異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

アフガニスタンに生命の水を(中村哲氏講演より )~国連職員より安全な日本人、私はみなに守られている。

2015-09-10 19:04:24 | 平和 戦争 自衛隊
砂漠化した地域に用水路を建設したペシャワール会だが、数百人の作業員だったようだ。
現地人が頑張った理由は、「1日3回食べること」「故郷で家族と一緒に生活すること」・・・。この二つの願いだという。
既に、16,500ヘクタールの灌漑を実現し、60数万人の生存環境を整えている。
アフガニスタンでは、共同体は準武力集団だとのこと。江戸時代やその前の郷士のような自治状況のようだ。
今までに知りたかったことだが、この講演文字おこしにより、アフガニスタンの素顔がかなりリアルに分かった。
江川 博章さんFBより)

アフガニスタンに生命の水を ペシャワール会 中村哲氏講演より  2015年9月2日付

8月30日、宇部市の渡辺翁記念館で開催された。山口大学医学部最大の学生団体である「山口大学国際医療研究会」の学生たちが主催・・・と紹介されている。
全文、文字おこしされたものです。下に、つまみ食い的に、抜き書きします。

 

○アフガニスタン 保守的なイスラム教徒。死亡者10人に1人。
・・・・ よくいえば自治性が非常に濃厚であり、悪くいえば割拠性が強い民族を束ねるのがイスラム教だ。各村や町にもモスクがあり、ときには行政よりも決定権を持っている。目にするニュースでは血なまぐさい印象が多いかもしれないが、実際にはそれほど変わった人たちではない。アフガニスタン人は私が見る限りでは世界でももっとも保守的なイスラム教徒で人人は戒律を律儀に守る。
・・・・ 私が行ったときはアフガン戦争の真っ只中。約10万人のソ連軍が侵攻していた。その後約10年間内戦が続き死亡者は200万人、国民の10人に1人が死に、600万人が難民になった。十数年前からはアメリカ軍、NATO軍の侵攻でさらに混乱が続き、「戦争」が現地民にとって非常に切実な問題となっている。

 

○干ばつと難民
・・・・ 数十万㌶が沙漠化し、多くの難民が発生した。診療所には若いお母さんたちが子どもを抱き、何日もかけて歩いてくる。生きてたどり着くのはまだましで、たどり着いても順番待ちで並んでいるあいだに腕の中で冷たくなっていく光景はごく日常的に見られるものだった。
・・・・ アフガニスタンは自給自足の国だが、水がなくなれば汚水を口にして下痢になる。作物も育たないため慢性的な栄養失調に陥り、簡単な病気で命を落とす。清潔な水と十分な食べ物さえあれば、ほとんどの患者が死ぬことはなかったと思う。

 

○9.11以降の空爆と食糧難
・・・・ (2001年10月開始の)空爆は激しかった。日本人の空爆の記憶は、おそらく太平洋戦争で途切れているが、最近の戦争はあれ以上に高性能で、巧妙で、非人道的な爆弾が使用される。ボール爆弾や、人間だけを死傷するクラスター爆弾が大量にばらまかれた。一方で「人道的」支援と称して食料を投下するが、クラスター爆弾とまったく同じ黄色い包みに食料を入れて落とす。それを拾いに行った子どもたちが犠牲になるなど、犠牲になったのは子どもや女性、お年寄りなど弱い人人だった。
・・・・ 無差別爆撃のなか、食料を配ることは至難の業だった。職員20人が1発の爆弾で全滅する可能性は十分にあったため、3つの部隊に分け、たとえ1チームが全滅しても他の2チームが任務を敢行するようにした。活動の底力となったのは同胞のためには命も省みない勇敢なアフガン人であり、これによって私たちの活動は支えられた。

 

○米軍進駐後、麻薬と売春
・・・・ タリバン政権が11月になって崩壊し、米軍の進駐が始まった。世界中で「極悪非道の悪のタリバンをうち破り、絶対の自由と正義の味方、アメリカおよびその同盟軍を歓呼の声で迎える市民の姿」「女性抑圧の象徴であるかぶり物を脱ぎ捨てて、自由をうたう女性たちの姿」の映像が、くり返し嫌というほど流された。
・・・・ 実際には何ができていったか。それはケシ畑だ。タリバン政権はよくない面もあっただろうが厳格な宗教制度によってケシ栽培を徹底的に取り締まり、ほぼ絶滅していた。それが盛大に復活し、数年を待たずしてアフガニスタンは、世界の麻薬の90%以上を供給する麻薬大国となった。
 解放されたのは「ケシ栽培の自由」「女性が外国人相手に売春をする自由」「働き手を失った人人が街頭で乞食をする自由」「貧乏人が餓死する自由」だといって間違いではないと思う。実際に当時、飢餓線上の人口は400万人といわれていたが、現在760万人に増えている。アフガニスタンはますます窮地に立たされている。

 

○2003年より用水路建設へ 「沙漠化で無人化した村村の復興」をスローガン
・・・・ (前略)まず道具がない。ツルハシとシャベルのみだ。もう少しお金を貯めて立派な日本の技術、技術者を呼ぶことも考えたが、長い目で見て、だれがその水を使い、用水路を維持管理するのかを考えたとき、現地の人人でも建設でき、現地の人たちの手で維持され、何世代にもわたって使える施設にするには、現地の人の手で直せるものでなければならなかった。 
 日本とアフガニスタンは、非常に異なる国のように見えるが、水に関しては非常に似た点が多い。どちらも山の国で急流河川が多く、夏と冬の水位差が激しいこと、山間部の狭い地域や小さな平野での農業が主流であり、水をとり入れる技術に似た点がある。現在の農村は日本の中世の農村部の自治制と似た点がある。このため日本の昔の技術をアフガニスタンにとり入れようと考えて探し回った。
・・・・ 用水路が次次とでき、10年ほど前から用水路が延びるたびに緑地が蘇り、荒れた村村が回復して多くの人人が村に帰ってきた。
 最後にたどり着いたのがガンベリ沙漠で、ここが一番の難航地だった。工事は真夏で、摂氏53度にまでなる。数百人の作業員のうち、毎日十数人が熱中症で倒れる。それでも彼らが作業の手を休めなかったのは「1日3回食べること」「故郷で家族と一緒に生活すること」、このたった2つの強い願いがあったからだ。それさえもかなえられずに難民化した彼らにとって、この用水路ができなければ、元の難民生活が待ち受けている。「なんとか生き延びたい」という健全な意欲が、用水路建設の大きな底力となった。2009年に第1回目の試験的な通水が成功したときに彼らは大喜びし、開口一番「先生、これで生きていける」といった。

 

○日本と日本人について 国連職員より安全な日本人
・・・・ 広島、長崎についても、同情心だけではない。アフガニスタン自身もロシアと戦い、イギリスを撃退して現在の体制を整えてきた国で、その経験から「羽振りのいい国は必ず戦争をする」といわれる。日本も同じように戦後の荒廃から立ち上がった国だが、一度も外国に軍隊を送ったことはないという信頼だ。日本人は国連職員よりも安全だというのが一昔前まで一般的だった。しかし、そのメッキが少しずつはがれつつあるのが現状だ。
・・・・ 日本の政権については、こんなバカな政権はない。向こうではみな権力に対して従順でない気風がある。対照的に日本人ほど権力に弱い国はないと感じる。現政権がアフガニスタンに出現したとするなら、もう何十回か暗殺されている。その点が日本との違いだ。個人的なことをいうと憲法に従う義務はあるが、政権に従う義務はないと考えている。

 

○共同体は潜在的な準武力集団
・・・・ 現地には日本のような厳密な警察組織はない。それでいて回る共同体だ。自分の身は自分で守るのが鉄則。日本人がよく「丸腰で活動するなんて」というが、現地は百姓と武士の区別がない。500人作業員がいて、もし作業を妨害するグループがあらわれたとすると、ライフルや小銃などを持って集まって、すぐに一個中隊ができる。普通は鉄砲を見せびらかさないが、潜在的な武力を持った準武装集団だ。用水路を守るためにはみなたたかう。しかしその必要がないよう、まずは平和的な交渉をしていこうとしている。
 私もみなに守られている。用水路は命にかかわるので、「中村とは運命共同体だ」ということで大事にしてもらっている。その地域で役立つ人間である限り、私は身の危険を感じずに済む。作業員のなかにはイスラム国やタリバンなどもたくさんいるが、彼らのなかには、やむをえず傭兵になった人がたくさんいる。敵かどうかは、自分たちと運命共同体であるかどうかと密接に関係している。路上では爆弾事件が増えているので注意はするが、作業場ほど安全な地域はない。

 

 


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