surf & ashtanga

 サーフィンとたま~にyoga日記!

2月の晴れた海。

2010-02-25 | surf
2月7日(日)





























1週間前には珍しく家の近所でも雪が積もった(と言っても2cmほどだけど)と言うのに、昨日今日は4月並みの暖かさでしたね。

明日からしばらく雨が続きそうですが、春はもうすぐそこまでやって来ましたね~♪

胃の痛む天城越え 海 桜。

2010-02-17 | surf
このところの雨は山では雪となっている。
道路情報を見ると天城峠は『チェーン必要』となっており、理由が『積雪』だと深刻だけど『凍結』となってたのでなんとかなるんじゃないとポジティブに考え(使い方間違ってる?)行くだけ行ってヤバそうだったら引き返せばいいやと出掛けた。

途中の道路情報掲示板でも『チェーン必要』としつこいくらいに出てくる。
いつもなら遅い車をパスしてハイペースで走って行くけれど、今日は後ろから車が来るとお先にどうぞと譲って弱気な走り。。。

山道を登って行くとだんだん周りの景色が雪国になって行く。。。

チェーンを積んでいれば何の心配もないのだけれど、雪道を走ることもないのでチェーンは持っていないのだ。

標高が上がるにつれ雪景色がだんだん濃くなり、胃の痛む思いで車を走らせた。

長い天城トンネルの所がピークなのは分かっており、トンネルの下田側よりも修善寺側の方が雪が多いのも分かってるので、トンネルが近づくにつれ、道路状況はそれほど深刻でもなく緊張もやや弛み、無事に天城越えできた。


写真は帰りの状況。











波は良くないだろうと思いながらも平日だから行ってみようか程度だったけれど、思いのほかまずまず楽しめる波だった。

















曇り空で風もやや強くまだまだ寒い冬だけど、多々戸ビーチ入口の桜は満開です。





通り道なので河津桜をチェックするとこちらもほぼ満開。




今週末がちょうど見頃ではないでしょうか。
晴れてもう少し暖かくなるといいですね。


危機一髪!?

2010-02-15 | ふつう
冬場は車のフロントガラスが凍ってることがあるのでペットボトルにお湯を入れて出掛けるのが日課となっている。

今朝も支度を済ませ、出掛ける前にお湯を入れて行こうと台所のドアを開けるとなにやらモヤモヤ煙い?

朝ご飯食べたばかりなので魚を焼いてるわけはないし??

新聞広げて読んでいた母がこちらを向き『なに?』

ペットボトル手に持って『お湯』とつぶやいたと同時に母の後ろ脇からメラメラと紅い炎が立ち上がり母が手に広げてる新聞が燃えだした!!!

『も え て る じ ゃ ん よ おおおーーー!!!!』と怒鳴ると母が慌てて流し台のボールの水に炎舞う新聞を突っ込んだ。

母は慌てふためきながらも出来るだけ新聞を濡らすのを最小限にしようとしてるかのように慌てながらも几帳面に新聞の向きに気を配ってるのがちょっと可笑しかった。

新聞を燃やしただけで済んだので笑い話でブログに書いているけれど、一歩間違えて燃え易い服でも着てたら引火して大火傷になってたかと思うと怖ーいお話です。

みなさんもお気をつけて!



◇ 被害に見舞われた読売新聞朝刊とボヤ騒ぎのあった現場 ◇


髪の毛3本\3,730.

2010-02-08 | ふつう
先週木曜日夜のお風呂上がりに綿棒で左耳を掃除してると『カサコソ、クシュクシュ』と今まで聞いたことないような違和感ならぬ違和音が聞こえ、なんか左耳が妙な感じ。
ふつうにしてるとなんでもないのだけれど、翌朝もう一度綿棒入れると『カサコソ、クシュクシュ』となんだかやっぱり変!

1年ほど前にも耳が変なので耳鼻科に行くと鼓膜の内外で気圧の調整が上手く機能してなくて暫く治療に通い、自覚症状は全くないのだけれど、先生からは慢性的な鼻炎の気があるから天城峠越えして海に入って波に巻かれるのが良くないからサーフィン辞めなさいって厳しい宣告を受けていたので、てっきりまたその症状が出たのかと思った。

水曜日に海に行ったのでタイミング的にもばっちりだし、また先生に怒られるかと覚悟しながら今日耳鼻科に行ってきた。
実は金曜日に早速行ったんだけど、休みで貼紙してあって当面は土日月の3日間しか診察してないとのことだった。
今日行くといつものおじいちゃん先生がいなくて暫く代行していると言う少し若い先生だった。

早速左耳を見てもらうと『あぁ、髪の毛が入ってますねぇ』と何も心配いらないよ~的な軽い口調だったのでホッとしたのも束の間、『ちょっと痛いかもしれませんよ~』と耳をほじほじ。これが歯医者のキュイ~ン、キュイ~ンと高音の痛さとは違う低音の地味な痛さと言うか、歯を食いしばり、手を握りしめ、汗がじわりじわりしみ出てくる痛さ。
『あぁ取れましたよ~』(ふぅ~。。。)
『あれ~!?もう1本ありますねぇ』『これ~は~鼓膜にくっ付いちゃってますねぇ』(えぇーーー。。。)

その鼓膜にくっ付いちゃってる1本がなかなか取れなくて、痛くて痛くて泣きそうだった。
僕の前に診察室に入って行った3~4才の女の子が『マーマーダジュゲテえーーー!いヤーイやーイ”ぎゃヤあー!!!』とまるで悪魔にでも食べられちゃうかのごとく絶叫している声が待合室まで響き渡り、可哀想だなぁとまるで人ごとだったけど、彼女の気持ちが痛いほど分かったよ(涙)

『念のため右耳も見ておきましょうか』『あぁ~こっちにもありますねぇ』(。。。。。!)



1本1,243円もしたらお財布も泣いちゃうけど3割負担なので1本373円の痛みでした。
みなさんもお気をつけて。

4週間ぶりの海!

2010-02-03 | surf
そんなわけで今日は波にも恵まれ4週間ぶりの海!





海がどんだけ冷たくなったかよく分からないので、ブーツの下にソックス履いてグローブはめてほぼフル装備で入水。
早朝の海はブーツやグローブの上からも冷たさを感じるほどになっていた。
4週間ぶりの上に慣れないグローブはめてるので水を掻く抵抗が増えてパドルが鉛のように(は大げさだけど)重い。
テイクオフ1本目、ボード長の感覚をすっかり忘れ、ボード前方に完璧なパーリング(笑)
2本目、テイクオフの足の運び方をすっかり忘れ、スットンキョなスタンスですぐにワイプアウト。
3本目になんとか乗れたけど今一スタンスがしっくりこない。
それから6~7本乗ってようやく現状復帰。

伊豆の波は早めに崩れてしまうワイドな波が多いのだけれど、最近地形が良くなってるのか、朝のうちはそこそこ形良いファンウェーブだった。
伊豆では一番人気の自分も好きなポイントでいつも混雑してるけど、今日は比較的空いていた。





波質は7時半の満潮をピークに悪くなってく予報だったけれど、天気はいいし乗れる波はあったので2時間休憩後、真冬に入って初めて2RD入った。
天気予報では強い寒気が入ってかなり寒くなるって言ってたけれど、正月がちょー寒かったのでそれに比べたら全然暖かかった。





やっぱり海はいいねぇ~
波に感謝! 海に感謝! 健康な体に感謝!






これまた4週間前の話だけれど、歴史的瞬間が訪れました!



いつもは天城峠で運転しながらカメリハまでしてドッキドキにカウントダウン(アップ?)するんだけれど、今回は帰りの海の近くだったので余裕で撮影。
もう1回くらいできそうだな。



夜は8kmほど離れたとなり街のヨガクラスへ自転車で。
この夜の寒空の中、自転車で行くのはちょっとだけ強い意志が必要なのだけど、体を鍛えられることとガス代と駐車場代で500円ほど節約できることがその気にさせてくれます。
ちょっと走れば寒さも感じず暑いくらいだしね。
ヨガでみっちり汗かいた後の冷たい風を切って走るのがまた気持ちいいのです!

今夜は朗らかにぐっすり寝れそうだ。

。。。

2010-02-01 | ふつう
1月は週末に3週続けて新年会があったり、休みになると波がなかったりで正月休みに3回海に行ったきりで、すっかり色白になってしまい、ここのところ休みとなると図書館で借りだめしておいた本を読みあさっていた。
今日読み終わった本がこちら

 
 


ガンに生かされて
 飯島 夏樹



プロウインドサーファーの飯島夏樹さんがガンの病と最後まで闘いながらネット上に執筆していたエッセイを本にしたもの。

ふだん健康な誰もがちょっと体の調子が悪くなるとふつうに健康なことがどれだけありがたいことかと思うだろうけれど、余命宣告を受けた夏樹さんは生かされていることに感謝し、幼い4人の子供の笑顔が見れることに感謝し、一生懸命尽くしてくれる妻に感謝し、美しいハワイの自然に感謝し、最後には『 あらゆるものへの感謝、すべての人に対する共感 』この二つの感情しかなくなったそうだ。



僕は4年前に家を出た。
その時は妻を憎んでもいた。
絶対に許すことはない!と思っていた。


たぶんヨガを続けてることとサーフィンを続けてる中で謙虚な気持ちを大切に思う様になり、若い頃に比べかなり人間が丸く
穏やかになった。

最近は妻に対する怒りも薄れていた。
許す気持ちもなくはないと思うこともあった。
自分にも何かしら原因があったのだろうと思う様にもなった。


この本の後半を読みながら夫婦の絆の羨ましさを感じた。

一瞬、全てを許して元に戻ってもいいかな?と思った。

けど、やっぱりそれは一瞬の思いで、長くは続かないだろうと思い直した。


夏樹さんの『あとがき』の後に、妻寛子さんの『付記』があった。
夏樹さんの最後の最後の日々が綴られていた。
涙なくして読めなかった。



ふと、自分の母と父のことを思い出した。

3年別居していたけれど、父がガンになり、母は病院に付きっきりで看病していた。
母は最後には父のことを許していたのだろうか?