ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

モーツァルト風ベートーヴェン・プロのN響B定期

2009-11-27 12:58:34 | N響
おととい(25日)サントリーホールで行われたNHK交響楽団第1660回定期公演へ行ってきた。オール・ベートーヴェン・プログラム。指揮はネルロ・サンティ。

【演目】
ベートーヴェン/歌劇「フィデリオ」序曲
ベートーヴェン/交響曲第4番変ロ長調
  ~休 憩~
ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調「田園」
《19時00分開演、20時55分終演》

目からウロコ、ひょうたんから駒、狐につつまれているようなと言ったら失礼になるが、風変わりなベートーヴェン・プログラムだった。それは、このプログラムがベートーヴェンのなかでもモーツァルト風の曲を並べている印象をもったからだろう。

1曲目。ベートーヴェンが書いた唯一のオペラ「フィデリオ」の序曲。今日でも上演されることが多く、またこの序曲もコンサートでよく演奏される。非常に明るい感じの曲をN響は軽快に演奏していく。特に弦が引き締まった音色を響かせる。この日はコンマス・堀、第二・山口、ヴィオラ・店村、チェロ・木越と首席は年長者だらけで、メンバーも全体にベテラン陣が多かった。そのせいでもあるまいが、弦の音色が普段よりも老獪にしてコンパクト。それでいて、しなやかなにして優しい音色は変わらなかった。まずは出だし快調。

2曲目。以前はベートーヴェンの交響曲のなかでもあまり演奏されることが少なかった交響曲だったが、最近は人気のようでかなり演奏される。といいつつも、私がこの第4番を生で聴くのは今回が2回目。弦楽主体の構成のために、その曲調はやはりどことなくモーツァルト風。ただ、モーツァルトの曲が淡々と演奏されていく印象があるが、そこはやはりベートーヴェン。音のメリハリはモーツァルトより大胆かつメリハリがある。ここでも1曲目同様に、弦が非常にタイトな音色を奏でていき、心地良い誘いに襲われることなく、しっかり聴くことができた。

3曲目。先日オペラシティでチェコ・フィルの「田園」を聴いたばかりであるが、N響の「田園」はかなり洗練された音色だった。というのも、それはオケのメンバーの音色が観客にダイレクトに届いていくという感じでなく、いったんすべての音がサンティの巨体に集約され、それが凝縮したひとつの塊となりイタリア人ならではの陽気な香りもブレンドされ、観客に伝えられていく。こうした演奏はそうそうお目にかかれるものではない。「田園」の演奏としてはかなりゆっくりで抑揚の押さえた演奏であったが、集約された音色はとても上品かつ聡明であった。

私がこの日もっとも注目したのフルートの首席を務めた渡邊玲奈。これまでに数多くのコンクールで優勝した実力者だが、この日の演奏でも豊饒とした音色を奏でて、その実力をいかんなく発揮していた。次代のN響を背負う逸材ではないだろうか。

鮭の七人とサンティ・ファミリーのN響C定期

2009-11-24 11:43:55 | N響
一昨昨日(21日)NHKホールで行われたNHK交響楽団第1659回定期公演へ行ってきた。指揮はネルロ・サンティ。ソプラノはサンティの実娘アドリアーナ・マルフィージ。

音楽の世界では夫婦共演とか親子共演というのは結構ある。N響もサンティに胡麻をするわけではないだろうが、この共演は過去にも2~3度あったような気がする。N響は来年1月26日にオペラシティで現田茂夫・佐藤しのぶ夫妻でコンサートを行うから、結構義理堅いオーケストラというか・・・。

この日の最大のハイライトは本公演前の「開演前の室内楽」だった。この「開演前の室内楽」はNHKホールでの定期公演前に、北側ロビーで20分程度行われる。これを毎回楽しみにしている人も多い。

今月はマルセル・ケンツビッチの七重奏曲『鮭』。演奏は津堅直弘(トランペット)、永峰高志・白井篤(ヴァイオリン)、坂口弦太郎(ヴィオラ)、西山健一(チェロ)、西山真二(コントラバス)、竹島悟史(ピアノ)の、1人を除いて揃いも揃ったりヒゲそり跡もしくはヒゲの濃い7人。w

『鮭』はケンツビッチがシューベルトの『鱒』を演奏するコンサートで、時間が余るのでその穴埋めのために作曲したものだそうだが、あまりにも素晴らしかったので後にレコーディングまでされるようなった。

作曲のケンツビッチは沖縄生まれだが、東北の川で生まれた稚魚が、オホーツクまで泳いでいき、最後には故郷の川でタマゴを生んで昇天する鮭の一生を描いた作品で、メロディの一部は『鱒』の楽譜を鏡に映して、それを拝借しているなど鮭っ気もある。(笑)そして、シンプルな馴染みやすい行進曲風のメロディやリズムもあり素晴らしい名曲である。

この日の演奏は今月4回目となるせいか、奏者の7人はお互いに笑顔でアイコンタクトをしながら、和気靄々と演奏していて、最近の「開演前の室内楽」では異色にして出色の出来だった。なお、ケンツヴィッチこと津堅直弘は来年2月をもってN響を定年退職する。

【演目】
レスピーギ/交響詩「ローマの噴水」
レスピーギ/森の神々
  ~休 憩~
ヴェルディ/歌劇「オテロ」から「柳の歌」「アヴェ・マリア」
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
《15時00分開演、16時55分終演》

C定期の席は本来ならば金曜なのだが、チェコフィルと重なったために、この日は座席を振替え。ところが、振替えてもらったのがなんと1階14列14番という凄い良席。真正面にはフルートの宮崎由美香嬢が座っている。彼女はN響アカデミーの頃から美人だなぁ、と注目していたが、まさか首席奏者候補(おそらく試用期間中)になるまでとは思っていなかった。今思えば、名演だったブロムシュテット指揮のブラームス1番でフルートの3番を吹いていたのが懐かしい。

とまあ、彼女に見惚れながら聴き惚れながら、イタリア・イタリアした演奏会を楽しんだ。ただ、端的にいわせてもらえれば前半は少しノリがよくなかったが、後半はサンティも娘マルフィージもノリノリで十二分にそのイタリアらしさを発揮していた。そして、私のすぐそばにいたイタリア人のおじさん(サンティの息子さん?)は、当たり前の話だが「ブラヴァ」「ブラボー」「ブラヴィ」を見事に使いわけ、『火の鳥』が演奏し終えた最後の最後に絶妙のタイミングで「グランデ・マエストロ!」と叫んだ。日本のブラボー屋さんには到底マネのできない自然体だった。

ヘルベルト・ブロムシュテット&チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

2009-11-22 16:13:51 | 海外オーケストラ
おととい(20日)オペラシティ・コンサートホールで行われたチェコ・フィルハーモニー管弦楽団来日公演に行ってきた。指揮は客演のヘルベルト・ブロムシュテット。

【演目】(※はアンコール曲)
ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調「田園」
  ~休 憩~
ブラームス/交響曲第1番ハ短調 
※ブラームス/交響曲第1番第3楽章
《19時00分開演、21時05分終演》

ヘルベルト・ブロムシュテットは82歳。元気である。彼は北欧のいくつかの主要オーケストラの首席指揮者を歴任後、1975年に名門シュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に就任。以後、1985年~1995年はサンフランシスコ交響楽団、1995年~1998年は北ドイツ放送交響楽団、 1998年~2005年はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者と、後に有名になるオケの礎を築いた。現在はライプツィヒ管、バンベルク交響楽団、そしてNHK交響楽団の名誉指揮者である。

1曲目。端正にして上品な弦の音色が「田園」のもつ牧歌的雰囲気を醸し出す。しかしながら、そのあとに続く木管陣の音色が冴えない。見た目はとても華やかな首席のフルートとオーボエのお姉さんの音色がパッとしない。これではいくら美人好きの私でも心も揺らがない。

それにしても、このオペラシティのコンサートホールの音響は摩訶不思議である。弦がドルビー・サウンドのように聴こえるのに対して、木管・金管はモノラルのように聴こえる。先日のトゥールーズ管の時は大音響のために音が拡散してしまったが、このチェコ・フィルでは弦と木管・金管が完全に乖離して届いてくるのである。昨年のサンクトペテルブル・フィルのときにはこんなことはなかったのだが・・・。

考えてみれば、ホールの音色は随分違う。サントリーホールはステレオ・サウンドのようだし、NHKホールはダイレクトなサウンド。ミューザ川崎はサラウンド方式のように聴こえるし・・・。

そんなこんなことを考えて、ホール全体を見回していたら、演奏は終わってしまった。

チェコ・フィルは最近のヨーロッパのオケにしては珍しく東洋系のメンバーが1人もいない。プログラムのメンバー表を見る限り、そのほとんどの名前は東欧系であり、おそらく大半の方はチェコ人(もしくはスロバキア人)なのではないだろうか。特に弦は厳格にして上品。そして、その音色には伝統的(民俗的)な団結力があり素晴らしい。一糸乱れぬ演奏はカラヤン&ベルリン・フィルの映像を思い浮かべてしまうほどだ。

2曲目。メンバーが大幅に入れ替わる。コンマスを始め、フルート、オーボエ、ファッゴット、ホルンなどの首席が1曲目とは違う人になる。

ここでもやはり弦の団結力ある音色が胸に響いてくる。N響にも言えることなのだが、チェコ・フィルも弦だけなら世界トップクラスではないだろうか。それぐらい、引き締まった音色を奏でる。また、1曲目と大幅に入れ替わった木管・金管陣も「オレたちが正規軍だぜ!」と言わんばかりの安定した音色を響かせてくれた。全体としてはちょっとアップテンポな疾走感のある演奏だったが、それでも端正にして上品な演奏は重厚感をしっかりと味合わせてくれた。

アンコールはなぜか今演奏したばかりの第3楽章。本番ではここがもっとよくなかった楽章だったので、演奏し直したわけではないだろうが、アンコールのときはパーフェクトだった。

最後にもう一度、オペラシティの音響は摩訶不思議である。ただ断言できることは、ここは慣れていない海外オケが演奏するには向いていない。カジモトさん(および他の招聘元さん)、ミューザ川崎を使いましょう。

オペラ『ヴォツェック』@新国立劇場

2009-11-19 17:29:38 | オペラ
昨日(18日)新国立劇場・オペラ劇場で演じられているオペラ『ヴォツェック』の初日公演を観に行ってきた。音楽はアルバン・ベルク。演出はアンドレアス・クリーゲンブルク。

指揮:ハルトムート・ヘンヒェン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団&NHK東京児童合唱団

ヴォツェック:トーマス・ヨハネス・マイヤー
鼓手長:エンドリック・ヴォトリッヒ
アンドレス:高野二郎
大尉:フォルカー・フォーゲル
医者:妻屋秀和
第一の徒弟職人:大澤 建
第二の徒弟職人:星野 淳
マリー:ウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネン
マルグレート:山下牧子
マリーの子供:中島健一郎
兵士:二階谷洋介
若者:小田修一

上演時間 1幕35分 2幕35分 3幕25分 途中休憩なし
《19時00分開演、20時45分終演》

『ヴォツェック』は19世紀のドイツの作家ゲオルク・ビューヒナーが書いた戯曲をアルバン・ベルクがオペラ化したもの。演劇のタイトルでは『ヴォツェック』でなく『ヴォイツェック』と「イ」の字が入る。

ストーリーは下記のようなに単純だ。

下級兵士のヴォツェックが内縁の妻マリーと子供を養うために、医者の人体実験台になるが、幻覚の症状を覚えるようなってしまう。一方、マリーは鼓手長と仲よくなってしまい、ヴォツェックはマリーを刺し殺してしまい、自らも溺死する。そして、結局は何も知らない子供だけが残される。

実は私は以前、演劇の『ヴォイツェック』製作に関わっている。その当時は子供を夜8時以降に舞台には立たせてはいけないという馬鹿げた法律があったために、舞台ではどうしても子供の役の存在が希薄になってしまった。そのために、どうしてもビューヒナーが目指した戯曲の主旨とは違う形になってしまう。ところが、今回のオペラは原作の主旨を見事に汲んでいて、残された子供をしっかりとクローズアップしている。

舞台には一面に張った水。そして、宙に浮いているヴォツェックの部屋と思われる箱形舞台。非常にシンプルながらも効果的な舞台装置だ。しかしながら、アルバン・ベルクの音楽はかなり???マークだ。現代音楽にしてはあまりにも無味乾燥としていて単調すぎる。大編成のオーケストラにはしては凄いオーケストレーションや印象的な旋律があるわけでなく、効果音かBGMのようにしか思えない。

それでは、このオペラが面白くないかというとそうではない。随所に魅せるアンドレアス・クリーゲンブルクの斬新な演出、出ずっぱりの子役の少年の演技、水のなかで頑張った10数人の黒衣たちなどと見どころはいっぱいある。そういう意味では『ヴォツェック』はやはり『ヴォイツェック』であり、オペラでなく芝居なんだと再認識せざるをえなかった。

最後に、このオペラ、舞台装置の関係上、センター席で観るのが良いだろう。サイド席だと面白さが半減してしまうのではないだろうか。これからチケットを買う人はくれぐれも最後列だろうとセンター席をおすすめする。

トゥガン・ソヒエフ&トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団

2009-11-13 14:52:08 | 海外オーケストラ
昨日(12日)オペラシティ・コンサートホールで行われたトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団来日公演に行ってきた。指揮はトゥガン・ソヒエフ。ヴァイオリンは諏訪内晶子。

トゥガン・ソヒエフは1977年ロシア・ウラジカフカス生まれの32歳。1996年にゲルギエフ記念ウラジカフカス芸術学校を卒業。サンクトペテルブルク音楽院でイリヤ・ムーシンとユーリ・テミルカーノフに師事。1999年の第3回プロコフィエフ国際コンクールの指揮部門で最高位(1位無しの2位2人)を受賞。2005年からトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の首席客演指揮者並びに音楽アドヴァイザーに就任。2008年からは音楽監督に。若手有望指揮者の1人といわれ、これまでにヨーロッパ各地の有名オケに客演している。

【演目】(※はアンコール曲)
グリンカ/オペラ「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
※J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調BWW1003からアンダンテ
  ~休 憩~
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調
※チャイコフスキー/バレエ「くるみ割り人形」からトレパーク
※エルガー/「愛の挨拶」
※ビゼー/オペラ「カルメン」序曲
※ドヴォルザーク/スラヴ舞曲第1番
《19時00分開演、21時35分終演》

オペラシティのコンサートホールは時に素晴らしい響きを伝えるホールだが、時には無情な響きを伝えるホールである。結果的にその2つを味わった演奏会であった。

1曲目。トゥガン・ソヒエフは大らかにして大胆。しかしながら、オケの音色は明らかに暴走気味で、弦と木管・金管のリズムとテンポが完全にバラバラ。オーケストラの音色を聴いているというより、テクノポップスの分解音を聴いているようで、正直、先が思いやられそうだなぁ、と思わざるをえない演奏だった。

2曲目。諏訪内晶子は真っ赤なロングドレスで登場。そして、コンサートホールは彼女の独壇場。指揮者もオケも全く関係ない。彼女が奏でる1714年製ストラディバリウス「ドルフィン」の音色しか耳に入らない。

諏訪内の演奏は全体に以前よりもタメを持たせていた。そして、その音色には艶と輝きが増して、以前は鬼気迫る恐さを感じたが、今回はまるで子供をあやす母親のようであり、彼女の膝枕で寝てみたいと思わせるような、女性として豊饒な余裕を感じさせる演奏だった。

2年前に私は「この協奏曲は諏訪内晶子とドルフィンのためにある。いや、諏訪内晶子とドルフィンのためにこの協奏曲は生まれた」と暴言を書いたがあるが、それはまだまだ間違いないようである。諏訪内晶子のチャイコンを聞かずしてチャイコンは語れない、と思うぐらいだ。
チャンスがあれば一度は彼女のチャイコンを聴いて欲しいと思う。

3曲目。1曲目の予想が見事に的中してしまった。オペラシティのホールは弦の響きは鮮明なのだが、木管の音色が伝わりにくい。そして、金管は拡散しがちになってしまう。こうしたホールの特有の状況をまったく知らないようで、チャイ5を聴いているというより、弦のチャイ5、管のチャイ5を聴いているようで、調和のとれた音が伝わってこない。加えて、悪いが木管陣の技量と音量には失望させられた。チャイ5大好きの私であるが、残念ながらこのようなチャイ5は聴きたくなかった。

それにしても、アンコールを4曲目もやるオケなんて初めてである。それだけもっと聴いてもらいたいという意志は解らないでもないが、裏を返せば本当のプログラムはなんだったのと問いたくなってしまう。

私はカジモトのワールド・オーケストラ・シリーズの会員になってまだ2年だが、今シリーズは昨シリーズに比べて総じてレベルが低い。ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーや今回のトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団は、わざわざ招聘するほどのレベルに達しているオケだろうか。このようなオケを招聘するならば、サンフランシスコ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、ピッツバーグ交響楽団といったアメリカの名だたるオケを招聘してもらいたい。

来シーズンはフィラデルフィア管弦楽団(デュトワ)、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(アーノンクール)、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(ヤンソンス)、ロンドン交響楽団(ゲルギエフ)、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(シャイー)と実力派揃いなのが嬉しいが、ただしチケット代だけはくれぐれも控え目に願いたいものである。

パーヴォ・ヤルヴィ&シンシナティ響の世界

2009-11-05 13:36:11 | 海外オーケストラ
昨日(4日)サントリーホールで開かれたシンシナティ交響楽団の来日公演最終日へ行ってきた。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。ピアノは世界的ピアニストのひとり、クリスチャン・ツィマーマン。

【演目】(※はアンコール曲)
バーンスタイン/ディヴェルティメント
ガーシュイン/ラプソディ・イン・ブルー
※ガーシュイン/3つのプレリュードから第3番
  ~休 憩~
ラフマニノフ/交響曲第2番
※シベリウス/悲しきワルツ
※バーンスタイン/キャンディード「序曲」
《19時00分開演、21時30分終演》

凄かった。本当に凄いコンサートだった。こんなコンサートは年に1回当たるか当たらないかのコンサートだ。この興奮と余韻は昨年11月のテミルカーノフ&サンクトペテルブルク・フィル以来である。

1曲目。バーンスタインがボストン交響楽団のために書いた曲で初演は1980年。指揮は小沢征爾だった。8つの曲で構成されているが、いかにもバーンスタインらしく、ファンファーレ、ワルツ、ブルースとなんでもござれと多彩だ。そして、それらの曲はすべての楽器の特徴をうまく引きだすような旋律で繋がっていく。まったく初めて聴いた曲にもかかわらず、不思議とスゥイングしたくなるような曲だった。

2曲目。プログラムのなかで、クリスチャン・ツィマーマンは「ステージで弾くのは15歳のとき以来です。何年ぶりか計算しないでください(笑)」(註:37年ぶり)と語っている。確かに出だしはちょっとぎこちなかった。彼のピアノの弾きぶりは手鞠を転がすような、繊細にしてどことなく女性的。最初はガーシュインを聴いているというより、まるでショパンを聴いているような感じになる。しかしながら、途中の「のだめ」でよく使われた有名な旋律以降は、水を得た魚のように指が飛び跳ねていく。特に手を重ね合わせて弾くカデンツァ(アドリブだったのかも?)の響きは、水面を石で飛ばす「水切り」のようであり、ガーシュインならではの遊び心が伝わってくる。そして、最後はオケと完全に一体化してそれまで備蓄していたパワーをピアノに全身にぶつけていき、メランコリックな世界を描いていった。とてもとても37年ぶりとは思えなかった。

3曲目。第1楽章を聴いていると、あれ、これがラフマニノフかと思うぐらい明るい。凍てつくロシアの大地がアメリカ中西部の穀物地帯のように青々しい。以前にも書いたかもしれないが、ラフマニノフ特有のデカタンスといった哀愁はまったくない。それでも、変な表現だが弦の凹凸のきいた響きがとても心地いい。う~ん、不思議なラフマニノフという感じで聴きいっていく。

第2楽章。2人の女性を中心としたホルン奏者の柔らかでまろやかな音色のスケルツォが響いていく。うわ~、なんて優しいのだろう。もう、こうなるとロシアもアメリカも関係なくなってくる。パーヴォ・ヤルヴィとシンシナティ交響楽団が奏でる音楽があるだけだ。そんな気分にさせてくれる。チェロやヴィオラをはじめとした中低音部の奏者たちも、譜面をめくる必要はないと思えるぐらい余裕ある表情で、この曲を掌中に入れているようで、ゆとりのある演奏を続けていく。う~ん、シンシナティ響、おそるべし。

第3楽章。弦が優美にして甘美あるロマンチックな旋律を奏でていく。身震いしてくる。頬を甘塩い水滴が流れていく。このマジカルな高揚感はいったいなのだろうか。ここまでくると、自分の思考回路が完全に停止してしまい、音楽に身を委ねているようになっていく。

第4楽章。もう音楽を聴いているだけだ。何も考えられない。眩いばかりの♪マークが目の前を通っていく。その♪マークはもちろん三半規管の奥にまで入っていく。ラフマニノフの音楽を誰もが楽しんでいる。いいです、いいです、この世界。ただただ聴きいる世界がこんなに陶酔できるものとは知らなかった。w

アンコール曲「悲しみのワルツ」を演奏し終えたときに、P席最前列の女性が見事な「ブラヴォー」の声をかけた。それに対してヤルヴィは投げキッスを返した。珍しいそして羨ましい(笑)光景だった。2曲目のアンコールは完全に反則技である。w

観客は8割ぐらいの入りだっただろうか。その誰もが最後の最後までヤルヴィとシンシナティ響のメンバーへ温かい拍手を送っていた。そして、それは2時間半の至福の時間を共有したことへの自らへの拍手でもあり、余韻はしばらくの間、脳裡から消えることはないだろう。

上原彩子&都響のラフマニノフ

2009-11-04 14:58:59 | 都響
昨日(3日)サントリーホールで開かれた東京都交響楽団のプロムナードコンサートNo.336へ行ってきた。指揮はアンドリュー・グラムス。ピアノは上原彩子。

【演目】(※はアンコール曲)
コープランド/バレエ音楽「アパラチアの春」(オリジナル版)
ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲
※ラフマニノフ/前奏曲 作品32-5
  ~休 憩~
モーツァルト/交響曲第40番ト短調 K.550
《14時00分開演、16時15分終演》

昨日は早朝の冷え込みがきつく、朝から鼻水が出て仕方がなかった。その鼻水を止めるために朝食後すぐに薬(コンタック600プラス)を飲まざるを得なかった。ただし、これを飲むと鼻水は止まるものの、急激な眠気と怠さを感じるようなる。こうした悪コンディションのなか、サントリーホールへ向かった。

先日のプロムナードコンサートは空席が目立ったが、昨日はほぼ満席状態。ラフマニノフ人気か上原彩子人気か、それとも・・・・。

1曲目。舞台配置はピアノをセンターに、木管のフルート、クラリネット、ファゴットが1台づつであとは弦のみ。弦は10-8-6-4-2だったような・・・。プログラムによるとオリジナルは2-2-2-2-1。

指揮のアンドリュー・グラムスはアメリカの若手有望指揮者の1人らしい。それゆえに、この曲の情景を熟知している。アパラチアとは一般的にはアメリカ東部の山脈をイメージする人が多いと思うが、この地域一帯のこともいう。アパラチアは山脈としてはロッキー山脈のように険しい山はなく、穏やかな丘陵が広がったような山脈である。それゆえに、狩猟を得意とする人々が数多く住み着き、今でも固い信仰のもとで自給自足の文化と生活を営んでいる人々が形成する町や村が数多くある。

この曲はバレエ音楽なので、全体としては流れるような旋律が多い。それゆえに、あまりメリハリがなく、穏やかな落ち着いた構成である。それでも、グラムスはアパラチアの静かな山々や閉鎖的な村の生活を表現する。特に木管の3人とピアノの抑揚した音色が、アパラチアに暮す人々を表わしているかのようであった。

2曲目。ラフマニノフの傑作であり、上原彩子が2002年チャイコフスキー国際コンクールで優勝したときに演奏した曲でもある。つまり、彼女の十八番であろう。

上原彩子はやはり野生的だ。前回N響で聴いたときは彼女はオラウータンかチンパージーがバナナを食べるかのような野性的かつ母性的な演奏をすると書いたが、今回はそういう面とは別に草原を駆け抜けるチーターかジャガーのような素早さと気高さを感じた。

しかしながら、彼女が演奏する音色は野性的でもなくロシアの凍てりつく大地のようでな。それはどことなくネオンが輝く夜のブロードウェイのようでもあり、隅田川に打ち上げられる花火のようでもあり、とても情熱がこもった浪漫溢れる音色だった。

有名な第18変奏を奏でるときも、彼女は華麗な技巧や荘厳な響きをもたせるだけでなく、緊張と弛緩を見事に観客に与えていった。そして優美にしてきらびやかな響きは、彼女の野性的な孤高さもあいまって、ググッと胸をうつものがあった。そして、最後は野生児が草原を走り抜けるかのような圧巻の超絶技巧を披露して演奏を終えた。

演奏が終了すると同時に、驚くべきことに観客より先にオケのメンバーが大拍手。おそらく都響のメンバーも一緒に演奏していて気持ちよかったに違いないだろう。

3曲目。この1ヶ月間はなぜかモーツァルト漬けだった。そして、今回を最後にしばらくモーツァルトにおさらばのはずである。(笑)

さて、演奏であるが、前半のプログラムだけで1時間半近くも費やしてしまったせいか、弦のメンバーに気力も体力も残っていなかったようである。最近は絶好調の都響の弦だったが、この演奏は音が拡散していて、そのベクトルがまったくまちまちであった。いくらモーツァルトが不得手といってもこれでは眠くなる以前であった。

11月のコンサート鑑賞予定

2009-11-02 16:49:20 | Weblog
早いもので11月です。芸術の秋まっただ中です。

3日 (祝) 東京都交響楽団@サントリーホール
4日 (水) シンシナティ交響楽団@サントリーホール
12日(木) トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団@オペラシティ
20日(金) チェコ・フィルハーモニー管弦楽団@オペラシティ
21日(土) NHK交響楽団@NHKホール
25日(水) NHK交響楽団@サントリーホール
30日(月) NHK交響楽団@NHK音楽祭

21日、25日、30日はN響3連チャン。
この他に1つぐらいは追加がでそうだが・・・。