有名な 島崎藤村は、私が中学2年生の頃、仲良しの幸子さんと共に夢中になった詩人であり小説家です。林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり・・・長く続く美しい詩は恋も知らない15,6歳の少女を熱中させるに充分でした。未だ年若くこれでもませている方でした。島崎藤村に熱中し、与謝野晶子に心を奪われ、担任副担任の先生の感化で漢詩にも影響を受け、次第に私は万葉集に誘(いざなわれて)行きます。英語も中学時代から始めたものですが、アルファベットには字の意味はありません。そこで日本語の良さを知り、国文科への道が次第に開かれていったのです。最初は字の成り立ち、象形文字の勉強をしたかったのですが、いつの間にか、1字の成り立ちより文章に惹かれてまいりました。今でも社会人向けの成人学校に入りたいと思っております。死ぬまで勉強とは私の亡くなった母が常に云っていたことばですが試験は嫌いでも新しい事を知るという事は楽しい事ですよ。
世界で1番美しい言語はフランス語と聞いたが、私にとってはそれは耳から聞くフランス語だ。フランス語が出来るわけでもなく話す事も出来ないが、確かに耳から入る言葉はフランス語とが1番美しい。原子力発電の事でサルコジ大統領の演説を聴いたが、他の国の大統領より良かった。目で見るほうは日本語で、特に変体仮名などは超のつく芸術作品である。昔書道で栃木県でトップと云われた小滝先生に教えを受けたが、やっているうちに読めないような流麗な仮名で掛け軸などをかくうちに、自分でも読めず、見る方も読めないような書は書く意味はないと思い、やめてしまった。日本語で耳から入る言葉は京言葉が美しい。 東北地方の訛りのきつい話し言葉も好きな物のひとつ。でもテレビの普及のせいで昔のような誰が聞いても分らないような話方をする人はいなくなった。でもわざと訛りを強調して笑いを誘うようなあのやり方は頂けない。地方の言葉は純朴であってこそ価値がある。わざとらしいのは何でも嫌いっ!
トンネルを抜けると明るい夏の陽射しが入って来た。ここは信州、幾つものトンネルを抜けないと甲州には入らない。甲州に入ったら甲州ぶどうを買う予定でいた。うつらうつらしながら高校2年生の彼女は安曇野のせせらぎを思い浮かべていた。流れのもとのひともとは、みそらの色の水あさぎ・・・とか島崎藤村の詩を思い浮かべながら彼の面影を追っていた。其処には初恋とは未だ呼べないような淡い想いが渦を巻いていた。77歳にもなるとそんな思いは全くなくなるが、朝ドラのおはようで安曇野という地名をみて、そんな想いが蘇ってきた。旅の想い出は懐かしくもうらがなしい。今朝の自宅に回って来た回覧板には、東校地区の運動会が6月4日に行われ、70歳以上の高齢者をご招待しますとあり、該当者にそれぞれの名宛の招待状が挟んであった。そしてその招待状には裏に東校の生徒さんからのお手紙が書いてあります。とあった。裏返してみると“おじいちゃん、おばあちゃん、お元気ですかと招待の趣旨が書いてあった。”おじいちゃん、おばあちゃん・・・間違いなく私はおじいちゃん、おばあちゃんの部類に入る。あああ・・・
そう聞かれて彼女は“あなたと同じ事よ”と答えました。 それを聞いた彼女は“あーら、いやらし・・・・・”と云ったそうです。以前聞いたフランスの小咄です。あーら、いやらし・・・の中身はさておき、人間の考える事は大体同じようです。あなたなら何をお考えですか?
朝暗いうちに目は覚ます。起きると云うわけではない。又寝てしまう時もある。今日は雨が降っているので山には行かない。ちょっぴりと(たけのこがこれで又伸びるかな)と思った。竹はまだ芽を出し続けている。昨日崖から転落して竹の子はもう絶対に終わりだ、と思ったが崖に足を踏み入れるような事をしなければ良い。自分の山のたけのこ狩りも面白い。多分明日雨が降らなければ私は必ずたけのこの傍にいると思った。2,3本は採れる筈。これも私の至福の時。
朝暗いうちに目は覚ます。起きると云うわけではない。又寝てしまう時もある。今日は雨が降っているので山には行かない。
ちょっぴりと(たけのこがこれで又伸びるかな)と思った。竹はまだ芽を出し続けている。昨日崖から転落して竹の子はもう絶対に終わりだ、と思ったが崖に足を踏み入れるような事をしなければ良い。自分の山のたけのこ狩りも面白い。多分明日雨が降らなければ私は必ずたけのこの傍にいると思った。2,3本は採れる筈。これも私の至福の時。
ちょっぴりと(たけのこがこれで又伸びるかな)と思った。竹はまだ芽を出し続けている。昨日崖から転落して竹の子はもう絶対に終わりだ、と思ったが崖に足を踏み入れるような事をしなければ良い。自分の山のたけのこ狩りも面白い。多分明日雨が降らなければ私は必ずたけのこの傍にいると思った。2,3本は採れる筈。これも私の至福の時。
朝まだき、カラスが騒ぎ出して少し経つとほーほーほーっとふくろうが啼く。時々鶯も混じる。今朝はずっと雨、これが1日続く。雨はやはり憂鬱なものだが、今日は金子眼科に行く日。こんなに曇っているのに目は霞まない。窓の外を良く見たが霞んでいない。こんな日は稀にしかない。昨日までのほぼ1週間は相当霞んでいた。そんな時は頭も霞む。余程自分自身を律しなければ負けてしまう。頑張って頑張ってそれでも大津波に襲われるよりましと思ってはいたが、やはり疲れる。だからこのようなすっきりとした視力の時は本当に嬉しく病院にも行ける。金子眼科の検査結果も殆どが○だった。何時まで続くかしれないが、ほんのいっとき私の至福のときであった。
昨夜は寒くてストーブのお世話になった。土曜日や日曜の昼間の様子では寒くなるとは思えなかった。それが一変してこの有様。やはり今年はいつもと違うようだ。月曜に出勤してきた社員は同じように暖房機をしまわなくて良かったと云っている。年々温暖化のせいで夏は酷暑に襲われるが、途中はめちゃくちゃ・・・日本の季節は美しい。季節だけでも春夏秋冬とはっきりしてくれると有難い。春は暑さ寒さの繰り返しで雨が少なく、農作業にも障る。私が困る位だから農家の方は尚困る。会社の前の田んぼに水が張られ、毎晩夜になるとゲコゲコと賑やかだったけれど、今はもう鳴き声は聞こえない。そして稲は順調に伸びている。1年なんてあっという間だ。人生もあっと云う間に終わる。私の先輩の児玉清も同じ年齢の長門博之も同じく亡くなられた。私は昭和9年生まれ。あと何年もつか?と思ったが、あっそうだ!女の方が平均寿命はずっと長い。それだけでもあと数年はもつ。嬉しいのか悲しいのかは分らない。悲しい方かな?生きるのに辛い時代になった。
今日は曇っていて目の霞みもいつもと同じ位。睡眠不足かなあと思いながら起きて午後は雨の降りそうな気配がしたので朝のうちに山へたけのこを採りに行った。昨日のうちに確認してあるが取れなかったものが3本ある。うちの山は岩盤なので取りにくい事夥しい。でもうちの山のたけのことなると何とかして採りたいと思うのは人の常。現場に行くとその付近に昨日までは気がつかなかったたけのこが崖の方に2本あった。やや大きく簡単に取れそうなのでそれを先にやっつけようとして・・・・・随分気をつけたのだがズックが竹の根に引っ掛ってずずずず・・・と転落。左手親指の腹に枯れ枝が3本右手上膊部内側に同じく3本ほど突き刺さってしまった。細い枯れ枝とはいえ3本も一緒に刺さると痛かった。急いで抜きとつたが結構血が出た。ズックを取ると直ぐに這い上がり、採ったたけのこは絶対に忘れずぶら下げて家に入った。良く見ると小枝は長いほうはあの時折ったが、先の方はそのまま刺さっている。抜くと血がでるかなと思いながら抜いたら血は出たがうちで処理出来る程度だった。今日は厄日。これで竹の子採りは終りにする。シーズンも終りだから。
人はどんな事でも知っていると云う訳にはいかない。人と会話をする中で何度も出くわす知らない文言。それは外国語だったり外国語だったり諺だったり多種多様。大体知っている事のほうが少ないのだから大概の事は知らないといって良い。でも、うちのパソコンの星野先生は大体知っている。どうしてそんなに何でも知っていらっしゃるのですか?と聞いたら商売上生徒さん(最高齢は85歳)から聞かれることが多いので、毎日外を歩き本屋と見れば必ずざっとでも見ておきますとの事だった。何、みんな受け売りですよというが、学校の試験ではないからそれで充分事足りる。今はインターネットというものがあり、検索すれば直ぐ分る。でも答えがあまりにも多く、答えを選ぶのも一苦労する。却って混乱する事さえある。だから私は字引派。知らない事はその場で教えて貰うに限る。