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「平和は希望失わないことから」 キリスト者平和ネット事務局代表、「沖縄から見える平和」を語る

2015-10-29 00:23:25 | キリスト教 歴史・国家・社会

Christian Today, Japan

http://www.christiantoday.co.jp/articles/17441/20151028/aika-taira-peace-hope-okinawan-perspective.htmより転載

「平和は希望失わないことから」 キリスト者平和ネット事務局代表、「沖縄から見える平和」を語る

2015年10月28日19時21分 者 : 行本尚史
 
 
 

日本バプテスト連盟上尾キリスト教会(埼玉県上尾市)は25日、秋の特別集会として、「沖縄から見える平和」と題し、沖縄出身で「平和を実現するキリスト者ネットワーク」(キリスト者平和ネット)事務局代表である平良愛香牧師(日本基督教団三・一教会)を講師として招き、同教会の会堂16周年記念礼拝と講演会を行った。

平和のつくり方、希望を失わないことから始まる

午前10時半から行われた礼拝で、平良氏は「平和のつくり方」と題してメッセージし、新約聖書の「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)と、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)に触れつつ、「平和のつくり方。それは、私たちが希望を失わないことから始まる」と語った。

平良氏はメッセージの初めに、沖縄の弦楽器である三線を弾きながら、琉球童歌「てぃんさぐぬ花」をもとに作られた賛美歌を歌った。

そして平良氏は、「『今、我慢すれば死んだ後に報われる』とか、『他者はともかく私は平和。人々は苦しんでいるけど私は平安』というのは、本当の平和なのか? イエス様が伝えようとした『神が共におられる』平和というのは、そういう平和なのか?」と問い掛けた。

「『平和を実現する人々は、幸いである』というのは、神様が共にいるから私たちは何もしなくてもいいというのではない。この地上に神の国を実現するために平和をつくり出さなければならないということだ。私たちは全ての人が愛され、大切にされる状況をつくり出していかなければならない。それこそが神の与えるシャローム(ヘブライ語で「平和」の意味)なのだと、そのようにイエスの言葉から感じられるのだ」と平良氏は語り、会衆に互いに「シャローム」とあいさつするよう呼び掛けた。

「イエス様が実現しようとした、また私たちが実現させようとしている平和は、強者、力のある側のための平和ではなく、弱者が安心して生きられることであり、その時に初めて強者、多数者にとっても平和が実現するのだ」と平良氏は述べ、今度は会衆にアラビア語で平和を意味する「サラーム」とあいさつするよう呼び掛けた。

「私たちは楽観できないこの世界を生きている。自分の感情で『平和だ、平和だ』と歌っていられるような気楽な世界にはもう生きていない。『神様、あなたの力がなければ実現できないのです』、そういう切羽詰まったもがきの中で初めて、『恐れるな。私は既に世に勝っている』という言葉と出会うのだ」と平良氏は述べた。

そして、「本気で神の平和の実現を私たちは信じているのだろうか? 私たちがキリスト者として信じるのは、神がいるというのではなく、神が共にいるということ。神がこの世に参与するということに他ならないのだから」と語った。

平和の約束が実現しないことを嘆く旧約聖書の「哀歌」が、自身の「愛香」という名前の由来の一つだと両親から言われたという平良氏は、その名前が持つもう一つの意味について最近、両親から聞いたという。両親は平良氏に、「あなた(神)の約束した平和の実現を、こんな状況だけど私たちは今も信じ続けますという告白なんだよ」と語ったという。

「辺野古(基地建設)の海上阻止行動のための小さな船の名前は、サラーム号と名付けられた。辺野古の闘いの中心に今日もキリスト者たちがいる。平和を実現するために、そしてその平和を確信する人たちがそこにいる。私たちもそこに連なりたいと思う」と平良氏はメッセージを締めくくり、「あなたの平和が実現しますように」と神に祈った。

「平和は希望失わないことから」 キリスト者平和ネット事務局代表、「沖縄から見える平和」を語る
午後の講演会で「沖縄から見える平和」と題して講演する平良愛香氏

沖縄から見える平和

午後に行われた講演会で平良氏は、沖縄と琉球と琉球弧(南西諸島)の地理的な区分、沖縄の歴史、沖縄の米軍基地、米軍のヘリパッドが建設されている高江や人口密集地に米海兵隊基地がある普天間での闘いについて語った。

また、沖縄から「見えてくるもの」として、「あなたはウチナンチュ(沖縄人)ですか、それとも・・・」と問われたときには、「私の母親はヤマトンチュ(本土出身者)だが、私はウチナンチュだと答えるようにしている」と述べた。

「沖縄は大変ですね」と言われるたびに感じることとして、平良氏は、1)どれくらい大変なのか知っているのか、2)何で大変なのか知っているのか、あなたたち(日本)が踏みつけているからでしょう、3)それを自覚しているのか、という3つのわだかまりを挙げた。そして平良氏は、「沖縄に基地が集中する本当の理由は、日本にとって痛くもかゆくもない所にあるから。そのことに気付いていくようにしていかなければならない」と結んだ。

「平和は希望失わないことから」 キリスト者平和ネット事務局代表、「沖縄から見える平和」を語る
午後の講演会の様子

ある男性の参加者は、沖縄のことが「内地」であまり報道されていないことに触れ、「十字架でキリストが血を流して肉を引き裂かれたことによるつながりが、(沖縄と「内地」の間で)切れてしまっていることを深く、深く悔い改める」と語った。

また、ある女性の参加者は、午前中の礼拝に触れ、「『平和を実現する人々は、幸いである』というマタイ5章9節の言葉の重みをかみしめつつ、いろんなことを考えさせられている」と話した。

一方、近所から来たというある男性の参加者は、「沖縄で基地が作られているのは、戦争をするというよりはお金儲けのためだと強く感じている」と言い、もう一人の女性の参加者は「学習することが大事だ」と強調した。

米国出身のある男性の参加者は、苦しみのうちにある人たちのための言葉として、「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです」(1ペトロ4:12、13)を挙げ、隣にいた女性に日本語で代読してもらった。