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異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

<パラリンピック>「感動ポルノ」を超越した、障がい者の真の姿に感動 〔日刊スポーツ 2016.9.9〕 。

2016-09-09 14:47:07 | 紹介

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日刊スポーツ・ロゴhttp://www.nikkansports.com/sports/column/hyakkei/news/1707185.htmlより転載

2016年9月9日9時35分

「感動ポルノ」を超越したパラリンピックの感動

 表彰式を終えた柔道男子60キロ級の広瀬誠は、スタンドの娘たちの首に銀メダルを掛けた。決勝戦は一本負け。悲願の金メダルこそ逃したが、39歳にして12年ぶりのメダル獲得。6歳、3歳、2歳の3人の娘は、父親に抱きついて喜んだ。広瀬の笑顔も満足そうだった。感動的な、ほほ笑ましい光景だった。


男子60キロ級決勝 表彰式を終えた広瀬誠は次女を抱いてピース(撮影・山崎安昭)

 

35歳で臨んだ前回のロンドン大会でメダルを逃し、引退を決意したが、翌年復帰を決断する。今年5月の代表選考会後、広瀬はその理由をこう語っていた。「ロンドンの時、上の娘はまだ2歳で、何も覚えていなかった。だから目の見えない父が頑張っている姿を何としても見せたいと思ったんです」。その目的を4年かけて見事に結実させた。

 リオ・パラリンピックは8日から競技が始まった。2人がしっかりと組み合って開始する視覚障がい者による柔道は、差し手争いのほとんどない力勝負で実に見応えがあった。車いすバスケットボールでは日本は惜しくもトルコに初戦を落としたが、目まぐるしい車いす操作とシュートの精度は、健常者の競技に劣らぬ迫力があった。選手たちが障がい者であることを、試合終了まで忘れていた。

 8月に障がい者の姿を過度に感動的に取り上げるメディアの手法についての論争が話題になった。障がい者が出演するNHKのバラエティー番組「バリバラ」で、メディアが障がい者を感動をかき立てる手段として描くことを「感動ポルノ」という言葉で批判。視聴者から「共感する」などの大きな反響があった。

 パラリンピアンたちを見ていると、「感動ポルノ」がいかに陳腐であるかが分かる。演出のないアスリートたちの戦う姿は、視覚障害も下半身まひも忘れさせる圧倒的な力がある。
 「かわいそう」や「頑張って」の同情が入り込む余地がない。パラリンピックは「感動ポルノ」を超越した、障がい者の真の姿に感動できる。

                                                         【五輪・パラリンピック準備委員 首藤正徳】


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http://www.nikkansports.com/olympic/paralympic/rio2016/news/1707081.htmlより転載

リオパラリンピック
広瀬誠が銀、今大会日本メダル1号 柔道60キロ級

[2016年9月9日10時20分]


中国包囲網が築けなかった安倍外交の大失策~外交力なし、パフォーマンスだけの安倍首相 〔天木直人のブログ 2016.9.9〕

2016-09-09 13:02:59 | 外交、国際

天木直人のブログ

http://xn--gmq27weklgmp.com/2016/09/09/post-5380/より転載

中国包囲網が築けなかった安倍外交の大失策

2016年9月9日  天木 直人

 中国杭州で開かれたG20から始まって、ラオスのビエンチャンで開かれた東アジア首脳会議で終わった中国と日米の海洋覇権をめぐる外交戦は、見事に日米の敗北に終わった。

...

 ことわっておくが、私は海洋の軍事覇権をめぐる中国と日米の争いのいずれかに与するものではない。

 憲法9条が最善、最強の安全保障政策であると確信する私にとっては、目の前に繰り広げられている習近平とオバマ・安倍の覇権争いは、どちらも間違いだと考えるからだ。

 しかし、ここ一週間の中国と日米の覇権争いを、外交力のせめぎ合いという観点から見れば、見事な中国の勝利だ。

 なぜか。

 それは中国が国力のすべてをあげて外交戦を戦ったからだ。

 それに比べ、日米には外交力はない。

 軍事力ですべてを解決して来た米国には、そもそも外交というものはない。

 おまけに死に体のいまのオバマ大統領の外交に見られるものは、功績を残すことばかりだ。

 長期的な展望など望むべくもない。

 ましてや、米国に従属するほかはない安倍首相のパフォーマンス外交が、国家の威信と自らの権力保持を賭けた習近平の外交に勝てるはずがない。

 その結果どうなったか。

 さすがにきょう9月9日のすべての大手新聞が総括している。

 あらゆる機会を使って中国包囲網を訴えたが奏功せず、米国のアジア外交重視も、日本の日中関係改善も、先行き不透明で終わったと。

 いまや安倍首相の御用新聞となった大手新聞でさえそう書かざるを得なかったのだ。

 おまけにオチまでついた。

 中国包囲網の手先であるはずのフィリピンの大統領がオバマ大統領に暴言を吐いて首脳会談中止という前代未聞の事件が起きた。

 これほどまでに対米従属を重ねて来た安倍首相が、オバマ大統領の最後の外遊、しかも最後のアジア外遊で、そして対北朝鮮やた中国包囲網で協力しなければいけない最も重要な時に、オバマ大統領との最後の首脳会談が、オバマ大統領の都合で、かなわなかったのだ。

 これが日米同盟の正体である。

 日本外交の前途は多難だ。

 安倍首相が首相でいる限り外交は衰退し、その後に誰が首相になっても、日本外交を取り戻す事は至難である(了)

 

 

 

 


「京都認知症母殺害心中未遂事件」その後 〔牧師の妻です☆【こころのブログ】〕

2016-09-09 12:11:01 | 労働 生活一般

牧師の妻です☆【こころのブログ】

 http://ameblo.jp/pastorswife/entry-12198203556.htmlより転載

娘が「人権についての作文を書くように先生から頼まれた」と言って、課題を持ち帰ってきました。

数学や理科などは主人が、作文は私がアドバイスしたりすることがあります。

今回は下調べをしたりする時間もなく、「書くのが嫌になっちゃった」というのが見え見えな文章と字だったので、入賞などはほぼ無理な感じです(^_^.)
「介護について書く」というので、私もいろいろ考えたりしてみたのですが、その中でたまたま目に入ったニュースがありました。

 

このブログでの2015年3月に取り上げたことのあるニュースですが、「京都認知症母殺害心中未遂事件」。

2006年2月1日未明、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職片桐康晴(当時54歳)被告が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わったというものです。

この事件は、「実の母親を殺害するなんて、酷い」と言われてしまいそうな事件ですが、その生活苦や母子のやり取りから地方裁判所の裁判官も目に涙し、「温情判決」となったものです。 

今回、見つけたのは「この男性のその後」なのですが、事件後、8年が経った2014年8月、孤独を抱えたまま命を絶ってしまったということでした。

その後のことは知らなかったのですが、一人になってからも生活が苦しく、所持金が数百円になって「もうおしまいだ」と絶望してしまったのでしょうか。

一度は助かった命でしたが、やっぱり絶望の中で「死」を考えてしまったことを残念に思い、どれだけの悲しみの中にあったことかと思い、胸が痛みました。

 


今日は、家庭集会で聖書のお話をさせていただいた際、上記の話を取り上げました。

私の両親くらいの年齢~それ以上の、お孫さんがいらっしゃる年代の女性が集まっています。

それぞれ、老々介護や家族の「死」を経験したり、と重荷を負っていらっしゃる女性の集まりです。

そこで話題になったことは「知っているか、知らないか」ということでした。

 


知っているか、知らないか

1つ目は、日本の制度や生き延びる方法を知っているか、知らないかという話題。

日本では「健康で文化的な最低限度の生活(ナショナルミニマム)」での暮らしを保障する制度として「生活保護制度」があるのですが、それらの制度を①知っており、②申請して③活用することで、本来であれば「日本で生活できない」ということはないことになっています。

ただし、不正受給が騒がれたり、生活保護を受ける人に対する厳しい目があるなど、簡単に申請が通らない場合もあり、受給までに数週間かかったりという問題はあるので、1か月の生活費を切ったら、早めに申請しなければなりません。

(貯蓄や財産があると申請できません) 

京都市の当時54歳の男性の場合、介護のために仕事を辞めていたのに「あなたはまだ働けるから」と言われ、区役所に3度相談するも生活保護が受けられなかったそうです。

本当に必要な人が受給できず、困窮して心中しなければならないとは、あんまりです。

「保障されているから」として、さらに窓口で訴えていたら違っていたかも・・・?と思ったり、対応した職員さんも、生活保護が難しいならほかの手立てを提案してくれるなどアドバイスがあったら違っていたかも・・・?とも思いますが、この男性は生活保護のことは知っていて相談にも行っていただけに、行き場のないやるせない思いがします。

他に、生き延びるために、例えば炊き出しをしているところ、生活困窮者のための施設などがあるはずなので、この男性は調べたりする力もなく、いろんなことを知らないまま「もうおしまいだ」と思ってしまったのではないかと思います。


2つ目は、福音を聞ける場所(人)を知っているか、知らないかということです。

今日の家庭集会に参加された女性が、やはり同じように絶望した状況の中で教会へ行き、救われて、家族も救われた方の話をしてくださいました。

私も過去に、このブログでNさんのことを書きました。

Nさんは自宅でお母さんを介護し、そのお母さんが亡くなった時にふっと生きる気力を失い、自宅を整理して死のうと思ったそうです。

でもその時に、近所のクリスチャンのお医者さんが毎週木曜日に開催している「聖書のお話」があることを思い出し、「聖書の話を聞いてから死んでも遅くはないだろう」ということで聞きに行ったそうです。

 

そこでは牧師先生から聖書の話がなされ、まるで自分だけのために語られたかのように感じたNさんは涙を流し、その一回の集会を通してイエス・キリストを信じたそうです。

 

関連記事「喜びが天にある~泣いたT君~」


こんな話をしながら、「絶望して死を選び取った人と、絶望の中にあっても生きる力が与えられた人との違いは何だろう?」という話になり、「教会や集会があることを知っていたか、知らなかったかの違いではないか?」という話になりました。

人を信じさせることはできないことですが、何かの時に思い出してほしいと願い、私もこのブログを続けています。

生きるために、お金や食べ物は確かに必要なものですが、逆に言えば、お金や食べ物が豊富にあったとしても、絶望してしまうと人は生きられなくなります。

信仰だけでは生活できず、クリスチャンであってもお金や食べ物は必要であることに間違いはないのですが、信仰を持って生きてさえいれば、必要な助けがあり、神が養ってくださるという深いところでの安心感があります。

 

赤薔薇 『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』(マタイの福音書4章4節)

赤薔薇 「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」(マタイの福音書6章34節)

赤薔薇 「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイの福音書6章34節)
 

聖書は、今日一日を生きること(1日単位で考えること)、明日や将来のことを先々まで思い煩う必要はないことを教えています。

それが悩みから解放する「悲観することのない生き方」であり、考え方であり、「今日一日を守ってくださってありがとうございます」と、神に感謝する生き方へ変えられます。

神様の方法は、先の先まで見せて安心させることはせず、一歩一歩を示して従うようにと導かれます。

神様の導きというのは、遠くまで照らす「サーチライト」のようではなく、足元だけを照らす「ともしび」だと聖書に書かれており、私も実生活の中で「本当にその通りだ」と痛感することは多くあります。 

 

参照記事

・京都認知症母殺害心中未遂事件についてはこちら。


・京都認知症母殺害心中未遂事件について書いた過去記事
「川崎中1殺害事件を考える(2)」