雨上がり、少し濡れながら上の段に行った。未だ竹やぶは水滴が付いていて 歩くと雨が降っているように散る。時々季節はずれなのか鶯がホーホケと啼く。最後迄ホーホケキョと啼く時もあるが省略してホーホケで終わる奴も多い。思いを遂げ務めを果たしてこんな啼き方なのか、それともあぶれた雄が寂しげに啼くのか聞いたわけではないから知らない。でも確かに未だ鶯は囀っている。そんな中、雨後のたけのこを掘りに行く。もう必要はないがたけのこ掘りは面白い。探せばいくらでもあるだろうが適当な大きさのを2本採った。気晴らしの為にも良い。健康の番組で朝太陽の光線を浴びるのが大変大事といつも云っているから体の為にもなる。竹やぶは日が射さないが、うちの竹やぶは東南が崖となっているので日当りは抜群。張り巡らした根には充分日が射す。孟宗の所だけは自分の笹の葉で薄暗い。鬱蒼たる竹林でも竹の子は充分出る。今年の竹の子採りはこれで終り。食べ切れないもの・・・鶯ともそろそろお別れ。次は郭公が出て来る。春も終りか。
仏壇に飾った牡丹が散った。下にふたひら落ちている。それをいとおしそうに拾った。はなびらは未だ咲いている時と同じで萎れても枯れてもいない。拾って仏壇を見たら今散ったのか半分くらい落ちていた。私は子供の頃読んだ中国の神話を思い出した。大体仙人が出て来るはなしが多い。ある時代の庭園の世話をするじいやが、牡丹を愛し、愛し抜き牡丹の花びらが散る度に全ての花びらを拾い、大きな甕にしまって大事にしていた。春も終わろうとするある日、庭園に神女とも見紛う程の美しい妙齢の美女が現れ、老爺に花びらの詰まった甕を指指し、「これにお入りなさい」と云った。老爺はそのまま甕に入った。そこは甕ではなく、一面に牡丹の咲き乱れる花園で沢山の美しい仙女がいた。大事に拾われていた花びらは みんな美しい牡丹の精として老爺に恩返しをする日を待っていた。庭番の老爺は其処で仙人となり、牡丹の精と美しい美女に囲まれて暮らしたというお話。