K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

父の13回忌

2017年11月11日(土)晴


父の13回忌に私と弟の家族が集まりました。全員といいたいですが、ロッタちゃんが6日に出産したので、まだ無理、あとはみんな揃いました。弟のところの子どもたち(兄妹)まだ未婚なので、弟一家は4人、こちらは8人です。
父は91歳で亡くなったので、生きていれば100歳を超えました。父は大正3年(1914年)生まれです。この年は第一次世界大戦の始まった年でもあります。17歳の時に満州事変が勃発しました。満州事変に続いて日中戦争となり太平洋戦争へと進みました。太平洋戦争終結の1945年に父は31歳となりました。おそらくこの年代の男性は召集令状によって戦争に駆り出された期間が一番長い世代ではないかと思います。17歳から31歳まで戦争を続けていたのですから(15年戦争ともいいます)。最初は中国の南、そして太平洋のトラック島。移動の時はどこに行くのかもわからず命令されていたようです。トラック島から生きて帰れた兵隊さんは少なかったようです。父が無事復員できなかったら私は生まれてこなかったと、背筋が寒くなる思いです。1946年に父は復員して母との結婚生活を始めました。両親の結婚は戦争中でしたので式もあげず、新婚生活もなく、父は戦場、母は実家での生活でした。

戦争を始めた日本は戦争を終わらすことができず、戦争にまきこんでしまった国々の人々、日本の国民に犠牲を出しました。ポツダム宣言をようやく受諾したことにより戦争が終わりました。ポツダム宣言は日本よ、無条件降伏しなさい、軍隊を解体しなさい、民主国家になりなさい。でした。それを受諾し、戦争が終わり、ポツダム宣言にそう国家作りの第一として、日本国憲法ができました。その3つの柱が「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」です。そして、ポツダム宣言受諾を前提としたサンフランシスコ講和条約で主権を取り戻し(独立)ました。20世紀は何とか他国と戦争をせず第9条を遵守しました。ところが安倍政権となり、改憲は当然のことのような政治の進め方です。改憲に進む前に、この憲法では国民の生命財産を守ることができない理由をはっきりさせてもらいたいです。私は安倍政権の改憲こそ国民の生命財産を守ることをできないと思うのですが(武力で対抗しても、威嚇しても平和はえられないと信じています)
・・・今日のブログ更新の直前にはこのようなことを書こうとは思ってなかったのですが、父の人生の前半を書いてしまったので、ついつい・・・

父の家庭生活は穏やかでした。最初は物資に不足する時代でしたが、次第に高度経済成長期の流れとまじめな人柄があいまって順調に定年を迎え、その後30年ほどよい生活を続けました。





今の私は父母の賜物と感謝しています。

コメント一覧

K RAUM
http://yaplog.jp/kraumjp/
>カミナンド記さん、

ありがとうございます。「パックス ヤパーナー」(パックス・ローマーナ―をもじってみました)は安倍政権で終わるかな、と、ならないことを願います。
カミナンド記
http://yaplog.jp/scbolivia2006/
お父様の13回忌、来し方を思い出されいいご供養になりましたね。私の父も同年代、(4才年下ですが)重ね合わせて共感しながら読ませていただきました。
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