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顔ハメパネルの奥には、東虎口櫓[ひがしこぐちやぐら]門と左側には南櫓 虎口とは
城の出入り口の事
明治時代には、民間に売却されていた南櫓と北櫓は、明治11年までに移築され、上田市の北方の太郎山麓に設置された上田遊郭として、‘金州楼’・‘万豊楼’ という遊女屋(貸座敷)と利用されていました
櫓は土蔵より使い道がなくて、土蔵は240円の払い下げ価格がつき、市内に、穀蔵一つとして移築された土蔵が残っているそうです
櫓は売れずに、1棟6円で分売されたそうです
1949(昭和24)年 南櫓と北櫓が。 1994(平成6)年 城門が復元され、かつての東虎口櫓門の姿がよみがえりました
1585年の第一次上田合戦では、徳川軍が、この門の前まで攻めてきたそうです
第一次上田合戦
真田軍2000に対して、徳川軍は7000でしたが、様々な罠で徳川軍を撤退させました
東虎口櫓門の前には、桜が植えてあり、上田城跡公園内の敷地には、約1000本の桜があり、4月上旬から中旬には、‘上田千本まつり’ が開催されるそうで、桜が綺麗だそうです
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