ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

もっともっと魅せましょう、日本フィル

2010-06-26 12:41:13 | 日本フィル
昨日(25日)、サントリーホールで開かれた日本フィルハーモニー交響楽団の第621回東京定期演奏会に行ってきた。指揮は井上道義。マリンバはマリンバ界の大家・安倍圭子。

【演目】
伊福部昭/マリンバと管弦楽のためのラウダ・コンチェルタータ
※安倍圭子/祭りの太鼓
  ~休 憩~
ストラヴィンスキー/ハ調の交響曲
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
《19時00分開演、20時50分終演》

1曲目。プログラムによると伊福部昭はストランヴィスキーの「春の祭典」に影響されて、この曲を作ったようである。だが、これは「春の祭典」というよりも、日本の「夏の祭典」という感じの曲。それも開放的な夏祭りと違い、どちらかというと閉鎖的な農村の陰湿な祭典といった感じ。つまり、それはまるで“生け贄”を捧げるかのような呪術的儀式を表すような曲なのである。といって、耳に馴染まない曲かというと決してそうではない。最後のマリンバが高音を乱打(安倍圭子はとても73歳とは思えない)するところは完全にトランス状態で伊福部節炸裂。十二分に「夏の祭典」を堪能させてもらった。

2曲目。全く初めて聞く曲。「ハ調の交響曲」というのはどういうものだろうか。ハ長調なのだろかハ短調なのだろうか。いずれにしろ、ハ調の曲というのは一般的に単調であまり面白くない。この曲もその範疇を脱することは出来ていない。そんな曲を井上道義は楽しそうに踊るようにして指揮をする。というか魅せる。しかしながら、日本フィルのオケのメンバーはあくまでも謙虚に淡々と音を奏でる。こういう曲のときは、オケももっともっと魅せるということを心がけて演奏してはどうだろうか。そうでないと、ミッチーの舞踏会で終わってしまう。

3曲目。私は「火の鳥」は「春の祭典」よりお気に入りの曲なのだが、やはり組曲でなく全曲を聴きたかった。そういう意味ではかなり消化不良。

オペラ『カルメン』@新国立劇場

2010-06-21 11:20:27 | オペラ
一昨々日(18日)新国立劇場・オペラ劇場で演じられているジョルジュ・ビゼーの『カルメン』(フランス語上演/字幕付)を観に行ってきた。2007年11月新国立劇場制作の再演。

演出:鵜山仁
指揮:マウリツィオ・バルバチーニ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団
   NHK東京児童合唱団

カルメン:キルスティン・シャベス
ドン・ホセ:トルステン・ケール
エスカミーリョ:ジョン・ヴェーグナー
ミカエラ:浜田理恵
スニガ:長谷川顕
モラレス:青山 貴
ダンカイロ:谷 友博
レメンダート:大槻孝志
フラスキータ:平井香織
メルセデス:山下牧子

上演時間 
1幕50分 休憩25分 2幕45分 休憩25分 3幕1場40分3幕2場20分
《18時30分開演、21時05分終演》

世界でもっとも頻繁に上演されるオペラといわれる『カルメン』。自由奔放なジプシー娘カルメンに男たちが翻弄されるというストーリーで、最後は悲劇となって幕を閉じる。

演出が鵜山仁(新国立劇場演劇芸術監督)、美術が島次郎、照明が沢田祐二といずれも演劇界の名だたる面々なので、どちからというとオペラを観たというよりは濃厚な演劇を観たという感じの舞台だった。特に第3幕の舞台構成などは細部に至るまで目を見張るものがあり、日本の舞台技術のレベルの高さを見せつけくれた。

こうした舞台構成に関しては文句のつけようがなかったが、残念ながら出演者に関しては、特に男性陣の演技にはかなりガッカリさせられた。ドン・ホセ役のトルステン・ケール、エスカミーリョ役のジョン・ヴェーグナーは日本では既に知名度が高い歌手ということらしいが、この二人には人を魅了させる力があまりない。特に闘牛士役のヴェーグナーは歌には艶もない。これは明らかにキャスティング・ミスであり、舞台全体の重厚感を軽量にしてしまったと言わざるをえない。

一方で主役のカルメンを演じたキルスティン・シャベスと、ミカエラを演じたフランス在住の浜田理恵の二人はともに華と可憐さがミックスされていて、その魅力と実力をいかんなく発揮していた。また、合唱を演じた新国立劇場合唱団とNHK東京児童合唱団、ダンサー(新国立劇場バレエ団?)も舞台を引き締めていた。こうなると、もし再演を行うことがあるようならば、今度は男性陣のキャスティングに細心の配慮を願いたい。

なお、このプログラムは7月12日(月)から17日(土)まで、「高校生のためのオペラ鑑賞教室」として公演される。主要キャストが日本人になるが、演奏も東京フィルで高校生以下は2100円(プログラム付)で観ることができる。これはかなりお得な料金なので、声楽、音楽、演劇を志している中高生に観ることをおすすめしたい。

高校生のためのオペラ鑑賞教室
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/20000360_opera.html

アシュケナージ&N響の「悲劇的」

2010-06-17 14:57:47 | N響
昨日(16日)、サントリーホールでのNHK交響楽団第1678回定期公演に行ってきた。指揮はウラディーミル・アシュケナージ。

【演目】
マーラー/交響曲第6番イ短調「悲劇的」
《19時00分開演、20時25分終演》

通常は第3楽章に入るアンダンテ・モデラートを指揮者のアシュケナージの希望により第2楽章に入れる。マーラー音痴の私としてはよく解らないが、下記の順番でもいいのではないかと思う。

第1楽章 アレグロ・エネルジコ・ノン・トロッポ(激しく、しかしきびきびと)
第2楽章 アンダンテ・モデラート
第3楽章 スケルツォ(重々しく)
第4楽章 終曲:アレグロ・モデラート

第1楽章。導入部はコントラバス・チェロ・ヴィオラの重々しい響きと、ヴァイオリンの挑発的な尖った音が対比となってとても誘惑的かつ魅惑的な音色。その後ホルンをはじめとした金管が曲を盛り上げていくのだが、トランペットとトロンボーンの音色が少し粗雑。これはどうもアシュケナージの意図のようなのだが、う~ん、成功しているようには思えなかった。

第2楽章。弦のしなやかにして艶のある音色はとても流麗にして優美なのだが、随所に織り込まれる木管と金管の掛け合いのバランスが良くない。この曲はどうしても金管の方が木管に比べて強い編成になっているので仕方がないのかもしれないが、もう少し木管陣に踏ん張ってもらいたかった。

第3楽章。第1楽章が再び始まったかと思うような音の構成なのだが、ここは決して重々しくなく快速に駆け抜けていく。

第4楽章。ハンマー(竹島悟史)の思いっきりのいい叩きと、チェレスタ(金崎美和子)の囁くような音色が印象に残ったが、ここも第2楽章同様に金管と木管のバランスが良くない。それを弦がうまく補っていたのは、指揮者よりもコンマス(篠崎史紀)の力によるものが大きいのではないだろうか。

全体としてはやや消化不良の感の否めない演奏だったが、聴く方はそれなりに楽しめた。ただ、この曲はアシュケナージよりもセミョーン・ビシュコフかヘルベルト・ブロムシュテットに振ってほしかったと思ったのは私だけではないと思う。

今回のN響の布陣は、第1ヴァイオリンは篠崎・大宮ほか全16人、第2ヴァイオリンは山口・大林ほか全14人、ヴィオラは佐々木・井野邊ほか全12人、チェロは木越・藤村ほか全10人、コントラバスは吉田ほか全8人、オーボエ(イングリッシュホルンを含む)は青山ほか全5人、フルート(ピッコロを含む)は神田ほか5人、クラリネットは松本ほか全5人、ファゴットは水谷ほか全5人、ホルンは松崎ほか全9人、トランペットは関山ほか全6人、トロンボーンは栗田ほか全4人、チューバは池田、打楽器(チェレスタ含む)は久保ほか全7人、ハープは早川ほか全2人。
(間違っていたらごめんなさい)

コーヒーの香りが漂うような都響の弦

2010-06-14 14:36:31 | 都響
一昨日(12日)、サントリーホールで開かれた東京都交響楽団のプロムナードコンサートNo.339演奏会に行ってきた。指揮はエリアフ・インバル。ヴァイオリンはラチャ・アヴァネシヤン。

【演目】(※はアンコール曲)
ドヴォルザーク/序曲「謝肉祭」
ドヴォルザーク/ヴァイオリン協奏曲イ短調
※コミタス/アルメニアン・メロディ
  ~休 憩~
ドヴォルザーク/交響曲第8番ト長調
《14時00分開演、15時55分終演》

オール・ドヴォルザーク・プログラムだったが、前夜のN響のオール・おフランスざんす・プログラムとその後の日本酒(島根の「月山」)と京漬物のために前半のプログラムは完全に沈没状態。ほとんど記憶にありません。

ということで、交響曲第8番だけのレビュー。

都響の弦の響きは聴くたびに上手くなっていると思う。私はそれぞれのオケの特徴というか音色をもっとも表しているのは弦だと思う。正直なところ、弦が上手くないオケはあまり聴きたくはない。私がなぜ劣悪な音響効果のホールで演奏されるN響を聴きに行くかというと、それは女性陣に綺麗な方が多いというだけでなく(笑)、最大の理由は弦の音色が素晴らしいからである。

N響の弦というのはしなやかにして艶やか音色だと思う。これに対して都響の弦は柔らかにしてコクがある。つまり、N響はシルクのような肌触りな音色で、都響はブルーマウンテンの香りが漂う音色なのである。う~ん、ちょっと解りにくいが私にはそう思える。

で、都響の演奏である。第1楽章。弦はとても軽快である。それでいて、ドヴォルザークならではのボヘミアの郷愁感というか開放感のある民族性と風土を表している。このへんはやはりインバルの真骨頂ではないだろうか。また、オケをリードしていくフルート(柳原佑介)の音色がいい。それに比べると、他の木管陣はもう少し奮起してほしい。

第2楽章。ここでの穏やかな香りが漂う弦は素晴らしかった。行ったことはないが、ボヘミアの田園風景をイメージさせてくれる。そして、コンマス(山本友重)のソロが渋かった。

第3楽章。ドヴォルザークの美しいメロディの連発である。この楽章だけを聴くとドヴォルザークがどれだけ優秀なメロディメーカーであることが解る。それを都響のメンバーは楽しむかのように優雅に演奏していく。ここでも柳原佑介のフルートの響きが突出していた。

第4楽章。冒頭のトランペットに続く、チェロをはじめとした中低音の響きが爽やかにして鮮やか。そのあとは木管・金管も一体化してドヴォルザーク節全開というかインバル節の熱演だった。

次の都響プロムナードコンサートへ行くときは、前夜は飲まないようにしよう。w

1ヶ月ぶりのN響定期

2010-06-12 21:26:52 | N響
昨日(11日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1677回定期公演に行ってきた。指揮はウラディーミル・アシュケナージ。クラリネットは指揮のアシュケナージの次男ディミトリ・アシュケナージ。オルガンは勝山雅世。

【演目】
フォーレ/組曲「ペレアスとメリザンド」
フランセ/クラリネット協奏曲
※ベーヴァ・コヴァーチェ/マニュエル・ド・ファリャへの讃歌
  ~休 憩~
サン・サーンス/交響曲第3番ハ短調
《19時00分開演、20時55分終演》

先月はB定期に行けなかったので約1ヶ月ぶりのN響定期。この日は開演前の室内楽もドヴィエンヌの「ファゴット四重奏曲」で、プログラムはオール・おフランスざんす。(笑)

1曲目。これを1曲目にもってくるのはちょっと贅沢かも。ロマンチックにしてドラマチックな組曲だ。なかでも、フルート(神田寛明)とハープ(早川りさこ)と弦が奏でる3番目の「シチリア舞曲」は華麗にして耽美。う~ん、お洒落~~~。ただ、全体としては指揮のアシュケナージとオケがチグハグな印象は否めず、終演後アシュケナージはちょっと戯けた表情をして、どことなく罰が悪そうであった。

2曲目。クラリネット好きの人には面白い曲かもしれないが、私のように横笛派にとってはあまり興味を抱くことができない。軽快にしてカデンツァがてんこ盛りで、協奏曲というよりもクラリネットに伴奏が付いているような曲。う~ん、肌に合わない。以前にも書いたが、N響は指揮者の縁故関係に弱すぎる。このディミトリ・アシュケナージのクラリネットが下手とは言わないが、やはり世襲や縁故関係は良くない。ぜひとも事業仕分けしてもらいたいものだ。

3曲目。NHKホールのパイプオルガンにあまりいい印象はない。というのも、2階席や3階席だとパイプオルガン特有の地鳴りをするような響きが伝わらなく、とても醒めた音にしか聴こえない。ところが、この日は1階席上手側のパイプオルガンに近い席で聴いたせいか、パイプオルガンがお腹に響いてくる。場所によってこんなにも違うものなのだろうか。

演奏は全体に洗練されていて、加えてアシュケナージ特有のオシャマな要素も融合されていて、サン・サーンスならではの音の洪水も見事に表現していた。なかでも、最終楽章でのピアノの連弾、パイプオルガンと弦を奏でる旋律は流麗で脳裏を心地よく揺れ動かしてくれた。

終演後、アシュケナージはパイプオルガンの勝山雅世とピアノの二人を称えていたが、ピアノの二人の名前は解らない。N響はエキストラ出演者の名前を掲示ぐらいしてほしいもんである。

追記:後にピアノ奏者は金崎美和子さんと沼田良子さんと判明。二人をググってみたところ、金崎さんはチェンバリストとしても有名。そういえば、N響でもよく弾いている。沼田さんもピアニストとして活躍中。連弾があんなに上手いのも当たり前の話である。

河村尚子の「皇帝」 & ウィーン響の「運命」

2010-06-02 13:44:41 | 海外オーケストラ
昨日(1日)、先日に続いてサントリーホールで開かれたウィーン交響楽団の来日公演を聴きに行ってきた。指揮はファビオ・ルイージ。ピアノは河村尚子。

河村尚子は1981年に兵庫県西宮市生まれ。5歳で父親の仕事の関係で渡独してピアノを学ぶ。ハノーファー音楽演劇大学でウラジミール・クライネフに師事。在学中にヴィオッティ、カサグランデ、ゲーザ・アンダなどの国際ピアノコンクールで優勝・入賞を重ね、2006年にミュンヘン国際コンクールで第2位。2007年にクララ・ハスキル国際コンクールで優勝。2009年出光音楽賞、新日鉄音楽賞フレッシュアーティスト賞を受賞。期待のホープである。

【演目】(※はアンコール曲)
ベートーヴェン/第5番「皇帝」
※リヒャルト・シュトラウス/「孤独な泉のそばで」
  ~休 憩~
ベートーヴェン/交響曲第5番「運命」
※J.シュトラウス2世/ワルツ「ウィーン気質」
※J.シュトラウス2世/ポルカ・シュネル「雷鳴と稲妻」
※J.シュトラウス2世/ピチカート・ポルカ
《19時00分開演、21時10分終演》

初日公演はいったいなんだったのだろう。あのときは「チケット代を半分は返せ!」と思ったが、昨日は全然違っていた。十二分に元がとれてお釣りがくる出来だった。来日オケの初日は行っちゃいけないという教訓なのだろうか。

1曲目。河村尚子は非凡な才能を秘めている。それは音楽的テクニックといったものではなく、内に秘めた芸術的センスだと思う。彼女の奏でる「皇帝」はエレガンスで独創性に満ちている。これまでの何人もの女性ピアニストの「皇帝」を聴いてきたが、彼女の演奏がしばらくの間一番印象に残るだろう。

河村の指使いは決して上手くもなく軽快でもない。どちらかといえば不器用といってもいいかもしれない。しかしながら、一音一音をとても大事にしている。それは変な例えかもしれないが、一音一音が彼女の骨となって肉となって聴衆に伝わっていくのである。つまり「皇帝」を聴きながら、彼女の全身のエネルギーと魂を聴いているようでもあるのだ。これだけ、音楽と自分自身を重ね合わせられるピアニストはそうそういるものではない。

「皇帝」には威厳と孤独、現実とロマンなどある意味相反する課題がいくつもあると思うが、それを彼女は見事に表現している。そして、彼女の演奏には理性と知性があり、第3楽章では皇帝が馬に跨がって野駆けするような光景をイメージさせてくれた。ここまでのイメージをさせてくれた演奏は彼女が初めてである。ブラヴァ~~~!

2曲目。思いっきりベートーヴェンを聴いた、と感じた。終演後の拍手とブラボーは尋常ではなかった。先日のブラームス・プログラムは失望だらけだったのが、昨日は1曲目の「皇帝」に続き、この「運命」も荘厳にして情熱的、加えて躍動感に満ちた演奏だった。なかでも、トランペットの二人の音色は特筆もの。あれだけ爽快感と透明感のある音色は残念ながら日本のオケではなかなか聴くことができない。

最後はお約束のアンコール曲(順番は変えたが曲目が前回と同じというのは少し芸がない)だったが、終演後オケのメンバーが引き上げたあと、先日の公演ではなかったファビオ・ルイージを舞台に戻す“一般参賀”が行われた。ルイージは謙虚に聴衆に挨拶をしていたが、私にはそのときにまだ舞台上に残っていたピッコロ奏者(「運命」の第4楽章で美しい音色を奏でていた)のオジサンの満面の笑みの方が印象的だった。