(GPIFの問題)
12月18日付け、日経新聞一面から。
公的年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は、
預金の預け先である、銀行が日銀に支払うマイナス金利分を
負担する方針を固めたそうです。
GPIFの預金は10兆円規模。
国債金利の低下などによる預金の運用難で、
銀行は日銀に預けています。
しかし、日銀がマイナス金利を行っているので、
利子がつくどころか、
逆に年間数十億円程度の金利負担が生じているのです。
これってどうなんでしょう?
GPIFは、国民の払った厚生・国民年金を運用して、
将来支払うために増やすのが仕事です。
銀行が預金者に対してマイナス金利の条件で
お金を預かるなら、預金者はそれを負担すべきです。
しかし、GPIFが預金した銀行が、
預けたお金をどう運用するかは、銀行の判断であり、
GPIFの責任ではありません。
GPIFが、銀行対日銀間のマイナス金利を負担する
根拠はないのではないでしょうか。
年金を増やすことが目的の団体が、
根拠なく銀行の負担を肩代わりするのは、
存在意義が問われると思います。
商法の特別背任のような印象を受けました。
(あの人は通だね)
同じく、12月18日の日経新聞から。
国文学研究資料館長:ロバート・キャンベルさんの
インタビュー記事から。
江戸時代にはこんなエピソードもある。
「差別」は日本語ではネガティブな意味だが、
当時も同じ漢字で「しゃべつ」と読んだ。
日常で何を食べるか、どういう事業を立ち上げるか、
といったことを一つ一つ仕分けしていくことを意味した。
取捨選択ができる人はいろいろなハードルを越えていける。
それができる人が「通」(つう)であり、
江戸時代の人たちの理想のあり方だった。
流される生き方はお湯の中にいるようで
心地よいかもしれないが、
能動的に判断して達成し、自分にしかできないことを
見つけてほしい。
「あの人は通だね」という言葉は現代にもあります。
その意味は、能動的に判断できる力を持っている、
ということだったんですね。
いろいろな世界に通の方がいらっしゃいます。
ぬるま湯の中で流されるのでなく、
私も「通」の境地を目指したいと思います。
12月18日付け、日経新聞一面から。
公的年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は、
預金の預け先である、銀行が日銀に支払うマイナス金利分を
負担する方針を固めたそうです。
GPIFの預金は10兆円規模。
国債金利の低下などによる預金の運用難で、
銀行は日銀に預けています。
しかし、日銀がマイナス金利を行っているので、
利子がつくどころか、
逆に年間数十億円程度の金利負担が生じているのです。
これってどうなんでしょう?
GPIFは、国民の払った厚生・国民年金を運用して、
将来支払うために増やすのが仕事です。
銀行が預金者に対してマイナス金利の条件で
お金を預かるなら、預金者はそれを負担すべきです。
しかし、GPIFが預金した銀行が、
預けたお金をどう運用するかは、銀行の判断であり、
GPIFの責任ではありません。
GPIFが、銀行対日銀間のマイナス金利を負担する
根拠はないのではないでしょうか。
年金を増やすことが目的の団体が、
根拠なく銀行の負担を肩代わりするのは、
存在意義が問われると思います。
商法の特別背任のような印象を受けました。
(あの人は通だね)
同じく、12月18日の日経新聞から。
国文学研究資料館長:ロバート・キャンベルさんの
インタビュー記事から。
江戸時代にはこんなエピソードもある。
「差別」は日本語ではネガティブな意味だが、
当時も同じ漢字で「しゃべつ」と読んだ。
日常で何を食べるか、どういう事業を立ち上げるか、
といったことを一つ一つ仕分けしていくことを意味した。
取捨選択ができる人はいろいろなハードルを越えていける。
それができる人が「通」(つう)であり、
江戸時代の人たちの理想のあり方だった。
流される生き方はお湯の中にいるようで
心地よいかもしれないが、
能動的に判断して達成し、自分にしかできないことを
見つけてほしい。
「あの人は通だね」という言葉は現代にもあります。
その意味は、能動的に判断できる力を持っている、
ということだったんですね。
いろいろな世界に通の方がいらっしゃいます。
ぬるま湯の中で流されるのでなく、
私も「通」の境地を目指したいと思います。