異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

【東北大震災】引き続き、ご支援を。『東北ヘルプ』~変わらぬ想いを届け続ける Café de FUKUSHIMA 活動報告

2017-03-11 22:09:05 | 東北大震災

http://touhokuhelp.com/index.htmlより転載

 
 

変わらぬ想いを届け続ける
Café de FUKUSHIMA 活動報告



2011年3月18日。
東北ヘルプの支援活動は、世界から届けられた大量の物資を、
必要なところに運搬し、分配するお手伝いから始まりました。 
物流がある地域には物資が過剰に溜められ、
物流がない地域には全く不足していました。
それらをどうやって被災者のところまで届けるか。
人員が不足し方法も手探りの中で、活動は進められたのでした。
感謝なことに、多くの方との協力の中で支援は組み上げられました。

物資には支援をしてくださった方のお心がこもっていました。

「一日も早い復興を祈っています。負けるな!」
「復興のために私も頑張ります」・・・。

2011年3月22日。JIFHさまと協力をし「パンの缶詰」を仙台市・六郷に搬入したとき、
その缶の一つ一つにお送りくださった方々の手書きのメッセージが書かれていたことを思い出します。

震災から5年10か月、支援の形はその時に合わせて変化してきました。
ですが、支援してくださる皆様が届けてくださるお気持ちは今も変わることがありません。
そしてそのお気持ちを届けるという意味では、
わたしたち支援者の仕事もまた、変わることなく続いてきたと言っていいのかもしれません。

「Café de FUKUSHIMA」石川さんの支援活動のご報告を紹介させていただきます。
石川さんの活動を支えるのも、やはり皆様の変わらぬ想いです。
それを教会では「祈り」と呼んで、
その灯を大切にし続けているのではないでしょうか。


(2017年1月26日 東北ヘルプ理事 阿部頌栄)
 
変わらぬ想いを届け続ける Café de FUKUSHIMA 活動報告
東北ヘルプの支援活動は、世界から届けられた大量の物資を、必要なところに運搬し、分配するお手伝いから始まりました。物資には支援をしてくださった方のお心がこもっていました。そしてそのお気持ちを届けるという意味では、わたしたち支援者の仕事もまた、変わることなく続いてきたと言っていいのかもしれません。・・・・・・
「避難」と「暮らし」を見つめながら Café de FUKUSHIMA 活動報告
今年度は、被災者にとって大きな変化の年になります。多くの地域で帰還と自治体の再開が予定されているからです。ですが現在避難されている方々のお気持ちは複雑です。そこには「帰還」と「暮らし」との間の苦悩がにじみます。
震災から6度、年が改まりました。残酷な時間の変化の中で、多くの方が懸命に「暮らし」を重ねております。石川さんのご報告から、祈りを新たにしてまいりたいと思います。
「奉仕」ということ
2016年秋、ノルウェーの神学生であるマルタ・フロイランさんが、東北震災の現場で実習をしてくださいました。その報告をいただきましたので、右に掲載いたします。
生きる場としての被災地 Café de FUKUSHIMA 活動報告
----鳥取での大きな地震の知らせに驚いております。まだ詳報は届いておりませんが、現地の方々に神様の守りがありますように。----
被災地とはどのような場所でしょうか。そこには今も、地元の方々の生活があります。5年7か月を経た被災地の今を、石川さんがご報告くださいます。
訪ねる 出会う Café de FUKUSHIMA 活動報告
人を訪ねる。簡単なことだと感じられるかもしれませんが、それを定期的に続けることは、やはり大きな働きであるといえます。そのとき、心の内から湧き出るような力を求められるのです。あるいは祈りのうちに支援が進められるとき、それは、自分の持っている力を頼りとすることではなく、祈りによって与えられる力を見つめることなのかもしれません。
私たちにとって平和とは何か ―キリスト教社会福祉の使命―
日本キリスト教社会福祉学会第57回大会(2016年6月24日~25日・関西学院大学)に、川上事務局長が登壇し発題しました。その 発題内容を以下にご報告します。
「『障碍者』と災害」 講演録
被災地では、社会の弱さ・痛みが、はっきりと露出してきます。社会の弱さを(あるいは押し付けられながら)担っておられる方々の痛みとして、被災地には、社会の弱さと痛みが露出します。このたび、「キリスト友会東京月会」さまが、「東京フレンド」誌上に、講演の要旨を載せてくださいました。ここに感謝を込めてご紹介いたします。被災地の現場から、古くからある課題の新しい切り口が示されればと願っています。
関わること 援けること Café de FUKUSHIMA 活動報告
支援の根っこにあるものは、当事者と支援者、つまり人と人との関わりの中から現場の声を聞くことに他なりません。現場の声にはなかなか問題の出口が見えないと感じられるかもしれません。ですが大事なことは、ここには解決の糸口、出会いと多くの関わりが記されています。そこからどのような道をたどって、問題の出口を目指していくのか。その道を当事者と共に歩むのが支援なのではないでしょうか。
生活の声を聞く Café de FUKUSHIMA 活動報告
いよいよ「住」に関わる支援が佳境を迎えています。 津波被災地では、仮設住宅の閉鎖・集約が始められました。放射能被災地では、再居住への懸念が厳然と存在します。これらの声は、現場に出向くことでようやく聞こえてくる、生活の声にほかなりません。石川長老のご報告からぜひこういった現地の声、特に居住という生活の最大の根幹再建の中にある声を、祈りに憶えていただきたく存じます。
報告:東日本大震災から熊本大地震へ
先月、4月16日を本震として発生した熊本震災への対応を報告させていただきます。4月18日から、東北ヘルプの川上事務局長と中澤理事が現地に入り、様々な方とお会いをさせていただきました。その報告書と中外日報様の記事、そして現地の写真をご紹介させていただきます。どうぞ熊本の被災地、被災者の皆様を憶えていただければ感謝です。
地域のつながりと自立。生きる力。Café de FUKUSHIMA 活動報告
被災支援の目標とは何でしょう。その目標の一つは、被災者、被災地の自立ということができるでしょう。そのためには地域のつながりが大切になってきます。つながりは人の生きる力を支えてくれるからです。石川長老のお働きでも、このことを大切にされておられるようです。被災地の方々の自助として、自治体がどのように運営されているか。またその働きがどのように再建されていくか。どうぞ皆様の祈りに覚えていただければ幸いです。
報告:熊本・大分地震への対応について
表題の件について、以下の通りご報告いたします。
1.先週末に「本震」が移動した熊本の地震の被災現場へ、東北ヘルプの業務として、中澤理事と川上、そしてOMの宣教師2名が、二台の自動車を用いて、物資支援に、本日向かいます。・・・
人の手の温もりある支援を。 Café de FUKUSHIMA 活動報告
熊本・大分の群発大地震への東北ヘルプの活動報告はこちらをご覧下さい。
福島の被災者からこんなお話しを良く伺います。支援者にゆっくりとした交流の時をつくってもらいたい。さりとて現在、支援者は眼に見えて減少しております。そこに被災者の寂しさが重なってまいります。だからこそ、支援者の方々の訪問は心から喜ばれています。こういった機会を作り、提供することが、今大きな意味を持っています。・・・
5年目の春を迎えて。 Café de FUKUSHIMA 活動報告
震災から5年目の春を迎えております。福島県北部で支援を展開されている石川和宏さんのご活動を報告いたします。今回の石川さんのご報告の最後にこのように記されてありました。「フクシマの被災者の皆さんと、時を共有するほど、『同情と共生』から距離を置くことはできなくなる。」場所が離れておられる方も、祈りにおいてはともに現場に立つことができます。祈りの中で「同情と共生」を求めてまいりたいと思います。
痛みの声に学びながら 「世界核被害者フォーラム」速記録
2015年11月21-23日に、広島国際会議場にて「広島・長崎被爆 70 周年 核のない未来を! 世界核被害者フォーラム」が開催されました。会議の中で語られたのは、世界中の核被害者の方々の痛みから生まれる声です。こういった声が集まる場に、東北の被ばく者の声も寄せ続けなければならないのでしょう。どうぞご高覧いただければと存じます。
ハートニットプロジェクト 「こうべガーデンカフェ」のご報告
ハートニットプロジェクトは、仮設住宅で過ごす人々に、ニット作品の製作を通して、交流と心の癒しを分かち合うことを目的として、活動が始まった支援活動です。活動は大きく展開します。その上質な作品の仕上がりから、販売が計画されるようになり、販売の結果を皆で喜び合う、良い循環も生まれました。今回、こうべガーデンカフェに参加されたご報告を頂戴いたしましたので、皆さまにご紹介させていただきます
同情と共生:原発被災者1200人にお会いして
2015年4月から、Café de FUKUSHIMA(カフェ・デ・フクシマ)を展開されている、石川和宏長老が東北ヘルプのニュースレターにご寄稿くださいました。ホームページだけの完全版です。「知らなければ同情はできないし、同情を欠いて共生はできないと思うのです。私にとって同情と共生とは、キリスト者として生きる証しです。」石川長老はそうお話しくださいました。ぜひご一読ください。
10月発行 東北ヘルプニュースレターの公開
私たちの働きは、支援のネットワークを構築することを目標としています。今回、私たちはこの10月に、ここ数ヶ月の活動や、そこから見えてきた展望を、ニュースレターの「9号」としてまとめさせていただきました。 そしてニュースレターを、わたしたちと新たにお繋がりを持ってくださった皆さまを中心に発送させていただいたのです。このニュースレターを今回、ホームページにて全体を公開させていただきます。
その地で生きる人々と共に
震災から4年と8ヶ月を過ぎました。被災者の皆さまのご生活と平安をお祈りいたします。 「Cafe de ふくしま」、石川和宏さんの活動報告をお届けさせていただきます。放射能被災地での生活は、苦しいものです。「共に生きる」ということがよく言われます。なぜ共に生きることを願うのでしょう。石川さんの報告書は、まさにこの問いを私たちに投げかけてくださっているように感じるのです。どうぞご一読ください。
出会いを通して
報告が遅れてしまいまして、お詫び申し上げます。今週から、また随時ホームページを更新してまいります。「Cafe de ふくしま」、カベナント教会の石川和宏さんの活動報告をお届けさせていただきます。石川さんのご報告は現在の被災地の人々の生きた声です。一つ一つの「出会い」を大切にするときだけ、そのような視野を持ちうるのではないでしょうか。石川さんのお働きの実にわたしたちも与らせていただきたいと思います。
支援者のお働きの中から見えてくるもの
宮城県南部から福島県北部で活動を展開されている 「Cafe de ふくしま」、カベナント教会の石川和宏さんの活動報告をお届けさせていただきます。東北ヘルプは、石川さんのお働きに幾ばくかの支援をさせていただいております。そしてその地道な支援から、被災地の現在が非常によく見えてまいります。支援者の皆さまから、たくさんのことをお教えいただいて、わたしたちの働きや、祈りが支えられているのだと思うのです。
「宗教者」に求められていること
今年、2015年3月11日に「中外日報」さまにご掲載いただきました記事をご紹介させていただきます。この震災の災害救援の中で、宗教者は様々な活動を行ってきました。震災から4年を迎えました。この4年の働きで宗教者の働きをどう振り返ることができるのか。「心の相談室」の働きでかかわりを持ってくださいました、金田諦應老師、鈴木岩弓東北大教授、川上直哉東北ヘルプ事務局長の全3ページの対談記事です。
連帯から目指す「核」からの解放
東北ヘルプの活動を取り上げてくださった、各メディアの記事を、皆様にご紹介させていただきます。今日は中外日報さまが、2013年12月19日に報じてくださいました、「世界教会協議会(WCC)」の報告記事です。 どうぞ、ご高覧いただきたく存じます。
仮設住宅でのディアコニア報告書 2015 年 6月 1日
支援活動で2つの忘れてはならないことがあります。一つは、今被災地で起こっていることをありのままに見つめることです。またもう一つを忘れてはなりません。常に客観的な資料を当たり、現状を分析することです。今回の石川さんのご報告は、末尾に詳細な資料を付してくださいました。支援の現場で最も必要な、「現場への密着」と「世界(情報)への直結」ではないでしょうか。すばらしい石川さんのお働きの成功を祈りつつ、お届けさせていただきます。
仮設住宅でのディアコニア報告書 2015 年 5月 15日
被災地の現在、支援の今を知るために、大切なことがあります。定点観測のように、一つの地域、一つの働き、一つの団体を追い続けることです。その変化をつなぎ合わせることで、はじめて全体像を俯瞰することができます。石川さんのお働きは被災地の今を知る意味で、最良のモデルではないでしょうか。どうぞ、報告書を通して、被災された方々の今と、石川さんのお働きを祈りに憶えていただきたいと願っております。
仮設住宅でのディアコニア報告書 2015 年 4 月 29 日
遅れてしまいましたが、放射能被災地で活動を続けられている、石川和宏さんの報告を皆さまにご報告させていただきます。放射能被災の事柄は、これからが支援の本番です。その働きは、長く、その場に寄り添うことが求められます。現在の、現地の方々の息遣いが聞こえてくるような報告です。 ご一読ください。
「エキュメニカル功労賞」受賞にあたって
このたび、東北ヘルプは日本エキュメニカル協会さまから「エキュメニカル功労賞」をお贈りいただくこととなりました。日本エキュメニカル協会さま並びに、東北の諸協会の皆さまに心からの感謝をいたします。どうぞ被災地のために、これからもお祈りをよろしくお願い申し上げます。今回頂戴しました、賞状、「エキュメニカル情報」の東北ヘルプの箇所、そして報道くださいました、キリスト新聞さま、カトリック新聞さまの記事を転載させていただきます。
原発の課題と私たち
わたしたちは宗教者として、被災地、被災された方々と関わっています。そういった取り組みの一つの形を、「臨床宗教師」と呼んでいます。わたしたちは、宗教者として現場に関わり、現場で言葉をつむぎ、そこに生きる人々と出会わせていただくのです。ご紹介させていただく記事は、そんな臨床宗教師としての福島での働きをキリスト新聞さまが記事にしてくださったものです。
「続 復興・被曝と祈りの力」
今週から定期的に、これまで東北ヘルプの活動や被災地について取り上げていただいた過去の報道を紹介させていただきます。今回は2014年7月の「朝祷」誌に掲載を頂きました記事を転載させていただきます。
原発、放射能をめぐる課題は巨大です。「祈り」は長い時を耐え忍ぶ中で必要なものです。どうぞ被災された方々の祈りが守られるように、皆さまの祈りの支えを願う次第です。
東北ヘルプ 2015年4月までの活動について
震災から5年目を迎えております。東北ヘルプは、これまでの活動の中で、標語を定めて活動の指針とさせていただいておりました。そしてこの2015-16年を望見する中で、新しい標語を「小さく、現場で」として、活動を行っていこうと話し合っております。今回は、2015年4月までの東北ヘルプの活動をまとめさせていただいた報告書を皆さまにお届けいたします。
震災5年目を迎えての新しい支援の働き
この3月で、東日本大震災5年目を迎えました。5年目を迎える中で、様々なご事情で撤退を余儀なくされた支援者の方もおられます。しかし同時に、現地の方々との出会いの中で、活動を具体化し、新たに始められている方もおられます。地道な取り組みをされている支援者の方々を、皆さまの祈りに憶えていただければありがたく思います。

2014年10月21~27日 東北ヘルプ業務報告

まず、21日火曜日夜に、東北ヘルプ代表の吉田先生と神戸でお会いできましたことは、まさしく僥倖でした。子どものころからの憧れであった神戸改革派神学校を、拝見できました。それに加えて、深夜まで報告と相談をさせていただき、私の今見えている事柄が、ずいぶん整理されました。
そこで見えた事柄は、これからのタイムスケジュールです。
復興・被曝と祈りの力(1)(2014年3月『朝祷』誌 収録)
2014年8月2日(金)、ドイツからシュナイス宣教師が来仙されました。世界に被災地を伝えること。それが、シュナイス宣教師のミッションでした。8月2日の朝5時、私はシュナイスさんと共に福島県の南端・いわき市中心部にある日本基督教団磐城教会、いわき市在住の母さんたち16名と、保養面談会が行われる会場(礼拝堂)へと向かいました。


 


【森友学園疑惑】安倍首相の教育改革のモデル校になる予定だった!?~森友問題の原点 安倍・松井・籠池を結びつけた「日本教育再生機構大阪」〔日刊ゲンダイ 2016.3.10〕

2017-03-11 21:35:52 | 森友学園疑惑

画像に含まれている可能性があるもの:4人

 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/201072/1より転載

森友問題の原点 安倍・松井・籠池を結びつけた団体の正体

2017年3月10日

19日に行われるシンポジウムのチラシ(右は、安倍首相、松井大阪府知事、籠池理事長=共同)/(C)日刊ゲンダイ

 

 森友学園事件の背景には、安倍首相を中心とする異様な翼賛と癒着の構造がある。その源流をたどると、“おかしなオッサンの思いつき”で済ませられない深刻な問題だということが分かる。事件の下地は、何年も前から用意されていた。やはり、どう言い訳したところで、これは安倍首相自身の疑獄だ。


■「伝説の2・26会談」で意気投合

 森友学園の籠池理事長は、安倍首相を「偉人」と称え、問題の土地に新設予定の「瑞穂の國記念小學院」も、当初は「安倍晋三記念小学校」の名称になる予定だった。だから、名誉校長には昭恵夫人が就いていた。そして、財政面も教育内容も問題だらけの学園にスピード認可を与えた大阪府知事は、安倍首相との親密さで知られる日本維新の会の松井代表である。安倍首相、松井知事、籠池氏――。この3人を結びつけたのが、「日本教育再生機構大阪」だ。

「1回目の総理大臣を辞めた後、失意の安倍さんを大阪に招いたのが維新の遠藤敬・現国対委員長だったんですわ。当時、会長をやっとった『日本教育再生機構大阪』のシンポジウムに呼んだんです。2012年2月26日のシンポジウムで安倍さんと対談したのが松井知事で、シンポ後の居酒屋会談でも教育再生について熱心に話し合い、すっかり意気投合した。僕らの間では、今も“歴史を変えた伝説の2・26会談”いうて語り継がれてます。その後も会合を重ね、12年の自民党総裁選に負けたら、安倍さんが党を割って維新と合流する構想まで持ち上がっていた。維新の側は代表の座を空けて待っとったんですわ」(維新関係者)

 日本教育再生機構は、愛国心教育を徹底し、歴史修正主義的な育鵬社の教科書を使うことを主張する団体だ。理事長は八木秀次麗沢大教授。安倍政権を支える「日本会議」のメンバーで、安倍首相の教育政策のブレーンだ。諮問機関の「教育再生実行会議」でも委員を務めている。八木氏自身も籠池理事長と交流があり、森友学園が運営する塚本幼稚園で講演を行ったこともある。

 機構は各地に支部があり、安倍首相と松井知事を結びつけた大阪支部には籠池理事長も出入りしていた。教育勅語を園児に暗唱させる塚本幼稚園は教育再生機構にとって“モデル校”のような存在なのだ。


■日本会議と二人三脚

 教育再生機構の共催で今月19日に行われる「シンポジウムin芦屋」のチラシを見ると、パネリストの中に「籠池町浪(かごいけ ちなみ/瑞穂の國記念小學院開校準備室長)」の名前がある。さすがに今回の出演は取りやめになったというが、名字と肩書を見れば分かるように、籠池理事長の娘だ。塚本幼稚園の教頭も務めている。

 教育再生機構と日本会議、森友学園、維新の会、安倍政権は一本線でつながる。というより、ほとんど一体化していると言っていい。

「日本会議と二人三脚で進めてきた安倍首相の教育改革が目指す将来像が、森友学園が新設予定だった“安倍晋三記念小学校”だということです。

 維新もその方針に共鳴してきた。全国に先駆けて『国旗国歌条例』を制定した大阪には、安倍首相と共通する意思、思想も浸透している。もし問題が発覚しなければ、小学校は4月に開校し、やがては中学校もできたかもしれない。安倍首相が教育改革でやろうとしていることを、教育再生機構と森友学園はひと足先に大阪で具現化しようとし、それを応援した人たちがいる。土地取引や認可の過程で、たとえ直接的な働きかけをしていなくても、安倍首相の問題に違いありません」(政治学者・五十嵐仁氏)

 この政権だから、起きるべくして起きた事件なのだ。


<追記>2017.3.11  

 3月19日の芦屋市市民センターでの主催:日本の歴史文化研究会(芦屋市社会教育関係団体)、共催:日本教育再生兵庫、後援:芦屋市・芦屋市教育委員会の集会(シンポジウム)の市内刑事のポスターが3日ほどで張り替えられた。
 
3月6日に改訂されたポスターでは6人のパネリストが4人になっていた。削除されていたのは籠池町浪瑞穂の国記念小学院開校準備室長、山田賢司衆議院議員

<関連記事>

「2年前も会ってる」「尻尾切りするな」森友・籠池理事長がYouTube 動画で安倍首相や稲田防衛相らに反撃 .... - リテラ

 


 

 


【朴槿恵大統領弾劾審判宣告全文】朴槿恵を厳しく断罪、『司法のプライド』、分裂を防ぐ苦心。& 自由と民主主義のキャンドル革命

2017-03-11 17:04:53 | 安保法制

薄っぺら~い朝日新聞の記事内容2017.3.11     広場は近隣の路地までろうそくの光で輝いていた。かけ声はまさに地鳴り。     

 
 画像に含まれている可能性があるもの:1人 午後8時前の世宗路十字路の様子。東の鐘路、西の西大門、南の市庁・南大門、北の光化門広場は近隣の路地までろうそくの光で輝いていた。かけ声はまさに地鳴りであった。

姜 聖律  2017.3.11

 今朝の朝日新聞。毎度おなじみの牧野愛博記者の新聞紙以上に薄っぺら~い内容の記事。弾劾の背景には経済の低迷による政権への不信があり、これによって韓国の社会はますます亀裂が深まる…と。「他人の不幸は蜜の味」かよ(一一”)

 弾劾宣告の全文をよく読めば、憲法裁判所が国民のこれ以上の分裂を防ぐためにどれほど苦心してこの文章を書いたかがよくわかる。

 [全文]憲法裁判所パク・クネ大統領弾劾審判宣告文 3/10 朝鮮日報

 どこからも反論できないように「全員一致」を優先させ、事実認定については必要最小限(崔順実の財団設立に伴う職権濫用)にとどめている。検察による捜査が進行中のサムソンの贈収賄については触れず、青瓦台の人事介入やセウォル号の7時間など、証拠が十分でなかったり法解釈が恣意的になる恐れがある部分に関しては不認定にしたり弾劾事由から外している。「政治裁判」という弾劾反対派の攻撃を封じるためだろう。

 その一方で、「軍事上の機密」を理由に青瓦台の家宅捜査を拒否し、真相究明にまったく協力しなかった朴槿恵を厳しく断罪したことは、たとえ大統領といえども司法の前には聖域ではないという当然の事実を確認したものだ。僕はそこに「司法のプラ...イド」を感じた。


 弾劾の背景に「ヘル朝鮮」と呼ばれる格差社会への不満が存在することは事実だが、それだけで毎週100万人の市民が集まり、暴発もなく平和的な集会を3カ月間にわたって続けるような奇跡的な事態が続くわけがない単純な「怒り」の吐出が無秩序な暴力へと転化することは、弾劾決定直後に保守派の一部が暴徒化したことを見ても明らかだ。

 キャンドルを掲げた市民たちは、政権への不満をぶつけるためではなく、人間が社会的な存在として生きるにあたって欠かせない自由と民主主義を守るために広場に集ったのだ。

 今回のキャンドル革命(弾劾が成立したのでこう呼んでもいいと思う)は、行政府の独裁に対して、市民、マスコミ、立法府、司法府がそれぞれの立場でけん制機能を果たしてブレーキをかけたというところに大きな意味がある。これこそ生きた民主主義ではないか。そこを読み取れないような記者は、ソウルでいったいどんな仕事をしているのか。


 ところで、「日韓関係 見つめ直す機会」という牧野記者の解説の中に、「戦後、韓国にとって日本は、歴史をめぐって対立する一方、互いに配慮する特別なパートナーだった」という一文がある。僕はこれを読んで何とも言えない気持ち悪さを感じた。まるでパートナーに暴力をふるいながら「俺はアイツを愛してるし、アイツも俺のことを受け入れてくれている」と言い放つDV加害者のようだと思った。確かにそういう関係は見つめ直した方がいいとは思うが。

 

<関連

韓国の朴大統領の弾劾は妥当 憲法裁が判断下す - BBCニュース

 

憲法裁の判事らは弾劾要求の審理を数カ月にわたって行った
憲法裁の判事らは弾劾要求の審理を数カ月にわたって行った

憲法裁の判事らは弾劾要求の審理を数カ月にわたって行った

 

【韓国キャンドル革命】 普通の市民が圧倒的な力を見せつけた - Blogos

 

blogos.com/article/201473/
2016/12/09 - ベビーカーを押すイクメンも最前線で「朴クネ退陣」を叫んだ。=11月12日、ソウル 撮影:筆者= ソウル・ヨイドの国会前広場では大統領下野を叫ぶ市民が旗を振っていた。

 

ベビーカーを押すイクメンも最前線で「朴クネ退陣」を叫んだ。=11月12日、ソウル 撮影:筆者=

ベビーカーを押すイクメンも最前線で「朴クネ退陣」を叫んだ。=11月12日、ソウル 撮影:筆者=

 

 

 


安倍政権が見捨てた福島・飯舘村から悲痛な叫びを『報ステ』が報道「東京が1mSvなのに、なぜ福島は20mSv?差別でしょ」〔リテラ2017.3.10〕

2017-03-11 11:40:34 | 福島、原発

 

http://lite-ra.com/2017/03/post-2982.htmlより転載

安倍政権が見捨てた福島・飯舘村から悲痛な叫びを『報ステ』が報道「東京が1mSvなのに、なぜ福島は20mSv?差別でしょ」

2017.03.10
 
houdoustation_01_160310.jpg
福島県飯舘村から生中継を行った富川悠太アナ(テレビ朝日『報道ステーション』16年3月9日放送回より)


 3.11から明日で丸6年。テレビでは多くの局が東日本大震災の特集を組んでいる。しかし、原発事故の苛烈な実態を報じるものは少なく、なかでも、安倍政権に尻込みしているのか、国の原発政策に対する批判的な報道はほとんど見られない。そんななか、昨日9日の『報道ステーション』(テレビ朝日)では、綿密な取材を通して、国が定める放射線量基準の“ダブルスタンダード”を真っ向から批判した。

 安倍政権は本日10 日、復興推進会議と原子力災害対策本部の合同会議を開き、避難指示地域について、福島第一原発がある双葉町と大熊町の一部を除き、帰還困難区域などを除いた全地域で解除することを決定した。すでに今月末に飯舘村の帰還困難区域を除く全域と、川俣町の一部地域の避難指示を解除することが決まっていた。同時に今月末には「自主避難者」に対する仮設住宅の無償提供などの支援を打ち切る。県が把握する「自主避難者」は、昨年10月時点で1万世帯以上にものぼっている。

 安倍政権による“帰還政策”は待ったなしだ。しかし、解除する避難指示区域は、はたして、人々が容易に生活することのできる場所なのか。

 9日の『報ステ』では、富川悠太アナウンサーが飯舘村から生中継を行った。飯舘村は福島第一原発から約40キロメートルの地点に位置する、農業や畜産業を中心にした村で、事故前には約6000人が住んでいた。原発の補助金は出ていない。事故発生後、すぐには避難指示が出なかったが、原発の爆発で撒き散らされた放射性物質が強い風に乗り大量に浴びた。

 富川アナが立つ場所のすぐ後ろには、おびただしい量の“黒い物体”が山積みになっていた。汚染土を詰めた袋だ。こうした状況が、飯舘村のあちらこちらで見られるという。番組が取材した飯舘村の酪農家・長谷川健一さんは、2011年5月を最後に、家族で別々の場所への避難を余儀なくされた。自宅の前は、除染で削り取られた汚染土が積載したままだ。撤去の目処は立っていないという。

 

 国は避難指示地域で除染作業を行ってきたが、その基準の毎時0.23マイクロシーベルトは、一般の人の被曝限度である年間1ミリシーベルトから導かれたものだ。ところが、長谷川さんの庭先で線量を調べると、毎時1.2〜1.3マイクロシーベルトを計測。除染基準の約5倍の数値である。なぜ、こんな高い数値が出るのか。長谷川さんは、「山が(放射性物質の)供給元だと私は思う」と語る。実は、飯舘村の約7割を占める山林では除染はほとんど行われていないのだという。

「線量が除染によって下がったという場所は非常に限られた場所なんですね。全体的に下がったということは決していえない」
「現実に土壌の汚染度合いを調べてみても、やっぱり汚染されてるから。それがはたして、われわれがここで牛乳を生産してね、(略)『安心、飲んでみろ』って、そんなこと言えない。やっぱり、これは」

 はたして、これで本当に除染が進んだと言えるのか。国は年間線量が20ミリシーベルト以下になった地域から避難指示を解除するが、これは一般の被曝限度である年間1ミリシーベルトの、実に約20倍の数値だ。しかもこの数値は事故直後、内閣官房参与だった小佐古敏荘東京大学教授が「この数値(年間20ミリシーベルト)を乳児、幼児、小学生に求めることは、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と涙ながらに訴えて、参与を辞任するきっかけとなった数値でもある。

『報ステ』は、この年間20ミリシーベルトの基準の根拠を取材。そもそも、事故直後に政府が避難指示の基準とした20ミリシーベルトという数値の基準の拠り所は、専門家による国際学術組織・ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告だという。番組はフランスに飛び、ICRP副委員長のジャック・ロシャール氏に話を聞いた。すると、ロシャール氏は驚くべき事実を口にしたのだ。

「年間20ミリシーベルトの被曝は長期間続くと安全ではない。ICRPでは『事故後の落ち着いた状況では放射線防護の目安は1〜20ミリの下方をとるべき』と勧告している」

 つまり、もともとICRPは「20ミリ」では危険との認識を示していたのである。実際、同じく『報ステ』が取材したICRPの甲斐倫明専門委員も、「(事故直後の)20ミリというのはある意味で緊急時の数値でしたから、こういう環境回復の段階ではもっと別な数値を選んで、20ミリと1ミリの間のなかで目標値を立てて、1ミリに近づけていきなさい、と」「そういう数値を設定しなさいというのがICRP的な考え方なわけですね」と語っている。

 繰り返すが、帰還基準の20ミリシーベルトは、通常時の年間被曝限度の20倍だ。しかも、ICRPが示していたのは「20ミリ」ではなく「1ミリに近づける」ということだった。『報ステ』はこの“二つの基準値”を「ダブルスタンダードではないのか」と強く疑義を呈したうえで、再び、富川アナのいる飯舘村から生中継する。

 もともと農地だったその場所には、汚染土を入れた大量の袋が積み上げられている。袋には「遮」の文字が。これは、汚染土を入れた袋の周りを、通常の土を入れた袋で囲って“壁”をつくっていることを意味する。大量の袋と富川アナの距離は、約10メートルほどだろうか。その状況で、富川アナが線量を計測した。0.77マイクロシーベルト。除染基準の3倍以上の数値だ。そうした環境で、政府は避難指示を解除、自主避難者に対する援助を打ち切るのだ。

 もちろん、今回の避難指示解除で、故郷に戻ろうと考えている人も少なくない。だが、食品売り場を始め、医療介護施設などのインフラは整っておらず、主な産業である農業や畜産業の再開も、いばらの道だ。当然、健康被害への不安も尽きない。帰りたい、けれど帰れない。そういう人がたくさんいるのだ。

 前述した飯舘村の長谷川さんも、いずれは故郷に戻りたいと考えている一人だ。だが、現段階ではそれは難しいとも吐露する。『報ステ』のなかで長谷川さんはこのように語っていた。

「東京が1ミリ(シーベルト)で、なんでここが福島が20ミリなんですか? まったくの差別でしょ、こんなのは」
「ものすごい私は怒りを覚えますよ。なんでわれわれだけがそうなんだ」
「その尺度はどうやって決めたんですか。だから安全なんですか? 誰もわかりません。それじゃおかしいでしょ」

 飯舘村だけの話ではない。番組では2014年に避難指示が解除された隣の南相馬市高倉も取材し、除染が不十分な場所が少なくないにもかかわらず、国が再除染を渋っている現実があることを伝えた。さらに避難解除基準に内部被ばくが入っていないという点を指摘し、土壌汚染がチェルノブイリの規制区域基準より大幅に高いところがある事実まで見せた。実際、こうした問題は被災地の様々なところで喫緊の課題となっている。

 だが、安倍政権は、差別的な二枚舌で避難指示を解除し、自主避難の支援を打ち切るなど、人々から選択肢を奪うことで強引に“福島の復興”を演出しようとしている。そこに、2020年の東京五輪招致のため「アンダーコントロール」と嘯いた安倍首相の思惑があるのは間違いない。

 福島原発事故から6年。政権の圧力に萎縮しきったテレビメディアからは、年々、震災と被災地そして原発の扱いが小さくなっている。おそらく『報道スーション』のこの報道にも、政府からの圧力が加わるのは確実だろう。

 作家の室井佑月は本サイトの連載で、報道の萎縮を防ぐために、タブーに踏み込んだ良い報道をしたメディアやスポンサーには直接電話をして褒めることが大事だと語っていたが、今回の『報ステ』のこうした原発報道の姿勢は支援していく必要がある。そして、安倍政権に対しては、東京五輪で金の無駄遣いをするまえに、なさねばならないことが山ほどあることを、突きつけていかなければならない。
 
 最後に、番組から長谷川さんの言葉を引用して終わりたい。

「避難解除という部分だけが先行して、インフラとか、医療の問題はどうなのか。買い物はどうなのか。戻りたい人が戻ってきて飯舘で生活するときに、何で生活していけばいいのか。そういうものがまったく整備されていない現状なわけですよ。そういうものをしっかりやってもらわないと、われわれが戻るにしても、安心して戻れる環境づくり、これが非常に私は大事だと思いますね」
「やっぱり国の責任でなったものですから、事故がね。国にはきちっとした責任をとってもらわないとダメだと思います」
宮島みつや

 

 <関連記事>

東日本大震災から6年 今も12万人余が避難生活 | NHKニュース