精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

豊玉姫命  からのメッセージ

2008年05月11日 | Weblog
人生を3次元で過ごすということは、自分の出来ないことを克服し、自分が神であることを再認識するためじゃ。
苦手と決めているのは、自分自身じゃということに気付くためじゃ
どうやっても出来なかった しかし、自分は、それが最初から嫌いではなかったのじゃ
認識の甘さから、勘違いが起き、間違えてしまう 一度の失敗が恐れを生み、
どんどん落ち込んで、もうしたくないと思い込むのじゃ。

宇宙の法則は、自分自身のありのままを認めて初めて、その束縛や呪縛から解放される。

自分がもっとすごいことが出来るはずとか、うぬぼれや、勘違いではなく、今出来ない自分も、悲しんでいる自分も、すべて受け入れること これが大事なのじゃ。
頑張ってもできなかった どうしても身体が動かなかった。
頭が真っ白になって、蒼白になった。しかたがなかったのじゃ。
それだけの器しかなかったのじゃ それだけしか、理解できなかったのじゃ。
みんなは出来ても、自分はできなかった。
まだ、そこまでストレスや、緊張の中でやりきるだけの心の大きさがなかったのじゃ。

もう出来るという自信は、どこから来ると思うか?
これは、自分が宇宙に繋がった、神と繋がった瞬間に起こるのじゃ

苦労してそうなるものではないのじゃ。
それが出来る 出来ないの差があるとすれば、繋がった瞬間を否定したり、 あまりに幸運すぎてはいけないという自己否定から生まれる。

苦労を重ねると、忍耐強くはなるが、自己否定が強くなるのじゃ
いつも、苦労している自分、辛い自分を愛してしまう。
そして、幸運を素直に喜べないのじゃ
辛い自分といると安心し、幸運なときは、後ろめたさを感じてしまう。
知らず知らずのうちに苦労を望んでしまうのじゃ。

さあ、ここから抜け出すには、どうしたらよいかの?

幸運な自分を愛することじゃ。
幸運は、どんなにたくさんあってもいい、まわりの人に遠慮などいらないということじゃ。
だからといって、それをいばると、人は嫌になる。

今の時代は、すべて競争じゃ 人の成功や幸運が気にいらないのは当然じゃ
すべてのひとが、勝った人を賞賛するわけではないのじゃ
人に賞賛してもらおうとするからいばったり、変な態度になってしまう
幸運に慣れていない人は、ここで必ずつまずくのじゃ

いやみや陰口、ねたみや尾ひれ、きりがない。
せっかく手に入れた幸運が居心地がわるいと感じると、また元にもどろうとする。
仕方がない、そちらに慣れてしまっているからじゃ
そういう幸運にも辛さがあるということを、不幸に慣れた人にはわからない。

幸運とは、自分が感じることで、すべての人が自分をほめてくれるという幻想から生まれるものではないのじゃ。
そなたが、「良かった」と思うこと。
これが何より大事なことじゃと認識することじゃ。
人に良かったと言われることが、幸運ではないという事じゃ

わかるかの?
自分の幸運を、ひとにゆだねてはならぬのじゃ 
人が何を言おうが、相手にされまいが、自分の幸運を祝うことじゃ 
不幸な結果にこだわるでないだれが否定しても、自分の幸運は、自分にしかわからぬのじゃ

小さな幸運から大切にされよ 
さすれば、もう少し大きな幸運が愛せるようになる

そして、お金持ちになった自分、夢が実現した自分、困難を乗り越えた自分が、大きな幸運を得た自分を愛することができるのじゃ。
不思議であろう?そういうものじゃ。
不幸が続くのは、それに気付くための大切なレッスンじゃ。
たくさん起これば、たくさん練習が出来るじゃろう

不幸に慣れると、本当に気の毒じゃ 
どうか、遠慮なく、まだまだなどと言わずに、
今 起きていることに感謝して、自分を愛せよ 幸運を愛せよ。

今、地球上のたくさんの民が そのワナにかかって、もがき苦しんでいる
早く気付いて、知らぬものに教えて下されよ 一緒に苦労を愛さないように              
   
豊玉姫命