異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

【政権とメディアの癒着②】安倍政権の記者会見は全部やらせ、フリー記者は質問の機会もらえず!!

2015-10-06 18:36:56 | 報道

BLOGOS  http://blogos.com/article/137712/より転載

記事 神保哲生

  2015年10月06日 12:59

安倍政権はそろそろいい加減にせんか

安倍政権の記者会見が全部やらせで、フリーの記者は安倍政権になってから会見で一度も質問の機会をもらっていないことは何度かtweetやFBでご報告してきましたが、ついにアメリカでもやっちまったようですぜ。

http://bit.ly/1OhdO2y

自民党総裁再選の会見では、司会をした萩生田光一筆頭副幹事長が、質問は平河クラブ加盟の記者に限ると宣言をしてから会見を始めています。そして安倍さんが気持ちよく独演した上で、あらかじめ平河の記者を会見室の前の方に座らせておいて、新総裁自らが質問者を指名するという茶番を演じています。

そのため総裁再任の会見であるにもかかわらず、総裁選が無投票となったことや、野田聖子氏が立候補の意思を表明しながら、安倍陣営の切り崩しにあい断念に追い込まれたことの真偽など、新政権の正統性に関わる重大な問題点を誰も質していません。

翌日に官邸で行われた安保法案の強行採決後初の首相会見でも、私や他のフリーの記者たちが手を挙げているのに、挙手していなかったNHKの記者を指名して失笑を買うようなことまで起きています。

いずれも以下の映像に映っています。

記者会見は首相の独演会ではない
http://youtu.be/41cRFQytbL0

記者会見は国会と並んで国民が首相の国政に対する見解を質す民主主義の中の不可欠なパーツ。それが全部「やらせ」はまずいよね。しかも、われわれはそれを質す機会を奪われているので、自力でそれを質すことができないのですわ。

別に自分でなくてもいいので、政権から特権を得ていない、自由な立場からまともな質問をする記者を指名してちょうだいな。そうすればすぐちがいがわかるよ。

それに安倍さんも国内の記者会見を茶番で済ませることで普段からメディア対応で鍛えられていないから、ロイターから予定外の質問をされるととんでもないことを言ってしまう。メディア対策とメディア操作は違うんじゃねえか。

 

 

 


【メディアと政権との癒着①】 米記者から「出来レース」批判された安倍首相国連会見 

2015-10-06 16:03:56 | 報道

外国記者の予想外な質問「なぜ難民を受け入れないのか」に、安倍首相は頓珍漢な返答になった。
その理由とは
国連総会での安倍首相記者会見は出来レースだった!(前もって質問と答えが用意されていた。)

 

http://www.npo-iasia.org/i/archive/2015/10/abe-conference.html より転載

iAsia

米記者から「出来レース」批判された安倍首相国連会見 

  • 2015/10/ 5 14:38

安保法案の成立後、ニューヨークで国連総会に出席した安倍首相。帰国前に現地で記者会見を開き、国連の安保理常任理事国入りに言及したことなどが日本でも華々しく伝えられた。
しかし、その会見をめぐって外国の記者から強い批判が浴びせられたことは、日本では伝えられていない。そこで外国人記者が感じたのは、日本のメディアと政権との癒着だった。(アイ・アジア編集部)

 

「もう1つ、質問が有る。あなたはシリアの難民問題で支援を表明したが、なぜ難民を受け入れないのか?」


ロイター通信の記者がこう質問すると、通訳を通して質問を理解した安倍首相の表情が強張った。実は、その質問に慌てたのは安倍首相だけではなかった。会見場にいた日本人記者全員が「予定外」の質問にざわめきたったのだ。


日本時間の9月30日朝に行われたニューヨークでの安倍首相の会見。
「予定外」の質問とはどういうことなのか。
アイ・アジアが入手した首相官邸の資料や取材に応じたアメリカ人記者の話によると、この会見では、質問者も質問内容も予め決められていたのだ。つまり、出来レース会見だったのである。


アイ・アジアが今回入手した資料は会見前に準備されていたもので、それによると、日本のメディアの記者と外国メディアの記者が交互に、5人まで質問することが決まっていた。極めて興味深いのは、その資料には、質問者の名前とともに、質問内容まで書かれていたことだ。


まずNHKの記者が、日ロ関係について質問、続いてロイター通信の記者がアベノミクスについて質問、続いて共同通信の記者が内閣改造について質問、そして4番目に米公共放送NPRの記者が、普天間基地の移設問題について質問し、最後が、テレビ朝日の記者で、国連改革について質問、となっている。


これについて、初めて日本の総理の会見に出たというアメリカの雑誌記者は驚きを隠さない。


「質問事項をあらかじめ提出しろということですから驚きました。そんなことは、アメリカでは記者倫理に違反する行為です。ところが、それは日本の政府と記者との間では常に行われていることだというではありませんか。本気かよ?と思ったのは私だけじゃありませんよ」


そして、前述のロイター通信の記者の「予想外」の質問となったわけだ。

予め決められていた質問は、「アベノミクス2.0の新しい3本の矢は、なぜこれを選んだのか。また、具体的に何をしようと考えているのか」で、安倍首相が準備されていた内容を答えている。


その記者が続けてシリア難民の質問を始めた際に、慌てたのが安倍首相だけでなかったことは前述の通りだ。結果的に、安倍首相は難民問題全体に対する取り組みの必要性を強調し、広報官が次に控えている共同通信の記者に振ったので、会見は荒れることもなく進んだ。しかし、それで終わらなかった。
共同通信の記者が想定通りの質問をし、安倍首相が想定通りの答えを行った後、今度は米公共放送NPRの記者が質問に立った。記者は最初、「普天間飛行場移設問題について、現状では日本政府と沖縄県との対立があるが、日本政府と沖縄県のどちらが責任をもって対処する問題なのか。妥協策を含む、政府の今後の対応は?」と質問。
これは予め、予定されていた質問だ。それに対して安倍首相が準備された答弁をし、広報官が予定されていたテレビ朝日の記者に振ろうとした時、NPRの記者が続けざまに、「辺野古移設に関連した環境汚染の問題についてどう考えるのか?」と畳みかけた。


想定外の質問に、安倍総理は明確な返答が出来ず、その後、テレビ朝日の記者の質問は行われずに会見は中止となった。納得がいかない外国メディアの記者たちと対照的に、日本人記者たちは、広報官に挨拶をするなどして足早に会見場を立ち去ったという。


前述のアメリカの雑誌記者が表情を曇らせながら語った。


「アメリカで今、日本のメディアは安倍政権に牛耳られていると報じられているのを、日本の記者たちは知らないのでしょうか?記者会見というのは市民を代表してジャーナリストが権力者に挑む場だというのは、アメリカにおいては一般の人も知っている常識です。しかし、残念ながら、日本の権力者の会見はそうではなかった。質問内容は権力側が予め検閲し、その答弁は予め準備されており、会見はその通りに行われる...ちょっと信じられません」


NHKと共同通信の記者の質問は、総理官邸が作った資料と一字一句違わなかったという。企業の粉飾問題などが発覚するたびに「国際的な基準に照らして問題がある」と批判する日本の新聞やテレビだが、実は自分たちの姿こそ「国際的な基準に照らして問題がある」ことを自覚すべき時ではないか。

 

安倍総理会見メモ
記者会見について事前に作成されたメモ
(情報提供者保護のため加工)
 
 
=============================
 
<関連>
国連総会で安倍首相演説のとき、さびしいガラガラ状態/シリア難民支援でロイター記者に突っ込まれ…
(2015-10-01 10:26:32 
 
 
<参考画像>
 
 
 
 
 
 
 

「日本がおかしくなる」と涙した米国人ベアテ 憲法作成で「女性の権利」のため奔走

2015-10-06 13:58:10 | ご案内

http://dot.asahi.com/aera/2015093000137.html?page=1より転載

「日本がおかしくなる」と涙した米国人 憲法「女性の権利」のため奔走

(更新 2015/10/ 1 16:00)

 

第一生命保険本社ビルの本館6階にあるマッカーサーの旧執務室。ここで憲法の構想を練ったのか。現在は記念室となっているが、原則、一般公開はしていない。革張りのイスはすり切れ、脚がぐらぐらになっていた(撮影/写真部・大嶋千尋)

第一生命保険本社ビルの本館6階にあるマッカーサーの旧執務室。ここで憲法の構想を練ったのか。現在は記念室となっているが、原則、一般公開はしていない。革張りのイスはすり切れ、脚がぐらぐらになっていた(撮影/写真部・大嶋千尋)

 

 日本国憲法は、米国人の手によって作り出された。まさに事実だが、それを「押しつけ」と見るべきか。日本の憲法論を二分してきたテーマに迫りたい……憲法誕生にかかわった人とじかに接した人たちを訪ねた。

 1946年2月4日朝。皇居のお堀の向かいにそびえ立つ東京・日比谷の第一生命保険本社ビル。その大会議室に二十数人のGHQ民政局の職員が顔をそろえた。呼ばれた理由は、ほとんど誰も知らなかった。民政局長のホイットニーが口を開いた。

「我々はこれから憲法を作る。週末の約束はただちに取り消し、全力を挙げて、1週間で仕上げてほしい」

 まだ月曜日なのに。あっけにとられる各自に配られたのは、新憲法の基本姿勢を示したマッカーサーノートと呼ばれる文書だ。天皇の元首的地位の容認、戦争放棄、戦力の非保有、交戦権の否定、華族の廃止などをうたったその内容は、マッカーサーが腹心のホイットニーと共に練り上げたとされる。

 マッカーサーが急いだ理由は、その3日前に毎日新聞が日本政府の憲法案をスクープしたからだ。その内容は、天皇について「神聖ニシテ侵スヘカラス」が「至尊ニシテ侵スヘカラス」など、大日本帝国憲法の焼き直しとしか思えなかった。13日に日本側と協議することになり、それまでにGHQ版の草案を作ってカウンターパンチを繰り出そうとしたのだ。軍略家のマッカーサーらしい発想だった。

 日本国の最高法規である憲法が、GHQ、つまり米国人の手で作り出されたことは事実だ。しかも、わずか9日間で。

 その突貫工事ともいえる制定過程を、丹念に追いかけたテレビ番組「日本国憲法を生んだ密室の9日間」を撮ったのがドキュメンタリー作家の鈴木昭典(86)だ。鈴木は言う。

「あの憲法は、日本の復興のストーリー、指針でした。米国務省の極東班は、当時のリベラルな知識人で知日派の人々の集まりだった。日本人は勤勉で正直な民族だが、その誠実さが軍部に利用され、戦争のエネルギーに取り込まれたという考え方で、基本的にはよい世界をつくろうという理想があった」

 GHQの憲法チームの中に、人権問題や翻訳を担当した当時22歳の女性がいた。ベアテ・シロタ・ゴードンだ。

 戦前の日本に5歳から住み、近所の友達はみな日本人。友達の母親が、家父長制度のもと、服従的な生活を強いられているのを見て驚いていた。

 その娘で、米ニューヨークに暮らすニコル・ゴードン(61)によれば、ベアテは憲法に盛り込むべきだと作成した女性の権利の長いリストを、同僚や上司が削ろうとすると、こう反論した。

「私は、日本の女性の生活をよく知っている。いま男女の平等を憲法に書かなければ、日本は永久にそうした進歩的な権利を条文化することはないでしょう」

 このベアテに生前、鈴木と共に米国でインタビューを行った政治学者の五百旗頭真(71)は、こう振り返る。

「彼女は、草案に女性の平等と自由を長々と書き連ねたら、ケーディス(民政局の上司)に『これは憲法ではない、憲法は大原則だけを言うんだ』といってバサッと切られたというんです。それで彼女は、それではまた日本がおかしくなると、ケーディスの肩に顔を埋めて泣いたと話していました」

 日本政府との交渉でも人権の部分は激しい反対に遭ったが、ベアテの強い意思を知ったGHQ幹部も最後は擁護に回ったという。その結果、憲法における人権や女性の権利はかなり詳しく書き込まれた形で残った。

AERA  2015年9月28日号より抜粋

==========================

 

1945年のクリスマス―日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝


========================================

東京新聞 TOKYO WEB  http://www.tokyonp.co.jp/hold/2008/sokkyo/news/200705/CK2007050102019250.html より転載

日本国憲法の「男女平等」を起草した ベアテ・シロタ・ゴードンさん Q憲法にどんな思いを込めましたか?

2007年5月1日

日本国憲法の「男女平等」を起草した ベアテ・シロタ・ゴードンさん

写真

 3日で施行60年を迎える日本国憲法。日本女性の地位向上の願いを込めて男女平等条項を起草したのは、GHQ民政局のベアテ・シロタ・ゴードンさんでした。記者が以前、自宅を訪ねて行ったインタビュー内容を、歴史の貴重な証言として紹介するとともに、施行60年にあたってのメッセージを寄せてもらいました。 記者・豊田洋一

地位向上願い 権利を女性に

 豊田 なぜ憲法草案起草にかかわることになったのですか。

 ベアテ 私は一九四六年の一月から、連合国軍総司令部(GHQ)民政局行政部の政党課でリサーチャーとして日本女性の政治運動や小政党を調査していました。二月四日、民政局長のホイットニー准将が私たち局員を呼んで「マッカーサー元帥から憲法草案をつくるよう命令がありました」と伝えたのです。当時、政党課にはロウスト中佐、ワイルズ博士と私の三人がいて、行政部長のケーディス大佐は私たち三人に「人権のことを書きなさい」と割り振りました。草案は一週間でつくらなければなりません。三人で分担することにして、ほかの二人が私に「あなたは女性だから、女性の権利を書けばいいのではないですか」と言ったのです。

 豊田 どんな気持ちで引き受けましたか。

 ベアテ 憲法草案を書くなんて思っていなかったから、最初はびっくりしましたが、女性の権利を書くことになり、すごく喜びました。私は五歳半から十五歳半まで日本にいて、当時の日本女性には権利が全然なく、その苦労を詳しく知っていましたから、女性にもいろんな権利を与えたいという気持ちで草案づくりを始めました。憲法の専門家でない私は、いろんな国の憲法を参考にしようと、ジープに乗って東京の図書館を回り、本を借りてきました。草案づくりは極秘で、一カ所だけ行くとよくないと思い、三カ所で十か十一の憲法を見つけ出して事務所に戻ったのです。

 豊田 草案づくりでは、どんなことを重視しましたか。

 ベアテ 集めてきたスカンディナビアや、ワイマール、ソ連の憲法には女性の基本的な権利だけでなく、社会福祉の権利もちゃんと書いてあったので、憲法にこれを入れたいと思いました。民法を書くのは、官僚的な日本男性ですから、憲法にちゃんと入れないと、民法にも入らないと思ったんです。民法を書く人が縮められないよう草案に詳しく書きました。

 豊田 そのまま草案になったのですか。

 ベアテ ケーディスは「ベアテさんは日本女性のために、米国憲法以上の自由を書きましたね」と言ってくれましたが、「基本的な男女平等はいいが、社会福祉は憲法には合わない。そういうものは、民法に書かなければいけない」と認めてくれません。私、泣いちゃったんですよ。反論したんですが、まだ二十二歳の私には大佐ほどの力はなく、戦ってもどうにもならない。不満でしたが、基本的権利にとどめることを了承しました。

 豊田 日本側はGHQの草案をすんなり受け入れたのですか。

 ベアテ 日本政府には「これを基本に日本の憲法をつくってください」と草案が渡されていました。一カ月後、日本政府代表者とGHQとの会議があり、私は通訳として呼ばれました。会議は午前十時から始まり、すぐに私たちの草案を議論しているんじゃないことが分かりました。日本側は全く違う憲法案をつくってきたのです。ですから、日本側の案を英訳したり、ケーディスの返事を日本語に訳したり、議論があっちこっちに飛んで進みません。そうしたら、(当時外相だった吉田茂元首相の側近)白洲次郎さんが、書類をテーブルに置いて、どこかに行ってしまいました。それは私たちの草案の日本語訳でした。ケーディスは、この草案をベースにしようと言い、それ以降、議論が少し楽になりました。

 豊田 その後、議論は順調に進みましたか。

 ベアテ それでも天皇制は、ずいぶん時間がかかりました。日本側は天皇の権限を強くしたかったし、私たちは弱くしたかった。四、五時間はその議論だけでした。でも、私たちは部屋から出られません。陸軍から出された缶詰をそこで食べて、議論を続けました。

 豊田 ベアテさんの男女平等はどうでしたか。

 ベアテ 翌日の午前二時ごろ、男女平等の条項が(議題に)出てきました。日本側は最初「これは日本の歴史、文化に合わない。憲法には入れられない」と言ったので、激しい議論になりそうでした。でも、ケーディスはこう言ったんです。「女性の権利はシロタさんが書きました。通しましょう」。日本側はそれを聞いてびっくりしたと思いますが、私は通訳が早く、日本側からも信頼されていたので、日本側も最後には男女平等を受け入れてくれました。

 豊田 九条の戦争放棄規定は問題にならなかったのですか。

 ベアテ それはマッカーサーが「入れなければならない」と、最初から命令していたので、日本政府代表者との協議では全然、議論にならなかったと思います。ただ、ケーディスは亡くなる前、私に「九条の最初の草案には、侵略戦争だけでなく、自衛戦争もやってはいけないと書いてあったが、自分が消した」と言っていました。彼は、どの国でも自衛権はあると思っていたんです。戦争放棄条項はマッカーサーかホイットニーか、誰が書いたのかは分かりません。でもケーディスが自衛戦争の放棄を消したことは確かです。

     ◇

 このインタビューは二〇〇四年四月二十日、ニューヨーク・マンハッタンのベアテさんの自宅で行われました。

    ◇

 1923年、ウィーン生まれ。29年、作曲家・山田耕筰の招きで東京音楽学校(現・東京芸大)に赴任したピアニストの父、母とともに来日。少女時代を東京・乃木坂で過ごす。39年、米留学。卒業後、米タイム誌リサーチャーなどを経て、45年、GHQ民政局スタッフとして再来日。日本国憲法の人権条項起草にかかわる。著書に「1945年のクリスマス」(柏書房)など。ニューヨーク在住。

 

 


 


主体性をもって自分の意見を出す、SEALDsのような若者が増えることに、僕は期待する。(田原総一朗)

2015-10-06 13:57:59 | 報道

BLOGOS http://blogos.com/article/137555/より転載

記事 田原総一朗

    2015年10月05日 17:14

SEALDsの若者と直接話してわかった、意外な真実とは?

9月19日、安保法制法案が参議院で可決された。この法案に反対する人びとが国会前に押し寄せ、2万人ともいわれる大規模なデモとなった。

その前日の18日の夜、僕も国会前に行ってみた。
法案可決の直前、集まった若者たちが、どれくらい熱狂しているのかをこの目で見たいと思ったからだ。ところが、国会前に集まっていた若者たちは、いい意味で「クール」だった。空腹を覚えれば自由に食事に行く。遅い時間になると、集まっていた高校生たちに「早く帰れ」と帰宅を促している。ニュースで報じられていたような絶叫ばかりではなく、落ち着いた空気が、そこにあった。

25日深夜の「朝まで生テレビ!」は、「激論! 安保国会・若者デモ・民主主義」をテーマに放送した。
今回、若者デモの中心となっているSEALDs(シールズ)の創始メンバー、奥田愛基さんと諏訪原健さんの二人にも討論に参加してもらった。「SEALDs」とは、「自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクション」の英語の略だ。自民党の片山さつきさん、ジャーナリストの江川紹子さん、漫画家の小林よしのりさんらも出演し、日本の安全保障のこれから、そして憲法や選挙制度について熱く議論したのだ。

討論の内容は、とても有意義だった。それについては、改めてお話しをしたい。その前に、僕が、若者たちの意見を聞いて明るい希望を持ったことを、まず言っておきたい。

討論で、奥田さんと諏訪原さんに、「いったい何をそんなに怒っているのか」という質問を僕はぶつけた。これに対して奥田さんは、「僕たちの意見、国民の権利、憲法をバカにしていると思う」と答えたのだ。さらに、諏訪原さんが、「現在の国際的な安全保障関係をきちんと認識した上で、解決策を徹底的に議論してほしい。可決を急ぎすぎですし、異論もあります」とまで述べている。

僕は意外だった。
実は、僕はもっと単純に「戦争反対」という答えだけが返ってくるかと思っていたのだ。だが彼らは違った。彼らは「プロセスに異議あり」と言っているのだ。

もうひとつ意外に思ったことがある。
彼らを報道するとき、いつも彼らがデモの集会で絶叫しているシーンが映し出されている。だから僕も、彼らのデモを熱狂的なムーブメントにすぎないのでは、と思っていた。しかし、彼らはデモについて、「ひとつの手段でしかない」と語っているのだ。そして、なによりも彼らは地道に勉強もしているし、自分たちでパンフレットを作成し、配布しているという。

SEALDsの活動に対して、小林よしのりさんは、「大人に利用される。危ない」と指摘していた。だが、彼らは自分たちの活動を、「あくまでも『緊急』ですから、次の参院選挙を区切りに解散する」と冷静に計画を立てている。

僕は、60年安保のことを思い出していた。自分自身も国会前に行って、「安保反対、岸退陣」と叫んでいた。しかし、実は法案を読んでいなかった。安保改正の内容について何も知らなかった。ただ「反自民」という流れに乗って、ただ叫んでいただけなのだ。

そんな僕や、当時の多くのデモ参加者に比べると、SEALDsの若者は、しっかりと勉強し、考えているように見えた。
彼らのデモを実際に見て、討論に参加してもらったことで、メディアの報道ではわからない、真摯な姿を発見できたのだ。

奥田さんが語った、「賛成派、反対派はお互いにレッテル張りをしている」という言葉も印象的だった。きちんと会って話を聞かなければ、本当のことはわからない、僕はそう改めて思った。

もうひとつ、僕が興味を持ったことがある。奥田さんの次の言葉だ。「震災以後、主体性を持って、自分の考えを言うことが大事だと思った」というのである。津波、原発事故、復興の困難さなど、とくに10代であの震災を体験した彼らは、大きな影響を受けざるを得なかったのだ。

震災は、日本にとって不幸なことだった。だが、僕たちはこの経験を活かしていかなければならない。そのためには、主体性をもって自分の意見を出さなければならない。だが、主体性をもちながらも、異なる意見の人とも柔軟に話し合い、行動を起こすことも必要だ。SEALDsのふたりのような若者が、これからは増えるのではないか。僕は期待しているのである。

SEALDsが現れた背景を考えるとき、ネットを無視することはできない。ツールや場としてネットを使いこなす人びとが増えるとともに、新しい政治、新しい民主主義が生み出されるのではないか。楽観主義かもしれない。だが、そんな希望を持つにいたった、若者たちとの出会いだったのだ。
 
 
 
 

安倍首相はヒトラーの言葉通り、忘却戦術を取ってくるでしょう(水島朝穂早大教授)

2015-10-06 13:08:48 | 政治 選挙 

<注意!>「わが闘争」に、「大衆の理解力は小さいが、その代わり忘却力は大きい」「宣伝はこれに依拠せよ」というくだりがあります。
安倍首相はヒトラーの言葉通り、忘却戦術を取ってくるでしょう(文中より)

 

日刊ゲンダイ http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/164857 より転載

水島朝穂早大教授が危惧 「自衛隊制服組の暴走始まっている」

2015年10月5日

水島氏は「安保法案に反対する学者の会」の呼び掛かけ人(C)日刊ゲンダイ

水島氏は「安保法案に反対する学者の会」の呼び掛かけ人(C)日刊ゲンダイ

 

 安保法制反対の国会前デモで、「安保法案に反対する学者の会」の呼びかけ人として何度もマイクを握ったのが、水島朝穂早大法学学術院教授だ。若者が自立して行動を起こし、全国に伝播した反対の声は、「憲法を破壊した安倍首相でも壊せない」と訴える。法案通過後、国民に求められている行動とは?

――法案成立後、ヒトラーの言葉を引用して、反対運動を続ける大切さを訴えられていましたね?

「わが闘争」に、「大衆の理解力は小さいが、その代わり忘却力は大きい」「宣伝はこれに依拠せよ」というくだりがあります。安倍首相はヒトラーの言葉通り、忘却戦術を取ってくるでしょう。

――新3本の矢とかアベノミクス第2ステージとか内閣改造の話題とかで、けむに巻いていく。安保法案のことなんか、過去の話題にしてしまう
 
 改憲を狙う権力者たちは閣議決定による解釈改憲で、集団的自衛権の行使容認と地理的概念を外した自衛隊の海外展開を可能にしました。しかし、国民の反対運動を見て、「やばかったなあ」と実は思っているのではないか。だからといって、彼らは明文改憲をあきらめたわけではない。国民の慣れ、思考の惰性に期待しているのです。

――立憲主義を否定した乱暴な政治手法が、いつの間にか定着してしまう。怒りを忘れて、それが日常になってしまう?

 そうです。実際、来年度予算で防衛省は何を買うんですか? F35、オスプレイ、水陸両用強襲輸送車など、専守防衛から海外遠征型にシフトしているのは明らかです。米豪軍などとの演習を見れば、尖閣などの島嶼防衛とは明らかに異質な攻勢作戦を想定していることが疑われます。国民が知らないうちに装備が変わり、予算がどんどん膨らんでいく。法案成立の真の危うさは、今までできなかったことが国会のチェックもすり抜け、国民も知らないうちにどんどん拡大していくことです。消費税が10%になり、福祉予算が削られ、防衛費が青天井になる。
 
 
■遠からず、米軍のために自衛隊の犠牲者が出る

――そういえば、参院特別委員会では共産党が暴露した防衛省の内部資料によって、制服組の暴走が明らかになりましたね。

 昨年12月中旬、河野克俊統幕長が訪米して、米国の統合参謀本部議長や陸軍、海兵隊のトップ、空軍のナンバー2、海軍の作戦部長、国防副長官らと会談しました。その会談資料によると、河野統幕長はオディエルノ陸軍参謀総長に「安保法制は予定通りか」と聞かれ、「来年夏までに終了するものと考えている」と答えています。

――国会でも大問題になりましたが、この河野統幕長はいわく付きなんですよね?

 2008年にミサイル護衛艦「あたご」が漁船に衝突、乗組員親子が犠牲になった事故の際、記者会見したのが当時の河野海将補です。薄ら笑いを浮かべ、緊張感のない態度でメディアに批判されました。漁船が護衛艦を避けるのが当然という意識がありありでした。海自の場合、50年代から米海軍と一体で行動してきているので、エリート幹部たちは身も心も米国モードで育っている。自分たちこそが「国際貢献」「日米同盟」を担っているという驕りがある。
 
――だから、国会審議を軽視するような発言が飛び出すわけですね。

 しかも、この時の会談で河野氏は他にもとんでもないことを言っているんです。自衛隊はエボラ熱対策のために米アフリカ軍(AFRICOM=司令部はドイツ・シュツットガルト)に連絡官を派遣していますが、河野氏は「エボラ熱対処後も連絡官派遣を継続し、情報収集や我々のできることを検討したい。また、自衛隊は海賊対処を実施しているが、ジブチは海賊対処のみならず他の活動における拠点にしたいと考えている。防衛駐在官の増派も検討しており、AFRICOMとの連携を強化したい」(ワーク国防副長官との会談)と。「今後はPACOM(太平洋軍=アジア・太平洋地域担当)、CENTCOM(米中央軍=中東担当)、AFRICOMとの連携を強化して参りたい」(デンプシー統合参謀本部議長との会談)とも言っています
 
――勝手に世界中で米軍と協力すると約束しているんですね。
 ジブチを拠点にしてウイングを広げる。テロとの戦いにも自衛隊を送り込む。米軍が世界で展開する6つの統合軍のうち、3つで協力する。そういうことを宣言したも同然です。

 米軍が重視しているのは自衛隊が集団的自衛権を行使できる存立危機事態ではなく、米軍を後方支援する重要影響事態法と平和支援法の方です。弾薬を運ぶことや給油なんて、自衛隊がやらなくても米軍は自己完結している。自衛隊に一番やってほしいのは捜索救助活動でしょう。遠からず、米軍のために自衛隊の犠牲者が出ると思います。政府内部でも国会でも議論していないのに、米軍トップと勝手に話を進める制服組の暴走に、背広組も内心、穏やかではないでしょう。
 
――戦前をほうふつさせるようなイヤな動きですね。

 それでなくても、安倍政権は今年3月、「文官統制」を葬り去っている。防衛省設置法を改正して、背広組も制服組も対等に大臣を補佐できるようになり、文官優位が崩された。戦前は陸海軍大臣が反対すれば、内閣は総辞職です。その反省もあり、文官スタッフ優位制という特殊な日本的仕組みができた。この3月にそれが実質的になくなった。

――ますますこの政権には、監視と選挙での鉄槌が必要ですね。

 選挙で負けさせ、政権交代を実現させて、昨年7月1日の閣議決定を撤回させることが必要です。あの閣議決定で、安倍政権は憲法解釈を変えてしまった。新3要件を満たせば、限定的な集団的自衛権は許される。今後はこの解釈が法律の運用の基本になっていく。それだけで社会がどんどん変わっていく。
 
 
■「安保関連法廃止法案」を議員立法で

――忘却戦術に乗ってはいけませんね。

 そのためには安保関連法廃止法案を議員立法で出すことです。すでに盗聴法や政党助成法などに廃止法案が議員立法で出されています。参考になるのは07年の「イラク特措法廃止法案」で、衆院で3度、参院で1度出され、参院では可決されています。大マスコミが報じないので騒がれなかったが、安保法制の違憲性を明示し、訴え続けるには有効です。

――それにしても、この政権は露骨ですね。

 普通の自民党政権なら要職に就けないタイプの異様な人材が跋扈している。そういう人々が安倍首相の使えるうちに、今まで世論や憲法によって抑制されてきたことを全部やっちまえ、と焦っているのです。消費税増税、派遣労働の拡大、原発の再稼働等々、十分な議論が必要な課題をサクサクと決めていってしまう。民主国家とは思えない乱暴さが目立ちます。
 
――特定秘密保護法から武器輸出三原則の見直し、経団連の武器商人化、憲法破壊まで、あれよあれよですものね。

 登場人物も筋悪ですよ。法的安定性を否定した礒崎陽輔首相補佐官は、法制局参事官になりたいけどなれなかった過去がある。政治家になってから「俺が自民党の法制局長官だ」と威張っている。コンプレックスが議員になってからいびつな形で表れています。

――安倍首相も同じようにいわれますね。

 この政権で重用されている官僚、政治家には同じようなタイプが多い。コースから外れた人が、首相のお友達ということで、序列を超えて重要なポストに就いている。世襲3代目の北朝鮮の恣意的人事とそっくりですよ。能力に疑問符がつくので、その分、恐怖支配になる。警察、国税、検察を押さえて、マスコミを脅し、ビビらせている。能力的に最弱の政権が最強の権力を振りかざしているように見えますね。

▽みずしま・あさほ 1953年生まれ、早大大学院修了。広島大助教授などを経て早大法学部教授。2004年から早大法学学術院教授。専門は憲法・法政策論。