surf & ashtanga

 サーフィンとたま~にyoga日記!

ノクターン(夜想曲)

2008-12-18 | ふつう
毎週木曜夜10時からのお楽しみだった風のガーデンが終わってしまった。ただ単に楽しみにしていたドラマが終わってしまったということだけではなく、緒形拳さんのやさしい笑顔がもう見れないのが淋しい。
後半の回は一人部屋で見ながら涙が込み上げてきた。それはALWAYS三丁目の夕日を見ながら流れた涙とは違う種類のもの。
涙が込み上げてきてから忘れていたことを思い出した。と言うかまだ僕も10才の時のことだから事の重大さを良く理解してなかっただろうし、その時が来ても事の重大さを良く受け入れられないままなんとなく成長してきたんだと思う。

僕の父も38才の若さで癌で他界した。僕が10才の秋だった。父と母は夫婦仲が悪く(理由は聞いたことないけどたぶん)7才の時から別居して母は一人実家に帰っていた。父は静岡の会社に勤め、兄と僕は山梨のお爺ちゃんの家で3人暮らし、父は週末だけ日用品などの大量のお土産を買って静岡から山梨に帰って来た。いつの日か赤いソリを買って来てくれたのが嬉しくて部屋の中でソリに乗って遊んでいたら一緒に買ってきたマジックを潰してしまったのを覚えている。
お爺ちゃんは畑仕事をしながら食事や洗濯など僕と兄を育ててくれた。お爺ちゃんはよくキャベツの味噌汁を作ってくれた。
父の闘病生活は1年ほどだっただろうか?癌だと言うことは僕たち家族や近所に住む親戚も知らされていた。東大病院に長いこと入院していて近所の親戚家族と一緒にお見舞いに行って構内の食堂で初めてハヤシライスを食べたのを覚えている。東京のデパートの屋上で遊ぶのも楽しみだった。入院中は別居していた母が付きっきりで看病していた。首に管を通され喋ることができなかったのであいうえお表を指差してコミュニケーションをとった。
ずっとお爺ちゃんと3人暮らしだったので父がいないことがふつうだった。ある日の夜、息を引き取ったと連絡が入った。父がこの世からいなくなったという実感は全く感じられず悲しみもあまり感じなかった気がする。ローラースケートを買ってもらう約束をしてたので悲しみを紛らわそうとしたのか「ローラースケートはどうなっちゃうんだよ~」と捻くれたことを言ったのを覚えている。

風のガーデンの後半を見ながらこの忘れていたことを思い出した。あの頃の子供だった自分の気持はどんなんだっただろうか?父はあの頃どんな思いだったのだろうか?

名優・緒形拳さん追悼 ♪ノクターン・・・平原綾香