異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

沖縄なら何でもありか?毎日高江で市民弾圧に狂奔している警視庁機動隊の面々。

2016-08-23 20:08:45 | 沖縄

海鳴りの島から  http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/49dfadd84d27d88022d72567a9361dcdより転載

沖縄なら何でもありか?毎日高江で市民弾圧に狂奔している警視庁機動隊の面々。

2016-08-21 23:04:29 

  

 8月20日に東村高江の新川ダムにかかる高江橋付近で、ヘリパッド建設用の砂利の搬入に抗議する市民を機動隊が強制排除し、機動隊のバスの間に暴力的に押し込めて拘束している。その際、新聞記者も閉じ込められて取材を妨害されている。

http://ryukyushimpo.jp/movie/entry-340617.html

 バスはクーラーをつけるためエンジンがかけっぱなしにしているので、閉じ込められた市民は排気ガスを吸わされ続けた。炎天下の暑さに加えてエンジンの熱も加わり、拷問に等しい状況に置かれた。

 高江橋付近の警備を担当しているのは警視庁機動隊で、その隊長が三本線の帽子をかぶったサングラスの男だ。現場の状況を見た弁護士は、他府県ではあり得ない、と口にしたそうだが、警視庁機動隊は東京でも同じやり方で市民を弾圧するのか。沖縄なら何でもあり、という考えなら、まさに沖縄を植民地同様に見下した差別意識丸出しの弾圧である。

 

 

 

 三本線の隊長の指揮のもと、二本線の小隊長らが若い機動隊員らを指揮して市民弾圧に駆り立てている。家に帰れば子供もいる年齢だと思うが、沖縄に米軍基地の負担と犠牲を強要して、家ではいい父親として暮らしているのだろうか。

 自分たちの暮らしている地域にMV22オスプレイが飛ぶことはないから、墜落の危険性もない。爆音に悩まされることもない。自分たちがよければ沖縄県民はどうなってもいい、という腐りきった根性で、今日も高江で住民弾圧を指揮している。その様子は大量にインターネット上に残り、やがて子どもらが見る日が来るだろう。

 

  

  

 一本線の若い機動隊員らも、指揮にしたがって毎日市民に暴力をふるって、しだいにそれに慣らされていくのだろうか。沖縄がどのような歴史を歩んできたかも知らず、自分が沖縄差別を行使していることの自覚もない。東京にいる家族は、自分の息子や兄弟が沖縄で何をしているか知っているのだろうか。

 

 

 

 

 


オリンピック東京2020年~「パンとサーカス」に喜々とする市民になるなかれ。 〔澤藤統一郎の憲法日記〕

2016-08-23 18:08:23 | シェアー

澤藤統一郎の憲法日記

http://article9.jp/wordpress/?p=7375より転載

2020年「パンとサーカス」に喜々とする市民になるなかれ。

2016年8月23日

 ようやく、リオ・オリンピックの狂騒が終わった。ところがメディアは、「さあ、次はいよいよ東京オリンピック」「この感動を東京につなげよう」という。この狂騒が、そっくり東京に来るのかと思うとやりきれない。2020年8月には、本気で東京疎開を考えなければならない。

もっとも、私はオリンピック全否定論者ではない。どんなテーマであれ、国際交流が相互理解と平和のために望ましいのは当然であるから。情報と資本と商品の流通だけでなく、人と人とが国境を越えて直接に行き来して、言葉を交わし、気持を通わせることは平和の礎である。

観光も、留学も、文化や学術の交流も、ますます盛んになればよい。それぞれが外国と外国の人や生き方を見ることが友好の第一歩だ。国際結婚ももっと増えて人種や民族の混交が進めば、差別意識もなくなってくるだろう。友情の絆や親族関係が国境を越えて張り巡らされれば、やがては国境そのものが不合理な存在となり、国際紛争も戦争の火種もなくなってゆくに違いない。

国籍や人種や民族、宗教の異なる人びとの大規模な交流の場として、オリンピックの意義がある。「堅固な平和の礎を築くことを目的とした交流の祭典」としての意義である。リオでの難民チームの結成は快挙というべきだ。自国の旗を背負うことを拒否するアスリートを束ねたチームの結成はできないものだろうか。国ごとのチーム編成を払拭できれば、さらに素晴らしい。

ところが、為政者もメデイアも、オリンピックをナショナリズム高揚の絶好の機会と捉え、あるいは国威発揚の場として利用しようとしている。これが、鬱陶しくてうんざりなのだ。メダルの数や色など、選手には関心事だろうが、はたが騒ぐほどのことではない。

オリンピックを取り巻く現実は、理想にほど遠い。日刊ゲンダイは次のように「五輪メリットは『国威発揚』 NHKが憲章と真逆の仰天解説」と報じている。
「ビックリ仰天した視聴者も多かっただろう。21日のNHKの番組『おはよう日本』。オリンピックを扱ったコーナーで、『五輪開催5つのメリット』としてナント! 『国威発揚』を挙げていたからだ。
 『リオ五輪 成果と課題』と題し、刈谷富士雄解説委員が登場。…驚いたのは次の場面だ。
『何のためにオリンピックを開くのか。その国、都市にとって何のメリットがあるのか』と投げ掛けると、五輪のメリットとして真っ先に『国威発揚』を示したのだ。」

戦時には、「日本勝った」「強いぞ我が軍」という記事こそが、新聞の部数を伸ばした。だから、各紙が挙って従軍記者を戦地に送った。無名のむのたけじだけでない。文名赫々たる岡本綺堂や石川達三も戦地に行って記事を書いた。あれと同じ構造。メディアはオリンピックで、ナショナリステックな感動を大売り出しして、シェアの拡大をねらう。そんな画策に乗せられてはならない。

リオ大会の閉会式には、アベと小池の醜悪コンビが顔を揃えた。それだけで、もううんざりだ。

ところで、閉会式では信じがたい演出がなされた。画像に、ドラえもんが用意した不思議な「土管」が映し出される。この土管が、東京から垂直に下りて地球の裏側リオにまでつながる。マリオがこの土管を伝わって、東京からリオに移動するという設定。これは悪い冗談だ。見る人誰にも原発事故でのメルトダウンからチャイナシンドロームを想い起こさせる。しかも、閉会式会場に設置された土管から出たマリオの帽子と服を脱ぐとアベが現れるという仕掛け。2013年9月に、ブェノスアイレスでのIOC総会で、「福島第1原発の放射線は完全にブロック」「アンダーコントロール」と言ったそのアベが、チャイナシンドロームで開いた穴から出て来るというのだ。ブラックジョークのつもりか、あるいは悪意の当てこすりなのだろうか。アベは、どうしてこんな演出に喜々としていられるのだろう。

オリンピックのうさんくささは、ナショナリズムだけが原因ではない。「パンとサーカス」という言葉を思いださせるからだ。

かつてのローマ帝国における愚民化政策の代名詞が、「パンとサーカス」だ。権力者は市民を愚民に貶めておく手立てとして「パンとサーカス」を提供した。食料の配給は公衆の面前で物乞い行為に対する施しとして行われたという。そして、娯楽を求める市民の要求に応えて提供された見世物が「サーカス」。中でも剣闘士同士の闘いや、剣闘士と猛獣との闘いが人気を呼んだ。民衆はこのよう娯楽を十分に与える権力者を支持し従順となった。現代のオリンピックも恰好の見世物。ヒトラーは1936年ベルリンオリンピックを最大限利用した。アベも小池も、このことを十分に意識しているに違いないのだ。

戦後占領軍は日本の統治に意識的に3S政策を組み込んだといわれる。スポーツ、スクリーン、セックス(またはスピード)。これも、民衆の社会的な自覚や、政治への関心から目を逸らせるための愚民策。オリンピックはこれと重なる。

繰り返すが、私はオリンピックを全面否定はしない。しかし、アベや小池の愚民化政策に乗せられて、政権批判を忘れて「パンとサーカス」に喜々とする市民になるのは、まっぴらご免だ。

 

 

 

 


むのたけじ逝くー「おれなんか70より80と、ますます頭良くなってきた」 〔澤藤統一郎の憲法日記〕

2016-08-23 16:52:38 | 報道

http://article9.jp/wordpress/?p=7371より転載

澤藤統一郎の憲法日記

むのたけじ逝くー「おれなんか70より80と、ますます頭良くなってきた」

2016年8月22日

昨日(8月21日)、むのたけじが亡くなった。享年101。
戦争に加担した自分の責任を厳しく問い、再びの戦争の惨禍を招くことのないよう社会に発信を続けた、憲法の理念を体現するごとき人生。その良心の灯がひとつ消えた。この人の姿に励まされ希望を感じてきた多くの人々に惜しまれつつ。

東京外国語学校スペイン語科を卒業し、報知新聞記者を経て1940年朝日新聞社に入社、中国、東南アジア特派員となった。若い従軍記者として、つぶさに戦争の実相を見つめたのだ。そして、1945年8月15日敗戦の日に、「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」として朝日を退社したという。戦後は、故郷の秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊、一貫して反戦の立場から言論活動を続けた。

今年(2016年)5月3日、東京有明防災公園での「憲法集会」に車椅子で参加している。そのときの元気なスピーチが、名演説として記憶に新しい。これが公の場での最後の姿となったという。朝日による当日の演説要旨は以下の通り。これがむのたけじの遺言となった。

「私はジャーナリストとして、戦争を国内でも海外でも経験した。相手を殺さなければ、こちらが死んでしまう。本能に導かれるように道徳観が崩れる。だから戦争があると、女性に乱暴したり物を盗んだり、証拠を消すために火を付けたりする。これが戦場で戦う兵士の姿だ。こういう戦争によって社会の正義が実現できるか。人間の幸福は実現できるか。戦争は決して許されない。それを私たち古い世代は許してしまった。新聞の仕事に携わって真実を国民に伝えて、道を正すべき人間が何百人いても何もできなかった。戦争を始めてしまったら止めようがない。

 ぶざまな戦争をやって残ったのが憲法九条。九条こそが人類に希望をもたらすと受け止めた。そして七十年間、国民の誰も戦死させず、他国民の誰も戦死させなかった。これが古い世代にできた精いっぱいのことだ。道は間違っていない。

 国連に加盟しているどこの国の憲法にも憲法九条と同じ条文はない。日本だけが故事のようにあの文章を掲げている。必ず実現する。この会場の光景をご覧なさい。若いエネルギーが燃え上がっている。至る所に女性たちが立ち上がっている。新しい歴史が大地から動き始めた。戦争を殺さなければ、現代の人類は死ぬ資格がない。この覚悟を持ってとことん頑張りましょう。」

しかし、憲法9条はけっして安泰ではない。その後の参院選で、両院とも改憲勢力が3分の2の議席を占める危険事態となった。101歳の叛骨のジャーナリストは、壊憲に突き進むアベ政治に、さぞかし心残りだったろう。

 

朝日の秋田版に掲載された、「むのたけじの伝言板」というシリーズのインタビュー記事がある。92歳から94歳の当時のもののようだ。その一部を抜粋して紹介したい。

─むのさんは「高齢者」「老後」という言葉は使いませんね。
 高齢なんてのは、官僚の年寄りだましのお世辞だよ。老人は老人、年寄りは年寄り。それだけでいい。老後とは何だ。老いはあるけど、老いた後とは何なんだ。よけい者だというのでしょ。高齢も老後も、老人を侮った言葉。「敬老」じゃなく「侮老」だ。

─敬老会に誘われませんか。
 10年位前に3回行ったけど、本当に小馬鹿にしているよ。安っぽい折り詰めに2合瓶1本つけて、幼稚園の子供のダンス見せて、選挙に出る連中が挨拶して、それでおしまいだもの。年々予算削られるから、ごっつおうもない。なんも面白くね。

─でも喜んでいる人もいるでしょ。
 いるでしょね。それはそれでいい。喜んでいない人もいるということを理解してもらわないと。しかも相当の人数いるんじゃないの。もっと心を込めた、年寄りが長く生きていて良かったと思う行事、何かあるんじゃない。

─年金はもらってますか?
 初めから拒否しているから、ないんです。61年に制度ができたとき、「集めた銭を軍備強化に使う恐れがあるから入らない」と。
 そういう立場だけど、「若者3人が高齢者1人を支えている」というような言い方はおかしいよ。本当の社会福祉、社会保障から見れば、我々を支えているのは、個人じゃなく国家なのだから、みんなでみんなを守るの。社会保障とはそういうもの。
今は、年取ったら介護保険だ、施設だ、と老いることが人間のゴミ捨て場みたいじゃないの。それは間違いだ。おれなんか70歳より80歳と、ますます頭良くなってきた。変なことに惑わされない。頼るのは、自分の常識だよ。

─戦後すぐに平和運動は起きたのですか。
 すぐは、食うのに懸命だった。憲法9条なんて当たり前だから放っておいた。それがよくなかった。この戦争は何だったのか。だれが何のために計画したのか。自衛権まで否定していいのか。そういう勉強をやらなければならなかったのだが、開放感が先に立った。
そして60年安保闘争。国会を70万人が取り囲んだ。政党や労働組合が「平和な世の中を」と叫び、古い政権を倒して新しい政権を作ろうとした。が、これが三文の値打もなかった。

─平和運動の始まりとおもっていましたが。
 平和だ、戦争反対だというけど、スローガンだけになった。本気になって命をかけてなかった。平和運動で何が残ったかというと、「良心にしたがって平和運動に参加した」という自己満足だけ。実の詰まった平和運動ではない。

─むのさんは「地域社会が喜びと希望を持って、どんどん働く力が出てくるような平和運動」を提唱しています。どういうものですか。
 戦争は、国の経済、金もうけとつながっている。みんなが、ほどほどのところで満足していけば、戦争はいらない、やらないに変わっていく。平和運動はこれまで、自分の体の外だけでの運動だったの。デモ行進とか抗議文とか。威勢よくみえるけど、戦争を計画している人には痛くもかゆくもない。スローガンではなくて、生活そのものを変えないと。
戦争反対ならば、自分自身も暮らしぶりを変える。夫婦喧嘩しながら平和を学びたくもないでしょ。隣近所と朝の挨拶もしないで平和国家もないものだ。夫婦の関係、親子の関係をどうするか。そういうことから始めればいい。
 非常にまだるっこいように見えるけど、戦争をたくらむ人たちに決して動かされないような、そういう生活態度につながれば、予算を一つも使わずにできるじゃないの、平和な世界というものが。

これも朝日に掲載された、むのの意見。高市総務相の停波発言への批判だが、むのが戦時の経験から、今を見つめて危機感を持って警告を発していることがよく分かる。

「太平洋戦争が1941年12月に始まりましたね。それからまもなく、私は従軍のために日本を発ち、翌年3月1日にジャワに上陸した。途中で立ち寄った台湾で、日本軍が作った「ジャワ軍政要綱」という一冊の本を見ました。日本がジャワをどのように統治するかというタイムスケジュールが細かく書かれていた。私がいたそれから半年間、ほぼその通りに事態は進んだ。

 その要綱の奥付に「昭和15年5月印刷」の文字があった。ジャワ上陸より2年近く、太平洋戦争開戦より約1年半も前だったんです。つまり、国民が知らないうちに戦争は準備されていたということです。

 もしもこの事実を開戦前に知って報道したら、国民は大騒ぎをして戦争はしなかったかも知れない。そうなれば何百万人も死なせる悲劇を止めることができた。その代わりに新聞社は潰され、報道関係者は全員、国家に対する反逆者として銃殺されたでしょう。

 国民を守った報道が国家からは大罪人とされる矛盾です。そこをどう捉えればいいのか。それが根本の問題でしょう。高市早苗総務相の「公平な放送」がされない場合は、電波を止めるという発言を聞いてそう思ったのです。公平とは何か。要綱を書くことは偏った報道になるのか。それをだれが決めるのか。

 報道は、国家のためにあるわけではなく、生きている人間のためにあるんです。つまり、国民の知る権利に応え、真実はこうだぞと伝えるわけだ。公平か否かを判断するのは、それを読んだり見たりした国民です。ひどい報道があったら抗議をすればよい。総務大臣が決めることじゃないんだ。そんなのは言論弾圧なんだ。

 報道機関は、自分たちの後ろに国民がいることをもう一度認識することです。戦時中はそのことを忘れておったな。いい新聞を作り、いい放送をすれば国民は応援してくれる。それを忘れて萎縮していた。

 戦争中、憲兵隊などが直接報道機関に来て、目に見えるような圧迫を加えたわけではないんです。報道機関自らが検閲部門を作り、ちょっとした軍部の動きをみて自己規制したんだ。今のニュースキャスター交代騒動を見ていて、私はそんなことを思い出した。報道機関側がここで屈しては国民への裏切りになります。

 「国境なき記者団」による報道の自由度ランキングが、安倍政権になってから世界61位まで下がった。誠に恥ずかしいことで、憂うべきことです。報道機関の踏ん張りどころです。」

心からご冥福をお祈りする。そして、私もその良心の灯を受け継ぐ一人でありたいと思う。

 

 

 

 


101歳で死去 反骨のジャーナリストむのたけじ氏の“遺言”

2016-08-23 16:06:45 | 労働 生活一般

日刊ゲンダイ http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/188254より転載

101歳で死去 反骨のジャーナリストむのたけじ氏の“遺言”

2016年8月23日

安倍政権の危険性を糾弾していた(C)日刊ゲンダイ 安倍政権の危険性を糾弾していた(C)日刊ゲンダイ

 戦時中、中国戦線やジャワ戦線の悲惨さを目撃し、戦後は反戦運動で活動──。むのたけじ氏(享年101歳)は最期まで反骨を貫いたジャーナリストだった。戦争を「狂い」と表現し、平和の大切さを訴え続けたむの氏を失うことは、安倍首相の下で保守化している現代の日本にとって大きな損失だ。

 むの氏は1915年生まれ。東外大を卒業後、朝日新聞などで中国や南方戦線の従軍特派員を務めた。有名なのが敗戦時のけじめだ。1945年8月15日、「負けた戦争を『勝った』と言い続け、うそばかり書いていた。けじめをつけたい」と朝日を退社。郷里の秋田県で週刊新聞「たいまつ」を発行し、「反戦」「反権力」を訴えてきた。

 昨年11月、日刊ゲンダイのインタビュー欄にも登場。戦後70年を経て、平和憲法が大事だと思う日本人が育ってきたことを喜ぶ一方で、「それじゃあダメだというのが安倍首相で、米国と手をつなぎ、強国と一緒に発展していきたい。そのために、米国との軍事同盟を強くして、戦死者が出てもやむを得ないような体制に持っていこうとしている」と安倍政権の危険性を糾弾した

 また、敗戦とともに日本の国民と政府は戦争の締めくくりをするべきだったのに、それがなされていないとも主張。あの戦争を誰がいつ始めたのか、南京虐殺や従軍慰安婦など、戦場で何が起きていたのか。そして侵略した中国、韓国への償い。この3点の締めくくりがなされていないと批判した。

「ジャーナリストとして尊敬すべき人物でした」と言うのは政治評論家の森田実氏だ。

「戦争の本質を明らかにし、その惨劇を語ることで平和の尊さを次世代に伝えられるという信念を抱いた人でした。ご自身は退職できっちりけじめをつけたが、日本人は戦争責任を曖昧にしてきた。しかも現在、戦争を経験した世代は戦争の苦しみを痛感しているが、安倍首相を筆頭に戦争を知らない世代は戦争を甘美なものと捉える傾向がある。政治権力は国民を抑えつけようとしている。こうした実情への憤りと使命感が、長寿につながったのだと思われます。むの氏は日本民族にとって偉大な宝です」

 むの氏が語る戦争の実態は悲惨きわまりない。戦場は殺さなければ殺される二者択一の世界。人は兵士として戦地に派遣されると3日で理性を失い、「狂い」の中に放り込まれる。中国では兵士が婦女子を強姦し、中には襲われる前に刃物で自殺する女性もいた。戦後、復員兵士が戦争を語らなかったのは、こうした事実に遭遇したからでもあるという。

「戦後71年間、日本人は戦争の恐ろしさを忘れようとしています。だからこそ、むの氏のようなジャーナリストがいたことを語り継ぎ、戦争の問題点を検証しなければなりません」(政治評論家の山口朝雄氏)

 前述の森田氏は「あと10年長生きして後進のジャーナリストを育てていただきたかった」と残念がる。言論界の巨星が日本人に語りかけたメッセージはあまりにも重い。

 

 

 


【人は何かができないと「価値がない」のか?】相模原の障害者施設での事件から1か月

2016-08-23 15:02:25 | 福祉 高齢 障がい

http://next.spotlight-media.jp/article/316940791506108092より転載

【人は何かができないと「価値がない」のか?】相模原の障害者施設での事件から1か月

2016.08.23

2016年7月26日未明に起こった相模原の障害者施設での事件から1か月が経とうとしています。

2015年夏に投稿した「障害児が生まれたら殺してしまおう。そう思っていた男の子が障害児の父となって」という文章がとても多くの方に読まれ、シェアされました。

出典photo;牧師の妻

この文章を書いた大学時代の先輩が、障害者施設の事件について投稿していた文章があります。先輩(現在は牧師)に許可をいただき、紹介させていただきます。

人は何かができないと「価値がない」のか?

違和感を覚えた。

重複障害者は何もできないから生きていても仕方ないという植松容疑者の主張に対し「障害者もいろんなことができますよ」とテレビのコメンテーターが話した。

言わんとしていることは分かる。

しかし実際は身動きも難しい方々がおられるのも事実だ。

ではそういう方に生きている価値はないのか。

私たちは知らず知らずのうちに何かができるから価値があって何かができないと価値がないという価値観に囚われてはいないだろうか。

「わたしの目には、あなたは高価で尊いという聖書の言葉がある。

神が人に対して言われている言葉で、そこには何かができるできないなどの前提は全くない。

ただただその存在が尊いと言われている。神は人をそのように見てくださっているのだ。

日本の障害者福祉を切り開いた糸賀一雄もこの聖書の言葉に多大な影響を受け、存在そのものが世の光だと訴えた。

「あなたがいる」そこに互いの価値を見いだしていきたい。

出典Facebook

うつになり、「できない」自分はダメな人間だと思っていた

子供がまだ小さかった時、引っ越しをして環境ががらりと変わった時、私は「うつ」になりました。

よっぽど病院へ行こうかと考えましたが、時間の経過とともに症状はなくなっていきました。

「なぜ、うつになったのか?」と考えてみると、「しなければならないことがあるのに、できない」「思い通りにうまくいっていない」「こんなにも、できていない」という思いが襲ってきたからかな、と自分なりに分析しました。


心が「うつ状態」だと、普段は何でもないことに対してすごく時間がかかったり、何より困ったのが「やる気が起きない」ということで、通常の生活レベルのやる気や意欲が全くなくなってしまったために、「通常のこともできない自分」への評価は下がる一方でした。

体が病気というわけでもなかったので、怠けているようで、また人にそう思われていそうな気がして、何とかしようともがく日々でした。


ふと私自身も、この時に「私の価値」というものを自分自身で「何かができる、できない」ということで考えていたのではないか?ということに気づかされました。


本当に「知らず知らずに」囚われていたと思います。


自分自身に対してそう思っているなら、じゃあ「他の人に対してそう思ってはいないだろうか?」と、すごく考えさせられました。


自分がいくら頑張っても「できない」状況を経験した時、私は体に障害はないけれども日常生活に不自由を感じている方の気持ちを考えるきっかけとなりました。


私が病院へ行かずに、自然にうつ状態から快方へ向かったのは、家族の変わらない態度が大きかったと思います。


「お前はできない、ダメなやつだ」と1番思っていたのは自分自身で、家族は何ができても、できなくても、そのまま受け止めてくれたことに、ただただ有り難いと思いました。

「ただ生きてさえいてくれたらいい」

相模原の障害者施設での事件の際、植松容疑者の思想や言葉に絶句するとともに、そのような考えにどう答えたらよいのかと考えさせられました。

「社会の役に立たない人はいなくてもよい。いらない」という植松容疑者の考えに同調するコメントも見られ、今まで隠れていた優生思想の影響を受けている日本の根底にあるものが浮かび上がってきた事件だと感じました。

ふと思い出したことは、東日本大震災の時、ニュースで行方不明の方のご家族が必死にコメントをしていた姿で、「ただ生きてさえいてくれたらいい」と絞り出すように言った言葉です。

普段はいろいろなことに忙しく、いろんなことを気にして煩わされ、大切なことを見失ってしまうほどの生活でも、極限の状態に置かれた時に言われたこのご家族の言葉は心から真実だと思いました。

聖書の中の「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」というキリストの言葉も思い起こされました。

そして、思わされました。

普段、私たちは「もっと何かをしよう」とか、「もっと、もっと・・・。」と、いつの間にか欲張りになっていなかったか、と。

子供に対してもその通りです。「社会の役に立つ人になってほしい」「頑張ってほしい」「活躍してほしい」など、いろんな思いや願いがあります。

けれど、いろんなものが取り払われた時、やっぱり最後に思うことは「ただ生きてさえいてくれたらいい」ということではないかと思うのです。


「いらない人」という漫画

〝30秒で泣ける漫画〟の作者・吉谷光平の世界という漫画の中に、今回の事件を題材とした「いらない人」という漫画がありました。

「自分」がそこにいないことによる発言

「いらない人が減ってよかったんじゃない?」という発言に対して、短い言葉で「それが君でもいいのか?」「それが家族でもいいのか?」と問いかける作品です。

今回の事件に関して、「植松容疑者の発言には一理ある」「国民としての役割を果たし終えて、若者の迷惑にしかならない老人は安楽死するのが一番いい。」など、障害者についてのみならず、「社会の役に立たない人(と思われるような人)全般」にまで及び、この日本は一体どうなっているんだ?と凍りつく思いがしました。

なぜそのように考え、発言できるのかと考えてみましたが、「もし自分がそういう状況になったら、潔く死にます。」という宣言であるか、「自分は障害者、社会の役に立たない人、社会の役に立たない老人ではない」と思っているか、どちらかかなと思います。

そして、前者はほとんどいないだろうと思っています。もし自分や家族が同じ状況になったとしたら、お金がかかっても、何としてでも「助けてほしい」「生かしてほしい」と願うのではないでしょうか?


多くは「自分は障害者、社会の役に立たない人、社会の役に立たない老人ではない」という考えからくる発言で、そこに「自分」はいません。


植松容疑者にしても、「自分は障害者ではない」という大前提のもと、「本当は自分も事故や怪我などでいつ障害者になるかもわからない」というようなことは微塵も頭になかったような言動です。


「自分」を除外し、そこに「自分はいない」「含まれていない」時の発言がいかに冷淡で残酷なものであるか、人はなかなか気づけないものなのかもしれません。


聖書が教える「人の価値」

聖書では、「神が私たちをオンリーワンの存在として創られ、かけがえのない存在としてみなし、神が愛しておられるから、だから一人一人に価値がある」と教えています。

「優劣」や「何ができるか、できないか」ではなく。

私は自分を育ててくれた両親が、たとえ国民としての役割を果たし終えて、若者の手を借りなければ生活できない老人になっても、「安楽死するのが一番良い」とは思いません。

もちろん介護の大変さ、経済的な負担は起こってくるでしょうけれど、両親は私にとって「かけがえのない存在」だからです。


「かけがえのない存在」とは?

「かけがえのない」とは、無くなったら他に代わりとなるものがない、この上なく大切な、かけがえない、という意味です。

子供のころ、トラの絵のかわいらしいプリントがされたバスタオルをボロボロになるまで肌身離さず持っていました。

母に「そろそろ替えたら?」と言われましたが、私はそのバスタオルをなぜか気に入り、自分のそばにいつも置いていました。

小さな子供が、お気に入りのぬいぐるみをボロボロになるまで肌身離さず持っていることがありますが、いくら「新しいもの」や他の人から見て「もっと良い物」を提示されても、「私はこれじゃなきゃ、嫌なんだ。」と言います。

冒頭の文章で紹介された聖書の言葉、「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。」とは、こういう特別な愛情や思い入れを持って私たちを見ていて下さるということです。

たしかに、家族でもなければ「いるだけでよい」と思ってくれる人は少ないかもしれません。

けれども誰が否定しようとも、「あなたは高価で尊い」という聖書の言葉に、どれだけの人が救われてきたかわかりません。

「人の価値」を他者との比較や関係性によって相対的に考えていくと、今回の事件のように人の価値をどう考えたらよいかわからなくなり、揺らぎます。

しかし、聖書が教える価値観で考える時、他者との比較や関係性、その人の能力や実績は問われず、揺るがない絶対的な「存在の尊さ」を覚えることができるのです。


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