http://mainichi.jp/articles/20160827/ddm/014/040/015000cより転載
北田暁大が聞く 第5回 ゲスト・原武史さん 「生前退位」(その1)
毎日新聞2016年8月27日 東京朝刊
今夏、天皇陛下の、生前退位の意向が強くにじむ「お気持ち」が明らかになり、改めて天皇制が注目を集めた。北田暁大・東京大教授と原武史・放送大教授がここ二十数年で形成されてきた「平成天皇制」について論じ合った。【構成・鶴谷真、写真・宮間俊樹】
中核は宮中祭祀と行幸 象徴を完成させた陛下
北田 すごいタイミングでの対談になってしまいました。天皇の「お言葉」で皇室典範改正につながるかもしれません。実質的に天皇が法を動かすということは日本国憲法の規定に反する明確な政治的行為でしょう。しかし右も左もマスコミも、心情をくみ取らないわけにはいかないという論調。立憲主義の根幹にかかわることなので、もっと慎重に議論が進むと思っていたのですが……。
原 今回のお言葉の放送は、いろんな意味で1945年8月15日の「玉音放送」=注<1>=と似ています。玉音放送は臣民という言葉が7回出てくる。今回も国民という言葉が11回出てきた。今回、生前退位がはっきりとは語られなかったように、玉音放送でも敗戦や降伏とははっきり言わなかった。昭和天皇が強調したのは、ポツダム宣言を受諾しても、天皇と臣民が常に共にある「君民一体」の国体は護持されるということ。今回も「常に国民と共にある自覚」という言葉が出てきます。
玉音放送の終わり方は「爾(なんじ)臣民其(そ)レ克(よ)ク朕(ちん)カ意ヲ体(たい)セヨ」、つまり臣民に向かって自分の気持ちを理解してもらいたい、と。今回も「(私の気持ちが)国民の理解を得られることを、切に願っています」で終わっています。
北田 政治・立法過程を吹っ飛ばして国民との一体性を表明する。今、天皇が憲法の規定する国事行為=注<2>=を超えた行動ができることについて、世の中が何も言わないというのは、象徴天皇制の完成を見た思いがします。
原 今回衝撃的だったのは、憲法で規定された国事行為よりも、憲法で規定されていない宮中祭祀(さいし)と行幸こそが「象徴」の中核なのだ、ということを天皇自身が雄弁に語ったことです。「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること」というのは宮中祭祀を、「同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」というのは行幸を指していると思います。
宮中祭祀と行幸はいずれも明治になってから新たに作られたり、大々的に復活したりしたもので、戦後も昭和天皇によって受け継がれました。平成になると、宮中祭祀に天皇と皇后がそろって出席するようになったばかりか、行幸も皇后が同伴する行幸啓となり、ますます比重が大きくなりました。
北田 憲法に書かれていないことが私の使命なんだ、と。相当に踏み込んだな、よく宮内庁は止めなかったなと驚きました。止められなかったのか。天皇の記号としての機能は今、より純化され、強固になっています。多くの国民が政治的な存在と思っていないことが最も政治的なわけで……。
原 報道によれば、現天皇は5、6年前から退位の意向を漏らしていたが政治が動かなかった。その結果、昭和天皇の玉音放送同様、非常手段に打って出たのだと思います。テレビを使って直接に語りかける。10分以上も。
北田 天皇の政治的な力を見せつけられました。「空虚な中心」=注<3>=どころではない。
原 より能動的な主体として立ち上がってきた。
北田 左派リベラル系の人の中にも、天皇制への視点が抜け落ち「この人なら大丈夫」と属人化されている。それほど見事に自らを記号化してきた成果が今回の肯定的な世論に表れているのでは。
原 そうですね。この問題を考えるには、平成だけを見ていてはダメで、少なくとも明治以降の天皇制の歩みを振り返る必要があると思います。明治から大正、大正から昭和と代替わりすると、前の代には想像もできなかった天皇像がつくられる。昭和天皇が玉音放送で強調した「君民一体」の国体も、戦前までに全国を回ることで確立されました。それが戦後巡幸でも受け継がれる。戦前同様、各地で奉迎場が設けられ、天皇が台座に上がればみんなが万歳する。天皇は決して一人一人を見てはいません。そこにいるのは抽象的な国民でした。それでも天皇は、戦前と同じ光景が各地で展開されることで、国体が護持されたことを実感したと思います。
北田 「玉音放送」で言ったことが護持された。
原 それが1991年、雲仙普賢岳の噴火をきっかけに変わった。天皇、皇后が被災地に向かい、ひざまずいて被災者をねぎらいました。当時は保守派から大きな批判を浴びましたが、今思えばあれが平成流の皇室の始まりだった。抽象的な国民ではなく、顔の見える一人一人に天皇と皇后が向き合うようになったのです。
「生前退位」(その2)
踏み込んだ「お気持ち」 天皇制を再考する時期
原 その中に、実は国体が継承されているんじゃないか。昭和との連続性を感じます。イデオロギッシュだった国体の姿が、より一人一人の身体感覚として染み渡っていくというか、強化されているのではないか。こうした行幸啓を続けることで、いつの間にかそれが皇室の本来の姿のように映るようになった。
北田 すごい発明ですよね。平成天皇制。
原 また、お言葉の中で注目すべきは、殯(もがり)や喪儀(そうぎ)に言及したこと。確かに生前退位すれば、それらをすぐにやる必要はなくなります。しかし他方で、宮中祭祀と行幸啓はちゃんと継承しないといけない、と言っている。
北田 象徴としてはかなり細かい後継への指示ですね。日本国憲法における象徴天皇は自分が作った、という自負すら感じます。
原 完成型をつくったという強い自負がある。一方、次代で変わってしまうのでは、という危機感もあるはずです。
北田 天皇制の問題について、特にリベラル系の研究者による議論はあまりなかった。ぱっと思いつく研究は、『大正天皇』など原さんのものくらいです。
原 天皇制の研究はもう終わっている、という認識があったのでしょう。しかし、天皇個人についての本格的な研究が始まったのはごく最近になってからです。
北田 天皇制が必要なのかという、本格的な議論もしてきませんでした。アカデミシャンも左派も「平成の後がある」ことを忘れていたか、忘れたふりをしてきた。
原 問題として認識されていない。完全に抜け落ちている。
北田 自戒を込めていえば、私も天皇について断片的に本を読むくらいで、強い関心を持っていませんでした。しかし今回のお言葉で目が覚めました。「これはむき出しの権力だ」と。天皇家、天皇制とは何なのかを徹底的に再考する時期だと思います。
注<1>=昭和天皇が朗読した「終戦の詔書」が録音され、ラジオで放送された。
注<2>=現行憲法は天皇は「国政に関する権能を有しない」とし(第4条1項)、行うべき国事行為を内閣総理大臣の任命など13項目に限定している(6、7条)。
注<3>=フランスの思想家・批評家ロラン・バルトが皇居をこう表現した。
■対談の背景
「生前退位の流れは決定的」「政治が動いてお気持ちに沿うべきだ」との論調は、リベラル派に目立つ。それは、天皇を戦前回帰傾向が強い現政権の重しと捉える人が多いからではないか。15日の政府主催の全国戦没者追悼式で、天皇は大戦について「深い反省」の表現を使ったが、安倍晋三首相はアジア諸国への加害責任に触れない。今回の対談は、とはいえ「お気持ち」の政治性を直視しなければ、好戦的な改憲派に利用されかねないことを示唆する。【鶴谷真】
■人物略歴
はら・たけし
1962年生まれ。放送大教授。日本経済新聞記者、明治学院大教授などを経て2016年から現職。専攻は日本政治思想史。著書に『大正天皇』『「昭和天皇実録」を読む』など。
きただ・あきひろ
1971年生まれ。東京大大学院博士課程退学。博士(社会情報学)。筑波大講師などを経て現職。専攻は社会学。著書に『嗤(わら)う日本の「ナショナリズム」』、共著に『リベラル再起動のために』など。