くろちゃんの甲府城つづりⅡ

やまなしの甲府城跡や文化財のようすや活動を、
くろちゃんと仲間たちがなんとなく紹介するため再登場!

下関市 毛利秀元の串崎城石垣

2016年03月15日 | 甲府城調査研究所
慶長五年(1600)に毛利秀元の居城として改修された串崎城
いい石垣なのに、あまり知られてないようで、検索しても公式な案内はほとんどありません



どうやら関ヶ原合戦後、防長二カ国に減封となり萩城を居城にした毛利輝元。毛利秀元(元就の四男)(※)は六万石を配分されて串崎城を改修し、長府藩祖となったようです。しかし、やがて元和元年(1615年)幕府による一国一城令によって櫛崎城は廃城。
そんな時期限定の串崎城。修理改修がなければ、慶長五年以降の石垣になります。
わずかな遺構ですが、結構重要かも

下関のホームページより
大内氏の家臣・内藤隆春(ないとうたかはる)の居城として使用された後、毛利秀元(もうりひでもと)が再建し、居城としましたが、元和(げんな)元年(1615)、一国一城制(いっこくいちじょうせい)によって解体され、今では整備された石垣が残されています。この城跡(しろあと)からは、長府の町と周防灘(すおうなだ)が見渡せます。

※毛利秀元は毛利元就の四男穗井田元清の長子で、長らく嫡男に恵まれなかった毛利輝元の養子となった人物である。後に輝元に嫡男秀就が誕生したことから別家をたてた。
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甲州から紀州 養珠院(お万方)を訪ねて

2016年03月15日 | 甲府城調査研究所
山梨県身延にある県指定史跡養珠院さんの墓所は先代ブログでも紹介したとおり
旦那は当然 徳川家康です
そして、紀州徳川家初代藩主頼宣と水戸徳川家初代藩主になった頼房のママさん

何度か和歌山に来るたびに、養珠院さんの石塔実見を試みていたのですが叶わずいました

先日、念願の初実見
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