切れたメビウスの輪(1)

2016-11-26 14:45:53 | 怪奇小説
今日から、新しい小説を掲載します。

副題 死んでしまった男と、生きてしまった男

第一章 横顔生夫

横顔生夫は、就業時間が終わると同時に会社を飛び出して夕食を取り、七時から始まるコンサート会場に向かった。
最初にコンサートに行った時は勝手がわからず、ただ座って聞き入っていたが、二回目の今回は何か自分の意思表示を行おうと、日比谷花壇で、誰にも負けない大きく華やかな花束を手にいれ、会場に向かった。

ソプラノ歌手の深く澄んだ声に魅了されてじっと聞き入っていて、アンコールが始まる前に、意を決して、照れ隠しをしながら花束を手渡し、握手をしてもらった。その時の彼女の手の暖かさは天使のように感じられた。

横顔生夫が、このソプラノ歌手のファンとなったきっかけは、横顔生夫の発信したソーシャルネットワークの記載に対して、彼女からアクセスがあったことによるものであった。
しかし、後日、確認したところ何かの間違いでアクセスしたとのこと。

それまでクラシックにはあまり興味が無かった横顔生夫は、誘われるままにコンサートに出かけ、二回目からは、コンサート会場に大きな花束を持参するファンとなっていた。
そして、コンサートの無い日は、毎日、寝る前に欠かさず彼女のCDをかけて楽しんでいる。

横顔生夫が目覚めて、雨戸を開けると朝日が眩しかった。
『今週は忙しかったなあ。それでも、コンサートは譲れない。これが無いと息が詰まってしまう。これが俺の生きている証だ。』

それにしても、随分と小さな生きている証である。

日曜日の朝食は、昨日、寝る前に作って冷蔵庫に入れていたサンドイッチを食べながら、録画したドキュメンタリーを見るのが日課になっている。
これもまた、生きている証である。

しかし、横顔生夫は
『俺は本当に生きているのだろうか?
他人は、俺が生きている事を認めているだろうか?』と考えた。
この卵サンドは美味しいし、テレビ番組で感動させられていて、自分自身では生きていることを疑う余地は無いと思っている。

それでは、他人はどうだろうか?
電車に乗っている時に、隣でつり革に掴まっているこの男は、生きているのだろうか?
俺が生きているのを認めなかったら、この男は生きていないのだろうか?
もし、生きていないとすると、この男はなんなのだろうか?

会社に着いた横顔生夫は、いつものとおりメールをチェックし、また忙しい一日が始まって行く。これは生きていることに他ならない。

横顔生夫は考えた。
『俺は今、生と死のどちらに居るのだろうか。そして、それを誰が認めるだろうか?』
『俺は今ここに居るし、生きていると思う。誰か答えてくれ、俺は生きていると。』
働いて、給料をもらって、食事とアルコールのある生活をしている。
まさしく生きている所以である。

しかし、酔い潰れて生きているとは程遠い時もあるが、これも生きている証であろうか?


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