異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

女子の独白ー政治なんて関係ないし~、でも日本人は日本人。強い安倍さん、カッコいい!やっぱり自民党よね

2015-11-04 15:31:21 | 歴史  歴史歪曲

思索の日記

http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/f426179d001cdbb2c2a07425e85c2eb2より転載

女子の独白ー政治なんて関係ないし~、でも日本人は日本人。強い安倍さん、カッコいい!やっぱり自民党よね

2015-11-04 

政治や国のありようなんて、わたしなんかが考えてもしょうがないし、関係ないし~~、で、そんなこと気にしないのが当たり前でふつうの人でしょ。
意見はいろいろで、分かんなーい、から、どっちでもいいしーー。
学校のテストに関係ないのに、意見なんか言っている人って、変人よね。

政府に逆らったら損ばかり、バカよね。
みんな日本人なんだから、政府と国民は一緒よ。自分の仕事に頑張ればいいのよ。昔から身分を弁えるのがニッポン人の美徳でしょ。
民主主義って欧米のものだし、日本は日本主義で、餅は餅屋。政治は政治の専門家に任せればいいのよね。

やっぱり天皇陛下が居て皇室が3000年も続いているから素晴らしい国、世界のどこにもないよい国よ。
ニッポンちゃちゃちゃ、ニッポンはアジアで一番、中国なんて、アメリカ軍と一緒にになって抑えつければいいのよ。いうこと聞かなきゃ、やっつけるだけよ。
安倍さんの強気、かっこいいわよね。悪い国をやっつけるには、強い軍隊にして戦争準備が大切って、安倍さんの本にそう書いてあるそうよ。
大きな国、強い国に!!

いやな人は出ていけばいいのよね、そういう人は「非国民」なんだから。
教育も変えるそうよ、人権なんてことばに怯える必要ない、日本人は天皇中心の国だからって、『反人権宣言』って本出した安倍さんの親友の八木さんが書いてるって。ニッポンはニッポンの常識でやれば良いんだって。そうよね。これからは、学校で子供たちに日本人の自覚を持つように教育するんだって。日本人っていう自覚に一番大事なのは、日の丸と君が代で、「君が代」はあの偉い明治天皇に捧げられた歌。すごいわよね~~~

日本は天皇中心の国だし、日本人は日本人。これって当然よね。
考えが違う人は、日本では不利な目にあっても仕方ないのよね。だって、「日本人は一致団結しないとダメ!」って、自民党の一番偉い人も言ってるしーーーーー。

 


安倍さんと自民党と、強いものと大きなものが何より好きな女子の独白(武田作)、すばらしい!って思われる方、多数かな?(笑)


ちなみに、現天皇と皇后、皇太子夫妻は、日本をそのような天皇中心の国とはまったく考えていません。
なお、安倍さんの本とは、「美しい国へ」と改訂版「新しい国へ」(題名だけの変更で中身はほとんど同じ)。
安倍さんの親友とは八木秀次麗澤大学教授で、「反人権宣言」(ちくま新書)や「明治憲法」(PHP新書)を出している右翼の社会思想家。スウェーデンなど人権先進国・高福祉国を目の敵にする人物で、政府の教育再生実行委員会の中心メンバーです。
自民党の偉い人とは、谷垣幹事長。

 

「戦前回帰」は必読本。右派の人にもお薦めです。

 

 

 

 


言論弾圧は民衆が始める~支配されることを望んでいる国民の反知性(小田嶋隆)

2015-11-04 15:28:26 | 紹介

 

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/168014?utm_content=buffere4f60&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer より転載

コラムニスト小田嶋隆氏 「言論弾圧は自主規制から始まる」

2015年11月2日
新著「超・反知性主義入門」が話題の小田嶋隆さん(C)日刊ゲンダイ
新著「超・反知性主義入門」が話題の小田嶋隆さん(C)日刊ゲンダイ

 

 反知性主義という言葉が流行している。立憲主義を否定し、学者の声も黙殺した安倍首相に対して向けられたもので、社会学者の上野千鶴子・東大名誉教授は「立憲主義の危機だけではない。知性の危機、学問の危機、大学の危機だ」と訴えた。そこで話題なのが「超・反知性主義入門」(日経BP)の著者・小田嶋隆氏(58)だ。反知性主義なのは野蛮政権のトップだけではない。そういう政権を選んだ国民にも危険な兆候が広がりつつあるという。

――この本は小田嶋さんの連載コラムをまとめられたものですが、もうバサバサというか、日本人の反知性主義が「これでもか」と出てきますね。生贄を求める社会、絆思考の危うさ、言論の自殺幇助……。世の中、全体が思考停止というか、反知性主義に毒されたというか。

 言論の自殺幇助でいえば言論弾圧って、憲兵がやってきて、言論の自由を掲げる闘士をしょっぴくみたいなイメージがあるじゃないですか。でも、実際は違って、公安や警察が直接手を出すことなんてまずあり得ない。戦前もそうだったけど、自主規制なんですよ。このテーマを書くと編集長がいい顔しないよ、読者の抗議はがきが殺到するよって。こんなふうに外側からやんわりと圧力がかかって書きにくくなる。ある種、言論に対する民意が言論の自殺幇助になる。

 

 

 


私たちはどこへ:戦後70年 第10部・閉塞/2 ナショナリズム(毎日新聞・四国)…”日本会議”

2015-11-04 14:39:55 | 日本会議  神道政治連盟

 毎日新聞http://mainichi.jp/area/kochi/news/20151031ddlk39040661000c.htmlより転載

私たちはどこへ:戦後70年 第10部・閉塞/2 ナショナリズム /四国

毎日新聞 2015年10月31日 地方版

 ◇首相と共鳴、根を張る「日本会議」

 

 国民から説明不足と指摘されても、安全保障関連法の成立に固執した安倍晋三首相。その姿勢に共鳴し、後押ししてきたのが国内有数の保守系団体「日本会議」だ。スローガンは「誇りある国づくりへ」。早期の改憲を目指し、首相側近を含む国会議員や地方議員に運動のネットワークを築くことで政治への影響を強める。ナショナリズムが静かに根を張ろうとしている。

 耐え難きを耐え……。せみ時雨に混じって玉音放送が流れると、参加者はうつむき、目を閉じた。

 終戦から70年となった今年8月15日、靖国神社で開かれた戦没者追悼集会。自民党政調会長の稲田朋美が壇上で訴えた。

 「私は決して歴史修正主義者ではありません。客観的な事実は何だったのかを重視したい」

 日本の戦争指導者らを裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)を検証する意向を表明すると、聴衆から拍手が起きた。

 ◇侵略の「主語」は

 主催者の一つが日本会議。1997年に設立され、皇室崇敬、憲法改正、愛国心を養う教育、夫婦別姓反対といった主張を掲げる。会員約3万8千人。国会議員懇談会には自民、民主、維新などの約280人が加盟する。集会には首相補佐官衛藤晟一も姿を見せた。

 日本会議会長の田久保忠衛(82)は、首相の戦後70年談話を持ち上げた。「誰が侵略したなんてことは全く言ってない。『俺が侵略した』と言ったら謝らなければならない」

 日本を主語にしない表現へのこだわり。「あの時と同じだ」。元労相の村上正邦(83)が、95年に衆院で採択された戦後50年決議を振り返る。採択直前、自民党参院幹事長だった村上の部屋に保守運動を共にするグループが大挙して押し掛けた。「これでは駄目だ」。多くの党幹部が侵略戦争を認める内容の決議に傾く中、タカ派の村上に詰め寄る。村上は党内調整に奔走したが、最終的に日本が「侵略的行為」をしたとの表現が盛り込まれたため激しく非難された。

 ◇60年代から

 そのグループの中に「日本を守る国民会議」(当時)の事務局の中心だった椛島有三(70)の姿があった。現在は他の団体と合流してできた日本会議の事務総長。「彼らはあの時のこだわりを持ち続け、安倍首相の周辺で存在感を示している」と村上は言う。

 65年5月。長崎大に警察が出動し、学生会館の運営をめぐり大学側と対立していた左翼学生を排除した。激化する闘争。この時、左派に反発して「学園正常化運動」に立ち上がったのが長崎大生だった椛島らだ。

 「学生運動といえば左翼の時代に少数の右派を組織化した」と、左派のリーダー的存在だった青木道郎(75)。青木と活動した大野泰雄(71)は「僕らを批判するビラをまき、論争になったこともある」と話した。

 ◇「日本は危篤」

 「長崎に続け」。椛島らの運動は各地の大学に波及する。69年には「全国学生自治体連絡協議会」が設立され、民族派団体「一水会」の元顧問で、早稲田大生だった鈴木邦男(72)が初代委員長に就いた。鈴木も含め中心メンバーは宗教団体「生長の家」の学生組織と重なっていた。

 鈴木は「創始者の谷口雅春先生は左翼による革命に危機感を持ち『日本は危篤状態だから立ち上がれ』と教えていた。椛島君も影響を受けていた」と語る。

 椛島らは70年、後に日本会議の事務局を担う「日本青年協議会」を結成。その直後、三島由紀夫が憲法改正を訴え、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自殺した。「ああ、これが国のために命をささげることなのか」。椛島は青年協議会の機関誌で「義挙」と称賛した。

 8月15日の集会に参加した会社経営の男性(26)は「あの戦争は自衛のためで侵略ではない。日本軍が理不尽な暴力をしたというのは報道と教育の影響が大きい」と主張する。三島には「ものすごく共感する」といい「集会には同世代も多く、頼もしく感じた」と笑顔を見せた。

 一方、保守的な考えを持ちながら日本会議と距離を置く人もいる。大学講師の早瀬善彦(33)は学生時代、保守系サークルに入った。当初は伏せられていたが、やがて実質的には青年協議会の学生組織だと分かった。

 谷口や三島を「先生」と敬い、天皇にまつわる知識を学ぶよう求める姿勢に違和感を覚えて脱会。「純粋な人ばかりだったが、精神論についていけなかった」。メンバーは青年協議会職員の子どもが多かったという。

 椛島と同志だった鈴木には、若いころに夢見た「右派からの革命」が、日本会議の活動に重なって見える。「同調する政治家が増え、改憲に手応えを感じているのではないか」と鈴木。新右翼として活動してきたが、立ち位置は大きく離れた。

 「改憲で軍備が強化され、国の力が強くなれば、個人の自由や人権は否定されていく。椛島君たちと話してみたいが、僕たちのことなど眼中にないかもしれない」(敬称略)

 ◇改憲、設立時からの悲願 各地に拠点

 日本会議の悲願は9条をはじめとする憲法改正だ。初代会長に就いたのはワコール会長だった塚本幸一(故人)。1997年5月の設立総会で「憲法を変えなくてはこの国は良くならない」と訴えている。

 2014年10月に設立された「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の共同代表は、元最高裁長官で日本会議名誉会長の三好達、会長の田久保忠衛、ジャーナリストの桜井よしこ。早期の改憲を目指し、全都道府県で「県民の会」をつくる方針を示している。今年8月に開かれた埼玉県民の会で、NHK経営委員で日本会議役員の長谷川三千子は「(交戦権を否定する)憲法9条2項は欠陥だ。力と力の均衡があればこそ、国際平和は保たれる」と講演した。

 役員には神社本庁など宗教界の重鎮も名を連ねる。日本会議を研究する国学院大助教、塚田穂高(35)は「保守派としての主張が幅広く、乗りやすい。さまざまな活動の受け皿になっている」と語る。

 全都道府県に本部、区市町村にも計約240支部がある。東京都府中市議の杉村康之(46)は34歳で初当選したころ、日本会議に入った。「日教組のイデオロギー色が強い戦後教育は行き過ぎている」と考え、教科書選定の在り方などで問題提起してきたが、今は活動を控えている。

 「憲法解釈変更で集団的自衛権の行使を容認した安倍首相のやり方は極端。それでも日本会議は支持し、イデオロギーを国民に強制しようとしている。これでは日本会議が批判してきた日教組と同じではないか」と指摘した。(敬称略)

 

 

 


韓国を恫喝していた斎木昭隆外務事務次官の衝撃(天木直人)

2015-11-04 14:08:37 | 政治 選挙 

 新党憲法9条

インターネット政党  http://new-party-9.net/archives/2874 より転載
 

 日韓首脳会談が3年半ぶりに実現したことが大きなニュースになっている中で、きょう11月4日の毎日新聞が、日本外交の根底を揺るがしかねない大スクープを一面で書いた。

 なんと斎木昭隆外務事務次官が、次のような恫喝を相手の韓国外務省の事務次官に投げつけ、日韓関係の改善を迫っていたというのだ。

 「安倍晋三政権は総選挙に勝って4年間を保証されている。朴槿恵政権はあと3年。そちらがかたくななら日韓関係は3年間動かない。それでいいのか」

 これは2014年12月29日に、訪韓した斎木外務次官が韓国の趙太庸外務第一次官に言った言葉だという。

 いうまでもなく、2014年12月14日の衆院選挙で、安倍政権が大勝した。

 その直後に訪韓して語った言葉であるというわけだ。

 もし、斎木次官のこのような発言が、先週の日韓首脳会談の前にスクープ報道されていたら、日韓首相会談はただでは済まなかったに違いない。

 いや、このスクープ記事は、首脳会談が終わったいまこそ、大きな問題に発展するおそれがある。

 もしこれが中国の外務次官を相手に言ったとしたらどうか。

 習近平主席は激怒し、たちまちのうちに中国国民の知るところとなり、日中関係が破綻するだろう。

 だから、さすがの斎木次官も、中国相手に決してこのような暴言は吐けなかったはずだ。

 しかし韓国相手に恫喝した。

 これはまさしく日本外交が韓国を見下している証拠だ。

 この毎日新聞の大スクープを知って韓国騒がなければ韓国の負けだ。

 日本の野党がこの毎日新聞の大スクープを見過ごすようでは、日本の政治もおしまいだ。

 もはや斎木事務次官の更迭は必至だ。

 しかし斎木事務次官のクビだけでは、到底済まされない。

 なぜなら、このような発言は斎木次官の一存で出来るはずはないからだ。

 安倍首相の意向がそのまま伝えられたとすればどうだ。

 成り行き次第では安倍政権最大のピンチに発展するおそれがある毎日新聞の大スクープである(了)

 

 参考画像  

 

 

 

 


憲法は民衆のために 鈴木安蔵の人と学問 直弟子語る (東京新聞【ふくしま便り】)

2015-11-04 12:00:45 | 憲法

                                                                         画像by近藤 均FB憲法九条の会


 *東京新聞【ふくしま便り】

憲法は民衆のために 鈴木安蔵の人と学問 直弟子語る 

2015年11月3日

 平和憲法のルーツは福島県南相馬市にある、という話を以前本欄で取り上げた。日本国憲法の間接的起草者と呼ばれる憲法学者・鈴木安蔵(一九〇四~八三年)が同市で生まれ育ったからだ。
 ただのご当地自慢をしようというのではない。日本国憲法は米国に押しつけられた憲法ではなかった。日本の民衆の願いの結晶として生まれた。この事実を確認するためにも南相馬市の持つ歴史的な意味を心に留めておくべきだろう。

 その安蔵から愛知大学で直々に薫陶を受けた弟子である金子勝・立正大学名誉教授(71)が先月、「はらまち九条の会」の招きで同市を訪れ、安蔵の業績や人柄について講演した。「世田谷・九条の会」の呼び掛け人でもある金子氏の話のエッセンスを紹介したい。

 まず幼少期のエピソード。一九〇四年三月三日、安蔵は小高区の商家で生を受けた。銀行員だった父は二十七歳で病死。母に育てられ、没落した家を再興したいという思いで猛勉強する。相馬中学では弁論部に入り、数々の弁論大会で優勝したが、ただの秀才ではなかった。
 三年生のとき、上級生による私刑を追放しようと同級生七十数人の先頭に立ち、ストライキを打つ。謹慎三日の処分を受けたが、私刑はなくなった。
 「正義感の強い人で、大人になっても変わらなかった。こんな心を育んだのは、幼い頃から通ったキリスト教会で、ヒューマニズムを学んだ影響だったろう」と金子氏は見ている。

 飛び級で旧制第二高等学校に進むと「新カント哲学」に熱中。さらに「貧困、飢餓、売春、失業、疾病など社会矛盾を除去しよう」との思いで「社会思想研究会」を結成する。
 一九二四年、京都帝国大学哲学科に進学するが、翌年に経済学部に転部し、マルクス主義の研究に入る。ところが京大社会科学研究会での活動が治安維持法に違反するとして逮捕される。全国で三十八人が逮捕された、この学連事件は治安維持法適用の第一号だった。京大を自主退学に追い込まれた安蔵は、在野の研究生活を選ぶ。
 さらに二九年に再び治安維持法で逮捕され、二年半も獄中生活を送る。金子氏によると、この体験が後に鈴木憲法学を生む契機となったという。
 「先生は、獄中で日本の憲法学者の著作を読みあさった。そして、日本の憲法学には歴史的研究と批判が欠けていることに気づいたのです」

 出獄後、代表作である「憲法の歴史的研究」を発刊し、民衆の立場に立ち、民衆の幸福を実現しようとする憲法学の必要性を世に問うた。日本に初めて社会科学としての憲法学が生まれた瞬間だった。

 そんな一介の在野の学者を、歴史は必要とした。四五年、太平洋戦争が終結すると、ポツダム宣言の趣旨に沿った新憲法作りが始まる。連合国軍総司令部(GHQ)は当時の幣原喜重郎内閣に草案を提出させたが、まるで大日本帝国憲法の焼き直しのような内容に失望する。同じ頃、学者、ジャーナリストらで構成する「憲法研究会」も「憲法草案要綱」という草案をつくった。まとめ役は安蔵だった。

 GHQは、草案に着目し、つぶさに検討して、ほぼ同じ内容の「日本国憲法草案」を起草した。このため安蔵は、日本国憲法の間接的起草者と呼ばれる。
 「憲法草案要綱」に「戦争放棄」は盛り込まれておらず、「九条」はGHQと幣原内閣の交渉の中で生まれたとされる。しかし「憲法草案要綱」は、「天皇の臣民」に代えて「国民」という概念を持ち込んだ。これは当時の日本人には驚天動地の画期的な考え方であったという。
 「国民主権」は、GHQによらず、日本人によって提案されたという点が何より重要だ。

 講演の後、金子氏らは南相馬市小高区の商店街の一角にある安蔵の生家を訪ねた。小高区は原発事故のために今も居住制限があり、安蔵の縁者も避難生活を続けている。だが、来年三月の規制解除を目指して、少しずつ人の気配がよみがえってきた。
 そんな空気を感じつつ、「鈴木安蔵憲法記念館をつくろう」などというアイデアも飛び出した。平和憲法を軸とした復興があってもいいのではないか。
 (福島特別支局長・坂本充孝)