ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

ラザレフ&日本フィルの爆演

2013-01-27 22:13:01 | 日本フィル
一昨日(25日)、サントリーホールで開かれた日本フィルハーモニー交響楽団の第647回東京定期演奏会を聴きに行ってきた。指揮はアレクサンドル・ラザレフ。ピアノはハオチェン・チャン。チケットは完売。

【演目】(※はアンコール曲)
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番
※中国民謡/彩雲追月
  ~休 憩~
ラフマニノフ/交響曲第3番
《19時00分開演、20時45分終演》

ハオチェン・チャンは1990年上海生まれ。2002年に第4回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールで優勝。2007年に第4回中国国際ピアノコンクールで優勝。2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで辻井伸行とともに優勝を果たした若きピアニスト。

1曲目。ハオチェン・チャンは上手いと思う。ただ、この日は可哀想だった。というのも、ラザレフはオケを伴奏というより競奏させてしまい、それに対してオケも見事に応えてしまった。そのために、ブラームスのピアノ協奏曲ではないが「交響曲ピアノ付」になってしまった。これでは、いくら数々のコンクールで優勝した若き才能も多勢に無勢という状態であった。これに懲りることなくハオチェン・チャンがふたたび日本のオケと共演することを願うばかりである。

2曲目。アレクサンドル・ラザレフは典型的な爆演型指揮者である。そのことに対して賛否両論があるようだが、この日のラフマニノフはもう火のうちどころがない爆演指揮で、指揮台の上を変幻自在縦横無尽に動きまわり、両手も蛸足か千手観音のように動いていく。(笑)こうした指揮をフォローしていく日本フィルの楽団員たちは大変だろうが、誰もが集中力を途切らすことなく見事に応えていった。全編に漂うロシアの郷愁感、民族的な焦燥感、そしてラフマニノフ特有の耽美な世界を迫力かつ精微に表現していった。ラザレフと日本フィルの関係性の上のみになり立つ爆演に多くの観客がノックアウトされた感じの演奏会であった。

4月以降来日予定の海外オケ

2013-01-23 13:55:09 | Weblog
下記のリストは今年4月から来年3月までに来日する海外オケの顔ぶれである。なんといっても最大の話題は11月にウィーンフィル、コンセルトヘボウ管、ベルリンフィルなどがほぼ同時期にやってくるということだろう。おそらく11月のサントリーホールは20日間近くが海外オケの演奏会になるのではないだろうか。

一方で、私が好きなアメリカオケはニューヨーク・フィルしかこない。なぜなのだろう。せめてもう1つぐらいは来日してほしい。

それにしても、行きたいオケが目白押しだ。特に11月は破産覚悟をしなければならないが、チケット代を払うのはそれ以前なので、支払いがうまく分散されることを願うばかりである。(笑)

4月 シュトゥットガルト放送交響楽団(指揮:ステファン・ドゥヌーヴ)
4月 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:ロリン・マゼール)
4月 サンクトペテルブルク交響楽団(指揮:井上道義)
4月 BBCフィルハーモニック(指揮:佐渡裕)
5月 ウィーン交響楽団(指揮:大野和士)
6月 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:ミヒャエル・ザンデルリング)
6月 マーラー・チェンバー・オーケストラ(指揮:ダニエル・ハーディング)
6月 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:シャルル・デュトワ)
7月 プラハ放送交響楽団(指揮:オンドレイ・レナルト)
7月 アジア・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:チョン・ミョンフン)
9月 フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団(指揮:チョン・ミョンフン)
10月 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:イルジー・ビエロフラーヴェク)
11月 パリ管弦楽団(指揮:パーヴォ・ヤルヴィ)
11月 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:クリスティアン・ティーレマン)
11月 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(指揮:マリス・ヤンソンス)
11月 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:サイモン・ラトル)
11月 トリノ王立歌劇場管弦楽団(指揮:ジャナンドレア・ノセダ)
11月 バーミンガム市交響楽団(指揮:アンドリス・ネルソンス)
11月 ドイツ・カンマーフィル・オーケストラ(指揮:パーヴォ・ヤルヴィ)
2014年
1月 ウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラ(指揮:ヴィリー・ビュッヒラー)
1月 サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団(指揮:ユーリ・テミルカーノフ)
2月 ニューヨーク・フィルハーモニック(指揮:アラン・ギルバート)
3月 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(指揮:リッカルド・シャイー)

エレーヌ・グリモーのブラームス

2013-01-18 15:44:48 | N響
一昨日(16日)サントリーホールで開かれたNHK交響楽団第1746回定期公演に行ってきた。指揮はデーヴィッド・ジンマン。ピアノはエレーヌ・グリモー。

【演目】
ブゾーニ/悲しき子守歌~母の棺に寄せる男の子守歌
シェーンベルク/浄められた夜
  ~休 憩~
ブラームス/ピアノ協奏曲第2番変ロ長調
《19時00分開演、21時00分終演》

1曲目。初めて聴くが、正直よく解らない。タイトルからすると亡くなった母の棺に向かって、息子が惜別の子守歌を歌うというものなのだろう。ただ、そうしたイメージはまったく湧かなかった。

2曲目。N響の弦のアンサンブルは美しい。ジンマンもそれを見事に引き出している。ただ、もう少しなんというかロマンチックな響きがあってもよかったように思う。

3曲目。第1楽章。アレグロ・ノン・トロッポ。冒頭ホルン(日高剛)と掛け合うように、エレーヌ・グリモーのピアノは弱音でスタートする。第1主題が朗々と歌い上げられるが、グリモーの弾き方は常に鍵盤のスイートスポットを弾くようで軽やかにして爽やか。それゆえにブラームス特有の重厚さは感じさせないが、清々しさを感じさせてくれる。また、N響の伴奏も洒脱にしてスノッブで、どことなくニューヨークのような都会的イメージをさせてくれるような世界へと導いていく。

第2楽章。アレグロ・アパショナート。本来は勇壮にして民族的なスケルツォだが、ここでもグリモーのピアノは的を射るかのように煌めくようなピアノの音色が続いていく。それは色彩感に漲り、高層ビルの万華鏡が見ているかのような華やかさがあった。

第3楽章。アンダンテ。この楽章の主役はピアノでなくチェロ。冒頭からチェロ(木越洋)のしっとりとした美しい音色が響き、それに続いてファゴット(水谷上総)やオーボエ(青山聖樹)などの木管ソロが優美な音色がグリモーを支えていく。彼女も天を仰ぐかのようにしながら聴き入り、自身も無色透明というか清新な音色を奏でていく。

第4楽章。アレグレット・グラチオーソ。軽快なロンド形式で、グリモーの奏でるピアノからは都会的な洒脱にして疾走感のある音色が聴こえてくる。

ブラームスを聴いたというよりもエレーヌ・グリモーを聴いたという演奏だった。

芸術と世俗は紙一重のマーラー交響曲第7番

2013-01-13 11:32:15 | N響
一昨日(11日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団第1745回定期公演に行ってきた。指揮はデーヴィッド・ジンマン。

【演目】
マーラー/交響曲第7番ホ短調「夜の歌」
《19時00分開演、20時35分終演》

マーラーの曲のなかでももっとも演奏されないという第7番。マーラー音痴を返上するために、また向学のために聴きにいったが、正直面白い曲とは思えなかった。まあ、それゆえに演奏される機会が少ないんだろう、と勝手に解釈。w

交響曲の定義はいろいろあるだろうが、この曲は古典および印象派音楽好きにとってはとても交響曲と名乗れるものではないと思う。一方で前衛音楽派好きにとってはこれこそが交響曲の定義を壊した交響曲だと絶賛するかもしれない。

芸術という言葉には対義語がないが、しいて言うならば世俗という言葉ぐらいだろう。この曲はまさにその芸術と世俗の二面性は紙一重ではないかと、マーラーが探究した音楽なのかもしれない。芸術的には第1楽章と最終楽章をしっかり結んでいる。普段オケでは使われないギターとマンダリンを使うなのど斬新性もある。

しかしながら、その中味(ボディ)はなんか他の作曲家たちの模倣もしくはパロディやアイロニーであり、これは悪趣味の領域を脱していない。こうしたことが、この交響曲が評価されることなく、またあまり演奏されない由縁なのだろう。いずれにしろ、表層的には芸術的であっても、内面的には世俗的な交響曲という感じがした。

N響の演奏としては、あまり演奏されないということもあるが、トランペット、トロンボーン、チューバは聴き苦しいところがあったものの、ホルンとバストロンボーンは健闘していた。でも、いくら慣れない曲とはいえ、プロなのだからもう少ししっかり練習して本番に備えてもらいたいものだ。

小山実稚恵と大野和士と日下紗矢子の読響

2013-01-11 17:19:41 | 読響
一昨日(9日)、サントリーホールで開かれた読売日本交響楽団第556回サントリーホール名曲シリーズ公演を聴きに行ってきた。指揮は大野和士。ピアノは小山実稚恵。

【演目】
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番二短調
  ~休 憩~
R.シュトラウス/アルプス交響曲
《19時00分開演、21時05分終演》

1曲目。大野和士は22年ぶりに読響のタクトを振るのだが、その22年前の公演でも大野と小山実稚恵は共演している。二人は芸大時代の同級生でもちろん旧知の仲。それゆえに、二人は互いにアイコンタクトもすることなく「あ・うん」の呼吸で音楽を奏でていく。それに加えて4月からコンマスに就任予定の日下紗矢子率いる弦の清廉にして柔和な響きがサポートしていく。

読響の弦ということ、私はこれまでに何度も「剛直」と書いてきたが、それが目からウロコか、アッと驚く為五郎並にまるで別のオケのような音色を奏でていく。それはスペインかイタリアのような柔らかく明るい日差しをうけている波のように穏やかで爽やかなのだ。それゆえか、演奏者たちの誰もがなんか呪術から解放されたようで朗らかな表情で弦を奏でているように見えた。特に第1ヴァイオリンの4番プルトの男性は楽しそうだったなあ。w

さて、小山の演奏だが、これは久しぶりに彼女の真骨頂を聴かせてもらった思いである。繊細なピアニッシモから始まり、最後にオケと一体化して豪快に終えるまでの40分は、緊張感に漲り息をずっと止めているような感覚だった。しかし、その時間は決して長くも短くもなく、海からの心地よい風が頬を伝わるようでもあった。

2曲目。どんな演奏でも賛否両論があると思うが、聴きながら自分のなかで賛否が渦巻くことも少なくない。この演奏もそうだ。1曲目同様に弦は包容力のある音色を奏でるものの、金管からはときに冷たく尖った音色が聴こえてくる。そして、それを中和させるかのように美しい木管ソロが奏でられる。ただ、そうした音色を大野和士がうまく纏め上げていれば問題はなかったが、結果的にはそうは思えなかった。加えて、この演奏はR.シュトラウスが体験したであろう登山を、登山者の視点で描いているのではなく、どちらかというと第三者的な視線で演奏しているように思えてならなかった。そうした大野のアプローチに疑問を抱いていくと、どうしても消化不良に陥ってしまう・・・。

ただ、この日の最大の収穫は日下紗矢子だろう。彼女の登場によって読響の弦には新たな息吹が湧き起こり、それは今後木管や金管に伝わっていくに違いない。

パーシモンホールの「N響ニューイヤー・コンサート」

2013-01-07 11:51:13 | N響
昨日(6日)は母親の付き添いでめぐろパーシモンホールで開かれた「パーシモンホール開館10周年記念」NHK交響楽団ニューイヤー・コンサートを聴きに行ってきた。指揮は広上淳一。チェロは宮田大。

【演目】(※はアンコール曲)
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲ロ短調
  ~休 憩~
ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調「新世界から」
※ヨハン・シュトラウス2世/ピチカート・ポルカ
《16時00分開演、18時00分終演》

私は1970年から3年間今は亡き都立大学附属高校に通った。当時は69年学園紛争、70年安保、72年沖縄返還という激動の時代で、ここへ通った歳月はその後の私の人生を大きく左右したが、その当時、キャンパス内では高校生は大学生よりも大きな顔をして闊歩していた。というのも、高校には旧制高校(府立高校)の伝統が色濃く残り、記念祭(文化祭)やクラスマッチなどといった学校行事では旧制高校時代から続く寮歌や応援歌を誰もが歌っていた。

そうした流れがあるからかどうか解らないが、高校生は大学の施設をほぼ自由に使うことができ、大学の体育館(「旧体」と呼ばれていた)で体育の授業を行ったり、学生大会(「生徒大会」と言わなかった)は大学の講堂で行っていた。また、大学の図書館や生協もいつでも使うことができ、高校生ながら大学生活を謳歌とは言わないまでも、十二分に垣間みる学園生活をしていた。

さて、その高校があった都立大学は八王子市に移転して首都大学東京となり、2011年3月には都立大学という名称も消えた。高校も桜修館中等教育学校という中高一貫校に変わっていった。そして、大学のあった跡地にめぐろ区民キャンパスができたのが今から10年前になり、パーシモンホールはその昔の講堂と図書館があった辺りに建っている。

1曲目。宮田大は上手いという話を人づてに聞いていたが、本当に彼は上手い。その魅力は若いながらも奥深さを感じさてくれた。2~3分の序奏のあとに力強く入る導入部はたおやかにして健やか。それでいて、第2楽章ではチェロ特有のもの寂しい音色を、繊細な情感的な感じだけでなく、その昔高校の屋上から見た夕焼けを思い出させてくれるような情景的な感覚を含ませていく。そして、第3楽章では、自由奔放にして独立自存の彼本来の姿であろう演奏をさりげなく披露していく。これまで何度もこのドボチェロを聴いてきたが、かなりの好印象だった。宮田大26歳、まだまだ底を見せていない奥深さがある。今後が本当に楽しみなチェリストを聴いたという思いだった。

2曲目。「新世界から」を聴いていると、ドヴォルザークは凄いメロディメーカーだったのだなあと思わされる。第1楽章から最終楽章までにいったいどれぐらいの印象的なメロディが出てくるのだろうか。しかしながら、これだけ多くのメロディが出てくるとオケは不揃いになりがちになりそうなので、指揮者はタイトにオケをコントロールしがちになると思うのだが、広上淳一はそんなことはお構いなし。オケの誰もを気兼ねなく気持ちよく演奏させるように持ち上げていく。それでいて、第3楽章に入ると跳び箱かはたまたお節料理を入れた重箱かを連想させてしまう3段重ねになった指揮台の上で、縦横無尽にしておおらかな指揮を続けていく。それに応えるようにオケも機動力と推進力をいかんなく展開していきニューイヤーコンサートらしい快活にして明るい「新世界から」を築きあげていった。以前、私は広上淳一のことを「小さな巨人」と書いたことがあるが、もはや彼は「小さな巨匠」の道を歩みはじめているようだ。

余談だが、広上淳一は目黒区在住だそうだ。N響チェロ首席の藤森亮一が目黒区在住ということは知っていたので、この日のチェロ首席は彼かなと思ったら、なんと夫人の向山佳絵子だった。

最後に恒例の母親の一言「若いチェロのお兄さんは上手いわね。十二分に聴く価値のある人ね」と・・・。宮田大さん、もうすぐ89歳になる老婆の言葉にお許しを。(笑)

写真:都立大学正門のメモリアル。正面の建物は八雲中央図書館。パーシンモンホールは左側にある。

なんでバレエには年末年始の公演がないの

2013-01-03 12:57:01 | Weblog
あけましておめでとうございます。

年末年始の風物詩は千差万別いろいろある。スポーツでいえば、高校サッカー、高校ラグビー、天皇杯サッカー、実業団駅伝、箱根駅伝などなど目白押しだ。一方、芸術でも歌舞伎は新春歌舞伎、落語は正月寄席などがあり、クラシック音楽でもジルベスター・コンサートやニューイヤー・コンサートがある。

しかしながら、年末年始に静かな業界もある。例えばバレエ。ジルベスター・バレエはないし、ニューイヤー・バレエにしても正月三が日が過ぎてからだ。これはおそらくバレエの主たる観客層である女性が・・・、主婦は年末年始はいろいろ忙しかったり、独身女性は海外旅行に行ってしまったりするから、この時期に公演しても観客が集まらないという考えがあるからだろう。果たしてそうだろうか。

こういうときにこそちょっと洒落たバレエ公演を行い、旦那や恋人などを誘って、男性にもバレエの魅力を伝えることができたりはしないだろうか。新国立劇場あたりが、ちょっと遊び心に富んだ、そして華やかなジルベスター・バレエとかニューイヤー・バレエでもやったら面白いと思うのだが。どうであろうか。