北の森から眺めてみれば

北海道に移り住んで十数年。ここから眺めた身近な世界、遠い世界の出来事をつづる日々雑感。

他人事ではない事件

2005-04-27 | 生活・文化
 JR尼崎の事故。不慮の事故。偶然にしてこの事故の犠牲になった方々のご冥福を祈ります。
誰もが「自分だっていつ同じ目に遭うか分からない」という思いを持ったことでしょう。

 線路のすぐ脇が住宅街というシチュエーション、実に身の回りに多くありませんか?東京の西武鉄道、この間踏切事故のあった東武鉄道沿線などでは当たり前の風景ですよね。私の住んでいる北海道の渡島でも、数年前にスリップした乗用車が観光バスにぶつかり、その反動でバスが陸橋のガードを壊して下の函館本線の線路に転落した事故がありました。不幸中の幸いと言うべきか、丁度そのとき旅客列車が通過していなかったので、バスの単独事故で済んだのですが、特急列車なんかがそこに突っ込んで脱線・転覆していたらと思うと、ぞっとします。

 今回このニュースに関連して色んな角度から取り上げられている中で、私はやはり会社組織のあり方というか「あるべき姿」といった事に思いが行ってしまいます。JR西日本です。この運転士を取り巻く周囲の状況を考えると、いつでも、誰でもこの運転士になる可能性があります。
 日常的に何事もなく進められている旅客輸送は、海であれ空であれ陸であれ、ひとたび事故となると悲惨な状況になるものであり、それだけ人命に対する責任の重さを伴っている事業なわけです。しかし、それにもかかわらず、運転士や車掌、運行管理者などの地位が軽んじられているのではないでしょうか。
 「オーバーラン」や「遅刻」をした運転士が始末書を書かされたり、「草むしり」をさせられたりとは、あんまりではないでしょうか。「合理化」という改革の指向が労働条件の劣悪化や、利益至上主義に走っているとしたら、大間違いだと思います。

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