ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

とても充実している都響

2013-11-30 00:31:51 | 都響
一昨日(28日)サントリーホールで開かれた東京都交響楽団の第761回定期演奏会Bシリーズを聴いてきた。指揮はヘスス・ロペス=コボス。独唱(バス)はニコライ・ディデンコ、男声合唱は二期会合唱団(60人)。

【演目】
トゥリーナ/闘牛士の祈り(弦楽合奏版)
ラヴェル/スペイン狂詩曲
  ~休 憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第13番「バービイ・ヤール」
《19時00分開演、21時00分終演》

指揮者陣の豊富さや楽団員たちのキャリアではN響には敵わないが、今の都響は多彩なプログラムや真摯な演奏を聴いていると、在京オケのなかで一番充実度が高い。ちょっと前まではマーラーやドイツ音楽ばかりで足が遠のいてしまったが、今は変幻自在のプログラムと演奏で観客を楽しませてくれている。そして、2014年度のプログラムも意欲的であり、今の都響を聴かないのはクラシックファンにとっては損かもしれない。

1曲目。弦10型(コントラバスは3本)の弦楽奏。作曲者のホアキン・トゥリーナ(1851-1949)、そして指揮のヘスス・ロペス=コボスはスペイン人。曲は闘牛士が闘いの場に行く前に礼拝をしている姿を描いている。初めて聴いた曲だがしっとりして叙情的。ただ、残念なのが印象に残るような旋律がない。

2曲目。「前奏曲」のコンマスのソロが幾分かすれ気味だったのが残念だが、「マラゲーニャ」のイングリッシュホルンの響きや、最後の「祭り」のいかにもスペイン的な華やかな民族的な演奏は素晴らしかった。

3曲目。ライブでは初めて聴く。CDでは感じることはなかったが、全編に渡り反体制詩人のエフトゥシェンコが書いた「バービイ・ヤール」のバスの独唱と合唱が入り、ライブだと交響曲というより演奏会形式オペラもしくは交響的合唱曲といった感じに思えてくる。

ショスタコーヴィチの交響曲となると、どうしても政治色が濃くなるが、この作品はおそらくその最たるものかもしれない。とにかく音楽にもメッセージ色が濃く表れ、プラウダ批判およびジダーノフ批判に対する反訴をしているように聴こえる。そして、演奏もそうしたショスタコーヴィチの反骨精神を表すかのように、ゴツゴツとした荒々しい音を一糸乱れることのなく奏で上げていき、都響のレベルの高さを見せつけてくれる。この演奏を聴いていると、現在の日本にもショスタコーヴィチのように、強権政治をしようとしている政権を批判するような気概のある作曲家や芸術家が多く現れないのかと思ってしまう。

西本智実と日本フィルの試み

2013-11-25 09:58:21 | 日本フィル
昨日(24日)、サントリーホールで開かれた日本フィルハーモニー交響楽団のMusic Partner Series Vol.1(第358回名曲コンサート)を聴きに行ってきた。指揮は西本智実。アート・ディレクターは田村吾郎。合唱はシンフォニーヒルズ少年少女合唱団。

【演目】
チャイコフスキー/バレエ音楽《くるみ割り人形》(MPS版)
《14時30分開演、16時25分終演》(途中休憩1回)

チャイコフスキーのバレエ音楽にプロジェクション・マッピングでホール壁面に投影される映像を融合させるという試みの演奏会である。意欲的かつそれなりに斬新だが、それが成功したかといえば残念ながら今回は手放しで褒められたものではなかった。

舞台上のオーケストラの譜面台にはライトがつけられ、仄かな地明かりがオーケストラ全体を浮かびあがらせる。一方、指揮台には真上からスポットライトが唯一当てられている。客席はいつもは点いている客電(客席のライト)や非常灯は消され闇の空間。そうしたなかで、壁面いっぱいにプロジェクターによる映像が描かれていく。

映像はどことなくピカソが描いたドンキホーテのようなタッチであったり、花びらであったりと幾重の絵が音楽に合わせて映し出されては消えていく。第1幕はクリスマスツリーを除いては基本的にモノトーン主体で、第2幕はカラーを織り交ぜて華やかにしている。絵そのものは決して音楽鑑賞を妨げるウルサさはないが、もう少し踊るような動画的なものが散りばめられていたり、立体感に満ちた映像があればバレエの擬似絵的雰囲気を醸し出して、もっと『くるみ割り人形』ならではのワクワク感とか楽しさを見いだすことができたのではないだろうか。

こうした映像にこだわることはいいのだが、演奏者の映像ではなく生身の姿にもこだわってほしかった。とにかく舞台を照らす地明かりの暗い。観客はスポットライトがあたっている指揮者だけを観にきているわけではない。オケのそれぞれのパートの奏者をも観に来ているのだ。特に第2幕は有名な曲がオンパレードして、木管や金管の聴かせどころが多いので奏者が暗くて見えなくては全然楽しくない。観客はぼんやりしたオケピを観にきているわけではないのである。

西本智実の指揮は大らかで緩やかなテンポをうまく維持はするものの、個々への細かな指示はほとんどなく、相変わらず不器用だなあと思わざるをえなかった。彼女はロシア音楽に精通しているのだから、大地のような表現だけではなく、寒暖の差というか温度差のある表現も身につけてほしい。

演奏では打楽器陣の健闘が光った。特に第1幕最後の少年少女合唱団と合わせたグロッケンシュピール(鉄琴の一種)やトライアングルの響きが心地良かった。あと、全体を通してハープの2人がとても鮮やかな音色を伝わせていた。

今回の試みは初めてということもあっていろいろと問題点があったと思うが、その反省や後悔を踏まえて1月の『白鳥の湖』を成功させてもらいたい。期待している。

精彩に欠ける読響

2013-11-24 21:06:43 | 読響
一昨日(22日)サンントリーホールで開かれた読売日本交響楽団第531回定期演奏会に行ってきた。指揮は上岡敏之。ピアノはデジュ・ラーンキ。

【演目】
ブラームス/ピアノ協奏曲第2番変ロ長調
  ~休 憩~
ブラームス/交響曲第3ヘ長調
《19時00分開演、20時55分終演》

上岡敏之は好きな日本人指揮者の一人だ。大胆な解釈と情熱的な指揮に共感を覚えるからである。しかし、この日の上岡はトレードマークともいうべき突っ張った傘のような前髪がなくなり、指揮も以前のように尖ったところがなく面白味にかけた。

1曲目。ブラームスの協奏曲というと交響曲的色彩が濃いが、上岡&デジュ・ラーンキによる演奏はいたってシンプルで、ピアノは独奏、オケは伴奏といった感じで一般的な協奏曲的な趣きであった。そんななかで、白眉だったのが第3楽章のチェロの演奏。私の座席からはピアノに隠れて誰が弾いているのか解らなかったが、その音色があまりにも美しく、ピアノを完全に凌駕していた。そして、帰宅後に判明したのだが、この日のチェロ首席はゲストの宮田大とのことだった。そりゃ、巧いわ~。(笑)Twitterには共演者から「チェロの宮田大さん、ブラームスのピアコンのソロ、あまりの美しさに(本番中ではありましたが)ここはどこ、私は誰状態に。。贅沢な、あまりに贅沢なヒトトキ。。」とまでツイートされているではないか。彼のチェロを聴けただけがこの日の唯一の収穫だったかもしれない。

2曲目。この日のコンマスはかつてのコンマスだったデビット・ノーランがゲストとして登場。そのせいもあってか、弦がやたら硬い。ブラームスだから硬いというわけではない。ノーランがコンマスになると読響の弦はいつもこうである。そのせいか、木管も金管も硬い。こうなると、上岡がいくら大らかな指揮ぶりを発揮しても、独創的かつ柔和にして大衆的な交響曲が剛直にして威厳に満ちた音楽にしか聴こえてこなくなってきてしまった。

それでも、終演後は会場のあちらこちらからは「ブラボー!」の声が飛ぶ。一方で数多くの客は白けたように1回の拍手だけで足早に退席していく。私も2回拍手しただけで退席してしまった。読響は下野竜也が去り、スクヴァチェフスキに頼りすぎたツケが回ってきているようで、現在の状況は決していいとは言えない、と感じてしまった。

N響はソヒエフと密接な関係を

2013-11-23 01:16:00 | N響
一昨々日(20日)サントリーホールで開かれたNHK交響楽団第1768回定期公演を聴きに行ってきた。指揮はトゥガン・ソヒエフ。ヴァイオリンは諏訪内晶子

【演目】
リャードフ/「魔の湖」
ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第2番嬰ハ短調
  ~休 憩~
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調
《19時00分開演、21時00分終演》

1曲目。なんか煙ったいというか妙に気怠い曲なのだが、かといって重いといった感じはなかった。トゥガン・ソヒエフのお得意曲らしいが、決して面白い曲とは思えない。

2曲目。ヴァイオリン協奏曲のなかでも難曲中の難曲と言われる曲なので、諏訪内晶子も暗譜ではなく、珍しく譜面を用意しての演奏。この日の彼女の服は鮮やかなワインカラーのドレス。本当に彼女はどんな服を着ても惚れ惚れしてしまう。さて、演奏だがいつもの諏訪内ほどダイナミックではないにしろ、難曲をさりげなく事も無げに弾いていく。ショスタコ特有の奇怪なアクセントもしっかりと取り入れながらも、明瞭かつ爽快な音を繰り出していく。いつもは唸るストラディヴァリウス「ドルフィン」もこの日は、幾分控えめであったが、その艶と響きは十二分に観客を魅了していた。

3曲目。トゥガン・ソヒエフをトゥールズ・キャピタル管弦楽団で初めて聴いたとき、この人は将来のロシア音楽界(指揮者)を担う人になるだろうと思ったが、今回のN響定期2回の登場でそれは確信へと変わった。

前回の公演でも思ったが、彼はとにかく奏者たちを乗せるのが巧い。話はいきなり飛ぶが、芝居の世界では舞台の幕が開くまでは役者を導くのは演出家の仕事だが、一旦幕が開いたら舞台監督が役者を導いていく。その意味においては、現在のソヒエフは前者というより後者の方であり、若くして「巨匠」というより「職人」的な指揮者である。つまり、彼の指揮は自分の音楽を主張するというより、奏者たちの音楽をいかに引き出すのかということに重点を置いているような気がする。というより、今はN響というオケをいかに把握模索していると言っていいのかもしれない。となると、彼のように奏者の良い所悪い所を見極める力があれば、N響の潜在能力をもっと引き出してくれるに違いない。それゆえに、前回も書いたがN響は2~3年に1回は彼を定期演奏会に登場させて、密接な関係を築いていくべきである。

ベルリンフィルの底力を実感・体感

2013-11-21 14:03:22 | 海外オーケストラ
一昨日(19日)サントリーホールで開かれたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の東京公演を聴きに行ってきた。指揮はサイモン・ラトル。

【演目】
ブーレーズ/ノタシオン
  ~休 憩~
ブルックナー/交響曲第7番ホ長調
《19時00分開演、21時05分終演》

2年前に聴いたベルリンフィルは「あっという間」に終わってしまい、感銘も感動も受けなかった。それは演目が未完成作品ともいうべきブルックナーの第9番であったということもあったが、今回はブルックナーのなかでも名曲中の名曲、第7番である。

1曲目。初めて聴く現代音楽。ブーレーズが作曲したノタシオンのなかから5曲を抜粋して演奏。正直、良いのか悪いのかまったく解らない。私の席が1階前方だったということもあり、たくさん並んだ打楽器がほとんど見えず少々消化不良。それにしても、ラトルの指揮台の譜面がやたらデカい。一方で弦の譜面は小さい。ラトルは大きな譜面を1曲終わるせるたびに指揮台横の台に置いていく。譜面だけが印象に残るとは、やはり良いのか悪いのかよく解らない。

2曲目。弦は18型の対向配置。コントラバスは上手(右側)後方。その隣中央よりにホルンとワーグナーチューバ持ち替え組。センターの木管の後ろほぼ正面にトロンボーンとチューバ。トランペットはそれより下手(左側)に配置。

コンマスはダニエル・スタフラヴァ。木管の首席者はフルートはエマニュエル・パユ、オーボエはジョナサン・ケリー、クラリネットはヴェンツェル・フックス、ファゴットはダニエレ・ダミアーノとベルリンフィルが誇る世界に冠たる奏者たち。そして、ホルンはシュテファン・ドール。おそらくトランペットもトロンボーンも最強の首席陣を揃えていたのだと思う。

これまでブル7の名演奏はいくたびか聴いている。それはどれもが崇高であり神々しい輝きの演奏であったが、今回の演奏はそれらを凌駕する演奏といっていい。サイモン・ラトルの指揮は端正に溢れていて、時に優しく時に気高くオケを導いていき、一音一句一小節をとても丁寧に描いていく。そして、そこから紡ぎ出される音色は宗教的な色彩をまったく感じさせない明晰にして高潔な輝き。そして押し付けがましい様式美や精神性もない。単純に音楽のもつ芸術性人間性をいかに表現していくかに終始している。

そのことを楽団員たちも周知しているかのように、それぞれが自分のパートを決して目立つこともなく、ブルックナーの音楽を全員で支えるかのように奥ゆかしく奏でていく。これは世界最高峰の木管金管陣だからできるのことなのかもしれない。そして、弦も端麗な響きを終始一貫聴かせてくれた。2年前の来日時のベルリンフィルの弦は妙に剛直な響きで好きになれなかったが、今回はメンバーも若返り、女性も増えたようで、まろやかなさや優雅さも加わり、木管金管陣とも麗しい融合をみせてくれた。

演奏を聴きながら、何度も天井を仰いだり、反響板に写るオケを眺めたりした。そして、ブルックナーがもつ孤高にして深遠な世界は何であろうかなどとぼんやり考えたりした。そして、そのうちにいつまでもこの音楽だけに浸っていたい、音楽だけがいつまでも流れて「時間よ止まれ!」と心のなかで叫んでいた。

終演後、余韻がしっかり残る静寂、フラブラもなけらば、異様なブロボーの嵐もない。でも、観客は最後まで盛大な拍手を送り続け、ラトルを舞台袖が引き出して“一般参賀”にもなった。ただ、それはあっさりと1回で終え、誰もが演奏会の素晴らしさを満喫して家路についた。いつものブルックナーの演奏会の興奮とは違いとても清々しかった。

ベルリンフィルは本当に凄かった。その圧倒的な底力を魅せつけられた思いである。

新国立劇場バレエ団の「バレエ・リュス」

2013-11-19 10:47:27 | バレエ
一昨日(17日)新国立劇場オペラ劇場で新国立劇場バレエ団の「バレエ・リュス~ストラヴィンスキー・イヴニング」(千秋楽)を観てきた。音楽はイーゴリー・ストラヴィンスキー。指揮はクーン・カッセル。管弦楽は東京フィルハーモー交響楽団。演目、振付、出演者は下記の通り。

『火の鳥』
振付:ミハイル・フォーキン
 火の鳥:米沢 唯
 イワンの王子:菅野英男
 王女ツァレブナ:本島美和
 魔王カスチェイ:古川和則

クラシック音楽の演奏会で人気のあるストラヴィンスキーのバレエ音楽といえば、一に『春の祭典』二に『火の鳥』三に『ペトルーシュカ』である。そして、バレエでの人気となると、一に『春の祭典』で二にも三にも『春の祭典』ではないだろうか。というのも、『春の祭典』はニジンスキーに始まり、これまでに数多くの振付師によって振付・演出されている。なかでもベジャール版は鹿の生態をモチーフにした大胆な解釈で幅広い人気を得ている。ところが『火の鳥』や『ペトルーシュカ』は『春の祭典』ほど取り上げる振付師はあまりおらず、どうもこの初演(1910年)のフォーキン版がもっとも人気のようである。しかし、この振付もすでに100年以上も前のものであるので、さすがに現代に見合っていない。というより、今回の舞台装置があまりにも広々としていて、振付にマッチせずダンサーが妙に小粒に見えてしまった。もう少し舞台を狭くするなり遠近法を使えば、昔の振付にフィットしてダンサーを大きく魅せることができたのではないだろうか。

さて、踊りであるが、米沢唯が踊る火の鳥は『夏の夜の夢』の“妖精パック”ではないが、もう少し自由奔放または神秘性をもった感じを魅せてほしかった。一方で王女たちのコールドや魔物たちの男性陣は見事に統率されていて見応えがある。魔王カスチェイの古川和則は東京バレエ団のころからキワモノ役が得意で安心して観ることができた。

『アポロ』
振付:ジョージ・バランシン
 アポロ:コナー・ウォルシュ
 テレプシコール:本島美和
 カリオペ:米沢 唯
 ポリヒムニア:奥田花純
 レト:千歳美香子

この『アポロ』の主題は美神アポロと3人のミューズの話なのだが、勝手な解釈をすると、いかに強靭な肉体をもっている男性でも1人の女性にも頭が上がらないし、まして3人ともなればもう女性には逆らえませんというような、男にとっては情けないことを表しているような舞台だった。(笑)

この振付は1928年にバランシンによって行われたものならいしいが、当時のモダンバレエとしてはかなり大胆不敵で前衛的ではなかっただろうか。主演のコナー・ウォルシュはヒューストン・バレエ団のプリンシパルということもあり、いかにもアメリカ的な明るくヤンチャな感じの肉体美だが、その技巧は創造性がありアポロという役を的確に表現していた。一方でミューズたちではテレプシコールの本島美和が格の違いというか余裕のある踊りを見せていた。

『結婚』
振付:ブロニスラヴァ・ニジンスカ
 花嫁:湯川麻美子
 花婿:福岡雄大
 両親:千歳美香子、堀口 純、マイレント・トレウバエフ、輪島拓也
 友人と村人たち:奥田花純、奥村康祐、新国立劇場バレエ団

休憩時間にオケピを覗くとスタッフが慌ただしく楽器の配置転換を行っている。指揮台の前には4台のグランドピアノが置かれ、その後方にソリスト4人のお立ち台。下手側には合唱団の椅子、上手側には打楽器がいくつか配置されていた。バレエ音楽としては非常に珍しいピアノ、打楽器、ソリスト&合唱というオケピである。1923年の初演というから、当時としては相当斬新は布陣であっただろう。

音楽はかなり強弱のはっきりしたものだが、ソリストの歌手4人が少し気負いすぎていたようで、全体の調和が今ひとつだった。一方舞台の方は「農民の結婚」をテーマにした、いたってオーソドックスなもので、バレエというよりダンスもしく“踊り”を見たといった感じである。まあ前衛的音楽と古典的振付というミスマッチな世界だが、このことに対してストラヴィンスキーは満足したのだろうか・・・。

最後に今回のようにあまり知られていない演目の公演はとても価値があるので、今後もこうした意欲的な試みは行ってほしい。ということで、来年3月と4月の公演も期待したい。

コンセルトヘボウ管@サントリーホール

2013-11-18 09:40:27 | 海外オーケストラ
一昨日(16日)サントリーホールで開かれたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のサントリーホール公演を聴いてきた。指揮はマリス・ヤンソンス。ピアノはエマニュエル・アックス。

【演目】(※はアンコール曲)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調
※シューベルト:即興曲からop.142-2
  ~休 憩~
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
※R.シュトラウス:「ばらの騎士」からワルツ
《19時00分開演、21時05分終演》

ヨーロッパの3大オケといえば、ベルリンフィル、ウィーンフィル、そしてロイヤル・コンセルトヘボウ管だろう。なかでも私はこのコンセルヘボウ管がお気に入りなのだが、今回は来日前の中国公演を指揮のヤンソンスがインフルエンザのためにキャンセル。それゆえに、ちょっと不安があったのだが・・・。

1曲目。比較対称して書くことはあまり好きではないが、何分ブッフビンダー&ウィーンフィル、ベレゾフスキー&N響に続いてのピアノ協奏曲3連チャンなので、耳がどうしても勝手に比べてしまう。ブッフビンダーの超名演のベートーヴェン、ベレゾフスキーの破壊的なラフマニノフに対して、エマニュエル・アックスはなんと端正にしてオーソドックスな演奏なんだろうと思ってしまう。つまり、とても巧い演奏なのだがどうしても当たり障りのない演奏に聴こえてしまうのだ。まあ聴いたときが悪かったということで、感想はこれだけにしておきたい。

2曲目。弦は18型、木管は倍管、金管・打楽器はいっぱで100人以上の大編成。1曲目もそうであったが、木管のクラリネットとファゴットの位置が一般的なオケとは逆で、上手側(右側)にクラネット、下手側(左側)にファゴットが配置される。

ヤンソンスはやはり休み明けということで精彩を欠いた。指揮にキレがなく、彼特有の音を集約するというか統率力が乏しいように思えた。そのせいもあってか、金管陣はそれなりにハツラツした音色を出すものの木管陣に纏まりがない。そのせいかオーケストレーションの極みと言われるこの曲の迫力や緻密なアンサンブルを感じることができない。またドラマチックさも乏しかった。ただ、終曲部分のコンマスとホルン(若いお兄さん)の掛け合いは白眉だった。

残念ながらやはり不安が少なからず的中してしまった公演だった。終演後のブラボーも前回の来日公演に比べては少なく一般参賀も起きなかった。ただ、翌日(日曜)のミューザ川崎は良かったようなので、本日(月曜)の東京文化会館では有終の美を飾るのではないだろうか。

トゥガン・ソヒエフ、N響定期初登場

2013-11-17 00:20:56 | N響
一昨日(15日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団第1767回定期公演を聴きに行ってきた。指揮はトゥガン・ソヒエフ。ピアノはボリス・ベレゾフスキー。

【演目】(※はアンコール曲)
ボロディン/交響詩「中央アジアの草原で」
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番ハ短調
※ラフマニノフ/10の前奏曲の6番
  ~休 憩~
プロコフィエフ/交響曲第5番変ロ長調
《19時00分開演、21時00分終演》

1曲目。N響定期初登場の新進気鋭の指揮者トゥガン・ソヒエフは情感たっぷりな指揮で、広い草原の情景を浮かびあがらせていく。それに呼応するかのようにN響の木管陣およびホルンも優しい煌めきを会場へ伝えていった。終演後の観客の拍手はかなり控えめだったが、これは演奏に対する不満というより、あまりにもうっとり聴き惚れてしまったからではないだろうか。

2曲目。ボリス・ベレゾフスキーは巨漢である。身長は190センチ近くあり、横幅もガッチリしている。その体格に見合うかのように(笑)、第1楽章冒頭からピアノが悲鳴をあげるのではないかと思うぐらい迫力のある演奏をする。よく言えばアグレッシブ(攻撃的)、悪くいえばデストラクティブ(破壊的)である。これまでこの協奏曲を何人もピアニストで聴いてきているが、それは誰しもがラフマニフノフ特有の耽美でアニュイな世界を描くといった感じであった。しかし、ベレゾフスキーはそんなことお構いなしだ。もう独自の世界でまるで暴走機関車が貨車を引っ張っていくように、指揮者もオケを引っ張っていく。そのためか、時に連結部分が外れたりするが、それは指揮者もオケも計算づくのようで誰もが楽しんでいる。

ベレゾフスキーは第2楽章こそ、繊細な演奏で少しラフマニノフさしい官能的なムードを醸し出したが、第3楽章は第1楽章に輪をかけたような凄まじい演奏で、なんかあっけに取られた30分だった。こういうラフマニノフは賛否両論があると思うが、私は大いに賛成である。今度はベレゾフスキー独自の破壊的なショスタコーヴィチを聴いてみたい。

3曲目。プロコフィエフ交響曲第5番というのは、かなりの難曲だと思っている。不協和音とアンバランスなリズムをいかに活かすというところがポイントで、これを巧みに指揮できる指揮者はそうはいないからだ。しかし、ソヒエフはプロコフィエフ特有のアクセントの強いリズムとアンバランス感を軽快に維持しながら、各パートに懇切丁寧な指示で躍動感に満ちた演奏を引き出していく。特に第2楽章は白眉で、私は楽章後に思わず、英語のスラングで「バァード!(badを長く発音する)」(グッドの意味)と唸ってしまった。こんなスラングを思い出すの久しぶりだから、いかに満足したかを察していただきたい。もちろん、それ以降の演奏も言うことなしで、第4楽章の明るく若々しいリズムも第2楽章同様に「バァード!」であった。

この日のN響の演奏がめちゃくちゃに活き活きしていた。これは先月のノリントンのノンヴィブラート奏法、先週のサンティのオペラから開放されて、ソヒエフの情熱的かつ緩急自在に満ちた指揮ぶりにも促されてか、弦の誰もが束縛されることなく自由に大らかに奏でられたからでないだろうか。弦全体が実のなった稲穂が心地よい風に吹かれるように気持ちよく揺れ動いていた。

トゥガン・ソヒエフは昨今の若手指揮者のなかでも間違いなく屈指の逸材だと思う。いずれどこか世界的オケの音楽監督もしくは常任指揮者になるであろう。そうしたことを考えると、N響は最低でも彼に2~3年に1回は定期公演で指揮を依頼するべきだと思う。彼ほど情熱的であり、オケの各パートに対する的確な指示を出し、楽団員たちを乗らせる腕をもっている若手指揮者はそうそうはいないと思う。

ブッフビンダー & ウィーン・フィル

2013-11-15 00:29:09 | 海外オーケストラ
一昨日(13日)サントリーホールで開かれたウィーン・フィルハーモニー2013「ベートーヴェン ピアノ協奏曲チクルス2」を聴いてきた。指揮およびピアノはルドルフ・ブッフビンダー。

【演目】(※はアンコール曲)
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第1番変ロ長調
  ~休 憩~
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」
※ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」~第3楽章
※ヨハン・シュトラウス/『こうもり』メドレー(アルフレッド・グリュンフェルト編)

ルドルフ・ブッフビンダーを初めて聴いたのは2007年のN響定期で、彼はブラームスのピアノ協奏曲第1番弾いたのだが、そのときに、この人は普通のピアニストとは何か違う持っていると感じた。その次に聴いたのが2010年の同じくN響定期で、このときはこの日と同じ「皇帝」だったが、最後に少し息切れして残念な思いをしたことを覚えている。でも、このときもブッフビンダーは他のピアニストとは何か違うと思わされた。

1曲目。先日のN響定期でベートーヴェンピアノ協奏曲第2番を聴いたときに、え、なんかモーツァルトの延長線上にある曲で私好みじゃないと思ったので、この第1番も同じような曲なんだろうなあ、と高をくくっていた。そしたら、なんと第1番は番号こそ第2番より若いものの、作曲時期は第2番より後ということで、その内容はもちろんモーツァルトの影響を受けているものの、明らかにベートーヴェン独自のスタイルというか音楽性が随所に表れていて、目から鱗、棚から牡丹餅であった。というより、無知であった。

弦は12型編成(ただしコントラバスは5本)。ピアノは普段の協奏曲と同じで横向きに置かれ、蓋が開いて正面客席に向いている。ノリントンのような蓋がないピアノで弦が円形になるという変則方式ではない。冒頭、ブッフビンダーの指揮のもとウィーンフィルのしなやかにして膨よかな音色が流れてくる。優しい弦の輝き、柔らかい木管陣の煌めきが観客席に伝わっていく。そしてブッフビンダーの音色は軽やかにして高貴。最初からもう協奏曲を聴いているというより、室内楽的交響曲を聴いているような気持ちにさせてくれる。しかし、第2楽章のソナタ形式では一変して、落ち着いたシックな魅惑のピアノを聴かせてくれる。これには思わずうっとりだ。第3楽章では再びウィーンフィルと息のあったところを魅せて、最後は見事なソフトランディングだった。ブラボー!

2曲目。第1楽章冒頭、指揮というか合図はコンマスのライナー・キュッヒルから出され、ブッフビンダーは冒頭の有名な旋律をさりげなく弾く。その指使いたるやまったく年齢を感じさせず、俊敏にして快活である。そして、その音色たるやに気品に満ちた壮麗さで、魔法のピアノでも弾いているかのように思え、ピアノからは♪マークや♡マークがホールのあちらこちらに飛び散っていくようであった。

第2楽章。ここではブッフビンダーはこの曲を献呈されたルドルフ大公に面会しているかのように厳かで祈念の思いに満ちたピアニッシモを奏でていく。それはなにか、ブッフビンダー、ベートーヴェン、ルドルフ大公の3人がヒソヒソ話をしてかのようでもあり、なにか羨ましい思いにさせられる。

第3楽章。躍動感ある出だしだが、ブッフビンダーに気負いや迷いはまったくない。もちろん伴奏のウィーンフィルも香り豊かな音色でついていく。ここではブッフビンダーは皇帝がもつ尊厳、品位、高貴、気概といったものをすべて表すかのようにピアノを奏でていく。ただし、その音色は決して凄まじいというものではなくあくまでも穏やかである。

これまで数多くの「皇帝」を聴いてきたが、初めて納得のいく「皇帝」を聴いたという思いで感無量であった。彼にはやはり何か違うものがある。それが何かよく解らない。でも、ブラボー!ブラボー!である。

アンコールの『こうもり』は初めて聴いたが大変興味深く、もちろん演奏も素晴らしかった。こうしたオペラ・オペレッタ、バレエ音楽のメドレーは聴いて楽しい。ブッフビンダーは来年1月のN響B定期(チケットはすでに完売。名古屋、福岡公演あり)に登場するが、そのときも似たようなアンコール曲を弾いてもらいたい。今からリクエストだ。(^_^)

N響の『シモン・ボッカネグラ』

2013-11-10 12:45:00 | N響
一昨日(8日)NHKホールでのNHK交響楽団第1766回定期公演~ヴィエルディ生誕200年~歌劇「シモン・ボッカネグラ」(演奏会形式・字幕つき)に行ってきた。指揮はネルロ・サンティ。主な出演者は下記の通り。

【演目】
ヴェルディ/歌劇「シモン・ボッカネグラ」
     (プロローグ・第1幕)
  ~休 憩~(30分)
     (第2幕・第3幕)
《18時00分開演、21時05分終演》

  シモン:パオロ・ルメッツ
  マリア/アメーリア:アドリアーナ・マルフィージ
  フィエスコ:グレゴル・ルジツキ
  ガブリエレ:サンドロ・パーク
  パオロ:吉原 輝
  ピエトロ:フラノ・ルーフィ
  射手隊長:松村英行
  侍女:中島郁子
  合唱:二期会合唱団

世界に数多くのオペラ指揮者と呼ばれる人がいると思うが、そのなかでもネルロ・サンティはそのキャリアと実力を鑑みればオペラ界の重鎮であり、巨匠であろう。そして、なによりも驚かされるのが、約2時間半にもおよぶ演目を完全暗譜で指揮することである。彼は協奏曲や交響曲でも完全暗譜で指揮をするのだが、オペラを完全暗譜で指揮をする人はそうそうはいないだろう。

さて、お話はジェノヴァ共和国の総督であるシモン・ボッカネグラを巡り、その娘のアメーリア、アメーリアの恋人にしてシモンの政敵であるガブリエレの3人を軸に、宗教的対立や市民の暴動などを背景にしながら展開され、最後はシモンとガブリエレが和解して、シモンが2人の結婚を祝福してガブリエレを後継者にして息を引き取るという、悲劇とも喜劇とも捉えられる悲喜劇である。

出演者は3年前に行われた『アイーダ』とほぼ同じメンバーで、ある意味サンティの手兵ばかり。サンティの娘であるアドリアーナ・マルフィージは今回もヒロイン役でご登場である。(苦笑)歌手のなかではガブリエレを演じたサンドロ・パークが、『アイーダ』のときと同じように一人圧倒的な歌声と存在感を示している。あと、前半と後半でなぜか座る配置が変わっていた二期会合唱団も統率された歌声で健闘だ。

演奏は非常に巧かった。歌手を引き立てると同時に、物語性としての表現力も高く、N響の実力を十二分に発揮していた。N響の面目躍如というかサンティの為せる業なのかもしれない。

こうした演奏会形式を定期公演で行うということは金銭的には大変なことではあると思うが、N響は来年以降も年1回はこうした演奏会形式の公演は行ってほしいものである。それは観客にもオケにもオペラの勉強になるはずなのだからだ。ただ、今後はできればゲルギエフ、ルイージ、F.ジョルダンといった現役バリバリのオペラ指揮者を登用して、歌手もそのつど一新してもらいたい。

パーヴォ・ヤルヴィ&パリ管弦楽団

2013-11-07 22:09:26 | 海外オーケストラ
一昨日(5日)サントリーホールで開かれたパリ管弦楽団の東京公演を聴いてきた。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。ピアノはジャン=フレデリック・ヌーブルジェ。オルガンはティエリー・エスケシュ。

【演目】(※はアンコール曲)
シベリウス:組曲「カレリア」
リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調
※ラヴェル:『クープランの墓』から「メヌエット」
  ~休 憩~
サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調「オルガン付」
※ビゼー:管弦楽のための小組曲『子供の遊び』より「ギャロップ」
※ベルリオーズ:『ファウストの劫罰』より「ハンガリー行進曲」
※ビゼー:オペラ『カルメン』序曲
《19時00分開演、21時15分終演》

パーヴォ・ヤルヴィの指揮はシンシナティ響(2009年)、ドイツ・カンマーフィル(2010年)、パリ管(2011年)、フランクルフルト放送響(2012年)と4年連続鑑賞している。そして今年(2013年)は再度パリ管である。

1曲目。冒頭のホルン、それに続くトランペットの響きは色彩感溢れて、思わずハッとさせてくれる。しかし、その後の弦からは北欧音楽特有の透明感というか、突き抜けるような煌めきがない。終曲の「行進曲風に」でも弦は木管金管のリズミカルな演奏から取り残されている。演奏後の観客も「ああ、これはウォーミングアップなんだな」という少し溜め息まじりの醒めた拍手だった。

2曲目。リストにしては良家のお坊ちゃんが弾いているのではないかと思うぐらい大人しく、リストがもつ荒々しさというか“狂想曲”な感じがなく、ごく普通の協奏曲にしか聴こえず少し面白味に欠ける。ジャン=フレデリック・ヌーブルジェはまだ27歳なのだが、技術力が有り余っているのか、すでに悟りの境地で達観してリストを弾いている感じなのである。あとで知ったが、この人、すでにパリ音楽院の教授とのことである。

3曲目。前半の2曲の弦は決して褒められるものではなかったが、後半の「オルガン付」になると、弦がもつ優しさと毒々しさ、柔らかさと剛直さ、といった変則的なコントラストをうまく使い分けて、この曲のもつ崇高さ、荘厳さを引き出していった。そして、オルガンのティエリー・エスケシュもパリ音楽院の教授ということもあってか、こちらも情熱的な演奏というより冷静沈着に曲の展開を楽しむかのようオルガンと向きあっているようであった。

最後に、まだ2年近くも先のことになるが、ヤルヴィは2015年9月から3年間N響の首席指揮者を務めることになっている。どのような演奏を聴かせてくれるのか楽しみであるが、今回の「オルガン付」や『幻想交響曲』『ダフニスとクロエ』といったフランス音楽の名曲もプログラムに入れてもらいたい。そして、それらの演奏はぜひともサントリーホールで行ってほしいものである。フランス音楽はNHKホールよりサントリーホールの方がフィットして楽しめるからだ。

METライブビューイング『エフゲニー・オネーギン』

2013-11-04 09:09:30 | ライブビューイング
昨日(3日)新宿ピカデリーでMETライブビューイング『エフゲニー・オネーギン』を観てきた。音楽はピョートル・チャイコフスキー。演出はデボラ・ワーナー。指揮はワレリー・ゲルギエフ。管弦楽はメトロポリタン歌劇場管弦楽団。主な出演者は下記の通り。上演時間は3時間47分(休憩2回)。ロシア語上演。

  タチヤーナ:アンナ・ネトレプコ
  オネーギン:マリウシュ・クヴィエチェン
  レンスキー:ピョートル・ベチャワ
  オリガ:オクサナ・ヴォルコヴァ

ロシア出身のネトレプコ、ポーランド出身のクヴィエチェンとベチャワ。そして、ベラルーシ売まれのヴォルコヴァと主要4キャストがスラブ語圏出身ということもあり、その歌声の響きが明晰にして艶がありとても魅力的だ。それを指揮をするのがゲルギエフということもあり、ある意味いま考えられる最高のチャイコフスキー・オペラの布陣かもしれない。

ストーリーはタイトル・ロールのオネーギンがいかに女たらしで、最後に痛い目にあうぞというたわいもないものである。というのも、オネーギンとレンスキーが対立する場面で、オリガが間に入ってゴメンナサイと言えば丸く収まってしまい、この話は成り立たない。しかし、脳天気な彼女は2人の対立に右往左往するだけで、2人は決闘してしまい、最後には悲劇のヒロインならぬ哀れなヒーローが残されるというものである。結局のところ上流階級になると男も女もプライドだけは高く、謝って収まるということを知らないのね、というお話でもある。(苦笑)

さて、冗談はこれぐらいにして、出演者たちの歌声と演技は素晴らしい。ネトレプコは第1幕の田舎娘と第3幕のサンクトペテルブルクでの公爵夫人になったときの立ち振る舞い、歌声を見事に演じ分け、オペラ歌手というよりオペラ女優としての貫禄をいかんなく発揮。また、純朴にして直情的なレンスキー役のベチャワも第2幕でのアリアが素晴らしく、美味しい役どころをさらって好演である。そして、イケメンにして身勝手なオネーギンを演じたクヴィエチェンは、歌声というより存在自体そのものが放蕩男的で120%はまり役である。(^_^)

舞台美術は地味であまりインパクトがなく面白味にかけるが、歌声や演技・踊りを殺すことなく、古典的美術を少し現代風にアレンジして巧く作られている。同じように演出もこれといって斬新なことをするわけでなく、かなり保守的ではあるが、踊りなどをはじめ音楽をいかに活かすことに重点がおかれていて好感がもてる。

最後にチャイコフスキーの音楽は、バレエ音楽の名作を作曲した彼ならではの華麗にして優美な旋律が全編に散りばめられていて、聴き飽きることは一度もなかった。もしこのキャスティング & ゲルギエフ指揮で日本公演が行われるならば、私は間違いなく大枚を払っても観に行くであろう。