のぐち・ゆきお 1940年、東京都生まれ。東京大学工学部卒。大蔵省(現財務省)から一橋大学教授、東大教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学教授などを経て2011年4月から早大ファイナンス総合研究所顧問。「バブルの経済学」(日本経済新聞社)で吉野作造賞。「『超』整理法」(中公新書)がベストセラーに=東京都中央区日本橋の早大日本橋キャンパスで2015年3月18日、高橋昌紀撮影
◇野口悠紀雄さんインタビュー
日本企業は強くなっていない。円安で収益が支えられているだけ−−。1980年代後半、みんなが熱狂していたバブルを「悪」と断じた早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問の野口悠紀雄さんは、今の株価上昇を支える「円安バブル」にも「同じことを繰り返すのか」と厳しい目を向ける。【聞き手・尾村洋介、荒木功/デジタル報道センター】
−−円安と同時に株価が急上昇しています。そこで今、かつてのバブルを総括したい。野口さんは87年に「東洋経済」でバブルの異常さを指摘する論文を発表しています。だれもバブルという言葉を使わない中で、当時の経済に何を感じたのでしょうか。
一言で言えば違和感です。あるはずのないことが起こってどんどん進行している、という感じがした。それまで日本経済の成長過程で、私は違和感を感じたことはない。戦後の復興、高度成長、石油ショックへの対応といろいろ問題もあったが、違和感というのはなかった。しかし、バブルの時には「こんなことがあるはずはない」と、非常に強い違和感を抱いた。特に不動産と株の価格の値上がりは、異常な状況でした。
「東京都を売ればアメリカ全部が買える」などと言われるようになった。カリフォルニアにペブルビーチという美しい高級ゴルフコースがありますが、そこが日本の不動産会社に買収された。私はありえないと思った。ニューヨークのロックフェラーセンターを三菱地所が買い、そういうことが次々起こっていく。日本のNTTの時価総額がアメリカのAT&TとIBMを合わせたよりも大きくなったとか。それを誰も不思議に思わない。その異常さですね。87年に私が東洋経済に書いたのは地価と賃貸料、フローとストックの価格の比較でしたが、その前提として「直感的に見て、これはおかしい」と。
当時金利の自由化が行われようとしていて、転換社債やワラント債などいろいろな資金調達の手段が出てきて、それらを利用して安い金利で資金を調達できた。他方で大口預金の金利が自由化されてかなり高くなったので、お金を右から左に回すだけで稼げてしまう。それを当時「財テク」と称していたわけですが、そんなものはテクノロジーでも何でもない。虚業で多額のお金を稼げる一方で、真面目に働いても自分の住む家も買えない。本当におかしいことなのに、みんなそれに熱狂している。おかしいことだらけだった。
−−92年に出版された「バブルの経済学」の前文に「バブルは悪である、という偏見といっていいほどの大きな予断をもって(執筆に)のぞんだ」と野口さんは書いています。
そうです。データの計算をして確かにバブルとしか考えようがないということをいう前に、なぜそういう研究をしたかというと、そういう予断が私にはあった。
−−そのころ、なぜ日本人は異常さに気が付かなかったのでしょうか?
なぜでしょうね。いまだに分かりません。今の経済の状況もそうです。日本の企業の利益はリーマン・ショック前の水準には届いていない。それにもかかわらず株価はどんどん上がっている。ある週刊誌には「株価は6万円を超える」と書いてありました。私のほうが聞きたい。「なんであなた方は懲りないんですか」と。バブルは結局、崩壊した。それによって多くの人が運命を狂わされ、国民は非常に大きなツケを払わされた。「それにもかかわらず、またやるんですか」と聞きたいのです。
−−バブルの中にあると「期待は合理的な範囲内にある」と思ってしまう。
そうです。だから人間はバブルから決して学べない。それが結論ですね。バブルの絶頂期には「日本では重力の法則が働かない(株価は下落しない)から大丈夫。日本にはニュートンは来ない」とさえ言われていた。しかし、日本にもやはりニュートンは来たわけです。
−−当時は設備投資も良く、プラザ合意後の国際的な課題だった内需主導の大型景気が来たと見られていたようですね。
80年代初めに原油価格が下がった。それも今と似ています。金融緩和をしていることも似ている。中長期的には日本がアジアの中心、アジアの金融の中心地になるため、ビルの需要があるといわれていて、国土庁も「そのためにビルが何棟必要か」といった推計をやっていた。政府のお墨付きです。
−−地価の上昇も最初は実需があったから始まったとされていますね。
実需と仮需の区別は難しい。後で振り返ってみれば、住宅価格が上昇していく推移は明らかにおかしい。だけど、上がっている時に実需ではないと言い切るのは非常に難しい。
−−バブルが起きた原因はどう考えますか。
戦時期に作られた統制的な金融体制、私はそれを「1940年体制」と言っていますが、それが不要になってきたにもかかわらず、生き延びようとしたために起こった−−と思っています。日本の復興と高度成長に非常に大きな役割を果たした日本興業銀行、日本長期信用銀行などいわゆる興長銀などが80年代になって不要になった。お金は集まってくるが、投資先がない。特に企業の設備投資に回らない。本来ならそこで40年体制が変わり、長期信用銀行はアメリカの投資銀行的なものに変わって直接金融の仕組みを担っていくべきだったのにできなかった。このため、手軽に利益を稼げる不動産投資にのめり込んだ。一方で、金利の自由化が中途半端な形で進んでいき、金融の緩和が行われた。金融緩和や金融自由化のテンポの問題などがバブルの原因と言われていて、確かに重要だが、それだけではあれほど大きなバブルは起こらない。40年体制の問題があったからこそ、興長銀がバブル崩壊で一番大きな影響を被ったのです。日本興業銀行は合併で生き延びたが、他の2行は残ることができなかった。最初に戦後の復興時期と高度成長期には違和感がなかったといったが、その時期は戦時的な経済体制・金融体制が非常にうまく機能していた。機能しなくなったのが80年代だった。
−−「経済大国」になったという日本人の意識も影響したのでは?
それはあると思う。日本人だけでなく、世界がそう思っていた。私はアメリカで講演する機会が多かったので、強く感じました。80年代の始めごろから日本の工業化がアメリカを追い越し始めた。鉄鋼、自動車、それから半導体の生産量などの実績で日本が追い越したという認識は日本人だけでなく、世界中が共通して持っていた。80年代の末に発表された「メードイン・アメリカ」というマサチューセッツ工科大学の先生が書いた本には「日本企業は非常に効率的な生産をしているから、アメリカの企業は見習うべきだ。アップルはソニーを見習わなければいけない」と書いてあった。さきほど地価の見通しは難しいと言いましたが、世界が日本に学ぶべきだという認識があったことを前提にすると、日本がアジアの金融の中心になりビルがたくさん建つから賃貸料も上がるだろうと言われてまったく否定するわけにもいかないですね。日本経済の実体的な成長が世界を制覇したという感覚が間違いなくあったと思う。
−−そうした背景がないと80年代後半のような大きなバブルはできないでしょう。
バブル自体はそれがなくてもできます。現在の経済状況がそうです。今は、日本の産業が世界に冠たるものだとは誰も思っていないでしょう。でも株価は上がっている。だから、もっと変な状態だと思いますね。
−−バブルが膨らんだ後の対処について、野口さんは「つぶすべきだ」と考えていた。
もちろん。バブルはおかしいわけだから。
−−つぶした後の傷は、当初考えられていたよりも深かった。
私は当時、ある政治家に「バブルが壊れたら大変です。不動産の価格が下がったら特に金融が大変なことになります」と言ったことがあります。自民党の政治家の中で最も賢明とされている人ですが、その人は「ようやく私の選挙区でも地価が上がり始めました」と言いました。地価が下がったらどうなるかなんて誰も考えていなかった。
−−バブルがこのような形で急激に崩れると思っていましたか?
そう言われると、分からないですね。バブルだから長くもつはずはないとは思っていた。ただ、どれほど大変になるかということまでは分からなかった。どこでつぶれるかはわからない。私は87年にバブルはやがてつぶれると言った。そして、実際に株は90年の初めから下がり始めたが、地価はその後1年半ぐらい下がらなかった。
−−今から25年前の90年3月27日、大蔵省が不動産融資総量規制を銀行に通達し、それがバブルをつぶしていく一つのきっかけとなりましたね。
総量規制は当時は効かなかった。地価はしばらく下がらなかった。総量規制では「住専」という住宅金融専門会社は規制の例外とされていたので、その後、住専が融資をやることになった。地価が下がったのは、長期的に維持できる価格ではなかったためだ。フローの家賃が上がらないのにストックの価格が上がっているからバブルと言った。株価や不動産、為替レートなどストックの価格は人々の予想が反映されるので激しく変動する。これに対し、生活あるいは経済の実態に関連しているフローの価格はあまり変わらない。所得が変わらないのに家賃だけがあまりに高くなったら払えなくなってしまう。フローの価格が上がらない以上、ストックの価格はやがて下がる。
−−バブルが膨らむ時も破裂した後も、どちらもコントロールできなかった。
そうです。つぶれるときは、もっと激しい。
−−もう少し穏やかにつぶすべきだったのではという意見もあります。
どうやってやるんですか?人々の期待が崩壊するんだから、それをコントロールすることはできない。上がると思い、転売利益があると思うから高く買った。それが限界になったところでバブルの崩壊は非常に急激に起こります。ゆるやかにバブルをつぶすことは不可能です。人々が売り急ぐ。それを止めることはできない。
−−それでは、バブルにどう向き合えばいいのでしょう?
人間は賢くなれない。せいぜい他の人が賢くない時に自分はどうやって防衛するか、ということでしょう。
−−投機ゲームに参加していなかった人にまでバブル崩壊による影響は及びました。
私の知っている方で、その渦中に巻き込まれた人がいます。旧日本債券信用銀行の最後の会長となった窪田弘さん(同行の粉飾決算事件で証券取引法違反の罪に問われたが、のちに無罪が確定した)です。人格者で、もちろん彼が投機的なものを指揮したわけではない。それにもかかわらず彼はバブルの崩壊で非常に厳しい状況に陥りました。投機をしなければ大丈夫かというと、そうもいえない。恐ろしいことだ。
−−改めて現在、アベノミクスの状況をどう見ますか。
円安です。円安バブル。国債市場に無理を強いることによって過激な円安が起こり、今の日本企業の収益はそういう円安に支えられている。日銀は2013年から異次元金融緩和をやっていますが、本来、目的としていることができていない。金融緩和を行えばマネタリーベースが増えて、それでマネーストックが増えて金利が下がる−−と、教科書に書いてありますが、マネーストックは増えていない。お金がジャブジャブ供給されているかというと、そうはなっていない。銀行が持っている国債を日銀が買って、代金は銀行が日銀に持っている当座預金になる。これが異次元緩和で起こっていることのすべて。マネタリーベースと当座預金はものすごい勢いで増えているが、貸し出しが増えないため預金は2、3%の増とほとんど増えていない。金利は日銀が国債を買っている直接的な効果で、いわば力ずくで下げている。
それがはっきりした形で表れたのが昨年秋からの追加金融緩和だ。アメリカが金融緩和をやめて金利が上昇し始めているのに、日本は逆方向の金融政策をとって追加緩和をした。それで日本の金利は更に下がり、ついに昨年12月には2、3年債がマイナスになってしまった。これは、日銀が非常に高い価格で国債を買っているからです。将来、日銀が保有している国債は損失をもたらす。アベノミクスを語るとき、他の政策は効かないけど金融緩和だけが効いているとかいいますが、それは逆だ。金融緩和はまったく効いていない。
−−それが日銀の財務にかなりの負担をかけているということですか。
将来、損失が発生する可能性のある資産を大量に持っているわけですから。日銀は国債の金利が上昇したら民間金融機関の国債はどうなるかという試算は発表していますが、自分のことは何も言っていない。たぶん民間の金融機関と同じ程度の損失が発生する。今の円安は誰も負担していないのではなく、損失は将来、国民が負担することになる。かつてバブルの後始末の不良債権処理では大きな国民負担が発生したが、それと同じようなことが今起きている。
−−日本の企業の株が上がっていることについては?
日本企業は強くなっていない。新しい技術を開発したわけでもないし、生産の効率性を上げたわけでもない。単に、円安によって円表示の輸出売り上げが増えただけのことです。実は、先進国の製造業が衰退するのは、日本に限ったことではなく、中国が工業化したから必然の現象だといえます。中国が工業化した世界で生き残るのは米アップルのように「国内で生産しない」「工場を持っていない」製造業です。日本の製造業も縮小するか、あるいは変身を図るべきです。国外に行くのが正しい方向だ。生産設備を海外に移すのが遅れた企業がこの円安で利益を得ていますが、円安はそういう意味でも日本の産業構造の転換を遅らせている。一番残念なのは、円高をよしとする政治勢力が存在しないということ。労働者の立場を代弁する政治勢力がない。円安というのは労働力、賃金を安くするという意味で労働者の敵ですから。
−−バブルはまたはじけるとすれば時期はいつですか。
それは分からない。金融市場で非常に不自然な状況を起こして進んでいる円安バブルは長期的に安定均衡ではいられない。ずっとはもたないことは明らか。ただし、それがいつ壊れるかは、分からないものなのです。