戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

23/05/21 戦争中はブリキのバケツ位で苛められた。

2011-05-21 16:29:47 | Weblog
朝ドラのおはようは私も同じ年代を生きた者として本当に興味深い。ただ、昭和16年、太陽の陽子さんは先生だけれど、私は1年生でバケツで苛められたのは4年生位だと思う。あの頃は物の少ない、というより無い時代だったので何でも盗まれた。私のクラスのお掃除用のバケツも盗まれたのか無くなってしまった。受持ちの先生はそれを許してくれない。みんなでお昼休みも返上して探したけれど見つからない。お昼休みが終わると全校生で地響きのsるような分列行進をする。バケツを探している私のクラスはそれにも参加出来ない。先生は口も聞かず恐ろしい顔をして睨めているだけ。小学生の我々は泣きながら探しているがもう探す所もない。その時、優しい男の高田先生がバケツを持って来て下さった。4年5組と墨痕鮮やかに書いてある。それを貰って睨めつけている先生に出したが、そんな事はお見通氏の先生はただ睨めているだけだった。その結果がどうなったかは覚えていない。終戦後の先生は幾らか変わった。戦争が元々怖い先生を一層そのようにしたのかもしれないが、戦争は時として人も狂わす。