管理職に昇進させるというような人事はやめて、能力による実力評価で昇進させることが必要なのだ。きわめて当然のことがなされていないからこそ、いくら職員に対して「意識改革しろ」と唱えても、進まない構造があったのである。もちろん、実力による登用であるから、高年齢の職員であっても実力があれば管理職になり、その地位にとどまること可能であるので、なんら年齢による差別ではない。むしろ年齢が高いからといって能力を無視した登用を行うことこそ、悪平等であり、機会の不平等であったのだ。
(5)スピーディーな改革
この改革を行う際、反対するのはだれだろうか。それは、現状が変わってしまうと都合が悪くなる人たち、現在の状況のままであることが自分にとっては都合がいい人たちが反対するのであろう。私の提案は、現時点における「人材マネジメント上の全体最適」が目的であり、組織にとってはプラスである。また、能力が高くてもポストが空かないせいで、昇任できない職員にとっては、横一線で実力が評価され、昇任の機会が生まれるのでプラスだ。昇任するつもりのない職員にとっても、年功序列のせいで無能な上司の下で理不尽な扱いを受けることもなくなるので、モチベーションが向上するのでプラスだ。もともと管理職だった人間にとっても、能力が高ければその地位にとどまることができるので、なんらマイナスではない。ここまで考えてくると、もしこの提案に反対する管理職がいるとすれば、それは「自分が部下より能力が劣っている」ことを宣言する行為に等しいことに気づかれるだろう。
「ウォー・フォー・タレント」(The War for Talent)という言葉は、マッキンゼー・アンド・カンパニーが1997年に考案した。多くのアメリカ企業を調査し、得られた結論は、「人材の良し悪しで企業の成果が決まる」だった。企業が生き残るためには、能力の高い管理職を登用・育成しなければならない。ただし、のんびりとではない。スピードが問題なのだ。アメリカでは管理職の交代そのものは革命でもなんでもなく、ダメな人は早くみつけ、期待できる人を登用して育成することの「速度」が重視されているのだ(注3)。
3 まとめ
(1)地方公務員の意識構造(仮説図1-2について)
この図の「過去の組織文化」では、自治体においては「中央集権」から「地方分権」へとシャインの組織文化論の「基本的仮定」レベルの一部が変化。それを受けて自治体は、「文物(人工物)」レベルにあたる、組織制度改正や、マネジメントツールとして成果主義などを導入。しかし、職員の課題として中間レベルの「価値観」において、職員の自立を支えるはずの「キャリア・デザイン」が職員の意識に欠けているため、制度は変わったが、職員意識は旧態依然のまま、という構図が考えられる。したがって、職員の価値観の中に自分にとっての仕事の意味を考えるための、「キャリア・デザイン」意識を持たせることにより、職員の仕事に対する意識を変えていくことが可能になると予想される。
また、組織レベルの意識改革を図る上での障害は、管理職層の「大過なく」という意識である。これは管理職層が定年目前の立場であるため発生する意識だ。管理職の価値観が「大過なく」から「挑戦・成果」に変わったとき、組織文化は挑戦・成果を志向するチャレンジングな文化へと変わるに違いない。したがって、管理職の意識を変えるためには、まず「管理職は定年間近」という基本的仮定を変えなくてはならない。そのためには、文物レベルの人事制度を見直し、管理職全員を対象に評価を行い、定年退職者数以上の降格による管理職の入れ替えを、制度として行うことで、管理職の競争と質を担保する。このことにより、管理職はポストをかけて成果を問われることなり、管理職の価値観は「大過なく」から「挑戦・成果」へと変わるはずだ。このことにより、部下が高い評価を得るための基準も「大過なく」から「挑戦・成果」へと変わるので、部下の考え方や行動が変わると予想されるのである。
(2)意識改革のダイヤモンド(仮説図2について)
仮説図2の左側の現状では、課長の立場は年功序列を反映し、退職間近であるためその価値観は「大過なく」である。課長は「大過なく」という価値観に基づき、部下の行動や仕事を評価・管理するため、チャレンジ志向の行動には慎重となり、むしろ無謬性を高く評価してしまう。部下は上司から高い評価を得るためには、上司の価値観を推し量って行動するため、チャレンジより、ミスのない前例踏襲的な行動をとってしまうので、組織全体として意識改革が進まないという構造がある。
次に、仮説図2の右側の望ましい状況とは、管理職の立場は年功序列でなく、能力主義で選抜される。そして管理職になったあとも「上がり」ではなく、全員対象に評価が行われ、入れ替えが行われるので、管理職の価値観は「挑戦・成果」である。この価値観を基準に部下を評価するので、部下の行動はチャレンジ志向になるのである。また、課長と部長の関係においても、部下と上司の関係が当てはまるので、同様な構造がある。このように、管理職が自分の価値観に照らし、部下の判断・行動を評価・管理し、部下はそれを受けて判断・行動し、それを再び管理職が評価・統制するという二重のサイクルがダイヤ型をなしており、それを概念図で示したのが仮説図2である。
(3)結論
シャインの文化三層構造論により分析したところ、自治体職員の意識改革を進める上で、職員の課題は、職員意識の中に「キャリア・デザイン」が欠けていることの影響が大きいことがわかった。従来、言われたことをやるという受身の姿勢であったならば、「キャリア・デザイン」は、特になくてもすんだ。しかし、自立的に仕事に取り組むためには意識の中に「キャリア・デザイン」が必要なのである。
次に、職員の意識改革を進める上での組織レベルの課題は、管理職員の価値観の改革である。従来から管理職員は退職目前の者が充てられてきたため、仕事に取り組む際の意識は「大過なく」となりがちで、部下の意識改革には、むしろ障害となっていたのだ。管理職のあり方に注目すると、いったん管理職になると降格は、まずない。そして管理職のポストが空くのは退職待ちという状況。これでは管理職には、実質的に「制度的な年功序列性」が温存されていると言えよう。そして、管理職の精神面を見ると、年功序列により一番長くその組織で働き、古い価値観が染み付いているのが管理職なのである。もともと保守的な行政組織文化と、部下を監督・指導する立場にある管理職員の退職目前にした「大過なく」という価値観があいまって、どうやってもチャレンジングな組織文化にはならなかったのだ。
これらの状況を改善するには、管理職を年齢によらず能力・実力で選抜し、更にいったん管理職に昇進したあとも、管理職全員を評価し一定割合を降格させるような制度に変更することにより、管理職に絶えず仕事の成果を意識させ、そのことによりまず管理職の意識改革を図ることが重要だろう。管理職がポストをかけて成果を問われることで、その意識が「大過なく」から「チャレンジ志向」へと変わったとき、部下の行動も変わり、組織として行動の変化まで含めた意味で、職員の意識改革が達成されるに違いない。年齢によらず、できるだけ多くの適格者を管理職に配置することが組織における意識改革のブレイクスルーになるだろう。求められているのは単なる給与制度の改革レベルの対応ではなく、人と組織の抜本的なイノベーションのはずだ。
いったん管理職に昇進させても、定年まで無条件で管理職におくのではなく、毎年、管理職全員を対象に入れ替え評価を行い、一定割合(定年退職者以上の人数)を必ず入れ替えることで競争環境を担保する必要がある。一度出世レースから脱落したら終わりという、無謬主義や保守性を組織文化から一掃し、チャレンジングな組織文化に変えていくためには、ポストと人を固定するのでなく、その時々の、旬の人材がキープレーヤーになるべきなのだ。
注
1.二つの改革に共通する事項の詳細については、武田安正ほか(2000)「役所の経営改革」日本経済新聞社、を参照されたい。
2.地方公務員の任用が、地方公務員法の規定から、かけ離れた運用が続いてきた経過は、稲継(2006)を参照されたい。
3.アメリカでは管理職の交代そのものは革命でもなんでもないこと、及び「交代させること」ではなく、「交代させる速度」が重視されていることについては、武藤泰明(2006)「日本企業の人事システムが取り戻すべきもの」ダイヤモンド社『Harvard Business Review』2006.11月号、を参照されたい。
参考文献
E・H・シャイン(1989)「組織文化とリーダーシップ」ダイヤモンド社
E・H・シャイン(2003)「キャリア・アンカー」白桃社
E・H・シャイン(2004)「企業文化-生き残りの指針」白桃社
稲継裕昭(2006)「自治体の人事システム改革」ぎょうせい
ウィリアム・ブリッジズ(1994)「トランジション」創元社
エド・マイケルズ他(2002)「ウォー・フォー・タレント」翔泳社
金井壽宏(2002a)「働く人のためのキャリア・デザイン」PHP研究所
金井壽宏(2002b)「会社の元気は人事がつくる」日本経団連出版
金井壽宏(2003)「キャリア・デザイン・ガイド」白桃書房
玄田有史(2001)「仕事の中の曖昧な不安」中央公論新社
小西康之(2004)「4.7.3 降格・降給と労働法」社団法人日本労務研究所 「人事マネジメントハンドブック」
自治省(1998)「地方自治・新時代における人材育成基本方針策定指針」
総務省(2002)「地方公務員の人事評価システムのあり方に関するアンケート調査結果」地方行政研究会
総務省(2005)「人材育成基本方針の策定状況」
総務省(2006)「平成18年度版 地方財政白書」
高橋俊介(2001)「組織改革」東洋経済新報社
高橋俊介(2003)「キャリア論」東洋経済新報社
高橋俊介(2006)「新版人材マネジメント論」東洋経済新報社
武田安正ほか(2000)「役所の経営改革」日本経済新聞社
多田稔(2006)「公務員の意識改革-組織文化の観点から」三菱総合研究所『自治体チャンネル』No.83
沼上幹ほか(2006)「組織の<重さ>と組織の諸特性」白桃書房『組織科学』vol.139
ピーター・M・センゲ(1995)「最強組織の法則」徳間書店
ピーター・M・センゲ(2003)「学習する組織『5つの能力』」日本経済新聞社
樋口晴彦(2006)「組織行動の『まずい!!』学」祥伝社
平野光俊(2006)「日本型人事管理の進化型」神戸大学経済経営学会『国民経済雑誌』第193巻
古川久敬(1990)「構造こわし-組織変革の心理学」誠信書房
武藤泰明(2006)「日本企業の人事システムが取り戻すべきもの」ダイヤモンド社『Harvard Business Review』2006.11月号
森啓(2004)「自治体職員力」公職研『地方自治職員研修』第37巻通巻515号
山中俊之(2006)「公務員人事の研究」東洋経済新報社
横浜市(2005)「職員仕事満足度調査」
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どなたでもダウンロード可能です。(A4で約70ページ)
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/tadaminoruid/
下記は参考までに口頭試問時の論文要旨です。
図表類及び詳細は、上記アドレスの本文をご参照ください。
ご意見、ご感想お待ちしています。
公務員意識改革のブレイクスルー(要旨)
-組織文化変革のダイナミクス-
高崎経済大学大学院 地域政策研究科
博士前期課程 705-006 多田 稔
はじめに
日本の社会は中央集権から地方分権へと変わりつつある。自治体職員には、これまでの受身的な仕事のやり方から、自ら地域の課題を見つけ、対策を考え、実行し、評価する自立的な仕事のやり方が求められるようになった。行政改革により自治体の人事制度や組織図などは変わったが、多くの職員の考え方や行動は、旧態依然としており、総務省の「地方財政白書」や自治体の人材育成計画において、職員の「意識改革」が必要であると指摘されている。
1 職員としての問題
都道府県及び政令指定都市の自治体職員意識について調査(以下「筆者調査」と言う)し、シャインの文化三層構造論により分析したところ(資料1参照)、意識改革を進める上で職員レベルの課題は、職員の意識の中に「キャリア・デザイン」が欠けていることの影響が大きいことが確認できた。シャインによれば、組織文化は、外部の者にもわかる表面的な「文物(人工物)」レベル、組織内の人間には自覚できる共通の「価値観」レベル、そして組織の構成員には当たり前すぎて改めて意識できないほど当然の前提となっている「基本的仮定」レベルの3つのレベルがある。そして「基本的仮定」が「文物」や「価値観」などを深い部分で規定しているのである。
従来、国が政策やその実施方法を決めたので、自治体職員は、言われたことをやる、という受身の姿勢であり、「キャリア・デザイン」は、特に意識しなくてもすんだ。自治体の職員意識調査では、多くの職員が仕事を通じて自分の成長や満足感を感じており、職員の仕事に対する意識改革には、「キャリア・デザイン」の概念からのアプローチが有効と考えられる。職員に「キャリア・デザイン」を意識させることで、より積極的な仕事への取組や自分の仕事の将来構想が描けるようになるのではないだろうか。
筆者のヒアリング調査(2006)において横浜市の担当者は、「市職員においても最近の若い世代は、『その組織に勤めることで、エンプロイアビリティがどう高まるか、キャリアにどうプラスに働くか』を考える傾向が強い。」と語っている。組織の側がキャリア・デザインの概念を教えるというより、すでに「キャリア・デザイン」に基づいた行動をとっている者もいるのである。
しかし、多くの職員にとっては、「自分にとっての仕事の意味を考えること」つまり「キャリア・デザイン」の概念は、価値観が変化したというより、従来の価値観の中で「空白」だった部分であり、公務員にとっては、欠けているという認識を持つことさえ困難なようである。なぜなら、公務員のキャリア研修の場では、「公務員は自分で異動先や仕事内容を決められないのに、なぜキャリア研修する必要があるのか?」という質問が出てくるのである。
現在自治体において、成果主義の導入など、「外発的動機づけ」が行われているが、職員の意識改革は進んでいない。そうであるなら職員の内的基準による満足を高められるように仕組みを整える必要があるだろう。一人一人が労働者として、自分の内面を見つめ、自分にとっての仕事の意義を考え、自分の内的基準に合致したキャリア・デザインを考える時、仕事に対して自分が主役となり、仕事に対する自立につながるのではないだろうか。(仮説図1-2参照)
2 組織としての問題
(1)「大過なく」という意識
バブル経済の頃とくらべ、自治体においてこれほど財政状況や人事評価制度等が変わったのに、なぜ公務員の意識改革が進まないのだろうか。制度を改正し、行動指針などを定めても、職員の意識改革が進展しない状況は、まさにピーター・M・センゲの言う「システムは、押せば押すほど強く押し返す」状況のようである。
センゲは、システムの中に変化を否定する「暗黙のうちに定められたターゲット」が存在すると、それが平衡循環として働き、変化を阻止するという。自治体を一つのシステムとして考えた場合、職員の意識改革が進まない原因は、組織経営の要である課長等の管理職が、なんらかの「暗黙のうちに定められたターゲット」を持っており、「意識改革」という変化を阻止する構造があるからではないだろうか。
職員の意識改革を押しとどめる「ターゲット」とは、管理職が持ち続けている価値観に違いない。筆者調査により管理職に対する職員意識を分析したところ、管理職の価値観は「無謬性」、「責任逃れ」、「保守主義」である(資料3参照)。
日常業務を行う上での座右の銘が「無謬性」であり、それを実現する判断基準が「保守性」だ。そして問題が発生した場合に「責任逃れ」が生じる。これらを包括する概念として「大過なく」が上司の持つ価値観だと言えよう。そしてこの価値観は、管理職自身の立場を反映したもの、つまり退職を目前にして「何事も大過なくやりすごしたい」という気持ちである。定年を指折り待つ日々の中で、管理職が「大過なく」という価値観を強く持っているならば、新しい仕事に積極的にチャレンジしたり、議員と対立してまで既得権益団体をばっさり切り捨てるなどの荒治療には取り組もうとはしないだろう。そして職員は、どのように行動すれば管理職から高い評価を得られるか、管理職の価値観を推し量りながら判断・行動しているので、組織の目標として、いくら「チャレンジ」、「成果」などを掲げても、実際に職員を評価する管理職の価値観が「大過なく」であり続けるからこそ、職員の意識改革は起こらず、従来の思考や行動パターンを続けているのである。
また、課長と部長の関係においても、部下と上司の関係なので、同様な構造がある。筆者調査によれば、部長評価を行っているか、否かにより、課長評価にあたり年功序列的要素を含む割合と、含まない割合が2倍近く異なり、部長評価の有無と、課長評価の質は強い相関関係があることが判明した(図11)。
(2)管理職の「上がり」の意識
管理職のあり方に注目すると、いったん管理職になると降格は、まずない。そして管理職のポストが空くのは退職待ちという状況。これでは管理職には、実質的に「制度的な年功序列性」が温存されていると言えよう。そして、管理職の精神面を見ると、一番長くその組織で働き、ある意味で年功序列に適応することでその地位をつかんだ者が管理職なのである。もともと保守的な行政組織文化と、部下を監督・指導する立場にある管理職員の退職を目前にした「大過なく」という価値観があいまって、どうやってもチャレンジングな組織文化にはならなかったのだ。これらの状況を改善するには、管理職を年功序列でなく、能力・実力で選抜し、更にいったん管理職に昇任したあとも、管理職全員を評価し、一定割合を降格させるような制度に変更することにより、管理職に絶えず仕事の成果を意識させ、そのことにより、まず管理職の意識改革を図ることが重要だろう。
管理職は「上がり」のポジションであり、いったんその地位に就いたなら勉強や能力の向上に努める必要はないのであろうか。その人にとって、「偉くなること」が仕事に取り組む上での目標・目的であったなら、管理職まで出世すれば、まさに双六でいう「上がり」の状態であり、これ以上することは何もない。しかし、もし仕事に取り組む目的が「少しでも良い仕事をして、住民に喜ばれたい」だったらどうだろうか。「自分は『上がり』だから、これ以上勉強も能力開発もする必要はない、そういうことは部下がしていれば良い。」と考えるだろうか。
(3)意識改革の必要性
自治体における課長は組織経営、人材育成マネジメントなどの中心なので、不適格者であると組織へのマイナスの影響が非常に大きい。逆に適格者であれば、日々の業務の管理、組織の運営を通じて組織のアウト・プットの質をコントロールし、部下の適切な育成を行うなど、よい影響が大きい。管理職がポストをかけて成果を問われることで、その意識が「大過なく」から「チャレンジ志向」へと変わったとき、部下の行動も変わり、組織として行動の変化まで含めた意味で、職員の意識改革が達成されるに違いない。年功序列でなく、ほんとうの適格者を管理職に配置することが組織における意識改革のブレイクスルーになるだろう。少子高齢化社会を迎え、自治体のおかれる立場も大きく変わった現在、自治体に求められているのは単なる給与制度の改革レベルの対応ではなく、人と組織の抜本的なイノベーションのはずだ。
筆者調査では、都道府県及び政令指定都市における課長評価の実施割合は、平成10年度の約60%から、平成18年度には約90%に急増している。また、下図のとおり課長評価の内容が平成14年度以降、年功序列的要素を考慮しない割合が、約14%から50%近くに急増しており、評価内容がより現実の能力を反映するように、評価の質が高まっていると考えられる。自治体において課長の能力に対する重要性の認識が高まってきた結果だと言えるだろう。
ブリッジズによれば、人が転機を迎えるステップの1番目として、それまでのやり方の「終わり」を実感させなくては、変化は始まらないという。
組織が職員に「意識改革」という転機を迫るには、組織として今までのやり方を許容してはならないのだ。管理職層には、制度的及び精神的な年功序列性が温存されていると指摘した。制度として、あるいは非公式な組織文化として、今までの考え方や行動を拒否できなければ「意識改革」が生まれるための転機は生じないのである。行政における組織文化を変革することは非常に難しいが、文明開化の「明治維新」や、「第二次世界大戦の終戦」など、抜本的な意識改革は日本でも起こった。共通する変革のカギは、士族の身分廃止や、財閥解体、公職追放、華族制廃止など、旧文化において中心であったコア人材の特権(既得権)の廃止であった(注1)。
(4)チャレンジングな組織文化へ
年功序列によらない昇進・昇格を実現するためには、早ければ30歳で課長、40歳で部長になることが可能なぐらいの思い切った人事制度を構想してみてはどうだろうか。現実に、国の省庁から自治体へ交流人事で来るキャリア官僚は、その年齢で課長・部長になっている。そして、いったん管理職になっても、定年まで無条件で管理職にいられるのではなく、毎年、管理職全員を対象に入れ替え評価を行い、一定割合(定年退職者以上の人数)を必ず入れ替えることで競争環境を担保する。一度出世レースから脱落したら終わりという、無謬主義や保守性を一掃し、チャレンジングな組織文化に変えていく。ポストと人を固定するのでなく、その時々の、旬の人材がキープレーヤーになるのだ。
そのためには前提として、次の準備が必要だろう。
①部課長ポストは年功序列でなく能力により選抜する。(そのために部課長の定年退職を待つだけでなく、スポーツの1部2部入れ替え戦のように、一定割合〔定年退職数と同数程度では意味がない〕を毎年制度的に入れ替え、管理職ポストの健全な競争と新陳代謝を担保する)
②部課長のおかれる立場を「退職目前・降格なし」から、「年齢関係なし・評価が低いと降格される」に変えることで、彼らの価値観を「大過なく」から「挑戦・成果」等に変える。
③上司の判断基準(部下にとっては「評価基準」)を変えることにより、部下の判断・行動を変える。
この提案は、これまでの自治体の常識では考えられない荒唐無稽な論なのだろうか。否、まったくそうではない。地方公務員法では、職員の評価と、それに伴う降任は初めから予定されている(注2)。「組織における現時点での最適な人事配置を行うため、管理職も含めて評価を行い、再配置しましょう」という提案は、邪道でもなんでもなく、本筋論なのだ。年功序列で、たとえ管理職として不適格なものであっても、定年間近だから管理職に昇進させるというような人事はやめて、能力による実力評価で昇進させることが必要なのだ。きわめて当然のことがなされていないからこそ、いくら職員に対して「意識改革しろ」と唱えても、進まない構造があったのである。もちろん、実力による登用であるから、高年齢の職員であっても実力があれば管理職になり、その地位にとどまること可能であるので、なんら年齢による差別ではない。むしろ年齢が高いからといって能力を無視した登用を行うことこそ、悪平等であり、機会の不平等であったのだ。
(5)スピーディーな改革
この改革を行う際、反対するのはだれだろうか。それは、現状が変わってしまうと都合が悪くなる人たち、現在の状況のままであることが自分にとっては都合がいい人たちが反対するのであろう。私の提案は、現時点における「人材マネジメント上の全体最適」が目的であり、組織にとってはプラスである。また、能力が高くてもポストが空かないせいで、昇任できない職員にとっては、横一線で実力が評価され、昇任の機会が生まれるのでプラスだ。昇任するつもりのない職員にとっても、年功序列のせいで無能な上司の下で理不尽な扱いを受けることもなくなるので、モチベーションが向上するのでプラスだ。もともと管理職だった人間にとっても、能力が高ければその地位にとどまることができるので、なんらマイナスではない。ここまで考えてくると、もしこの提案に反対する管理職がいるとすれば、それは「自分が部下より能力が劣っている」ことを宣言する行為に等しいことに気づかれるだろう。
「ウォー・フォー・タレント」(The War for Talent)という言葉は、マッキンゼー・アンド・カンパニーが1997年に考案した。多くのアメリカ企業を調査し、得られた結論は、「人材の良し悪しで企業の成果が決まる」だった。企業が生き残るためには、能力の高い管理職を登用・育成しなければならない。ただし、のんびりとではない。スピードが問題なのだ。アメリカでは管理職の交代そのものは革命でもなんでもなく、ダメな人は早くみつけ、期待できる人を登用して育成することの「速度」が重視されているのだ(注3)。
3 まとめ
(1)地方公務員の意識構造(仮説図1-2について)
この図の「過去の組織文化」では、自治体においては「中央集権」から「地方分権」へとシャインの組織文化論の「基本的仮定」レベルの一部が変化。それを受けて自治体は、「文物(人工物)」レベルにあたる、組織制度改正や、マネジメントツールとして成果主義などを導入。しかし、職員の課題として中間レベルの「価値観」において、職員の自立を支えるはずの「キャリア・デザイン」が職員の意識に欠けているため、制度は変わったが、職員意識は旧態依然のまま、という構図が考えられる。したがって、職員の価値観の中に自分にとっての仕事の意味を考えるための、「キャリア・デザイン」意識を持たせることにより、職員の仕事に対する意識を変えていくことが可能になると予想される。
また、組織レベルの意識改革を図る上での障害は、管理職層の「大過なく」という意識である。これは管理職層が定年目前の立場であるため発生する意識だ。管理職の価値観が「大過なく」から「挑戦・成果」に変わったとき、組織文化は挑戦・成果を志向するチャレンジングな文化へと変わるに違いない。したがって、管理職の意識を変えるためには、まず「管理職は定年間近」という基本的仮定を変えなくてはならない。そのためには、文物レベルの人事制度を見直し、管理職全員を対象に評価を行い、定年退職者数以上の降格による管理職の入れ替えを、制度として行うことで、管理職の競争と質を担保する。このことにより、管理職はポストをかけて成果を問われることなり、管理職の価値観は「大過なく」から「挑戦・成果」へと変わるはずだ。このことにより、部下が高い評価を得るための基準も「大過なく」から「挑戦・成果」へと変わるので、部下の考え方や行動が変わると予想されるのである。
(2)意識改革のダイヤモンド(仮説図2について)
仮説図2の左側の現状では、課長の立場は年功序列を反映し、退職間近であるためその価値観は「大過なく」である。課長は「大過なく」という価値観に基づき、部下の行動や仕事を評価・管理するため、チャレンジ志向の行動には慎重となり、むしろ無謬性を高く評価してしまう。部下は上司から高い評価を得るためには、上司の価値観を推し量って行動するため、チャレンジより、ミスのない前例踏襲的な行動をとってしまうので、組織全体として意識改革が進まないという構造がある。
次に、仮説図2の右側の望ましい状況とは、管理職の立場は年功序列でなく、能力主義で選抜される。そして管理職になったあとも「上がり」ではなく、全員対象に評価が行われ、入れ替えが行われるので、管理職の価値観は「挑戦・成果」である。この価値観を基準に部下を評価するので、部下の行動はチャレンジ志向になるのである。また、課長と部長の関係においても、部下と上司の関係が当てはまるので、同様な構造がある。このように、管理職が自分の価値観に照らし、部下の判断・行動を評価・管理し、部下はそれを受けて判断・行動し、それを再び管理職が評価・統制するという二重のサイクルがダイヤ型をなしており、それを概念図で示したのが仮説図2である。
(3)結論
シャインの文化三層構造論により分析したところ、自治体職員の意識改革を進める上で、職員の課題は、職員意識の中に「キャリア・デザイン」が欠けていることの影響が大きいことがわかった。従来、言われたことをやるという受身の姿勢であったならば、「キャリア・デザイン」は、特になくてもすんだ。しかし、自立的に仕事に取り組むためには意識の中に「キャリア・デザイン」が必要なのである。
次に、職員の意識改革を進める上での組織レベルの課題は、管理職員の価値観の改革である。従来から管理職員は退職目前の者が充てられてきたため、仕事に取り組む際の意識は「大過なく」となりがちで、部下の意識改革には、むしろ障害となっていたのだ。管理職のあり方に注目すると、いったん管理職になると降格は、まずない。そして管理職のポストが空くのは退職待ちという状況。これでは管理職には、実質的に「制度的な年功序列性」が温存されていると言えよう。そして、管理職の精神面を見ると、年功序列により一番長くその組織で働き、古い価値観が染み付いているのが管理職なのである。もともと保守的な行政組織文化と、部下を監督・指導する立場にある管理職員の退職目前にした「大過なく」という価値観があいまって、どうやってもチャレンジングな組織文化にはならなかったのだ。
これらの状況を改善するには、管理職を年齢によらず能力・実力で選抜し、更にいったん管理職に昇進したあとも、管理職全員を評価し一定割合を降格させるような制度に変更することにより、管理職に絶えず仕事の成果を意識させ、そのことによりまず管理職の意識改革を図ることが重要だろう。管理職がポストをかけて成果を問われることで、その意識が「大過なく」から「チャレンジ志向」へと変わったとき、部下の行動も変わり、組織として行動の変化まで含めた意味で、職員の意識改革が達成されるに違いない。年齢によらず、できるだけ多くの適格者を管理職に配置することが組織における意識改革のブレイクスルーになるだろう。求められているのは単なる給与制度の改革レベルの対応ではなく、人と組織の抜本的なイノベーションのはずだ。
いったん管理職に昇進させても、定年まで無条件で管理職におくのではなく、毎年、管理職全員を対象に入れ替え評価を行い、一定割合(定年退職者以上の人数)を必ず入れ替えることで競争環境を担保する必要がある。一度出世レースから脱落したら終わりという、無謬主義や保守性を組織文化から一掃し、チャレンジングな組織文化に変えていくためには、ポストと人を固定するのでなく、その時々の、旬の人材がキープレーヤーになるべきなのだ。
注
1.二つの改革に共通する事項の詳細については、武田安正ほか(2000)「役所の経営改革」日本経済新聞社、を参照されたい。
2.地方公務員の任用が、地方公務員法の規定から、かけ離れた運用が続いてきた経過は、稲継(2006)を参照されたい。
3.アメリカでは管理職の交代そのものは革命でもなんでもないこと、及び「交代させること」ではなく、「交代させる速度」が重視されていることについては、武藤泰明(2006)「日本企業の人事システムが取り戻すべきもの」ダイヤモンド社『Harvard Business Review』2006.11月号、を参照されたい。
参考文献
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武藤泰明(2006)「日本企業の人事システムが取り戻すべきもの」ダイヤモンド社『Harvard Business Review』2006.11月号
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山中俊之(2006)「公務員人事の研究」東洋経済新報社
横浜市(2005)「職員仕事満足度調査」
御礼が遅くなり申し訳ないです。
楽しく読ませていただきました。
当方も論文書いたものがありますんで送りますね。
うれしく思います。
今回論文を書く上で、
「読んで面白いものを書く」
というのを目標の一つにしていました。
当方は、白川さんから送って頂いた、
「国立大学の産学連携・地域社会貢献とアカデミックプロフェッションのための組織マネジメント」(広島大学論集)を拝読しています。
国立大学の変容と課題を、NPMの視点から分析されているのは卓抜な着眼ですね。まだまだ熟読させていただきます。